Ⅱ時 鍵の妖精使い
「やあ、おはようシルビア!」
扉を開けた瞬間、やけにハイテンションな妖精使いに辟易し、反射的に扉を閉めてしまう。
「おいおい、シルビア、それはないだろう!」
慌てたように扉は再び開かれたものの、入る気力が失せる。そろそろ辞書に載せても良いと思えるほど当たり前の常識として、テンションの高いシャルル・サンドリヨンは危険である。
「朝っぱらから煩いわね。もう少し静かにしなさいよ」
「この間は朝から暗いと云っていたくせに」
「今度は煩いのよ、中庸って言葉を知りなさい」
自分でも矛盾していると思いながらも文句を云いたくはなる。それでも私は母屋へと入った。随分と機嫌の良さそうなこの男は、この家の持ち主だ。私たちはこの母屋ではなく、離れを私室として使わせてもらっている。
シャルル・サンドリヨンは私と知己の妖精使いである。幼い頃から妖精に好かれ易かった体質もあり、父に連れられて何度も会わされたことが知り合ったきっかけだ。妖精使いは人間と違う、浮世離れした伝説的な部分がある。世間で云えば珍しい人種なのだが、昔からの知人であるからか、私からすればただのお兄さんでしかない。そう、従兄のような感覚だ。実際にいくつなのかは知らないが、年齢すらも超越するその存在について、あまりにも現実味がないので深く考えないことにしている。知り合った頃から老けていないのだから、ちゃんと考えていたら頭がおかしくなる。
逃げ出してすぐ思いついたのが、この妖精使いを頼ることだった。いくらエオリオが誤魔化しているとは云え、そういつまでも国家権力から逃げ回るのは難しい。そう思ったらふと、シャルルの顔が思い浮かんだのである。この国は完全なる貴族社会で成り立っているものの、妖精使いはそういった場に不干渉だ。もちろん王族や貴族から手を貸すよう頼まれることはあるが、権力諍いには絡まない。妖精使いが絡むと人と妖精の均衡が崩れ、国が崩壊するような事態に陥ると信じられている。そういった事情を知っているからこそ、安心してシャルルのもとを訪れることができた。
──私を使い果たして欲しい。
シャルルにはそう頼んだ。事情をすべて話したうえで、シャルルの研究に役立つなら利用してくれてもかまわないし、日々の雑用だってする。だから少しの間、ここで厄介になりたい。無償で誰かの駒になるのはうんざりだが、お互いがお互いの利益のために関係を築くのなら、それは無意味ではない。自分が自分の納得する役割の上で役に立っていると思えるからだ。
私にはなんの価値もない、そう自分で思えてしまうことが一番嫌だった。貴族なんて地位と誇りしか持っていない、外に出たらただの役立たずだと痛感したからこその意地だ。
シャルルは王子の求婚を蹴飛ばした事情を聞いて大笑したものの、実に私らしいと快諾してくれた。もともと私には昔から甘いところのある男だ。交渉とも云えないほど容易だった。と云うのも、妖精使いは生活力が皆無だ。時の流れが人間と違うからか、放っておけば家の中が大変なことになる。昔から私はこの家に来る度、掃除をしていた記憶しかない。父が再婚してからと云うもの足が遠のいていたが、今回ばかりは仕方がない。
「相変わらずシルビアは小難しいことばかり云うねぇ」
「マスターの頭が足りないんだと思いますよ」
ソファへと座り込んだシャルルに、容赦ない一撃を加えるのは私の後ろから顔を出したエオリオ。妖精使いと妖精ならば意志疎通ができそうなのだが、この二人は昔から仲が悪い。もっともこの変人妖精使いと仲良くしなさいと云うのも気が引けるから、急に始まる喧嘩は毎度のことと放っている。
「おやそういう君も頭が足りないんじゃないかな、そこは私の席だよ」
テーブルの席に座ろうとしたエオリオに、主は大人気もなく声を飛ばすがソファからは動かない。
「喧嘩するなら私が居なくなった後にして」
「シルビアが居ないところで二人にするなんてやめてよ」
「奇遇なことに、それは私も同じ考えだ」
溜め息しか出て来ない。だが今は、ここでこうして暮らすことしかできない。
──だからおまえは、安心してしばらくは生活して居れば良い。
