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Ⅷ時 約束


「やあ、おはようシルビア!」

 母屋の扉を開けた瞬間、やけにハイテンションな妖精使いに辟易し、私は反射的に扉を閉める。

「おいおい、シルビア、それはないだろう!」

 慌てたように扉は再び開かれたものの、入る気力が失せた。慣れたと云えば慣れたが、やはりテンションの高いシャルル・サンドリヨンほど危険なものはないのである。

「はいはい、ごはん作るからどいてちょうだい」

 流石に強く云い返す気力もなくして軽く追い払おうとすれば、逆にシャルルは私の顔をじっと覗き込んでくる。変人変人と云ってはいるが、妖精を眷属にする妖精使いはたいていが整った顔立ちをしているので、あまり綺麗な顔で私なんかの顔を見られると居心地が悪くなる。

「何よ」

「……シルビア、泣いた?」

「え……?」

「顔色が悪い」

 そう云ってぴんとおでこをはじかれる。流石に付き合いの長い二人を誤魔化すことはできなかったようだ。エオリオは静かに見守ってくれるが、シャルルは何をどうやっても暴き散らして来る。断然理解のある前者は、気を遣って一人で出かけてしまった。

「最近会っている誰かさんが原因かい?」

「いろんな人と会っているから、その誰かさんが特定できないわ」

 倍率で云えばルシファが高いのだが、流石にあの怪しい戦士に会っているとは云い難い。最初に見つかってしまった時だけ事情を話したが、その後はたまたま会ったことしか話していない。

「良いけどね、何を云ったところで、云うことを聞かないのは昔からだし」

「私が悪いみたいな云い方するの、やめてくれる?」

 むっとして云い返したところで無意味とわかっていても、云わずには居られない。

「どう考えたって君が悪いんだから仕方ないだろう。あれだけあんまり仲良くしないようにって忠告したのに、今も昔も変わらない」

 やれやれとまるで困った子どもを扱うかのように、深々と溜め息を吐かれてしまった。忠告などされた覚えもないのに、どうして私はこういう扱いをされるのだろうか。少し不貞腐れながらも、この鬱々とした気分を変えるには、いつもと同じことをするのが一番だ。少しの材料を用意して台所に立ったところで、その扉はノックされた。



「はいはい」

 仕方ないとでも云うようにシャルルが扉を開けると、そこに立っていたのは金髪碧眼、白い服に身をまとった正しく「王子様」だった。もちろんエリクではない。──間違いなく、あの王子だ。

「朝早くから申し訳ない、サンドリヨン卿」

「……悪いと思うなら時間改めれば良いんじゃないの。我が国の王族は常識もわからないほどに落ちこぼれたわけ?」

 王子様は頭を深々と下げて扉を開けた家主に謝罪するが、シャルルはあくびをしながら扉を閉めようとした。そこまで見てようやく私もはっとする。あまりにも自然な登場の仕方に、逃げるよりも先に驚きが先行してしまった。と云っても、王子が慌てて間に白い手を差し入れたその玄関しか、この家に出入り口はない。

「どうかお願いがある、ルーガーデン嬢に会わせて欲しい」

「嫌だね」

 閉まりそうな扉にかじりついているのは、どう見たって忘れもしない、私の家に来たあの時の王子だ。あれ以来こうして顔を見るのは初めてだが、忘れられないほど強烈な「王子様」だった。それこそ西大陸の物語に出て来るような、理想の王子様とでも云うべき容姿をしていた。その王子が唐突に人を連れ去ろうとするのだから、たとえ王子に憧れていたとしても理想から覚めると云うものだ。


 シャルルに何を云っても無駄だと察したのか、目ざとく少し離れたところに居る私に、透き通った碧眼を向けて来る。……あれ、碧眼?

