プロローグ
その日ラヴオス伯爵の館では舞踏会ならぬ、華美な「武闘」会が催されていた。
身を綺麗に飾った婦人たちは青年貴族同士の軽やかな剣さばきに手を叩き、質実剛健のスローガンを奉じる老紳士たちは、自分の娘や息子たちが楽しげに闘うのを、目を細め満足そうに眺めている。
武闘会とはその名の通り、戦いの技を発揮する社交の場であり、男女の別なく、全ての貴族が好むイベントである。刀剣に神が宿るここクシフォ王国においては、剣を用いた戦闘こそが身分ある者の習うべき業であるとされているのだ。
だから一見箸より重いものをもったことのなさそうな細身の婦人たちも、ひとたび周囲に促されて剣を手にとれば、疾風のように鋭利な技を繰り出す強力な剣士となる。
現に今もこうして、およそ十五歳ほどの、背中の大きく開いたセクシーなドレスを着ている少女二人が、拍手と熱気に包まれながら対峙し、剣を振るっている。
「えい! それ! ……やるじゃない!」
黒いドレスの、細身の模造剣を使う方がそう言うと、
「ルインさんこそ! 剣者と同じくらい、上手にお使いになるのね!」
赤いドレスの幅広の模造剣を振り回す少女が、容赦なく打ちかかりながら応じる。
「当たらないわ!」
ルインと呼ばれた彼女はその一撃を見事な体さばきで回避し、反撃の体勢をとった。
「さ、次の攻撃、来なさい!」
「そちらこそ、どこでも狙っておいでなさい!」
日頃の鍛錬のおかげでまだまだ疲労しそうにない二人は、強さと美しさ、その両面についてみなから歓声を浴びる。するとこのたくましい少女剣士たちは、誇りに満ちた晴れやかな表情を浮かべ、さらに華麗な技術を披露しようと躍起になるのだ。
「ルイン嬢の美しさ、あれはまるで女神ですな」
「いやいやあなたのナシャイーさんこそ、あんなに立派な技を繰り出すんだ、きっと刀剣神のご加護があるし、青年たちの引っ張りだこになります」
「だがうちのナシャイーは引っ込み思案でして、ルイン嬢のような表情豊かで可愛らしい気質にあこがれているんです」
「何をおっしゃる。ナシャイーさんの控えめな物腰は、どんな青年をも虜にするでしょうよ。それに大理石のように白い腕。色白で名高いラミシャ人を母上としておられるから、神々しいほどの気品、美しさを誇ってらっしゃる。年頃の娘なら誰もが羨みます」
目の前で行われる闘いに拍手を送りながら、ルインとその対戦相手のナシャイー、二人のそれぞれの父親は、お互いの娘の可愛さや賢さについて誉め言葉を交換しあっていた。
「お互い娘によい縁談があればいいですな。手塩にかけて育てた娘だ、手放すのは寂しい気もするんですが」
「仕方ありませんよ、そればかりは……」
こうして愉快な夜が過ぎていく。
途中で楽士の一団が到着し、勇壮な音楽を奏で始めた。
音楽によって闘いのリズムは大きく変わる。
雄大な曲ならダイナミックな闘いに。
緊迫した曲なら素早く鋭い闘いに。
交わる剣が立てる陽気な金属音は、一種の打楽器となって楽士の演奏と調和していた。
そして音楽はますます勇壮さを増し、試合の方もどんどんヒートアップしていくのだ。
――その館にいるほとんど全ての人間が、試合に夢中になっている。貴族のみならず、デザートを運んだり、細々とした雑用をこなす召使いたちですら剣士のアクション一つひとつに目を見張り、悲鳴を上げたり、ため息をもらしたりしているのだ。
しかし――二つのグループだけは例外だった。
その二つのグループのうち一つは、熱気に溢れかえっている客間から追い出された、三人の子供たちだ。
「私だって剣で戦えるのよ! ルインお姉さまやナシャイーお姉さまみたいに、上手に戦えるの!」
「ぼくだってやりたいさ! でもお母様たちが許してくれないじゃないか」
「そうなのよニケ、どうして闘わせてくれないのかしら!」
「……それは二人が模造剣で食器をやたらめったら割ったからじゃないか」
「あら、それくらいいいじゃない。お皿やグラスなんてまた買えばいいのよ」
「そうだぜパリモ、ミリミの言うとおり、皿なんて割るためにあるんだよ」
「君たちのお守りは疲れるよ…………」
この三人の子供たちは客間に隣接する小さな別室で、老召使いムルートンの監視の下、静かに遊んで暇を潰しているよう言いつけられているのだった。
それはやんちゃな十二歳の少年ニケと、同じく十二歳の少女ミリミがふざけて客間の食器を壊したかどで科せられた、幽閉の刑罰である。二人よりも三歳ほど年上の少年パリモは、この手に負えない暴れん坊の保護者役なのだが、毎回とばっちりで一緒に罰を受けている。
ニケとミリミの母親は、パリモまでもがおしおきされることはないと言うのだが、
「僕にも監督責任というものがあります」
と、自発的に二人に付き合うのだった。
「ねえムルートン、私たちをこの部屋から外へ出してよ」