ルシファという戦士を全面的に信じたわけではない。昨日のことは一応二人の耳に入れてはあるものの、シャルルは案の定無関心を装い、エオリオは懐疑的だった。念のため今日はでかけずに、エオリオが外を見まわることになっている。自警団にも顔を出すとエオリオは云ったが、逆に人型の妖精などが行ったら騒ぎになってしまう可能性があるのでそれは止めておいた。どちらにせよ、あの戦士にはまた会うことになる。そんな気がする。
争っている二人を無視し、朝食の準備に入る。生活力皆無の妖精使いへ世話を焼くついでに、できる限りのことをしている。料理なんて教養程度しかできないが、一人は無関心、一人は妖精だから大したものではなくても良い。ここで厄介になっているだけでは居たくない。ただ何かしら、少しでも役に立っていればそれで良い。無価値なままで居ることだけは、絶対に避けたかった。
スィールニキと冷静スープ、あとはフルーツを切るぐらいの簡単な朝食を二人に出すと、一応争いは収まる。食べている最中も煩いことは煩いが、食事を下げようとすれば二人とも黙るので問題はない。基本的に妖精は食べなくても問題がないはずなのだが、そういう話題でまた喧嘩をするので大人しく出すことにしている。
「シルビア、今日は何か必要なものがあれば買って来るよ」
「え、良いわよ。エオリオと入れ替わりに買い出しに行くわ」
「もし外が危ない状態だったら出られないだろう。別に無理して外に出る必要ないよ」
エオリオの過保護にも困ったものではあるが、これはきっと折れないパターンだとわかる。仕方ないかと諦めかけたところで、満足そうになぜかりんごから食べているシャルルが外を見て云う。
「あ、でも今日は私も出かけるからね。家は無人になるよ」
「え、何所に行くの?」
昼夜逆転が普通の男が出かけるなんて、滅多にないことだ。たいていは家の中で怪しい研究に勤しんでいる。妖精使いは城下町でこの男だけ、会う仲間も居ないシャルルは、引きこもりに近い生活をしている。
「ちょっとお呼び出しがあったものだから、軽くお出かけして来るだけだけどね」
「役に立たないなぁ、今日こそ居て欲しかったんですけどね」
仲の悪さは置いて、シャルルも一応は妖精使いだから役人の一人や二人、簡単に追い払うことができる。エオリオも、無人の家に置いて行く不安が隠せないらしく不満がぽつりと出る。
「昨日の今日で何所へ行くの?」
「おっと、忘れないでくれ。中立だけどね、私はちゃんと、シルビアの味方さ」
曖昧な言葉で誤魔化されるのはいつものこと、わかってはいる。そしてわけがわからないなりに、いつも私の味方をしてくれる。この人だけは絶対に私を裏切らない、そうわかっているからこそこうして頼れる。だがそれでも、本当にこの人が何をしているのか、気にならないわけではない。
「まぁ家に居るぐらい問題ないだろう。妖精使いの家に近づく阿呆もそうそう居ない、シルビアはじっと離れに居れば良い」
「そうするわ」
抵抗するのも面倒くさくて、私はひとまず頷いておく。ここで無理に出るなどと云ったらまた喧嘩になるだけだ。食材は昨日エオリオと買い込んだし、そこまでして欲しいものもない。夕方のお菓子を用意するのも最近の日課となっている。こうして少しずつでも家事をこなしていかなければ、本当に価値のない人間に成り下がる。
貴族なんてそんなものだ。蝶よ花よと育てられて、作法は良くても一人では何もできない。
ルーガーデン家の広いお屋敷や、下町の小さな家の暮らしよりも、ずっと人数は少ない。豪華絢爛でもないし、どちらかと云うと質素だ。妖精使いは風変りだし、妖精は毎日過保護で煩い。だがそれでも、私はここに来てようやく呼吸ができた気がしていた。
──シルビア、おまえはここに居なさい。
──シルビア、外に出てはいけない。
──シルビア、結婚することになったんだ。
父の言葉が蘇っては消え、私はしばらくその声を忘れることにした。
・・・・・
