Ⅴ時 貴族の戦士
騎士にしろ戦士にしろ、知人と云うのは今まで居なかった。以前の学友で騎士団に入った人が居ることや、たまの登城で鍛錬する騎士を見かけたこともある。けれどそれはどれも単なる走り込みだったり、簡単な素振りだったりで、こうして面と向かって人と人が戦っている模擬を見るのは初めてのことだった。
「はじめ!」
「は!」
貴族の取り澄ました環境では起こりえない熱気がこもっている。こういった熱いものを、私は知らない。貴族というものは基本、表立って感情的になることはない。高価な宝石や綺麗なドレスを必死になって見繕うものの、あくまでそれは誰にも見られていない時だけだ。社交の場でさりげなく身につけて、決して自分から主張することはしない。他人からの賞賛をもらって自分がどれだけ必死になったかをひた隠しながら、それでも自分の手持ちをそれとなく自慢する。そういった、くだらないものにだけ大きく反応しなければならない世界しか知らなかった。
「お約束を果たしに来ました」といきなりレイアートに連れて来られたのは、中央自警団。町の中心はもちろん城だが、庶民の憩いの場としてある広場と公園の近くにその自警団はあった。戦士の集まるところはたいてい庶民的と聞いていたが、一番大きいだけあって既に80年の歴史がある、まるで闘技場のような立派な建物だった。エントランスを抜けて促されるがまま鍛練場に入ると、屈強な戦士が大勢にらみ合っていたので驚いたものの、レイアートの細やかな解説のおかげで今は冷静に見ることができている。
大勢が一斉に、一対一で勝負をし合っているようだ。負けた者は下がり、勝者はまた近くの勝者と戦っていく。暑苦しいとも云えるその熱気の中で、同じ貴族だからだろうか、ルシファも一言で云うのならやはり静かだった。周囲が声を上げる中で、一人ただ静かに剣を振っていた彼は、しかし静かに勝ち進んでいた。気付けば立っているのはルシファと、少し年上の壮年男性一人だけになり、その二人が相対して最後の勝負を迎える。
「はじめ!」
審判が叫んだ瞬間に相手はルシファに斬り込んだが、彼は微動だにしなかった。危ないのではないかと少しひやっとしたその瞬間、ルシファが一歩だけ踏み込むと、相手は目を丸くしたまま転んでしまう。
「終了!」
何が起こったかわからないまま、その鍛錬は終わりを迎えていた。呼吸すら忘れていたらしく、審判の声と同時にはっとして息を吸い込んだ。
「すごいでしょう」
満足そうにレイアートが話しかけて来て、ようやく我に返った。見た先に居るレイアートはにこにことしていて、本当に自慢の兄なのだと、感心するほどにわかり易い。
「──今の、何があったの?」
「ただ居合いで切りかかっただけですよ、兄上は何よりもスピードがあるから」
確かにみんなが勢いで突き進む中、一人だけ寡黙で冷静でそして速かった。ただ単純に「居合い」で片付けられるほど、目に見えるスピードではなかった。素人目には、ただ足を踏み込んだだけにしか見えない。平均的体型のルシファよりも小柄なレイアートのほうが素早いだろうと思ったところで、ふと彼を見るとどうしても身体より大きな大剣が目に飛び込んで来る。
「レイアートはどうしてそんな大きな剣なの?」
「ああ、これは兄さんから助言を受けて戦士になった時おまえにちょうど良いと戴いたものなので、僕も詳しい意味はわかりません。最初はびっくりしましたけど、今は慣れたしとても気に入っているんです」
ルシファや他のみんなもすごかったが、小柄なレイアートがその大剣を振り回している姿も見てみたいと思ってしまった。兄と同じで筋は良さそうだ。などと思っていたところへ、すっと影が落ち目の前に当の本人ルシファが現れる。澄ました顔をしていたように見えたが、実際には相当な体力を使っているらしい、タオルで汗を拭きながらしかめっ面をしている。
「おまえは……なんてことしてるんだよ」
「お疲れ様です、兄上。ぜひ恰好良い姿を見て戴こうかと思いまして」
「余計なお世話だ、シルビアちょっと出ろ」
