Ⅲ時 大剣の戦士
「つまり何? 私はここに居るけど会わせませんからね、って云って来ただけ?」
「うん、だからしばらくは何もないと思うよ、安心して離れに住んでいなよ」
あははと大笑するシャルル・サンドリヨンに、私のこめかみは相当ひきつっていただろう。
「結局王子に喧嘩吹っかけて来ただけじゃないですか!」
「あははー、そうとも云う」
我慢できず叫んだエオリオにも、けらけらと笑うだけのシャルルにも呆れて、私は言葉もなくして座り込む。ルシファと別れてとぼとぼ帰宅した私を待っていたのは、城から帰って来て飄々としている妖精使いと口論する守妖精だった。ルシファに訊いたところで見当違いだったのはわかったから、この妖精使いを待ち構えていたと云うのに、またまた最悪な事態に持ち込んでくれるとは思いもよらなかった。
「この考えなしの妖精使いはどうしてくれるんですか」
「考えなしなんかじゃないよー、これでもちゃんと考えて登城までしたんだから、向こうにはありがたく思ってもらわないと」
妖精使いが身近すぎていまいち世間の感覚がわからないのだが、それでも一個人がこれほど王族を軽く見て良いはずもない。国家権力は好かないと昔から云ってはいたものの、これだけの嫌悪を見せたのは初めてのことだ。
「マスターのその態度の所為で乗り込んで来たらどうするつもりですか」
「あー、それはない。たっぷり釘は刺しておいたし」
にこにこと満足そうに微笑まれても、説得力に欠ける。もういっそ、自分から王子に謝りきちんと結婚は忘れてくださいと頭を下げに行くのが一番手っ取り早そうではある。
「釘を刺すってあんた本当に何をして来たのよ」
「もともと私は、王子とシルビアの結婚には反対だからね。怒っていることを伝えただけさ」
「……そうなの?」
「第一王子は子どもの頃から私の邪魔をして来た上に、仕舞いにはこれだ。怒りたくもなる」
今までの上機嫌をぱったりとなくし、子どものように不貞腐れる顔を見ると、王子にあまり良い感情を持っていないのが丸見えだ。たいてい煙に巻くシャルルにしては、これだけはっきりとした感情を見せるのは珍しいことである。
子どもの頃と云えば、城で遊んでいたらシャルルがよく迎えに来たことを覚えている。父がそれなりの公爵位を持っていただけに、挨拶だけ済ませると退場することが多かった。まだ年齢的に、大人の話を聞かせる段階ではなかったのだろう。そう云った子どもたちが数人、城内をうろうろしていることは多々あり、私もその一人だった。たいていは父が話し終えるまで友だちと待っているのだが、シャルルが迎えに来てしまって遊びを中断しなければならないこともあった。子どもの頃の私は純粋にもシャルルに懐いていたから、迎えが来ることは嬉しかったのだが、その一方で滅多に会えない友だちと話して居たいと云う気持ちもあった。城に行かなければ会えない子が一人だけ居たのを覚えているが、今はそれぞれが何所で何をしているのかわかっていない。あの少年も、今では立派な貴族として立っているのだろうか、などと思い出す。
「そんなに殿下と仲が良かったなんて知らなかったわ」
「仲が良いなんて君が云うのはやめてくれよ、シルビア。どっちも不貞腐れるだけだ」
そんな理不尽なことを云われても困る。
「と云うか、昔から仲悪いでしょう、貴方たち。今回だって大人しくマスターの云うことを聞くはずないじゃないですか」
私の莫迦な突っ込みよりもあまりに的確な意見をエオリオに云われて、そこでようやくはっとする。シャルルとかわした約束なんて、歯牙にも掛けずここ来るかもしれない。しかし当の本人は気にした様子もなく笑うだけだ。
「大丈夫、大丈夫。第一王子は莫迦だけど愚かではないよ」
というより、とシャルルはエオリオをちらと見る。
「仲の悪さに関しては、君に云われたくないね」
人を喰ったような顔をして云う妖精使いに、エオリオは分が悪いのか黙り込む。シャルルの云う根拠がとてつもなく不安定なだけに、私はいつまで経っても安心できないのだった。
・・・・・
「はい、ありがとう」
穏やかな声が聞こえて振り返ると、そこにあったのは例のドリンク屋だった。市場の出店ではあるが若い女性が一人で切り盛りしているらしい。ルシファが云っていた名前は……ナティアだったか。あまり意識しないようにしていたが、ナティアの周りに守妖精が見られなかった。肌の色が少し暗めだから、この国の人ではないのかもしれないとは思っていた。異国の人なのだろうが、市場の店として既にこの界隈に馴染んでいる様子が窺えた。
この国でフルーツと云うものは普段から何所にでもあるのだが、ドリンクとしてしかも出店で見るのは初めてだ。これでも元貴族、歩きながら食べたり飲んだりする行為が本当にあることを、下町に降りて来るまでは知らなかった。