「済まない、ルーガーデン嬢、どうか逃げないで欲しい。今日は届け物があって来ただけなのだ」

「……届け物?」

 強情なシャルルの所為で扉の隙間からの説明を余技なくされた王子は、申し訳なさそうな顔のまま小さく頭を下げて云う。

「一番の目的は、先日の無礼を謝罪したく訪問させてもらった。どうか少し、話をする時間をもらえないだろうか」

「わかりました。……シャルル、いい加減にしなさいよ」

「どうして私の家に王子を上げないといけないんだい、ここは権力と皆無のはずだよ」

「お客様を締め出す家なら、私も出た方が良さそうね。何所か殿下とお話できる場所知っているかしら」

 呆れて厭味を混ぜればシャルルもむすっとしながら、仕方なさそうに扉から手を離す。よくよく考えれば王子に楯突くなど、この妖精使いこそ権力を盾に好き放題している気がする。王子はようやく開いた扉から家へと入り、微笑んで頭を下げた。

「どうもありがとう、ルーガーデン嬢。やはりね、何所かの妖精使いみたいに話の通じない人ではない」

「まったく煩い王子たちだね」

 シャルルは不貞腐れたようにソファに座り込んで、知らんぷりを決め込んでいる。


「……本当に貴方が王子なのね」

 改めて見ると現実味が湧かない。どうしてこんな王子王子のきらきらとした人が、私のようなジメジメした女を妻にしようとしているのだろうか。

「申し遅れた、私はラウラ・ロンドウィル・サントラガル。以後おみしりおきを、シルビア・ルーガーデン嬢」

「こちらこそ、私は……第二王子?」

 形式ばった自己紹介など慣れていたはずで、私もきちんと返さなければならないのに、思わず驚いて目を丸くする。王子の名前ぐらい、社交界が嫌いな私でも流石に知っている。

「ああ、先日は私の手前勝手な行動で怯えさせてしまい、大変申し訳なかった」

 深々と頭を下げられて、ますます動揺してしまう。そうだ、あの時踊った王子は、碧眼ではなかった。早く帰りたいと云う意識が働いて、あの舞踏会のことは大して覚えていないのだが、王子とのダンスは時間を忘れて踊れた。久しぶりに楽しい時だった。スウィフトが大好きだったのに、つまらない見栄を張るなと云われてやめてしまったことを思い出したぐらいだ。単にダンスの相手として相性が良かっただけなのだろうが、普段の社交界のダンスなど、つまらないだけで退屈ばかりしていただけに、最後にとても良い経験になった。

「びっくりはしましたけれど、もう気にしていません」

「兄から大変なお叱りを受けて、しばらく謹慎を命じられていた。嫁入り前の娘を無理矢理連れて行こうとするなど、まったくもって莫迦なことをしたと反省をしている」

 本当に莫迦だよねーというシャルルの愚痴は放って置く。

 頭をまた深く下げられて、もう怒る気も失せるほどの低姿勢だ。臨戦態勢で居ただけに、気が抜けてしまう。第二王子の噂は聞いている。選定があるまでもなく、第一王子の忠実なる臣下として立ち働く騎士団員の一人。舞踏会で兄が相手に逃げられたとあっては、居ても立っても居られなかったのだろう。そこらへんの、意地みたいに下らない、でも大切な誇りを大事にしたい気持ちはなんとなくわかる。

「ついでのようで大変申し訳ないのだが、本日は兄から謝罪と共にこれを持参するよう頼まれている。受け取って戴けないだろうか」

 そう云って差し出されたのは一通の書簡。ただの書簡なのに重さはずっしりで、当然のように王家の紋章で封がしてある。

「シルビア、破って捨てたって良いんだぞー」

 ソファから不貞腐れたように野次を飛ばすシャルルに、王子は厳しい目を向ける。

「少し黙っていてもらえないか、妖精使い。ずっと兄上と彼女の邪魔ばかりして」

「あー、兄弟結託して根に持ち過ぎ。正確には当主でも私の意向でもないんだよ」

「……シャルル、なんの話?」

「シルビアがまったく気にしてなくて良い話」

 にっこりと微笑まれたものの、絶対に気にしなくてはいけない話のような気がしている。シャルルが当主と云うのは当然私の父のことを差している。しかしシャルルは話す気など欠片も持ち合わせていないのか、ふいとそっぽを向いている。気にはなったものの、今は王子の相手で手いっぱいだ。