云われるがまま、と云うより腕を引かれてしまい、鍛錬場から連れ出されてしまう。さっきまで一緒に鍛錬していた戦士たちにちらちら見られていたから視線が痛くもあったけれど、もう少し見てみたい気持ちもあった。何よりレイアートにお礼すら云えていない。けれどそういった文句を云う隙もなく、鍛錬場からエントランスを通り入口とは逆の奥の部屋に連れて来られた。
扉を閉めたルシファは何所となく仏頂面である。珍しく不機嫌を露にしているルシファに、しかし心当たりもなくどう返せば良いのかわからない。
「……えっと、私は何かまずいことした?」
「来いとは云ったけど、あんな無防備に居られてもかばってやれないぞ。ここに居る奴は城によく顔を出しているから、おまえを覚えているのもたぶん居るだろう」
それもそうなのだが、流れで来てしまったものは仕方ない。むしろあれだけ楽観視していたルシファにそれだけ警戒されたことのほうが驚きである。
「でもすごかったわ」
「すごい?」
「ええ、騎士や戦士の鍛錬なんて見たことないもの」
「戦士のは、たまにパーティの模擬で見たりしただろう」
「……あれと一緒には見えなかったわ」
確かにそういったものがあったにはあったが、ちっとも感動しなかった。北大陸は全般貴族の国。着飾ってばかりで、西大陸のようにわかり易く表立って戦わない。裏で汚い処理をして表では微笑んでいる、実際に戦うことなどほとんどない。だからこそパーティでは余興として戦士が立ち会いを見せることがあったものの、実物を見てしまっただけに、見世物にしか感じられなくなってしまった。
貴族にとってほとんどが退屈潰しの「余興」である。たとえば、北大陸ではお馴染みとなっている競技にスウィフトというもがある。氷の上を滑りながら踊る、美しいスポーツだ。北大陸では氷の上を滑ることはもちろん、ダンスも教養の一つとなっているため年頃になれば誰もができる。最果ての北国ヴェスナルタ主催で開催されるコンクールは、点数で順員こそつけるが、誰もけなしあわない。表では戦っていないふりをする。高得点を取るため裏で必死に画策はするが、たとえ壇上に登ることができずとも、誰もが笑顔でその場を去る。あの人の舞いはとても美しくて適わないわ、と表で綺麗なことを云いながら、帰ってひとりなったら初めて悔しさ泣くのだ。そういった汚い感情を、表に出すことは美徳とされない。
そんな不正直な生き方なんて何が楽しいのだろう。
好き勝手に動ける戦士が良いと云うルシファには、私のこの北大陸の貴族らしくない考え方を、理解してくれるような気がした。
「戦士が実際に戦うのは、だいたいが対動物だ。もう冬に備えて鍛錬している」
「動物?」
「人を襲うのを防ぐ上に、食糧にもなる。それを城下町から離れた町に届けるのも仕事だ」
実際にはわかっていても、ちゃんと理解できない話だ。あれだけ鍛えているのが動物相手などと云うのは本当だし、それが人へ向けられることはない。しかしそれは、表立っての話だ。
「だいたい、以外も、あるんでしょう」
「──必要があれば」
ぞっとするほどの冷ややかな視線で、ルシファは柄に手を掛ける。ああ、これがこの人の本性なのかと納得する。それなりに良いところの生まれで、貴族を良く見て来ている。ただの貴族と違うところは、自らの剣で人を斬ろうと思っているところだ。貴族と云うものは自分でそういったことはしない。自分の手は汚さず、汚して良い人の手を汚す。だから貴族の手は美しい。働く下町の女性が手荒れしているのと同じだ。私はあの、苦労を知っている手に憧れている。
私は、価値のある人間になりたい。
ルシファは剣から手を離すと、いつものあっけらかんとした顔に戻って笑う。
「いきなり悪かったな、座ってくれ。俺の部屋だ」
云いながらルシファは何かあったかなと周囲を見回す。普段のルシファに戻ったことで少し気が抜けて、私は椅子に座り込んでしまった。座れと云われたのだから別段おかしくはないのだけれど、もし云われてなくても腰が抜けていたかもしれない。それほどに、さっきのルシファは実に貴族らしかった。
何所からだ出して来たのやら、お菓子の箱を片手に、いつの間にかお茶まで用意して、ルシファは私の対面に座る。私がほうけている間に、ティータイムの用意ができてしまったようだ。貴族らしいというさっきの感想は何所へやら、まるで自宅に友人を招いた庶民のようだった。
「あ、レイのことも悪かったな、あの莫迦はたまに年齢相応にすっとぼけるんだ」