ほんの少しちらりと見ただけなのだが、ナティアと目が合ってしまい、いらっしゃいませとにこやかに微笑まれてしまえば買うしかない。そのまま去ろうと思えば去れたのだが、あのおいしさを知っているだけに、少し興味があったのも事実だ。
「今日のお勧めはりんごかしら。パイナップルとのミックスなの」
どう買ったら良いものかもわからなかったので、丁寧に教えてくれるのはありがたい。それでお願いするわ、と大人しくそれを戴くことにした。
「良いもの頼んだね、シルビア」
ジュースを待っている間にひょいっと顔を出したのは、制服を着たままのアレクセイである。たまたま家から出て来た時にばったりと出くわした郵便配達屋は、妖精使いの家から出て来た女に興味津々だった。たいてい人気がないし人嫌いで有名なはずなのに、いきなり年頃の女が出入りしていたらそれは不審に思ってもおかしくはない。おもしろ半分に話を振られたことに腹が立って一喝したら、どうやらそれ以来気に入られてしまったらしい。街中で出会っても声をかけてくる様は、まるで古くからの知人のようだ。知り合って間もないのに、アリョーシャなどと気軽に呼べるのは、彼の性格所以なのかもしれない。
「ナティア、僕にもちょーだい」
緩やかな視線を私からナティアにずらすと、彼女はふいとそっぽを向く。
「あんたの場合は倍料金よ」
「なんでよ、こんなにちゃんと働いているのに」
「あんたの仕事なんて知らないわよ」
冗談を掛け合いながらもナティアはアリョーシャにドリンクを渡していた。アリョーシャも手渡したのは通常料金のようで、常連とのやり取りと云うよりは気心知れた仲に見える。顔見知りだとは知らなかったが郵便配達をしているアリョーシャなら、地元の人とはたいてい知り合いにもなる。こうした着飾らないやり取りを、未だ新鮮に感じてしまう私は、やはり貴族社会でしか生きられないのだろうか。
「はい、お待たせしました」
アリョーシャよりも後から私のドリンクが出て来たのは、どうやらきちんと絞って作ってくれていたらしい。ぼんやりとしていたのでちゃんと見ていなかったが、連日たくさんの人でにぎわうと云うのに素早く手際が良さそうである。
「どうもありがとう」
「あれ、そっちのほうがおいしそう」
受け取った私のドリンクと自分のドリンクを見比べて、アリョーシャは声を上げる。
「当たり前でしょう、あんたのは昨日の残り物よ」
呆れた声でナティアはふいとそっぽを向いてしまう。仲が良いのだか悪いのだか、微笑ましいが間に立つとなると非常に困る。
「ねぇねぇ、シルビア、交換しない?」
「しないわよ」
そこだけは即答しておく。ナティアのジュースならどちらでもおいしいとは思うが、せっかく作り立てをもらったと云うのに、残り物と交換する気はない。それだけ図々しいことを云い合える仲になった覚えもないのだが、気が付けば馴染んでしまっている。たぶんそれが、アリョーシャの性格なのだろう。自然と溶け込んで来る気易さがある。
「ねぇねぇ、妖精使いの家に行ったら留守だったんだ、また後で行くけどさ」
「あらまた出かけたの? わざわざ一日の行動まで知らないわ」
と云うよりシャルルには朝から怒って出て来たから、あれ以上の会話もしていない。普段何をしているかは知らないが、極度の出不精である。もしかしたら単純に居留守かもしれないが、昨日の今日で出かけているとなると少し不安が残る。シャルルは基本的に、私には甘い。だからこそ、何をしでかすかわからないのが怖い。
「貴女、知り合いならわかっていると思うけど、その男には充分気を付けてね」
ナティアが呆れたように云うのに対して、アリョーシャは害のない笑顔をにこにこと広げたままである。この笑顔が妙に人懐こくて話し易く見えるのかもしれないが、確かに少し得体のしれないものを感じている。何所がとは云えないが、表面に出ない何かがある。ただこれは、貴族社会で生き延びて来た勘でしかない。
「あんまり関わらない方が良いわよ、危ないんだから」
「ちょっとそこ、何を吹き込んでるの」
「だってあんた、だいぶ機嫌悪いじゃない、何か起きてからじゃあ遅いもの」
「そりゃ早く帰りたいからね」
だから仕事もさっさと終わらせたいとぼやくアリョーシャは、至って普通だ。機嫌が悪いなんてさっぱりわからなかった。見た目にはいろいろとわかり難いアリョーシャのそれがわかるほど、ナティアとの付き合いは長いと云うことだろう。新参者の私にわかるはずもない。
「あんたが居ないほうが、あの人も落ち着いていられるんじゃないかしら」