これでも「名家の令嬢」だったので、婚約者を決めなければならないという切迫した期間が私にも一応はあった。しかしそれが、他の貴族と少し違う。年頃になってから王城へ足を運ぶことを禁止され、今まで自由に会っていた男友だちとも疎遠になり、私の婿候補は父の判定待ちだった。父が決めた相手が私の結婚相手、たった一人の娘として生まれたからには覚悟していたことである。何人か顔を合わせた男性の中には顔見知りも居たが、すべてが父によって却下された。そんな婿探しの結末は、父が再婚すると云う形で勝手にケリをつけてしまったのである。
「シルビアがまたここに出入りしているとはねー」
そう云って足を組み優雅に紅茶を飲む男を、私は足蹴にできずただ見つめている。白一色でまとめた正装に近しい衣装は、派手ではないものの上品にまとまっていて、高級なものだとすぐわかる。持って生まれた汚れ仕事を知らない白い肌に金髪碧眼、まるで王子様とでも云いたくなるようなその容姿は、まさしく貴族様である。
「妖精使いは人と違うから正式に妻を持たないだろう。なんで一緒に住む流れになっているんだ? その前に考え直した方が良いと思うけど。ずっと屋敷にこもっていたから、頭がおかしくなったのかもしれないな」
「私は全面的にあんたの脳を治した方が良いと思うわ」
何所までもマイペースな調子でべらべらと勝手な自説を並べるのは、エリク・サンハイヤード・クラーキン。かつての私と同じく公爵地位を持つ家だが、違うのは男性で二男であるというところ。かつての学友であり、またかつての婚約者候補にも当たる。
シャルルもエオリオも出掛けた家に一人、あまり気にはしていなかったのだが、流石に来訪者があった時には驚いた。もちろん無視するつもりで居たのだが、シルビア居るんだろうと知っている声で名前を呼ばれたら、開けないわけにもいかなかった。
唐突に現れたかと思ったら、シャルルと暮らしていることにおまえは莫迦だと罵られ、挙句にはシャルルの嫁になったなどと云う勝手な妄想を突き付けられて辟易している。少し面倒くさいところがあるという性格を、久しぶりに会って思い出した。
「王子の求婚を蹴飛ばして逃げて来るなんて、本命と結婚を考えている他に理由がないだろう」
「あるわよ! ……王子もシャルルも、どっちも結婚は願い下げたいわ」
「そこが相変わらずわからないね、王子の結婚さえ駄目なんて」
意味がわからないよ、とエリクは肩をすくめる。貴族社会で生まれ、これからも貴族として生きていくエリクには、一生わかってもらえないことはわかっている。私の考え方は、貴族社会では浮いている。夢見がちな女と云われたら、それまでだ。
「王子と結婚すれば将来安泰だ、ルーガーデン家も地盤から起こせる可能性がある」
二男であるが故に貴族社会の泥を平然とかぶって来たエリクは、非常に現実的だ。貴族と云うものは家のために生きている。家がなくなるイコール死を意味する。それはつまり、王族と同じだ。地位を守るためなら汚いことをして生き延びる、それが貴族と云うものだ。おそらく普通の家では、それを嫌だと思う間もなく刷り込みで貴族社会に慣れるのだろう。だが私にはどうしても無理だった。それほどまでして残したい家なのかと訊かれると、私には答えが見つからなかった。自分に嘘を吐いてまでこの家を残さなければならない理由がない。
「ルーガーデン家なんて、それこそ要らないわ」
ここまで自分の家を貶められる貴族と云うのは、もしかしたら私しか居ないかもしれない。そう思いながらも、どうしても取り戻したいと云う欲求は湧いて来ない。あの家で私が心から名残惜しく思うものなど何もない。
「それより、あんた、どうして私がここに居ることを知っているのよ」
そっちの方が大問題なのだ。いきなり押しかけられて驚いたものの、昔の馴染みでさも自然にお茶まで出してあげてしまった。私に給仕されることを不思議がりながらも、かしずかれることに慣れているエリクは、すっかりお客様と化している。エリクは貴族だというのに下町の家にまで来てくれた唯一の友人だ。無下にはできない。
「どうしてって、そりゃシャルル・サンドリヨンが登城したからさ」