「気にしていないわ、むしろ弟はかわいいわね」
「弟はってなんだ、余計だろう」
「良いじゃない、本当の兄弟ってあんなものなのね」
またふと、お義姉様たちは今どうしているのだろうと思う。城下町から徒歩で行けるところに彼女たちの家はある。父の遺産と共に、贅沢な暮らしをしているだろう。だが私は、足を向けられずに居る。どうしているだろう、元気だろうか、そう思いながらも、会うことを躊躇っている。思えば同じく徒歩で行ける父の墓参りにすら行っていない。
「兄姉弟妹が欲しかったのか?」
「別に欲しいと思ったことはないわね、短い間だったけど一応はお義姉さまが二人も居るし」
「……ああ、トレメイン家の。云っては悪いが、今はあんまり良い噂は聞かないな。ルーガーデン家の遺産で暮らしているだろう」
「そうね、でも……父が選んだ人だから」
父が死んだ時、私は泣かなかった。非情と云われるかもしれないが、悲しいと云う感情すら湧き出なかったのだ。ただ死んでしまった事実を、淡々と受け止めることしかしなかった。ルーガーデン家の一人娘としてこれまで生きて来た。もちろん大事にされていたことはわかっている。好きなことだけしていれば良い生活が、ずいぶんと贅沢だったこともわかっている。食うに困ったことはないし、いつだって綺麗に着飾っていられた。みんなが大事にしてくれた。
ただそのうちに、大事にされ過ぎた。シルビア・ルーガーデンは、ただの人形だった。
──シルビア、おまえはここに居なさい。
──シルビア、外に出てはいけない。
父がああなってしまったのは、おそらく私の所為。高位な人型の妖精がわざわざ守妖精になるほど、妖精から好かれてしまっている私の所為だった。お義母様もお義姉様も、私に辛く当たったのはおそらく私の何所か壊れた感情の所為だろう。
一度も涙は流さなかった、そんな私を、あの人たちは怖がったのだろう。
みっともなく泣いても良かった。それぐらいの芝居はできる。でも私は、それをしなかった。表だけ着飾る貴族の生き方は、当に疲れていた。
「遺産で暮らしているのなら元気よね、良かったわ」
トレメイン家は下級貴族で、ルーガーデン家に嫁ぐなど常識から逸していた。もともと城が関わるような社交界に慣れていないから、あの人たちは上辺の付き合いに弱い。だから父が死んだ後、すぐ下町に戻ったのだ。上流貴族のお屋敷が並ぶ街よりも、住み易い下町を選んだ。汚い上流貴族の仲間入りをするよりも、下町の自由な空気の中で生きていくことを決めたのだ。それはある意味で賢い生き方だと、私は思っている。
「元気なら、それで良いのか」
「え?」
「会いたいとまでは、思わないんだな」
それを問われると説明に困る。
──貴族なりたくないのなら、おまえはどうやって生きて行くんだ。
この人はどうして、答えたくないことを直球で訊いて来るのだろう。本当に貴族らしくない、心の中まで戦士だ。
どうしたものかと思っていたところで、閉じられた扉が唐突に開かれる。びっくりして振り返るとそこには大柄な男性が立っていた。さっきの鍛錬で、審判をやっていた人だ。
「おう、まーた鍛錬終わって部屋にこもってると思ったらなんだ、今度は女連れか」
「頼むからノックぐらいしてくれ、心臓に悪い」
「お、取り込み中だったか? 悪い悪い」
ちっとも悪いと思っていない口調だったが、ルシファは気にした様子もない。きっといつもこんなやり取りなのだろう。ルシファは呆れた調子で溜め息を吐きながら、
「あ、これがうちの大元」と一応の紹介をしてくれた。
「中央自警団頭領のアーヴィングだ、よろしくな嬢ちゃん」
がしっと手を握られて大きな手でぶんぶん振られる。鍛錬で焼けたのだろうか、黒い肌にがっちりとした体格は、いかにも戦士らしく周りに居なかったタイプで、こうして向き合って話をするのは少しだけ緊張する。
「初めまして、シルビア……です」
言葉に詰まったのは尻込みしたわけではなく、苗字を持たない身になってから挨拶することもなかったからだ。アーヴィングはどっかりと腰を下ろすと、じろじろと私を見る。
「はぁ、この子が噂のお姫様ねぇ。なるほどなるほどこりゃ別嬪だ」
「頼むからおっさんの興味本位はやめてくれ」