「そんなはずないよ。待たせているから早く仕事を終わらせて帰らないと。僕は愛妻家なんだから」
それこそにっこりと微笑んだアリョーシャに、ナティアの顔が引きつった。
「すみません、シルビアさん、ですよね?」
ちょうどそんなタイミングで呼びかけられ、振り返った先に居たのは、先日見かけた大剣を背負った少年だった。
・・・・・
「先日は兄も僕も失礼な去り方をしてすみませんでした」
この間と同じベンチに座ってはいるが、隣に居るのはルシファではない。大きな剣をベンチの脇に立てかけてドリンクを飲む姿は、年相応にかわいらしい少年だ。
唐突に声をかけて来たのはこの間ルシファを連れ帰った、大剣を背負っていたあの少年だった。小柄な身体にはあまりにもアンバランスなのだが奇妙に似合っていて、その恰好で市井を歩いていても特別目を引かない。お時間があるのならお話を窺っても良いですかとそれは丁寧に訊かれたので、ジュースをもう一つ買ってこの間ルシファと話した公園に落ち着いた。にゃぁと白猫が通り過ぎるのをなんとはなしに見ながら答える。
「別に気にしていないわよ」
「後から兄に事情を聞きました、お引き止めしたのは兄上の方ですから、それをあんな風に急に立ち去るのは礼儀に反すると思ったのです」
外見からすると十代半ばぐらいだと思うのだが、あまりにも殊勝な態度にどうしても気になってしまう。
「ルシファの弟、なのよね?」
どうしてもそこだけが気になってしまって、思わず確認してしまう。少し話しただけだが、ルシファと云う男はシャルルほどとは云わないが、自由気ままな性格をしている。兄姉弟妹と云うものがいないのでわからないが、こんなにも性格とは違うことがあるのだろうか。自然年下なのでドリンクをあげたらお金を支払いますとまで云われて、逆に私が恐縮してしまうほどだった。何所までもしっかりとした弟である。
「はい、レイアートと申します。兄上が自警団に入ったのに憧れて、僕も後から入りました。半分反対を押し切って無理矢理でしたけど、兄を自警団から辞めさせたがっている人が居るので、僕が入れば少しは反省するかもしれないと云うことで許してもらいました。結局兄は辞めていませんけど」
「貴方たち、良いところのお坊ちゃんなの?」
「まぁそうなりますね。実際、自警団は入る必要もありません。でも僕たちは自警団のお仕事が気に入っていますから、使ってもらえていることには感謝しているんですよ」
エオリオに教えてもらったのだが、城下町の自警団は全部で5つ、東西南北に一つずつと中央に一つ。その中央自警団は一番発言権が強く、王城ともやり取りが多いところだと云う。そんなところの戦士に見つかったら終わりだと思っていたが、さらにもう一人知り合いができてしまった。
「その割にお兄さんはサボっているのね」
「あの人はふらふらするのが仕事だと思っていますからね、城や騎士団の命令はほとんど無視です。その点では戦士失格ですね、自分で歩きながら依頼を見つけて、戦士がやらなくても良いような小さなことまで勝手に受けてしまいます。それでも剣の扱いは抜群ですから、難しい依頼もこなしてしまって、誰も文句が云えないんです」
どうやら気まぐれ属性もうちの妖精使いと同じようだ。そんな人が何も私の周りに現れなくても良いような気がする。
でも。
──貴族なりたくないのなら、おまえはどうやって生きて行くんだ。
あの時の真剣な顔を思い出すと、どうにも嫌いになれない。
「それでも、お兄さんが大好きなのね」
微笑ましくなるほどの親しみを込めて云うレイアートが羨ましくなり、つい思ったまま言葉が漏れた。確かに憎めない雰囲気があると思いながらレイアートを見ると、彼はきょとんとして私を見ていた。おかしなことを云ってしまったかと思ったが、彼はすぐに顔をほころばせて小さく頷く。
「そう、ですね。ちょっと困った人ですけど、とても一途で頼りになる兄上に憧れているんです」
そう云ってふいに視線を背ける姿は照れているようにも見えたが、それでも堂々としていた。ほんものの兄姉弟妹とはこんな感じなのだろうか。
──帰って来るまでにやっておきなさいよ。
──早くしなさいよ、もう出かける時間じゃない。
たった数日前のことだと云うのに、そんな義姉たちの声が既に懐かしい。少しずつ落ち着いて来たにも関わらず、その後の確認もしないで、本当に薄情な妹だと思う。エオリオにそんなことを云ったらきっと怒られてしまうが、それでも気にかけずには居られない。
その沈黙をどう受け取ったのか、レイアートは唐突に立ち上がり、
「そうだ、なら今度ご覧になりますか?」
と私に確認して来る。
「え?」
「兄上の恰好良いところ、今度ちゃんと見せてあげますね」