まさかの一言に、本気で視界が歪んだ。あの引きこもりが唐突に「お呼ばれ」して出かけたから怪しいとは思ったが、まさかそんな核心にまで及んでいるとは想像すらしなかった。基本的にあの面倒くさがりは、国家権力に呼び出されてもたいていが辞退してしまうことが多いのだ。シャルル曰く、「人間のわがままには付き合っていられないよ」らしいが、そう云う本人が一番わがままだ。
「召喚状を持参していたから、もともと目をつけられていたんだろう」
それにしても昨日の今日ではタイミングが良すぎる。
「まぁでも、おまえの保護先がわかって殿下は安心し、シャルル・サンドリヨンにしばらく身柄を預けることで合意したんだ」
「しばらく預けるってどういうことよ」
「さぁ、詳しいことは妖精使いに訊いてくれ。しばらく預かると譲らなかったのは妖精使いの方らしい」
相変わらず何を考えているかわからない。あんなでも城下町に唯一居る妖精使い、王子と知り合いだと云うのは聞いていたが、そこまで強気に出られる理由も出られる意味もわからない。帰って来たら徹底的に問い詰めなければならないが、またのらりくらりとかわされるだろうか。
それよりも。
──居所を教えないってのは苦労するだろうが、俺もおまえの正確な居場所は知らないからな。それ以上問い詰めようがないだろう、問題ないさ。
あの戦士と会った翌日にこの動き、と云うのが気になる。担保にと戦士の証を預かったものの、やはりあの時逃げるべきだったのかと疑い始めてしまう。疑心暗鬼に満ちた貴族を嫌いながら、結局私もその中で生きて来た人間だ。そう簡単に人を信じることはできない。早くもまた、会わなければならないようだ。
「ただいまー」
と、タイミング良くエオリオが帰って来る。渋々私を一人残したエオリオだったが、心配だからすぐ帰って来るとあまりにも過保護な約束通り、だいぶ早く帰宅している。
「ああ、エオリオ、久しぶりだな」
「なっ……なぜクラーキン公爵がいらしているんです」
「僕は公爵じゃあないって何度云えば覚えるんだよ、おまえは」
他人に見える妖精と云うのはやはり特別で、エオリオは貴族間でも異種として見られていた。他人の妖精と云うのは誰も見えない、だからこそ本当に妖精なのかと正体を疑われたこともある。しかしここは妖精の加護によって生かされている国である、流石に貴族らの妖精もエオリオを畏怖しているらしく、汚い暴力行為は行われなかった。私からすればただの過保護な柔い妖精なのだが、同族の妖精はエオリオを見ると頭を下げるなどしているので、妖精の世界では本当に高位な存在なのだろう。エリクの守妖精が、エオリオの気配を敏感に感じ取って頭を下げたのが見えてしまった。そんな妖精がたかだかなんの変哲もない人間の守妖精をやっていること自体、この国では異様なことだった。
しかしその異様さも受け入れ方は様々で、恐れて遠巻きにする貴族も居れば、不思議がって興味津々で近寄って来る者も居る。エリクは後者だ。その興味の持ち方が、純粋なる好奇心から来る人はなかなか珍しかったため、エオリオも彼には弱い。またクラーキン公爵家は私の家と爵位は同じだが、歴史が古い上、代々長男が必ず男児のため血の強さを誇りにしている。
「いろいろとややこしい事態になっているみたいね、あの妖精使いの所為で」
「やっぱり! マスターはいつも信用ならない」
「妖精から信用されない妖精使いってどうなんだ?」
もっともなことを云われても困るが、シャルル・サンドリヨンの信用度は誰でもたいていそんなものである。
・・・・・
「よぉ、来たな」
エオリオを説得しエリクを見送った私は、戦士の自警団に行くため通りかかった公園で、実にわざとらしく例の怪しい戦士ルシファに会った。恰好が戦士にしては上出来なだけに、客観的に見ると何所かの貴族が悠々遊びに来ているかのようだ。
「そんなカリカリした顔をしてると、幸せが逃げるぞ」
「既に逃げているわよ」
貴族の令嬢らしく、などと云う作法は下町に来てから既に忘れてしまった私は、開口一番に文句が出て来る。
「どうせ怒って殴り込みに来ると思ったからふらふら待っていたんだ、まぁ座れよ」
私の怒りなど簡単に受け流したルシファは、さも自然に公園のベンチに座る。片手に持っているドリンクは市場で買ったのだろうか、目の前でドリンクを作ってくれる店もあり、以前から気になっているものの、外で飲み物を飲んだことなどないので結局買っていない。