「気になるに決まってるじゃねぇか。あんの大莫迦な朴念仁が惚れ込んだ嬢ちゃんだろう。どんなおもしろい嬢ちゃんかとずっと気になってたんだ」
さっきの冷ややかさを見せた人かと疑うほどに、ルシファは子どもっぽい顔でむすっとする。やはりその幼くなる顔が、何所か懐かしく感じるのは気の所為だろうか。
──俺は政略結婚なんてしないよ。約束する。
ふいに頭の中を流れて来た、今でも覚えているあの約束、あれは、いつだっただろう。城に通っていた頃の思い出なんて、とっくに消えてしまったと思っていたのに、こうして強烈に覚えているものもある。たった一人、城で会える男の子。
「……それってもしかしなくても、殿下のことを云っています?」
「そりゃあそうだ」
「やめてください、惚れ込んだなんて冗談にも程があるわ」
「はっはっ、冗談きついのは嬢ちゃんのほうだ。内密かもしれねぇが、あの舞踏会は本当に出来レースなんだよ、ゴルデアの嬢ちゃんなら知っているだろう」
「……ええ」
──あの舞踏会で出逢った異性とは、最後の恋に落ちる。
残念ながらそんなかわいい噂をかわいく信じるほど、私はかわいい女ではない。現実性を考えれば、一目惚れで幸せになることなんて実例は滅多にないだろうと、冷静なまでにリアリストだ。
「だから今回は嬢ちゃんの番だったってわけだ」
「だから違うわ、両陛下みたいに殿下と話したこともありません。ものすごく悪いけど、顔だって覚えていなかったもの」
レウ国王と下級貴族の出自であるタチアナ王妃との出会いは、お忍びで市井に来ていたレウ国王がたまたま道を訊いただけだったと云う。身内ネタとして今は笑われるものの、一応市井では出会いも舞踏会と云う設定にしている。その方が盛り上がるからだ。エヴァンフレスキー王家らしいやり方である。
だが私と殿下にそういった接点はない。年が近いだけあってまだ城に通っていたころは何度か遠目で見たことはあるものの、直接話したことはない。我が家も第一王子の婚約者候補に上がるだけの地位はあったが、父はそれを望まなかった。自然と遠のけば顔も覚えていない。それにこの間私の家まで来たあの人は、金髪碧眼で正しく「王子様」だった。あんな人を、私は知らない。
「あまり余計なことを話して混乱させるのは止めておけよ」
「いやあ、悪い悪い。悪気はないんだが、この調子だと莫迦王子にも同情しちまうなぁ」
王子がさもかわいそうみたいに云われても、私には本当に心当たりがない。舞踏会で会った時のことを思い出そうにも、二、三言話しただけで、何かがあったわけではない。王子がすっぼりと仮面をしていたように、私だって仮面をしていたし、昔見たルーガーデンの娘だとわかった可能性などない。
そして目の前の男性を改めて見る。
「今さらだけど、殿下のお知り合いですか」
「ああ、これでも昔は俺も騎士団に居たからな、ラウは俺の教え子第一号だ」
たとえかつて王族地位にあった公爵と云えど、王族はやはり少し格が違う。そう簡単に軽く接する相手ではないと云うのに、自警団の頭領がまるで自分の息子のように語ってしまうのは、やはりそう云ったつながりがあるからなのだ。
「どうしようもない跳ねっ返りだが、嬢ちゃんに損はないぞ」
「何をどう云われてもお断りです」
「嬢ちゃんの貴族嫌いは知っているさ、ただまぁ身内としてはもう少し考えて欲しいと思っちまっただけだ」
政略結婚が当たり前の世の中だ。もちろん恋愛結婚もあるにはあるが、できないものだと諦めて最初から縁談を簡単に引き受けてしまう娘が多い。幸も不幸もそれぞれだけれど、それも運次第だと思ってしまっている娘だらけだ。
「あーだからもう! そこらのおせっかいは余計だって云ってんだろ」
「別に俺が大莫迦のためにゴリ押ししたって良いじゃねぇか」
かっかと大笑するアーヴィングに、ルシファですらげんなりとした顔を寄越す。
「おおっと、そろそろ行く時間だ。じゃあな、嬢ちゃん。また会おうぜ」
唐突に声を上げると立ち上がって扉まで行く。声が大きいのでつい驚いてしまって返事にまごついているうちに、アーヴィングはこちらを振り返る。
「ああ嬢ちゃん、良いこと教えてやると、いそいそと逃げ込まなくても、うちに嬢ちゃんを城へ付き出すような阿呆は居ねぇよ。安心しとけ」