オレンジ色のロングスカートの裾を踏んで引きずりながら、ミリミは老僕ムルートンの膝にすがりつく。
「いいじゃないムルートン。私、試合が見たいの。私、もう十二歳よ? 薄いドレスを着て、みんなの前で自分の可愛さと強さをアピールしてもいい年齢でしょ?」
「だめですよお嬢様。わしはお母様方の言いつけに背くことが出来ませんので」
「ちょっとくらいいいじゃない、ねえ、ムルートン!」
「ぼくもお願いするよムルートン、頼むよ」
ニケとミリミ、二人から懇願されたムルートンは、困ったような微笑を浮かべてパリモに視線を送る。
パリモは肩をすくめてみせてから、
「ニケ、ミリミ、二人とも。どうしても試合を見に行きたいなら、約束するんだ。『もう絶対に食器を壊したりしません』って」
「そもそもそんなことをしたのはニケだけよ。私はもうレディーなんだから」
「ぼくは約束する! すぐにするぜパリモ!」
二人はすぐにムルートンから離れ、パリモの方へ勢いよく振り向いた。
「約束するだけなら簡単なんだ。約束するだけじゃなくて、ちゃんと約束を守ることが出来るかな」
「出来るよ!」
「…………分かったよ、まったくもう」
パリモはムルートンに向き直る。
「ムルートン、この子たちを外へ出してやってくれ」
「よろしいんで?」
「責任は持とう」
「そういうことなら、分かりました」
扉からムルートンが離れると、放棄された砦に攻め込む兵士のように、ニケとミリミは勢いよく客間へと駆け出していった。
「イノシシみたいだ」
あとからとぼとぼとパリモも二人についていく。
「あれ、試合は……?」
「終わっちゃったのかな」
いざ、勇んで脱獄したはいいものの、目の前の状況に困惑する二人。
タイミングの悪いことに、二人はちょうど試合と試合の間に飛び出してきたのだった。
すでにおおかたの組み合わせの試合は済んでしまっていた。
紳士淑女たちは一つのテーブルに集まり、今度は変則的な男女混合の集団戦のためのくじ引きを行っている。
「あ、ニケ、あそこにいるのはお父様たちよ!」
「本当だ、行ってみよう。父上は試合をしないのかな」
「二人とも待ってくれよ……!」
試合が行われていないと分かると、三人は自分たちの父親のグループへ足を向けた。
「お父様たち、また難しいお話でもしてるのかしら……?」
「難しい話よりも試合の方がおもしろいのになあ」
遠目から見ると彼らは、酒を飲みながら何か深刻そうな相談でもしているようだった。
その様子から、これまで目の前で行われていた試合にまるで興味を向けていなかったことがうかがえる。
そしてこれからもっと派手に行われる試合にも、一切興味を抱かないだろう。
実際、このニケ、ミリミ、パリモの父親たちの三人組こそ、この館に来ているのにもかかわらず武闘に無関心なグループ二つのうちの、もう一方なのだった。
「――ラヴオス伯、先日はルナークの聖堂がやられたばかりだと耳に挟みましたが」
ニケの父親であるラヴオス伯爵に、声を潜めて尋ねるのはパリモの父親、マネクス氏だ。
「情勢が不安定だ。いつ武力による政権の奪取が行われてもおかしくない」
不安と怒りを表情に浮かべているのはミリミの父、イフティムス男爵。
「ルナークの事件、あれはただ剣が奪われただけじゃないらしい。どうやら剣者の一人が殺害されてしまったのだ」
「ここへ奴ら『七剣人』が来るのも時間の問題か」
「そうに違いない」
「やられてしまった剣者というのは、もしかして公爵のキロン殿では?」
「おそらくな。当代一の賢者にして、公爵の父上であられた、元宰相ケパロス様の行方も知れないらしいが」
「恐ろしい話だ」
「――お父様方! いったいどんな楽しいお話をしてらっしゃるの?」
「おお!」
ミリミとニケは、パリモの制止もむなしく父親たちの円卓に突っ込んでいった。
紳士たちは会話を中断し、ラヴオス伯はミリミを、マネクス氏はニケを抱きとめ、イフティムス男爵はパリモに優しい微笑を送って招き寄せた。
「すみません、イフティムス様。大事なお話のお邪魔をしてしまいまして。僕が目を離したばかりに」
「いいんだよパリモ君。別に大事な話じゃなかったのさ。それに父親にとって、子供たちが元気なのを見るのは楽しいことだからね」
「あ! また向こうで試合をやるみたいだよ!」
貴族たちがくじ引きを終えたのを見つけると、ニケが叫んだ。
「お父様たちも見ようよ!」
「そうかそうか。では見ることにしようかな」
と、マクネス氏。
「ああ、陰気な話はやめにしてね。若者が勇ましく戦う姿は、未来に希望をもたらしてくれる」
ラヴオス伯はそれに賛成し、
「子供たちにも、剣の闘いというものを知っておいてもらわないとな」
イフティムス男爵がパリモの肩を軽く叩く。
こうして父親三人は円卓を立ち上がり、試合のよく見える場所へと子供たちを連れていくのだった。