「ひとまず読んで返事だけでも聞かせてもらいたい。無理にとは云わないが、できれば兄上に答えて欲しい」

「座って読んでも良いですか」

「もちろん」

 今の今気付いたが、当の王子を立ちっぱなしのままにさせていた。しかし一緒にどうぞと進めるのも失礼だし、今さらな気がしてひとまずシャルルの前に腰を下ろす。


 シルビア、先日は手前勝手な求婚の場となり失礼した。私は後日改めて自ら話に行くと申したのだが、我が弟がやけに張り切って貴女の元まで行ってしまい、騒ぎにさせてしまったことは、本当に申し訳なく思っている。弟に悪気はないのだが、昔から私のことになると異様なまでに血が昇り易く、この時を待たせていただけに行動が過ぎたようだ。

 君を指名手配犯のように捜させたことも、改めて謝罪したく思う。知ってはいるだろうが、既に兵は引き下がらせ、貴女を見つけても無理矢理連れて来るような真似をしないよう、きつく云い含めている。しばらく王都で過ごすのならば、安心して生活してもらいたい。

 ただ一つ。私は改めて一人の男として、貴女に求婚したく思う。いろいろと考えたが長年の夢、それしか考えられない。既に不快な思いをさせているかもしれないが、貴女が許してくれるのならば、近いうちに貴女のもとを訪れたいと思っている。その時はどうか、逃げずに考えて欲しいと思う。真名に誓って。

 ラウ=ルイシファード・ヴァンフレスキー・サントラガル


 待たせていただけに。

 長年の夢。

 真名に誓って。

 羅列される言葉の中から抜き取ってみても、やはり殿下は誰かと私を間違えている気がしてならない。私は第一王子と話した記憶もないし、一人の男として求婚される理由など持ち得ていない。

「どうか兄と会ってみてはくれないだろうか」

 私の困惑を余所に、どうしても兄の役に立ちたいらしいラウラ殿下はきらきらとした碧眼で懇願するように私を見て来る。そんな純粋な眼差しで見られると、断りたくても断りづらいというのを、きっとわかっていないのだろう。第二王子は見た目こそ物語の王子なれど、まるで子犬のようだと失礼なことを思う。

「王子殿下とお話するために、登城すれば良いのですか?」

「いや、実はアーヴィングから話は聞いているし、兄も納得しているはずだ。許されるのならば会いに行きたいとはずっと云っていたことだ」

 ──貴女のもとを訪れたいと思っている。

 アーヴィングから聞いたと云うのは、私のあの高飛車な言葉が伝えられてしまったと云うことなのだろうか。王子に対してまであんな上目線で出たら絶対に引かれると思っていたのだが、やはり第一王子とは相当な変わり者のようだと認識せざるを得ない。

「来てくださるのは別にかまいません」

 むしろここまで来たらはっきり話をつけたい。いったい何がどうなってこんな私に目をつけたのか、出来レースだと云うのならそのきっかけはなんなのか。洗いざらい吐いてもらったほうが早い。だが王子の妻などと云う誰もが憧れるらしいその役職には、さっぱり興味もない。

「あ、ただ、受けるつもりもありません」

「それでもかまわない、どうもありがとう」

 慌てて付け足したと云うのに、まるで求婚を受けたかのように喜ばれてしまった。そんなに期待しても、私が王子にしてあげられることなど何一つないと云うのに、無駄に罪悪感が出て来てしまう。ただ思えることは一つ。


「……ラウラ殿下は、お兄様を尊敬していらっしゃるのですね」

 思わず漏れた言葉に、ラウラ殿下は少し驚いた顔をした。謹慎まで受けておきながら、こうして責任を取りに来て、兄のためにどうかと頭を下げる。それはおそらく、気持ちがなくてもできるのだろう。だがラウラ殿下は見るからに、まるで自分の婚姻のように必死だ。

「ああ、もちろん。私も弟も、兄上を尊敬しているし、ずっと力になりたかった」

 驚きからそっと微笑んだ顔は、実に綺麗だった。王子らしい眩しい笑顔ではなく、見ているとほっとするような自然な笑顔に、第一王子と云うのがどういう人なのか、ようやく会っても良い気がして来たのだった。