さっきルシファをからかったような、意地の悪い顔だ。云いたいことがよくわからず首を傾げていると、顎をしゃくられる。
「むしろそこのが一番危ないから気をつけろよ」
「良いからさっさと行って来い!」
ルシファの怒号をものともせず大笑いし、嵐のように去って行った。アーヴィングが居なくなった後の部屋はとても静かで、本当に嵐のようだった。ルシファの溜め息が深々響く。
「……まったくあのおっさんは。悪いな」
「気にしてないけど……すごいわね」
「いつもあんななんだ、人を疲れさせる天才だ」
深い溜め息が出たのはお互い様だったが、実のところまだ話は終わっていない。
「で、あんたが一番危ないってどういうこと?」
「え?」
話を振られたのが意外だったのか、ルシファにしては珍しく動揺した顔をする。そんな顔をされたら、余計怪しく感じられてしまう。
「私を城に突き出すつもりがあるのはあんただけってこと?」
「は? ……ああ、そんなもんは一切ない。それは自警団そろってない」
「さっきと云っていることが違うわね」
「……あーなんでも良いだろ、とにかくおまえを城へ連れて行こうとかは思っていない。それだけは誓って云える」
誤魔化された気はしたものの、ふいと顔をそむけたルシファはなぜか照れているようにも見えて、あまりしつこくは詮索しないでおいた。
・・・・・
今日あった出来事をさも楽しそうに語るのは、城下町の中央自警団を任されているアーヴィングだ。今日の目玉はなんと云っても、ラウが心底求めているシルビアの話に絞られる。
「いっやー俺、本当笑うのを通り越しておまえが哀れになったぞ。かわいそうなまでに忘れられてるじゃねぇか」
「煩い」
小莫迦にした云い方はこの男には今さらで、気にしてはいない。だが忘れられている事実を突っつかれると少し痛い。もちろんそんなことは百も承知で、権力に任せて結婚を申し込んだのだ。王族らしく実に汚く、権力を使わせてもらった。予想はしていなかったが、あんな国家権力を突き出されたにも関わらず断ったことが実にシルビアらしくて、懐かしい気持ちになった。変わっていない、変わらない。そして、変えたくない。あのままで居て欲しい。ラウの探し求めた「シルビア」だった。
「また嬢ちゃんに会ったらちゃんと話したいもんだなー。時間がないのが残念だった」
「時間がなくて非常に助かった。これ以上莫迦にされるより先に、報告を続けてくれないか」
「あーはいはい。この間と同じ時間に行ったけど、別に変わった様子はなかったな。相変わらずの無人だぜ」
「だろうな……そのうちこちらから没収する前に片を付けたいんだが」
「それは向こうも同じだろ。屋敷に何かあるんなら、あっちだって急いでいる。慌てりゃぼろが出るからな、随時うまい具合に見張らせて報告待ちの状況だ」
「そうか……」
あまり引き伸ばし過ぎると、向こうも何か感づいているのではと行動を鈍くするだろう。引き際が難しいところである。
「下町のほうはどうなんだよ、トレメイン」
「ああ、向こうは実に静かなもんだ。穿ちすぎているのかもしれない」
方向性がまだ定まっていないだけに、あちこちに無理矢理線を伸ばしているようなものだ。それを繋ぎ合わせるのもまた時間がかかる。何かしら一つでもきっかけを見つけられたのなら、それで良いのだが。
「早く見つけないと手遅れになる」
「わぁってるわぁってる、一応動いているんだぜこれでも。あんな堅物でもダチだしなぁ」
そう云って豪奢な天井を見上げるアーヴィングには確かに、いつもより憂いを帯びた顔をする。陰陽の陰など知らない顔をして、普段から陽を振り撒いている気があるから、ちょっとした顔の翳りでわかり易い。
「そうか、悪い」
「気にしてねぇよ、悲しむのは後だ」
ゴルデア・ルーガーデンの死、事の始まりはそこからだった。ラウがこうして腰を持ち上げたのも、クレナイからトコヨを呼んだのも、すべてはあの事件から来ている。既に下火になっているようだが、今でも誰かが動いているのを、ラウはしっかりと感じていた。
「シルビアが見つかった今、ゴルデア・ルーガーデン殺害犯を見つけることが先決だ」
そう、すべては事故死として処理された、あの事件からなのだから。