第2話
「決闘は――」
男爵は手でメルメラと名乗った男を制止しながら、よく通る声で言った。
「――正当な場合以外、なされてはならない。正当な場合とは一つ、貴族の名誉が傷つけられた場合。一つ、神が侮辱された場合。あなたは私との決闘を望まれるのか」
「そうだ」
「なぜだ。それには正当な理由があるのか」
「ある。現に今、男爵の名誉は傷つけられつつある。ここで俺との闘いを避ければ、『剣者のくせに闘いから逃げた』という汚名を被ることになる」
「無茶苦茶だ」
相手にしていられない、とでもいうように、男爵は男たちを追い払う手振りをした。
「無駄な決闘は避ける。それが賢さ、高貴さというものだ。汚名など被らない。むしろ勇気ある行いだと賞賛されるだろう。辻斬り君たち、帰りたまえ」
「まあ、そうだろうな。そんな理屈をこねると思っていた」
メルメラは背の低い方の仲間に目配せした。
その合図を受けた男は、素早く駆け出し聖堂内へ侵入する。
「何だ――!?」
地を這う毒蛇のように男が向かったのは、イフティムス男爵夫人、つまりミリミの母と、ミリミの席。
「きゃあっ!?」
誰かがそれを止める間もないうちに、男はミリミを強引に抱きかかえ、再び元の立ち位置に戻った。一瞬の出来事だった。
「この女の子が人質だ」
メルメラが得意げに言う。
「これで決闘のための正当な条件がもう一つ出来たな。『一つ、子供を人質にとられた場合』」
「助けて、お母様! お父様!」
ミリミが男の腕で叫ぶ。
イフティムス夫人も、ミリミに手を伸ばして泣いている。周囲の男たちに抑えられていなかったなら、きっと三人の男たちの方へ駆けだしていただろう。
「卑怯な! 見ろ、その子の母親が泣き叫んでいるのが分からないのか! それでも貴族か!」
「闘え男爵、そして人質を取り戻してみせろ」
もはや男爵に、選択の余地は残されていないようだった。
「……やむをえない!」
男爵がメルメラと同じように中空から、不思議な方法で剣を掴もうとした――その時、
「ミリミ! ミリミ!」
「ニケ! 助けて!」
背の低い男の膝元に、ニケの姿があった。
大人たちの注目がミリミの母親ばかりに集まっていたため、ニケのこの突発的な行動を止める者がいなかったのだ。
「駄目よニケ! 駄目、戻って!」
「お母様! でもミリミが!」
ラヴオス伯爵夫人は必死で息子を呼び戻そうとするが、ニケはてこでもミリミの前を動かない。
「ニケ! ニケ!」
ミリミもニケに手を伸ばそうとする。
背の低い男はそんなやりとりを見ながら、
「人質をもう一人増やしたところで、損にはならないだろうな」
と、空いている方の腕でニケをも抱え込んでしまった。
「ああ!」
夫人は卒倒し、夫のラヴオス伯に抱き止められた。
「子供を決闘のだしに使うのはやめてもらおう」
ラヴオス伯爵は妻を老僕ムルートンに預け、マクネス氏、イフティムス男爵の前へ歩み出る。
「そんなことをしなくても、そこまでお望みならば受けて立とうじゃないか」
「よい心がけだ」
「――そちらは三人、こちらも三人。剣者が一人ずつ。公平な決闘が出来そうで結構」
腰に差している剣の柄に手を当てながら、マクネス氏が言う。
「その代わり子供をすぐに解放なさるのですな」
メルメラは少し考えるような素振りを見せた後、ミリミだけを解放するよう仲間に指示した。
「女の子を人質にするのは剣者としての道徳に反する。だが貴族の息子というのは、普通の子供より勇敢に育てられているし、人質として一番有効だ。手放すわけにはいかない」
「卑怯な……!」
「いや、いいのです」
ラヴオス伯爵が、イフティムス男爵に手で合図する。
「ニケは私、ラヴオス伯爵の息子だ。こうした事態にも立派に耐えてくれるだろう」
そう言い放ってニケを一瞥してから、解放されたミリミを受け取り、イフティムス男爵を介して母親へ返した。
「私たち三人と、こちらの無礼な紳士三人以外の方々は、どうかお帰りになって下さい。これから血なまぐさいことが始まりますから」
一も二もなく、ラヴオス伯の言葉に従って、人々は逃げるように帰っていった。ミリミはぐったりと気絶しそうにしていたが、パリモは母親に引きずられながらも、
「ニケ! 僕がニケの代わりに人質になります! ニケ!」
と叫んでいた。