・・・・・


 ラウラ第二王子とのごたごたが終わってから家事をこなすと、不貞腐れているシャルルを置いて一人町に出て来た。私が居ない時にもし王子が来たら、すぐ追い出すからとまで云われてしまった。シャルルは別段私と同じの貴族嫌いと云うわけではないのだが、王子という存在には異様に拒否反応を示す。そういえばエオリオもそうだが、何か嫌な思い出でもあるのだろうか。エオリオと離れたことはほとんどないのだから、訊いてみるべきかもしれない。


 そんなことを考えながらふらふらしていると、間違えもしない、アーヴィングの姿を見かけた。城下町に戦士は多いが、なかなかあれほど屈強さで目立つ男も居ない。この間訊いたことをちゃんと問い質したくなり、声をかけようと思ったところで、その隣に当の本人ルシファも居ることに遅れて気付く。流石に本人の前では訊けないし、今ルシファにどんな顔をして会えば良いのかもわからなくなって、慌てて店影に隠れた。怒っているだろうか。少なくとも助けてくれようとしたことは嬉しい。だがそれでも、私はあの時頷くことなどできなかった。一方的に助けられるのを待っているだけなんて絶対に嫌だ。私の手が介入しないところで、私の失敗が元に戻るなど、後で自分が許せなくなる。だからすべてをルシファに任せるなんて絶対に嫌だ。やるならできる限りは、自分の力でやりたい。


 ルシファとアーヴィングは珍しく気難しい顔で話している。離れている上に喧騒のなか、何を話しているかまでは聞こえない。すっかり出て行くタイミングを失ってしまったが、どうするべきだろうか。

「何やってんだ、おまえ」

 そんな時後ろからとんとんと背を叩かれて思わずびくっと肩をすくめてしまう。ゆっくりと振り返ると、エリクが呆れたように立っていた。

「……あ、ああ、なんだエリクか」

「なんだってなんだよ。こんなところで何して……ああ、おまえまだ逃げてんの」

 急に前方を見て納得したように頷くが、私の行動を読めるものなどエリクの視界に入ったところでわからないはずだ。

「昨日一緒に歩いているのを見かけたから、ついに観念したのかと思ってたよ」

「……何の話?」

「隠れるぐらいだったらさっさと帰れば良いのに、どうして隠れて見てるんだ?」

 だからなんの話だと訊こうとしたのだが、話の筋が見えずとも確かにその通りである。好きで隠れているわけではないのだが、話しかけるタイミングを失った以上、見つかる前にここを去るべきだ。


考え込んでしまった私を余所に、エリクは私越しに、

「おお、ラウド王子殿下。ご勤務中ですか」と声をかけた。

 私にとって今とても脅威の「王子殿下」の敬称に振り返ると、エリクの視線の先にはレイアートが立っていた。私を見るともともと大きな目をさらに見開いて、驚きを露にしている。しかし驚きたいのはこっちのほうだ。

「王子、殿下?」

 その意味が脳に浸透するまでに時間を要した。しかしそれよりも、彼が王子殿下と呼ばれていたことでさらに結びつく輪を理解するまで、また時間がかかってしまった。レイアートはルシファの弟で、そのレイアートが王子殿下と呼ばれている事実。

 ──ああ、もちろん。私も弟も、兄上を尊敬しているし、ずっと力になりたかった。

 ラウラ殿下の、あの優しい微笑み。ゆっくりと視線を前に戻すと、少し遠くにある群青の瞳と目が合った。

 ──俺は政略結婚なんてしないよ。約束する。

 嘘吐きばかりでみんな嫌い。大人の理由による身勝手な政略結婚が多い中、子どもっぽい考えが捨てられなかった私はどうしても理解できなくて足掻いていた。そんな私に絶対に約束だと云い切ってくれた、城の友だち。

 ──シルビア、城の人と会うのはもうやめなさい。

 父に腕を引かれるまま、私は城を去った。城に行くことを諦めた。

「シルビア……!」

 そう口が開いた瞬間に、私は背を向けて走り出していた。昨日と何も変わらないと思いながらも、私は無我夢中で走り続けた。いろいろ引き止める声が聞こえた気もしたが、私が全力で逃げると周囲の妖精が呼応してくれる。おそらくエオリオの仕業だろう、私は難なく大通りからシャルルの離れに引きこもった。


