「Lilnarzete」
『七剣人』がクシフォ王国の権力を掌握してから、六年の月日が経過していた。
ラヴオス伯爵をはじめとする有力な政治家を暗殺した後、七人の若い剣者たちは王トードリア七世を田舎の城に追いやり、王宮の実権をふるいだしたのである。議会は停止され、軍隊は徹底的に改革、全て七剣者に都合のいいような国の改造が行われた。
当初都市の貴族たちは、新たな支配者に敵意を剥き出しにしていたものの、時とともに拡大する権力に恐れをなし、やがて彼らに取り入ろうとする者も現れるようになった。
剣者七人もまた、自分の身分を血脈によって高めるべく、位の高い貴族との結婚を望んだ。
そのため王都パルセの上流社交界では、華々しく着飾った剣者たちが、毎日血眼で嫁を探す。貴族も貴族で、剣者たちに娘を選んでもらえるよう、様々な手段を講じるのだった。
そんなパルセの上流社交界における華々しい舞台の一つ、リリナルゼーテ公爵家のサロンでは、今日も国内からたくさんの貴族が集っている。
公爵の客間はパルセ一の洗練された部屋であり、貴族ならば誰もがお手本にする趣味の良い工夫が凝らされていた。
部屋や調度品ばかりでなく、召使いたちの衣装から振る舞いまでもが品よく整い、他国の王を迎えるのにも不足ない秩序を保っている。
しかしそうしたことは、大抵お金をかければいくらでも改良出来るものである。
――リリナルゼーテ公は、黄金を積んでも決して手に入れることの出来ない、素晴らしいサロンの飾りを持っていた。
それは他でもない、リリナルゼーテ公の十八歳になる娘、フィリナ・リリナルゼーテ姫と、公爵の盟友フォンクラン公のこれまた十八歳の娘、フラン・フォンクラン姫のことだ。
フィリナ姫というのは公爵の一人娘で、現在十八歳。その膝まで届くほど長い黒髪、淡雪の色をした肌、精巧な人形のような顔立ちは、女神のように神々しい魅力を放っている。
触れたら溶けてしまいそうな華奢な身体は、宝石にも劣らない輝きを持つ上質な生地のドレスに包まれてあるが、とにかく手入れの行き届いた黒髪、生まれつき恵まれていた顔かたち、上品だが贅沢のこらしてある服装、それらはそのまま一個の完成した芸術品として、神殿やどこかへ飾っていても遜色ないものだ。今のところは父の公爵のサロンを飾りたて、紳士のみならず、婦人たちの目をも大いに喜ばせている。
フラン姫というのは、フィリナ姫の幼馴染でありまた親友でもある少女で、これまたフィリナ姫に優るとも劣らない美しさを誇るサロンの華である。
リリナルゼーテ公の盟友、フォンクラン公爵の娘であり、フィリナと同じ十八歳、つまり女性が一番美しく輝く年齢にある。
親友とはなにからなにまで対照的で、フラン姫の髪は黄金よりなお高貴にきらめく金色。フィリナが明るい色のドレスを好むのに対して、たいていフランは黒や紺のドレスを着こなしている。服装の暗色は天体を彩る星々のように、金髪の美麗さを際だたせているのだが、活動的な性格が災いしてか、フランはあまり髪を伸ばしたがらない。誰もが羨むせっかくの金髪は、品位を保つためにかろうじて肩こう骨までの長さがあるに過ぎないのだった。
顔立ちはまるでフィリナとは姉妹であるかのように、そっくり整った美少女であって、難癖の付けどころがない。フランもまた公爵のサロンを華々しく飾る一つの綺羅星なのだ。
二人の姫は一つのテーブルに座りながら、どこか憂鬱げに雑談に打ち興じていた。
「はあ。今日もまた男の人たちの対応をしなきゃいけないのね」
黙っていれば冷ややかで凛々しい顔立ちなのだが、フランは茶目っ気のあるため息をついて肩をすくめた。
「毎日毎日。疲れたわよ。ねえ?」
「そ、そうだよね……」
おどおどと相づちを打つフィリナ。
「お父様たちには、困ってしまいます。早く結婚相手を決めなさい、なんて」
「そうよ。そもそもあたしに見合う男の人なんて、ここにはいないわ! だってみんな野蛮なんですもの」
「そう、ね……」
「どうせ暴力で権力を手に入れようって人たちでしょう?」
「あ、あんまりそういうこと、『七剣人』の前で言っては駄目ですよ、フラン」
「分かってるわよ、フィリナ。いつもみたいに笑顔で適当にあしらえばいいんでしょ」
「うん。それしか方法がないから……」