にっこりとかわいく微笑まれて退路をなくす私を笑うかのように、戻って来た白猫がみゃぁと鳴いた。
・・・・・
貴族の世界が後ろ暗いことは、もうすでにご存じだろう。ところでこの世界ローズサウンドには、大変な技能を持っている暗殺集団が存在している。暗殺集団「クレナイ」、彼らは世界中あちこちを分担しては仕事を請け負っており、その達成率はほぼ百パーセントに近い。
戦の多い西大陸が一番忙しいと思われがちだが、実際には貴族の大陸とも呼ばれる北大陸の方が全体的に多い。西大陸は表立って戦をするが、北大陸は表面上にそういった血生臭い現実を見せない貴族の大陸である。「表は美しく、裏は残酷に」がモットーと云われても否定できないほど、クレナイの力を借りての暗殺はしょっちゅう行われていた。
元クレナイの一員であるトコヨ・クレナイは、報告書類をざっと読んだ限り、これと云って変わった点がないことを確認した。
「妖精に好かれ易い体質、ねぇ」
頭を掻きながら漏らす声は、あくまで軽い。重大事件を解決するためにわざわざ呼ばれたと思えないほど呑気であった。ラウは初めてこの青年に会った時、思ったより若いことや平凡な顔立ちにほっとした。しかし実際こうして対面していると油断してはならないと強く感じる。敵に回してはいけない人である、と。王子として生きて来ただけにわかる勘のようなものだ。外見から人の恐ろしさは理解できない、平凡さほど恐怖がある。
「何か心当たりでもあるのか」
「さぁ、精霊召喚師の血でも継いでいるのかな。でもアリカラーナで召喚師と云うのは、血族に縛られない一族ですからね」
世界の中心アリカラーナは、精霊に守られている神国だ。妖精に守られているサントラガルと似ているようで違うのは、国全体が十二人の精霊で守られていること、その精霊を取りまとめる召喚師が王を支える四賢人の一人となっていることだった。サントラガルでは妖精使いが政治に介入することは禁止されており、あくまで主体は人間だ。
「むしろ血縁を気にするのは法術師のほうですが、彼らは精霊と話す術を知らないはず」
「そうか……」
精霊と妖精、そのつながりがどういったものなのかは歴史書を読み漁っても出て来ない。サントラガルは遥か昔、妖精の国だった土地を譲り受けたと云うことになっている。アリカラーナの精霊が出現した歴史背景は、王によって造られたと云うことなので、立場が逆転している。妖精も精霊もそれぞれに関わりが深いようでだいぶ違うものなのかもしれない。
妖精に守られているこの国だが、王族に守妖精は居ない。代わりに王族を守る妖精が、国の中枢にひっそりと存在しているのだが、その妖精も伝説のような存在で、会えるのは王の地位を引き継いだ者だけ。だからこそ、ラウには守妖精の居る感覚がますますよくわからない。
考え込むラウに、トコヨは小さく溜め息を漏らす。
「こうなったら調べるしかないでしょう。情報が母方の名前、召喚師エレシアだけなので少し時間がかかりますが」
「調べられるのか?」
「まぁ僕一人だと少々手間が要りますが、これでもアリカラーナは母国です。伝手を頼って調べるぐらいなら可能です」
北大陸担当のクレナイの力を借りれば、遠いアリカラーナからも情報はあっと云う間に飛んで来る。少し前は波乱の時代だったアリカラーナも、現在はとても安定しているから、少々の厄介ごとぐらい簡単にさばけるだろうとも彼は云う。
「済まない、手間をかけるな」
「我が陛下のためですから」
そう云って微笑むトコヨは、今現在クレナイに所属しているわけではない。既に引退した身の上ながら、無理を承知でこの事件に関わらせている。もちろん報酬もない、これは単なる「借り」だ。国家間の借りであるからとても大きなものになってしまうが、それさえ使ってでも、ラウはこの事件を解決しなければならなかった。
「今度、女王陛下にも改めて礼を云わなければ」
「礼よりも早く僕を帰らせることを優先させてくださいね、ただでさえ、陛下の御元を長く離れるのは避けたいんですから」
ああ早く帰りたいといつものぼやきをし始めたトコヨに、ラウは笑うしかない。こんなにも「普通」に見せておきながら、少しでも隙を見せれば即殺される。それがわかるだけに気が抜けないはずなのだが、だからこそ逆に可笑しく思える。
「なら早く帰るためにその手腕を生かして、早期解決を共に目指すだけだ」
「まったく口がうまいんだから。……かしまりましたよ、殿下」
そう云って頭を下げるトコヨを見送り、ラウはそっと外を眺める。この広い城下町に、あの妖精使いの家に、彼女は居る。その彼女を守り抜くこと、それだけが今のラウにとって一番の使命だった。