第6話
「ようやく見えてきたな」
「ああ。あれが噂に名高いシャトーディフか。思ったより小さいんだな」
「ここから見るのは、地上の監視塔だからな。シャトーディフの本体は、日の光も射し込まない地下の牢獄だ」
ニケを乗せた三人の刺客の馬車は、エピザメ地方をかなりの速度で南下していた。かれこれ三日も馬に揺られっぱなしだが、三人とも疲れた様子を見せない。
ニケは――父たちの死を間近で目撃し、母親と別れてしまったショックで、茫然自失の状態に陥っていた。もはや涙すら出ないのだった。
じっと外の景色に顔を向けながら、眉一つ動かさず、目の焦点を遠くの方へ置いていた。自分から空腹を訴えることはなく、見かねたシンテスが無理矢理食べさせたパン以外は、何一つ口にしようとしない。
「不気味だな。子供ならもっと泣いてもいいだろうに」
「馬鹿。あんな光景を見せられたら、こうなるさ」
「そんなもんかね」
「そうなのさ」
「いずれにしても、あんまり気持ちのいい仕事じゃなかったな」
「ああ。胸の悪くなる仕事だった。もうこんなことはしたくないな」
「忘れよう忘れよう。ニケを牢屋に放り込み、仲間と合流すれば、クシフォ国は俺たちのもの、俺たちの天下だ。過去は忘れて、立派に暮らそうや、貴族らしくな」
「そうだな。どこかの公爵の娘とでも結婚して、きらびやかな生涯を送るとしよう」
「へん。お前に上流階級の作法や社交界のしきたりが分かるのか?」
「馬鹿にするな、メルメラ。俺は立派な剣者だぞ、文句のつけようのない貴族だ。作法なんてどうだっていい。剣の技、強ささえ見せつけてやれば、女はみんなイチコロよ」
「都会の貴族の娘ってのは、そんな野蛮な趣味を持ってないんだよ」
「知ったような口を利きやがる」
「ほら到着だ。降りよう、メルメラ、オムブロス」
馬車は高い塀に囲まれた、シャトーディフの北門の前で止まった。
三人は馬車を降りると、不審そうにしている門番を手招きして呼びつける。
「何の用でございましょうか。囚人との面会ですか?」
「違う。新しい囚人を届けに来たのさ」
「……と、おっしゃいますと?」
「親殺しの極悪人を連れてきたから、即座に収監して欲しいのだ。子供なんだがな」
「裁判所の手続きが必要になりますが」
「そんなものは必要ないな。なぜって明日から、俺たちが裁判を司る権力そのものとなるのだから」
シンテスは懐から金貨のたっぷり詰まった布袋を取り出し、門番に押しつけた。
「それに、裁判所の書類なんかよりも、こっちの方が効き目があるんだろう?」
「これは…………頂戴してよろしいんで?」
「その代わりそっちに乗ってる、親殺しの子供をしっかりと閉じこめてくれ。極悪人だから、地上に生かしておいてはまずいのだ」
「私に下さったこの袋と同じものを、この牢獄を管理する総監殿にお渡しになれば、お望みが叶いましょう。門番の仕事は門を開いて、旦那様方をお通しすることだけです」
「そんなことをする必要はなかろう。俺たちのせいで政局が不安定になっている時期だ。たくさんの囚人が毎日やって来るから、いちいちその数を把握してはいないはずだ。子供一人増えたところで、総監も気にはするまい」
「ですが…………」
「俺たちが中へ子供を連れていく。お前は門を開けてくれるだけで結構」
「承知しました」
三人は監視塔の根元、地下牢獄への入り口となっている石の扉の前にやってきた。オムブロスはニケを肩に担いでいる。
「どなた様で? 面会ですかな?」
扉の番人を務めている、白髪の老人が三人を制止する。
「この先に降りるには許可証が必要なのですが」
「この子供を牢に放り込みたい。書類については、近いうちに必ず届ける。というのも、近日中に俺たち『七剣人』がこの国の政権を奪うからだ。そうなれば子供一人を投獄するための書類など、簡単に作れる」
「『七剣人』ですと! 確かにあなた方にはそんな貫禄がありますな。しかし証拠を見せていただかないことには……」
「そんな証拠なんかより、こっちの方が効き目があるんだろう?」
再びシンテスが、懐から金貨の袋を取り出し、老人に押しつけた。
「おお! その通りこれは、つまらん許可証なんかよりずっと有効な物品ですぞ!」
老人はにんまりと笑って、袋を受け取る。
「では子供をわしに引き渡して下され」
「ほらよ。泣いたり喚いたりしないから扱いは楽だ」
「この子供の罪状は?」
「親殺し。しかも自分の父親だけでなく、父親の友人二人、計三人を殺した大罪だ」
「なるほどそんな大きな罪を犯したというのなら、牢獄の中でも一番奥の、一寸先すら見えない暗闇へ放り込むしかないですな」
老人はニケを両腕で抱え、腰の鍵束をがちゃがちゃいわせながら、石の扉の奥、地獄のような地下牢獄へと消えていった。
こうして一仕事終えた三人は馬車に戻り、
「これで一通りの汚い仕事は終わった。もう金輪際こんな仕事とはおさらばだ! フィロフォソス聖堂での事件は、俺たちが王宮を奪取し次第、あのかわいそうなニケの犯行ということになるだろうよ、書類上は」
「ま、そんなことなどさっさと忘れて、この世の春を謳歌するとしようや」
「そうだな。とりあえず仲間と合流だ。王都パルセへ向かう」
「途中でしこたま酒を飲んでいこうや」
馬車は王都パルセへの道を走りだした。
シャトーディフの門番にしても扉の老人にしても、こうして賄賂を受け取って不正な仕事を行うことになれていたので、その日の出来事を誰かに漏らすようなことはなかった。金貨をすべて酒に変えて飲み尽くしてしまうと同時に、哀れな子供ニケのことも頭から抜け落ちてしまったのである。