 昨日の繰り返しのように荒い呼吸を繰り返していると、

「おかえり、シルビア」

 昨日はなかった、静かな声が落とされた。見なくてもわかる。いつでも静かに見守るエオリオと、煩く介入して裏で片を付けるシャルル。本当にうまい具合に均衡が取れて、私と云うものが存在している。私は一人では立っていられないのだ。だからこそ、一人で立つことに憧れる。自分の存在を、自分だけで認めてあげたい。認めて欲しい。


 守られるだけでない、どうせ守られるのなら、守られるだけの価値のある人間になりたい。私はどうして、なんにもできずに守られるだけなのだろう。

「エオリオ……」

 私を守るために姿をいろいろと変化させていたエオリオは、久しぶりに通常の姿になっていた。綺麗な銀色に近い髪が、暗がりの部屋できらきらと光る。

「あの時の君たちは本当に仲が良くて、当主は慌てたんだ。異国の血が混じることを理由に、殿下から遠ざけることにした」

「……覚えていたのね」

「そりゃあ、ラウ王子は俺とマスターをライバル視してたからね」

 今でも覚えている、そしてもし会っていればすぐにわかったとエオリオは云う。一緒に生きて来た分身は覚えているのに、本人が成長した姿では気付けなかったなんて薄情だろうか。それでもあの時一緒に居たことは、とてもよく覚えている。


「第一王子ラウ=ルイシファード・サントラガルは、シルビアを忘れられなかったんだ」

 だから求婚した。出来レースにもほどがある。微妙な年齢の発言に、責任が持てるなどと誰も思っていない。しかしラウ王子は、私の言葉に返した通り忠実に約束を守ってくれた。政略結婚ではない、たとえ周囲に反対されたとしても、舞踏会で私を求めてくれた。それが中央自警団では戦士として活動しているルシファの本当の姿。

「私、本当に莫迦だわ……」

 王子との結婚などできない、そう云って出て来たのが始まりだった。だがあのルシファが第一王子だったことや、かつての友だったことをひっくるめても、こんなにもルシファが好きになっている自分が、何よりも莫迦だと思ったのだった。

 ──王子だって云う時点で嫌だけど、それでも好きになれるような人だったらちゃんと考えるわ。

 アーヴィングにはああ云ったものの、踏ん切りのついていない私はとてつもなく莫迦なのだろう。考えるまでもなく、私はもう、答えを出してしまっているというのに。


 自分の不甲斐なさに唇を噛み締める私の頭を、エオリオはそっと撫でる。

「シルビア、君はどうしたい」

「どう……?」

「──真実を、知りたいかい」

 少し重たいその言葉に、私はようやく顔を上げる。ずっと見てきた守妖精の、困ったような、悩んでいるような、久しぶりに見る情けない顔。

「これ以上の本当があるの……?」

「うんと辛い本当がね」

 そういうエオリオの表情が既に辛そうで、泣き出したい気持ちすら薄れて行く。これ以上の本当を聞くのに、今はとにかく余裕がなかった。

「聞くわ……。だけどもう少しだけ、時間をちょうだい」

「わかったよ、シルビア」

 今はゆっくりおやすみよとエオリオは私を抱えて優しく頭を撫でてくれる。その体温が心地よくて、私の意識はいとも簡単に落ちて行った。


・・・・・


「私の結婚相手は伯爵みたい、私伯爵令嬢になれるらしいわ」

 大して嬉しそうにするでもなく、淡々と事実を述べて、少女はじゃあねと去って行った。ひとり、また一人と減って、気付けばそこに居るのはラウと一人の少女だけだった。

「貴族なんて、嘘吐きばかりでみんなみんな嫌いよ」

 綺麗な顔をして少女はお決まりのセリフのように、またその言葉を吐く。城で会える友人一人ひとりが婚約を決めていくなか、少女だけが遅れていた。しかしそれを悔やんでいるわけではなく、まるで自分が機械になったかのように淡々と決められていく人生に、足掻いているからこその結果だった。婚約が決まっていく友人の、あの冷めたような冷ややかな顔を、少女はいつも否定する。

