第4話
「外した!?」
確かに刃はメルメラの皮膚を切り裂いた。
だが攻撃を察知したメルメラはとっさに、上体を後ろに反らしていたのだ。
そのため首ではなく、額に大きな傷をつけることとなったのである。
額の傷は致命傷ではない。
視力を取り戻したメルメラが、攻撃を繰り出した直後の体勢の崩れを見逃さず、
「これで終わりだ!」
大きく踏み込み、袈裟に斬りつけた!
「――――おおっ!」
今度こそ肩から胸にかけて、男爵は深い傷を負わされてしまった。
「イフティムス!」
ラヴオスが男爵を助けようと駆け寄る。
「男爵がやられたのか!?」
先ほどとは形勢逆転、オムブロスの執拗な攻撃に対処していたマクネスは、男爵の悲鳴を聞いて隙をつくってしまった。
「男爵だけでなく、お前もやられるんだよ!」
「――ああ!」
「マクネス!」
瞳を輝かせながら放たれた、正確な一撃。
オムブロスの刃が、マクネスの左肩を貫く。
「ぐっ…………!」
「へへへっ!」
勝利を確信し、下品に笑うオムブロス。
マクネスは痛みに震えながらも、
「――せめて一撃!」
刃こぼれしてぼろぼろの剣に、渾身の力を込め、オムブロスの頬を撫でるように傷つけた。
「……ん?」
オムブロスが手で頬を触る。
指には傷から滲みだした血が、べったりとついている。
「野郎! 俺の顔を傷つけやがった!」
怒りのために一気に顔を沸騰させ、茹でだこのようになったオムブロスは、マクネスの肩から剣を抜き取り、乱暴に蹴りとばす。
それを伯爵は受け止めたが、すでにマクネスは気を失っていた。即座に手当をしなければ、出血のために死んでしまうだろう。
男爵もメルメラに容赦なく心臓を貫かれ、聖堂の冷たい床にばったり倒れていた。紅の剣イフティムスは、持ち主の魂が肉体を離れると同時に、砂粒のようになって消え去ってしまっていた。その粒子は巡りめぐってどこか元の聖堂へ帰り、再び剣の形に戻る。そして次の持ち主が現れるのをじっと待つ。
「さて――勝負あったな」
一番初めに腕に傷を負い、離れた席に座って観戦していたシンテスが、悠々と伯爵の前に立った。伯爵はマクネス氏の血を浴びて、真っ赤に塗れている。
「メルメラが男爵を、オムブロスがマクネスをやった。そんなら俺には伯爵をやる権利があるな」
「一番にやられたくせに何を言ってんだ」
横からメルメラが歩み寄る。
「汚い仕事だ。平等に手を汚そうってんだよ」
「そうか。それなら好きにすればいい」
「オムブロスはどうだ? 俺が伯爵をやっていいか?」
「いいともさ」
「それなら、決まりだな伯爵。俺の剣で死ぬのだ」
気絶した友人を抱いた無抵抗の伯爵を殺すべく、シンテスは剣を振りかぶる――。
「――――父上!!」
いよいよ父親が殺されるという時、ニケはあらん限りの力を込めて叫んだ。
一同は振り返り、忘れかけていたニケの存在を思い出した。
「イフティムス様が怪我をした! マクネス様が怪我をした! 父上も血まみれだ! ああああああ! 悪人! 悪い奴! 悪い奴!」
じたばたと両手両足を動かすニケ。
オムブロスはニケに歩み寄り、その頬をつねった。
「怪我? 違う。死んだんだよ」
「死んだ?」
「そうさ、死んだんだ」
「嘘だ!」
「本当さ。ほらごらん、ぴくりとも動かないじゃないか」
「い……いやだああ!」
「泣いたって駄目だよ。シンテス、やれ。ニケとかいう坊主、父親が死ぬのをしっかり見届けろ」
無理矢理ニケの顔を、シンテスと父親の方へ向けさせた。
「父上、死んじゃやだああ!」
「ニケ、落ち着いて、よく聞くんだ」
死を目の前に控えているのにもかかわらず、伯爵は息子を安心させるために、元気ではつらつとした声で語りかける。
「父さんはここに寝ている、二人の友だちのところへ行く。母さんやニケを置いていくのは悲しいが、またいつか会えるんだ。必要以上に泣いてはいけないよ」
「父上…………父上…………」
「私から息子に残して置く言葉は一つ。『生き延びろ!』」
伯爵は立ち上がり、座席の横に備え付けてある短剣を手に取った。
「これで言い残したことはなくなったのだ。二人のように私も、闘って死のう!」
死を覚悟した伯爵は、まっすぐシンテスの鳩尾に刺突を繰り出す。
せめて名誉ある敗北のための、悲壮な最後の抵抗だ。
「あっぱれだ!」
「ああああああ――――父上!!」
ニケはオムブロスの指によって、目を閉じることが出来なかった。
そのため瞼に、父親の最期をしっかりと焼き付けることとなった。
「うわあああああああああ!」
シンテスは伯爵の腕をひねり上げ、短剣を落とさせた上で、心臓への一突きを放った。
悲鳴を上げることもなく伯爵は、その場でばたりと倒れ、絶命したのだった。
胸からほとばしる血液の鮮やかな赤色を見て、ニケは気を失った。
「――――片づいた。後は知恵の聖剣フィロソフォスをいただいていくだけだ」
シンテスは剣から手を離した。苔色の剣は、空間に飲み込まれてしまったようにそこから消え失せる。
気絶したニケを肩に担ぎ、オムブロスも空間の鞘へと剣を投げ込んだ。
「おい! ちょっとこっちに来てみろ!」
聖剣の納めてある、説教壇の後ろの石櫃を観察していたメルメラは、仲間を手招きした。
「どうした?」
「何か問題があったか」
足早にやって来るオムブロスとシンテス。
「まさか聖剣が無いってんじゃないだろうな?」
「そのまさかだ。フィロソフォスが無くなっている」
「なんだと!?」
「馬鹿な! フィロソフォスに選ばれた剣者が現れたとでも言うのか!?」
「違うな。きっと代理司祭が持って行ってしまったんだろう」
「……追うか?」
「いや。無理だろうな。無理ではないにしても、探すのにかなり時間がかかる」
「じゃあどうする……?」
メルメラは笑った。
「決まってるだろう、放っておくんだよ。そもそもこんな辺鄙なところにある聖堂の剣が、俺たちの脅威になるとはとても思えん」
「アビオイの託宣によれば、フィロソフォスは脅威となる強力な剣の一つだということだが?」
「アビオイにも間違いはある。そうアビオイ自身が言っていたではないか。それよりも有力な政治家たちを殺せたんだから、満足してこの辺で切り上げようや」
「そういうことなら、分かった」
「おい、こいつはどうするね?」
オムブロスが肩のニケをばんばんと叩く。
「殺しとくか?」
「殺すわけにはいかないだろう。さすがにそれは俺たちの刀剣神もいい顔をしない」
「そうだな。どうするか」
「シンテス、何かいい案があるか?」
「ある」
「ほう、どんな案だ?」
「殺すわけにもいかないが、生きていられても後々厄介だ。だから閉じこめておくのさ。死んだように生きていればいい。牢獄だ」
「なるほど! さすがシンテス、知恵者だ」
「じゃあこんなところ、さっさと引き払うとしよう。仕事の仕上げだ。向かうは忘却牢獄シャトーディフ。あそこならば一度入ったきり、どんな奴も出てこれはしない」
「しかし監獄に放り込むなら、罪状が必要だろう?」
「さし当たり、親殺しの罪でも被せておくさ」