「――まだ結婚なんてあたしたちには早いわよ」
こちらの様子をちらちらと伺ってくる青年貴族を横目で盗み見ながら、フランが言った。
「まだ――恋だってしたことないのに」
「うん……そうだね」
「あーあ。どうせ結婚しなきゃいけないなら、あたし、フィリナと結婚したいなぁ」
「え、えええええええ!?」
弾かれたように飛び上がり、大げさに驚くフィリナ。
周囲の青年たちは、何事が起こったかと視線をフィリナに向ける。それに気づいたフィリナは顔を真っ赤にしながらしとやかに座り直した。
「あ……あんまり変なこと言わないでよフラン……」
「だって。本当なんだもの。そこいらの男の人より一億倍マシだわ。ううん。マシってレベルじゃない。むしろあたしはフィリナ以外考えられない」
「だ、だ、駄目だよそんな、女の子同士なんて……? え、あ、私は別にフランが嫌なわけじゃないけど……全然そんなことないけど……むしろその逆っていうか……その……あの……」
なぜかあたふた慌てふためくフィリナの反応を見て、フランは微笑んだ。
「からかいがいのあるお姫様だこと」
「うぅ…………」
場の注目を集めた恥ずかしさから、フィリナは涙目になってうずくまる。
「よしよし、ごめんねフィリナ」
フィリナの黒髪を手でとかしながら、フランがいろいろと優しい言葉をかけていたところ、
「剣者メルメラ様! 剣者オムブロス様! 剣者シンテス様!」
客間の扉から、召使いの声が上がった。これはこの公爵の館に到着した客の名を呼び上げているのである。
それを聞いて客間はざわついた。
というのも、その『剣者メルメラ』以下三人の名は、その場にいる全員によく知られている人物だったのだ。
――すでに客間にいた青年貴族の一人が、隣の友人にそっとささやく。
「おい、機会を逃すなよ。七剣人に取り入って、なんとか将軍の職をもらえるようにな」
――田舎から出てきていた侯爵の娘が、母親の侯爵夫人に忠告を受ける。
「お前は可愛いし綺麗なんだから、ほれ、あの二人のお姫様に負けないように、しっかり剣者様たちにアピールするんですよ。特にいつもすました顔をしているシンテス様なんかがおすすめですからね」
――サロンの華、二人の姫君は恐れと警戒のために、顔をこわばらせる。
「来たわね」
「うん…………」
「大丈夫。あたしが隣にいるから」
「……ありがとう、フラン。頑張ろう?」
「ええ。頑張りましょう」
――客間全員の注目は扉に注がれた。
時間が止まったような緊張感の中、楽士たちの演奏だけがむなしく場に音を生じさせている。貴族たちは話を止め、扉の向こうの足音に意識を集中させているのだった。
「……来るわ」
「…………」
――扉が召使いたちの手によって、仰々しく開かれる。
そして貴族たちの視線が一手に集中する――堂々と入場してくる、風采のいい三人の紳士へと。
のしのしと歩く三人の腰には、貴族の習慣に反し、宝石で装飾された剣とそれを納める鞘の姿がない。
これは彼らが掟をあえて無視しているのではなく――剣を所持する必要のない、剣に選ばれし者、剣者であることを意味していた。
三人は軍服風の黒い上着を身につけている。これは七剣人の特別な礼服だ。胸にはいくつもの勲章が付けられており、肩には自分の聖剣の色のモールがぶら下がっている。メルメラはイエロー、オムブロスはグレー、シンテスはモスグリーン。
また特別人々の目を惹くのは、それぞれ目立つところに残っている古傷である。
メルメラの額には横一文字の深い傷跡があった。
オムブロスは頬に大きな切り傷。
シンテスは見せつけるようにして左腕の袖を捲っているが、肘から先にかけて長い傷がついている。
傷について尋ねられると、いつも彼らは自慢げに、
「これは六年前、悪い政治家とその護衛の手強い剣者を五十人退治した時につくった名誉の負傷だ」
と言い放っているのだった。果たしてそれが本当なのかどうか、疑ってみようとする者はいないし、確かめようもない。真実を知る者はおそらくこの世にいないだろう、と、傷の由来を耳にした全ての人が思った。
「どうもご機嫌よろしゅう、お三方」
「これはまた剣者様、お会い出来てこの上なく嬉しく思っております」
「いつみても素晴らしいお召し物ですな。勇敢な剣士が身につけるにふさわしい」