「他人から決められてあんな顔をした人生を送るなんて、絶対に嫌だわ」

「だいたい、みんなはそういうものだと割り切っているからな。決められた、なんて思っていないだろう」

 ラウはあくまで貴族としての一般論をまたしても云ってみる。

「私はシルビア・ルーガーデンよ。ゴルデアじゃないの、シルビアなの」

 彼女のその言葉を聞きたくて、ラウはいつも彼女に楯突いていた。婚約者はどなたにされますかと一族の名前だけを並べられた書類を渡されるのが、かつての王家では通例だった。現国王が市井から王后を排出しただけあって、父は未だ何も云っては来ない。側近もそれに習って黙っている。古くから居る口煩い貴族連中はあれこれ声をかけて来るものもあるが、ラウはそれらを適当にあしらっていた。

 ──もし意中の方がおられるのなら、舞踏会の準備をしますのでお早めにお願い致します。

 側近にはそう云われているから、誰よりも早く決まらなければならないはずのラウは、婚約者の選定などしたこともなく、諦めたように結婚していく友人たちをただただ見ていた。

 妖精に愛される少女、シルビア・ルーガーデンとの出会いは宮中だった。確かに綺麗な少女だったが、容姿にものすごく惹かれるなど、そういったことはなかった。たまたま中庭庭園で話す少年少女らの輪に混じった時、そこに居た彼女の言葉が印象的だったのだ。

「私はシルビア・ルーガーデン。シルビアよ」

 あくまで自分の名前を強調する彼女は、何度か話をするうちにその性格がわかった。彼女は彼女でありたいのだと。親に決められた人生ではなく、シルビアとしての人生を送りたいのだと。貴族では偏見の目で見られるであろう彼女を、しかし周囲は暖かく見守っていた。そんな彼女に興味が湧いて、今ではこの少女しか居ないとまで思えていた。

「政略結婚なんて、本当に莫迦みたい」

「家を繁栄させたい気持ちは、わからなくはないけどな」

「ルーもするの?」

「俺は政略結婚なんてしないよ。約束する」

 ──だからシルビア、俺の妻になって欲しい。

 そう続いた言葉に、彼女はあっけに取られていた。

「なんで?」

「政略結婚でないなら、恋愛結婚しかないだろう。シルビアが好きだからだ」


 舞踏会の相手が決まったと王に報告をすれば、早速ルーガーデン家との話し合いが行われた。しかしルーガーデン家当主から返って来たのは、まさかの拒否であった。古くからある家は喜んで娘を差し出すというのに、当主ゴルデアは異国の血が混ざる我が娘を王家の嫁には出せないと、ひたすらに拒否し続けた。王がそれでも構わないと云うにも関わらず、頑なな拒否が続いた。ゴルデアの決意は固く、王家が交渉で時間を取っている間にも、彼は素早く行動していた。シルビアを城に来させなくなったのだ。彼女が来ない限り、ゴルデアを説得するしかなくなりラウは八方塞がりになった。求婚した日を最後に、シルビアに会うことができなくなる。ラウが王子であることも知らないままだったシルビアは、果たしてその話を聞いたのか。ラウにはわからない。


「落ち込んでいますね」

「当たり前だろう。力になることすら拒まれて、今度はまた逃げられて。……俺は最低なことをしているのかもしれないな」

 絶対に彼女しかいない、そう思った。だがゴルデアの拒否は頑なだっただけに、流石の王も太刀打ちできなかったほどだ。この態度に王も困惑したほどだ。少なくとも昔はそうではなかったというのに、と。──ある程度の時が経ち、ルシファが王になると決まった段階で、改めてゴルデアと話す機会をもらった。だからこそまた、ルシファは彼に頼んだのだ。ルーガーデン家ならば正式な婚約として、舞踏会を使わないでも構わない。ルシファはシルビアに会わせてくれないかと懇願した。

 ──なりません。

 それでも会うことすら頑なであったゴルデアは、ルシファと話した直後に下町に暮らす貴族トレメインの未亡人を後妻とし再婚をした。いったいどういう意図があったのか未だにわかってはいないが、何か理由があるのではと今も調査している。下町貴族と結婚したゴルデアと王子殿下が話す機会などますます得られなくなっていたが、最後彼に会った時、次回の舞踏会にシルビアを招待することをルシファは宣言していた。それでも彼が下した答えは、ノーだった。