「ほい」
だからいきなりそのドリンクを渡されて、私はまたしても出鼻をくじかれる。
「無愛想だがナティアのドリンクは文句なしにうまいぞ」
「でも貴方にもらう理由もないわ」
「俺に怒りに来たんだろう。わざわざ出向かせたんだから、それぐらい奢らせてくれ」
先にそんなことを云われてしまっては、やはり勢いに任せて来ただけに気がそがれてしまう。短気で気が強くて疑心暗鬼なんて、自分でも最低な性格をしている。少し気持ちを落ち着かせるために、手渡されたジュースに口をつける。
「……あ、おいしい」
自然と漏れた声に、ルシファはにやりと人の悪い顔をする。
「だろう、城下町の市場は最高だよなぁ」
「それについては文句ないけど、私の厄介先の莫迦が呼び出されたことには文句が云いたいわ」
「文句から聞こうか?」
「それより事の顛末が聞きたいわね」
ばっさりと切り捨てれば、ルシファは肩をすくめて小さく笑う。
「俺は約束通り、おまえをこの近辺で目撃したと云う情報を大元に伝えただけだ。まさかそこからシャルル・サンドリヨンの名前が出て来るとは予想できない」
「シャルルってそんなに有名だったの?」
「有名と云うか、まぁ一種の記念物みたいなものだな。唯一居場所のわかる妖精使い。国と妖精使いの間を取り持つのがシャルル・サンドリヨンだ」
長い付き合いになるが、相変わらずわけがわからないし変人の部分しか見えていない。シャルルが城下町に居るのはそういった役割があったのかとようやく納得する。国家と関わることをやめた妖精使いは何人居るのかもわからないが、ひとまず一所に留まらず行方を晦ましている。ひっそりと暮らしている場所を知っているのは、同じ妖精使いであるシャルルだけなのだろう。あの変人にそんな重要性があるとは知らず、堂々と居座ってしまっているが、今さらお邪魔しましたとも云えない。
「そのシャルル・サンドリヨンとつながっていることが国に知られている時点でお手上げだ」
「そうね、国が調べたらそれぐらいわかるでしょうし、知っている可能性もある」
これでも以前は貴族だったし社交界にも顔を出していたから、王城の重役も顔を知っている人は何人か居る。王族に限っては仮面舞踏会だったり昔過ぎたりして、しっかりと顔を覚えていないが、それでも向こうが覚えている可能性はある。妖精に好かれ易い体質に悩まされ、父は唯一の妖精使いのもとへ私を連れて行った。妖精使いはただ単純に珍しいと云うだけだから、王族と違って別に敬う存在ではないが、妖精使いへ会いに行くと云うのは滅多にない話だ。あのくだらない社交会の話題に上った可能性だってある。
「だからあの妖精使いが何をどう話したのかについては、本人に訊いてくれ」
「その本人が帰って来ないから外に出て来たんじゃないの。と云うより、シャルルが王城に出向くこと自体珍しいわ。何か怪しいもの」
城からの召喚などいつもはたいてい無視すると云うのに、今回に限ってなぜ素直に登城したのかわからない。もともとあの男の基本属性は気まぐれだから、考えても意味はないのかもしれないが、それでもじっとはしていられなかった。
「まぁ俺から何も話を聞けないって云うのはわかっただろう。大人しく本人の帰りを待っていた方が良いぞ」
「ご親切にどうもありがとう」
とげとげした気持ちが隠せないでいると、ルシファは苦笑する。
「そんなに怒るなよ、王子に嫁入りするのがそんなに嫌なのか?」
「嫌に決まってるでしょう、やっと貴族じゃあなくなったのに、王族になるなんて」
これ以上汚い人間になりたくはない。莫迦にはなりたくないが、価値のない人間には特になりたくない。貴族なんて実際に生きていく上でなんの価値もない。
「と云うより、結婚話なんてもう終わっているでしょう。侮辱罪も良いところなんだから」
後は罰されるだけだと思っていたのだが、ルシファとエリクによるとルーガーデン家長女失踪事件が一大事であって、別段私を罰する気持ちはないらしい。あんな高位な人間が表立ってやりはしないだろうが、話を聞きたいと云って罰する可能性はある。単に御取り潰しだったルーガーデン家を完膚なきまでに抹消されるとか、城下町への立ち入りを禁ずるとか、どれも手ぬるいものではあるが、そういうペナルティがつけられることはだいたい察している。