ニケは精一杯表情に平静を装って、
「パリモ! ぼくは大丈夫だ!」
と強がってみせたが、身体はひどく震えていた。
「さて、これで決闘の段取りが整いましたな」
大人六人、ニケ一人、計七人のみになったフィロソフォス聖堂は、張りつめた静寂に包まれていた。
「話を聞かれて困る人間もいなくなったわけです。そこであなたたち、私が剣を抜く前に、こんな形で我々に闘いを挑んだ理由をお聞かせ願いたい」
イフティムス男爵がメルメラに迫る。
「お互い何のために命をかけなくてはいけないのか、それを知らずにいては剣のさばきも鈍ります」
「よろしい、お答えしよう。聞かれて困ることなど一つもない。あなた方はここで死ぬのだから」
「大したうぬぼれですが、まあいい、聞きましょう」
メルメラは二人の仲間に、先ほどと同じように目で合図をした。
すると二人はメルメラがしたように、自分の目の前の中空から剣を抜いてみせた。
空間そのものを鞘にした、神々しい輝きを放つ聖剣。
背の低い男の剣は、曇り空のような灰色。幅の広いごつごつした形状をしている。
もう一人の男の剣は、コケのように深い緑色。細身だがところどころに刃がノコギリ状になっていた。
灰色の剣の男はニケを左腕に抱えたまま、右手の剣を堂々と掲げ、意気揚々と名乗る。
「我が名は、我が剣の名は、
そして剣に宿る刀剣神の名は、『オムブロス』!
災いもたらす、激流と暗雲の剣!」
緑の剣の男もそれに続く。
「我が名は、我が剣の名は、
そして剣に宿る刀剣神の名は、『シンテス』!
危険もたらす、害悪と警戒の剣!」
この光景を目の当たりにして、三人の紳士とニケは腰が抜けるほど驚愕した。
「――剣者が三人も!」
堕落した現代人は、今では滅多に剣に選ばれることがないと言われている。
その滅多にいないはずの剣者が三人も集結し、決闘を挑んできたのだ。
ラヴオス伯爵の陣営には、イフティムス男爵一人しか剣者がいない。
修練を積んでいるとはいえ、ただの男と神の力を借りている剣者では勝負になるはずがない。
イフティムス男爵が一人で三人を倒さなければ、この決闘、ラヴオス伯爵側の勝利はありえない。
「これでは……正当な決闘とは言えない!」
男爵はそう抗議するが、メルメラたちは薄笑いを浮かべてこれを相手にしない。
「もはや決闘の正当性などどうでもいい。子供の命が惜しければ闘って死ぬのだ。三人とも見事に死んでみせれば子供だけは生かしておいてやる」
「…………卑怯な」
「何とでも言うがいい。ものを言うのはただだが、子供の命はおまえたちの命と交換だ」
男爵は悔しそうに歯を食いしばり、ラヴオス伯爵とマクネス氏に向き直る。
「すまない……私が負けた時は、きみたちが死ぬ時だ」
沈痛な面もちの男爵に対して、ラヴオス伯爵は穏やかな表情を向けた。
「それはいいのさ。私は死を恐れない。それよりもニケのためにきみたちに闘ってもらうことに恐れ入る」
「きみの大事な跡取りじゃないか。当然さ」
「伯爵、きみも私の息子が人質に取られたら、同じように闘ってくれただろう?」
「それはそうだ。もちろんだ」
「ならおあいこなのさ」
マクネス氏は無理に陽気さを演じた。
「それに、案外勝てるかもしれないぞ。私たちは伊達に若い頃から武闘会で勝利を重ねてきていない」
「そうだな……勝てるかもしれない」
「だが、過信はいけない。くれぐれも私より前に出ないように。剣者の相手は剣者が務める」
「死ぬための相談は済んだか?」
暴れるニケを抑えつけ、オムブロスが挑発する。
「この岩のような俺の剣に、早く鮮血を吸わせてやりたいんだ。かまわんぜ、この子供の血でもな」
「――決闘を受けよう。私も形式に則り、剣を抜いて名乗ることにする」
イフティムス男爵が歩み出た。
額に手を当て目を閉じ、刀剣神への短い祈りの言葉をつぶやく。
そのまま深く息を吐いたかと思うと、彼の手にはもう燃え盛る火炎のような赤色透明の剣が握られていた。
カッと目を開け敵を見据え、気合いのこもった大声を張り上げる。
「我が名は、我が剣の名は、
そして剣に宿る刀剣神の名は、『イフティムス』!
秩序もたらす、剛力と進撃の剣!」
使い手の怒りに反応した剣イフティムス。
三日月型に曲がった刃から発する赤い輝きは、ドクンドクンと力強く脈打っていた。