 彼が死亡したのは、その直後である。

 ゴルデアには申し訳ないと思ったが、予定通り行われた舞踏会でルシファはシルビアを招いた。その結果の求婚で逃げられ今に至る。渋面を作りながらも、ラウラは自分の結果を再度告げる。

「でも兄上、シルビア嬢は兄上とお話することを承諾されておりました」

「それは王子だとばれる前の話ですよ、兄さん」

 返答する余裕のないラウに変わって、行儀悪く足をぶらぶらとさせながら、ラウドが呆れたように答える。若干感情に疎過ぎるのではないかと上の弟を心配したくなったが、今は彼に構っている余力もない。


 シルビアに真実を話しに行く。それは早いうちに済ませなければならないことだとわかっていた。それにも関わらず、ずるずると延ばしてしまったのは、自分が楽しんでしまった所為だ。あんな事故のようにたくさんの事実を突きつけるつもりはなかったと、今さらだとは思いながらもラウは深い罪悪感を覚えていた。

 街中で必死に捜して見つけた時、ルシファは絶叫しそうになった。その場で幻ではないかと抱きしめたいぐらいだった。しかし彼女は昔のまま、強気な殻をかぶったままで怯えていた。その姿を見たら、ひとまず安心させてやりたくなった。ずっとシルビアのことだけを考えていたラウは、成長した彼女に驚くこともなかったが、彼女はやはり気付かなかった。恐怖に怯えている彼女を見て、本当は名乗りたかった。俺はルシファだ、思い出して欲しい。どんなに警戒されようとも、ひとまずは今の自分を認めてもらいたい。そんな勝手な欲もあったような気がする。しかしそのうちに表情を和らげてくれるようになったシルビアを見る度に、簡単に云い出すことができなくなってしまった。


 まるで騙したかのような、シルビアが最も嫌う、貴族らしい汚いやりかた。この間から立て続けにシルビアを傷つけている。しかしそれでも、ラウはやめるわけにはいかなかった。

 ──私は人形じゃないのよ。

 ラウは間違っていた。わかっていたはずなのに、彼女のことを本当にわかってあげられなかった。シルビアの問題を、シルビアに隠して進めるなど間違っている。ラウはただ、守ってあげたかった。シルビアが気付かないまま、事を穏便に済ませて安全になってから話そうと思っていた。しかしそれは、シルビアの望むことではない。


 先日ラウを殴りに来た守妖精は、今までラウが懸命に調べて来たことを簡単に教えてくれた。なぜ黙っていたのかという怒りに任せてラウも相当手荒なことをしてしまった。やはり仲良くなれない。あの守妖精と仲良くなれないのは次期国王として大問題なのだが、シルビアのことになるとどちらも見境がなくなる。どちらも要するに、過保護なのだ。

 エオリオなりにシルビアの意思を尊重しつつ、彼女の望むとおりにすべてを秘匿したのは、結局ラウと同じなのだ。シルビアを巻き込まず安全になってからすべてを教える。しかしシルビアがそんなことは納得しないと、どうして最初から気付かなかったのだろうか。いや、気付いていて知らないふりをしたかっただけかもしれない。結局は守妖精もラウも同じだ。彼女を守ろうとして彼女の自尊心を折ってしまっている。人形にさせてしまった。



 黙りを決め込んで座っていたラウが立ち上がると、弟たちは無言で彼を見て来る。

「覚悟を決めよう」

 正直なことを云えば、まだ気は進まない。シルビアにはこれ以上危険な目に遭って欲しくないし、悲しませたくもない。だがラウにいまできることは、それを半分諦めるしかなかった。

「王配殿下は戻られているか」

「おそらく自室にいらっしゃるかと思いますが」

 そう云いながら、ラウラはすでに部屋を出ようとしている。それとは対照的に、やはり少しだらしない恰好でソファに沈んでいるラウドは、

「どうするおつもりですか、兄上」

 きょとんとした顔で素直に尋ねて来る。ラウにとって、この二人は宝だ。しかし彼らを巻き込む準備はできていて、シルビアだけできていないというのは、おかしな話になる。彼女も間違いなく、ラウの宝である。

「──シルビアを巻き込む」

 だからそれを、許してもらおう。ラウは腹をくくるしかなかった。


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