しかしルシファはまた不思議そうに小首を傾げる。
「いや、まだ問題なく、花嫁候補のままだぞ」
「……冗談でしょう」
「第一王子も、もう24になる。第二王子も控えているから、今回の舞踏会で相手が見つからなかった場合、それなりのお家柄のそれなりの御嬢さんと結婚の話を進めるものだ。そういった話はまったくないから、おまえはまだ立派に第一王子の花嫁候補だ」
「舞踏会で逃げ出しただけじゃあなく、登城を無視して逃げている女を未来の王妃にしようとしているわけ?」
「そういうわけになるだろうな」
あっさりと頷かれて、また頭がくらくらする。王子も莫迦な貴族の中で育った莫迦な王子なのだろうか。家を滅ぼした女を王妃にするなど、正気の沙汰とは思えない。
──お嬢様、これでルーガーデン家は終わりになってしまいますが、よろしいのですか。
父の秘書レオノフに、そう宣告されたことを思い出す。だがそれでも、がむしゃらに頼み込んで努力すれば、ルーガーデン家を残すことはできたかもしれない。それこそ婚約者候補であったエリクを婿にすることで、高貴なる血をさらに高貴にして絶やすことなく続けられたのかもしれない。だが私は頼むこともせず、父の再婚相手と共に下町へ移住し、下女のような生活をしていた。父が必死に守って来た家を自ら捨て、自分を貶めて滅ぼしたのだ。
「家を滅ぼした女を王妃にするなんて、国を滅ぼしたいとしか思えないわ。いっそもう城に乗り込んで頭大丈夫ですかって訊いて来ようかしら」
侮辱罪覚悟だっただけに、考えれば考えるほど、どんどん無礼なことを思いついてしまう。
「まぁでも確かに、そうして聞くと正気の沙汰とは思えんな」
「でしょう、誰も諫めないのかしら」
結婚相手にそこまでこだわる王子と云うのも、私が知る限り前例がない。むしろお見合い結婚並に、あっさりと舞踏会なり打ち合わせなりで王妃は決定していたはずだ。まぁここまですったもんだになっているのは私が逃げたのが原因なのだが、王子も相当な変わり者であることは認めても良いと思う。
「おまえはどうしたいんだ」
「え?」
「貴族なりたくないのなら、おまえはどうやって生きて行くんだ」
相変わらずのんびりとした姿勢のままだが、真剣な目で訊かれて私は思わずその瞳を見つめてしまう。まただ、と思う。この美しい群青の瞳を何所かで見た覚えがあるのだ。ただ何所で、いつ、という肝心なものがぱっと出て来ない。
どちらの答えも見いだせないままに黙っていた私たちの前に、すっと影が落ちる。はっとして目の前を見ると、小柄な少年が満面の笑顔で立っていた。
「昼間っから良いご身分ですね、こんなところでデートですか」
背丈は私より少し下ではあるものの、身にまとう雰囲気は騎士や戦士に近しいものを感じる。騎士ではないと一目でわかったのは、背に大剣を掲げているからだ。城からの命令が多い騎士では、あんなにも既定外の大剣を掲げることはそれほどの地位がなければできない。彼の身体には大きすぎるぐらいだ。
「あれあれ、羨ましくて出てきちまったのか」
「そうですねー、サボってばかりの上司が居ると世話役はとても大変なんです」
あくまでにこにことしているものの、少年は明らかに怒っている。それに気付いていながらも平然としているルシファは相当に意地が悪い。
「昼の休憩ぐらいあっても良いだろー」
「兄上の場合は休憩しかしていません、次の見回りは一人で行かせますよ。また油を売って!」
「売ってない、売ってない。散歩だ、散歩」
「いつもそんなにふらふらされていたのでは、いざと云う時見つからなくて困ります!」
さあさあと手を引かれて、立つ気もなさそうなルシファが引きずられている。大剣を掲げているだけあって、力もあるのか少年より倍近くあるルシファを簡単にベンチから立ち上がらせると、私を見て軽く頭を下げる。
「すみませんがこの人これでも仕事中なのでお預かりしますね」
「え、ええ、別にかまわないわ。むしろごめんなさい」
