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復讐と報恩の双剣(アイデース・フィロソフォス)  作者: enhancedcat
*第2章「牢獄の老賢者」*
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第7話

「さっさと歩け、小僧! 元気よくな!」


 ランプのわずかな光に照らされながら、ニケは暗闇の中を小突かれながら歩いていた。


 夜よりも闇の深い、ほとんど何も見ることの出来ない地下牢獄の通路――。

 囚人たちのうめきと、壁から滲み出す水滴の音が時々する以外、ほぼ無音の空間だ。


「何だありゃ、新入りにしては若いな」

「若すぎらあ。子供じゃないか。あんなのが重罪を犯してここへ入ってくるとは、世も末だねえ」

「いや、きっと哀れな権力闘争の犠牲者だよ。さしずめ名家のおぼっちゃまの、悲惨な末路とでも言うんだろうぜ」


 数年ぶりに子供というものを目にした男たちが、珍しがって騒ぎ立てる。


「おいおいおい、あっちへ行っちまうのか。俺の牢に入れば愉快に遊んでやるものを」

「子供ってのは可愛いなあ。ここに来る前、俺にもまだ生まれたばかりの娘がいたっけ。生きていれば十歳にはなるはずだが」 

「どうしたことだ。あの爺さん、子供をどんどん奥の方へ連れていくよ。本当に酷い話じゃないか。あんなに地下深くへ行ってしまうってことは、たぶん重罪を押しつけられたんだ」

「可哀想に。あんなに良い服を着てるところから見ると、相当の家の出だぞ。伯爵家かもしれん」


 シャトーディフの牢獄は、入り口に近ければ近いほど地上に近く、入り口から遠ざかれば遠ざかるほど深いところに位置する。監獄全体がなだらかな螺旋階段のような構造になっているのだ。


 通路両側の牢を横目に、ニケと扉番の老人の二人は、ひたすら地下へとぐるぐる下り続ける。

 地上に近い囚人たちはまだ陽気なところがあったが、深奥を目指すにつれてしゃべり声は少なくなり、檻の奥からギラギラと鋭いまなざしが向けられるようになってくる。


「不気味なもんだ。よくまあエサ係のドロイ爺さんは毎日ここへやってこれるな」


 老人はそうつぶやいて身震いした。

 しかしニケは周りの光景も老人の声も耳に入っていないかのようだ。ひたすら追い立てられるままに足を運んでいる。


「さて。三人を殺した。しかもその内の一人は父親だって言ってたな。そのくらいの罪なら――この辺の牢が妥当だろうな」


 立ち止まった老人は、暗くて中の見えない、一つの牢を選んで鍵を差し込んだ。


「よっと。ほれ開いた。ここが今日からお前の家だ。死ぬまで穏やかに暮らすんだな」


 きしんだ音を立てて開錠された檻に、ニケを突き飛ばすようにして入れる。

 ニケはよろめいて転び、かびの生えた不潔な床に倒れ込んだ。


「それじゃ、運が良ければまた会おう、坊主」


 牢獄への案内者は、鍵を閉めると、早々に立ち去ってしまった。

 明かりとともに、老人の足音が遠ざかる。

 ランプが無くなったことで、牢は本来の暗さを取り戻す。

 ここが地獄ならば、業火や悪魔のらんらんと光る眼のおかげで、まだしも多少の光はあっただろう。

 だがここは地獄よりもなお闇の濃い、恐ろしい地下牢獄シャトーディフ。

 目を開けていても、目を閉じている時とまったく同じように、無限の漆黒が広がっている。

 一日もいれば、自分が目を開けているのか閉じているのか分からなくなってしまう。


 ――そんな場所に置き去りにされたというのに、それでもニケの顔にはなんらかの感情が浮かび上がることはなかった。生きる希望を何一つ持たないかのように、かびくさい、湿った床から鼻を放すこともしない。


「けほっ……けほっ、けほっ」


 埃を吸い込んで咳をする様子から、かろうじてニケがまだ呼吸をしていることが分かるのだった。


 ここでは天気も時間も昼夜の区別も何も、まるであったものではない。

 ニケはそのまま死んだように横たわったまま、微動だにしない。


「おおい、おい」


 じめじめとした、無限に続くと思われる耐えがたい静寂を破って、闇の中から男の声が発せられた。


「新しく入ってきたのは――誰だな? 生きた人間を葬るための、この冷たい螺旋の墓場に新しくやってきたのは?」


 野蛮な囚人たちのダミ声とは違い、聞いていて心地よいほがらかな響きの声だ。

 こんなに恐ろしいところに閉じこめられるとなれば、たいていの人間は絶望するか、気がおかしくなってしまう。


 しかしその声は、まるで自分の境遇をこれっぽっちも悲観していないかのような、そんな気楽さをにじみだしていた。


「まさか本当に死んでしまっているんじゃないだろうな」


 奥の壁で声の主がうごめく。

 ――と、何か毛深い獣のようなものが、ニケの前に寄ってきた。


「……生きてはいるな。だがこのままでは死ぬだろう。あの扉番、隣の無人の牢と間違えて、わしのところにこの子を入れたな」


 ニケを抱き起こしながら、毛むくじゃらは独りごちる。この毛むくじゃらこそが声の主なのだった。


「あやつが鍵を開けた時、襲いかかって逃げ出しても良かったんだが――駄目だ。わしは年を取りすぎた。いざ立とうと思っても立ち上がれんかったわい」

「――――?」

「お、目を動かしたな。生きておる」


 優しく壁に寄りかからせられるニケ。

 ふさふさした毛が首筋から顔までを撫でた。


「…………少年、疲れておるな」


 心の底から同情を込めた調子で、男の声は語りかける。


「堕落した世の中じゃ。乱れきった世の中じゃ。金や権力のために、不正が黙認される世の中じゃ。こんなところへやってくるくらいだ、きっとお主も大変なものを見てきたんじゃろう。人間の欲の、暗黒を見てきたんじゃろう。この墓場よりもなお暗い、恐ろしい闇を、な。…………私はネストルという老人だ。君は……?」


「………………」


「言いたくないなら言わなくてもいい。とにかく辛い目にあったのだろう。今日は――今日と明日の境界など曖昧だが――ゆっくり寝て、休むことだ。なんといってもここじゃ、寝るくらいのことしか出来ないのだから」


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