客間に足を踏み入れると、三人はすぐに囲まれ、人々のお追従を受ける。それをうるさげに振り払い、一直線に向かうは二人の姫のテーブルだ。
「これはこれは我が姫君! いつにも増して美しいそのお姿はまるで女神か精霊か、男を狂わす魔性はそうした清純と無垢の内に人知れず宿るのですな!」
フィリナとフランにいやらしい笑いを向けながら、オムブロスが適当な褒め言葉を並べ立てる。
メルメラはフィリナの前にひざまずき、絹の手袋に護られた小さな手をとった。
「お嬢様、そのお美しい手の甲にそっとキスすることを、この無骨な剣士に許してはいただけませんか」
「え……っと…………」
大胆な振る舞いに困惑して、目を白黒させつつあるフィリナを見兼ね、フランがメルメラを引き剥がす。
「紳士らしくないやり方です。ウサギを襲うイノシシみたい」
「おお、姫様、私が先にフィリナ姫の手を握ったからって、嫉妬なさるな。あなたにもフィリナ姫の次に、手にキスをしてあげますよ」
「……ふざけたこと言わないで下さい」
「お怒りの顔もまた可愛らしい」
メルメラにからかわれ、フランは目に涙を浮かべる。
無力な少女たちにさらに追い打ちをかけるのは、涼しい顔してその様子を見守っていた剣者シンテス。
「女神のような二人のお嬢さん」
シンテスが出し抜けに、二人の前へしゃがむ。
視線の位置が二人と水平になった。
「――この無敵の剣者シンテスと結婚して下さい。そうすればこの王国を支配する夫と、豊かで派手な楽しい生涯が送れるんですからね。なに、かまいはしません。自分で言うのもなんだが、このシンテスはかなりの剛の者。二人いっぺんにでも相手に出来ますからね、満足させてご覧にいれますよ。その点は心配なさるな」
「…………うぅ……」
「フィリナを脅えさせないで下さい。もうあっちへ行って。あたしたち、結婚なんてしません」
「うむうむ。そうそう。その年ごろの娘さんは大体そんなことを言うもんです。まあ言ってなさい。我々はあなた方のお父上にかけあって、きっとあなたたちと結婚してみせますからね。姫様たちの意志なんて関係ない。お父上たちはきっと承諾しますよ。なんてったってこちとら、一国を支配してるんだ――」
「おい待て、シンテス」
オムブロスが顔をしかめる。
「お前が姫君二人をもらうのかい。そしたら俺とメルメラはどうなる。お嫁は平等に分けようじゃないか。俺がフラン姫をもらうから、メルメラがフィリナ姫をもらう。これが平等だろう」
「何だ、オムブロス、お前は算数が出来ないらしいな。我々は三人、花嫁は二人。初めっから平等なんて出来ないんだよ。だから奪い合うしかないのさ。これは競争だよ、恨みっこなしの、な」
「俺は絶対この可愛い二人のどっちかと結婚したいぞ」
「当たり前だ。俺もそうだ」
「俺を忘れてもらっちゃ困る」
メルメラも口を挟んだ。
「俺だって二人のどっちかを花嫁にするんだ。黒髪の方でも、金髪の方でも、どっちでも可愛いし、俺にふさわしい。…………それに、良い子を産みそうだからな」
じろじろと値踏みするようなメルメラの視線に、二人の姫は脅えて身を寄せ合った。
「メルメラ、シンテス。これまで共に仕事してきた仲じゃないか。俺に譲れ」
「馬鹿を言うんじゃないよ」
「いずれにしろ三人対二人だ、一人余る計算だな」
「いや、二人余る。なぜって俺が二人の姫両方とも嫁にするんだからさ」
「おいシンテス、強欲は罪だぜ」
「恋は戦争さ。容赦はしない」
あまりに身勝手な議論を始める三人。いつの間にか嫁候補の二人は席を立っていたのだが、それに気づくこともなく、口げんかを続けるのだった。
「それにしてもどうだい、やっぱりフラン姫は俺にふさわしい娘だろう。この俺、剣者オムブロスにさ」
「駄目だ。俺がもらうのだ」
「じゃあフィリナ嬢は俺のものだな」
「駄目だ。それも俺がもらうのだ」
「フラン姫もいいがやっぱりフィリナ姫も捨てがたいと思えてきた。どっちも欲しいや」
「実を言うと俺だって二人とも嫁さんにしたいんだ。家柄の申し分ないことは当然としても、やっぱりこんな綺麗で可愛くて美しくていろいろと完璧な、傷一つない宝玉みたいな少女は、千年に一人といないだろうからな。それがここに二人もいるんだ」
「――――決着がつかん」