と云うより、堂々仕事をさぼってここに引き留めてしまったことの方が申し訳なく思う。
「そこは止めろよ、俺は働き過ぎていると思う」
「余計な仕事ばっかりしているからですよ、分担に従ってください」
「ああもうわかったから引っ張るなって……」
さようならを云うタイミングすら失い、私は随分と間の抜けた顔のまま立ち上がりもせずに二人を見送った。
「兄上……?」
訊く間もなく今さらのように気付いて、思わずひとりごちる。もらったドリンクを一口飲むと、トロピカルジュースの甘さが残った。
・・・・・
謁見の間はたいていが国王と会うために使用されるものだが、最近ではもっぱら第一王子がそこを使うことが多い。と云うのも、国王も最近は書類仕事ばかりで表に顔を出さない。政権交代と云うわけではないのだが、ラウも良い年なので、そろそろ前面に顔を出し始める時期と判断してのことだ。王代理を務めることが多くなっている。
しかし今日こうして謁見の間に座っているのは、王の名代としてではない。重い扉が開かれたかと思うと、相変わらずの真っ黒い衣装に包まれて、その男は現れた。
「妖精使いシャルル・サンドリヨン、召喚に従い登城致しました」
「突然の呼び出しで申し訳ない」
「いいや、別に。どうせそのうちには来ると思っていたことだからね」
にっこりとシャルル・サンドリヨンは笑う。初めて会った頃から変わらないその顔は、時間が経ったことすら忘れさせる。妖精使いは時限も別にして生きているため、人間とは年の取り方が違う。初めて会った頃と変わらない顔を見ると、自分がまだ子どものような気がして、ラウはやはりこの妖精使いがどうも苦手だった。
「貴殿の家に、シルビア・ルーガーデンが居るのではないかと尋ねたかっただけなんだが」
「なら家までくれば良かったのに」
くすくすと笑いながら云われて、ラウは小さく溜め息を吐く。久しぶりに会ったが、相変わらずの喰えなさに気分も落ちる。
「あれあれ、噛みついて来ないなんて、王子も随分腑抜けたねぇ。あんなに威勢が良くて煩かった王子は何所に行ったのやら」
「煩いのはおまえだろう、仮にも謁見という形だから抑えているのに」
「私はあの子と一緒で着飾ったところは嫌いなんだよ、話すのなら正直に頼みたいね」
「許されるものなら今すぐにでも強奪しに行きたいところだ」
「やめなって、あの子は望んでいないんだから、本当にしつこいね」
ならば正直に云おう、嫌い合っているのはお互い様だ。最初はラウが子ども心から反抗しただけなのだが、気付けばそのまま成長してしまって今もまだどうにも気に喰わないと云う意思が働いてしまう。口を開けばこんな調子だから、余計に苛々とする。
「俺はただ、約束を守るだけだ」
「それはご苦労なことだね、どうせ忘れられているのに」
いちいち厭味ったらしい核心を突かれるのは、相当に怒らせているのだろうか。しかしそれならばこちらだって腹が立っている。シルビアを守れるのは自分だけだと思っているその傲慢さ。もちろん妖精使いという立ち位置からしてそれは正しいのだろうが、ラウにはどうしても、その態度が我慢できなかった。
「とにかく、シルビアはしばらく私が預かる、今の君になんてなおさら渡せない」
「ルーガーデン卿も守れなかったおまえが守るのか」
「それはお互い様だよ。それにね、私はあんなどろどろした世界に入り込んだ覚えはないよ。それは君の領分だ」
「そこまで責任転嫁されるとは思いもしなかった」
「シルビアには悪いけどね、ゴルデアも私にとってはただの人間に過ぎない。だからゴルデアが死んだ原因までは気にしていないよ。まぁあのトレメイン家だったっけ? あの後妻連中は少々、手を下してやりたいとは思っているけどね。まったくゴルデアも酷いことをしてくれた」
風変りな妖精使いは、普段からのらりくらりとわけのわからないことばかり云っているが、それを表向きとして生きていくには確かに正しい。口を正直に開けば、こんなにもどす黒い。本人が嫌う「どろどろした世界」の住人に充分なれるだけの汚さを持っている。所詮はこの国に存在している妖精使いだ。
もっともこの男がそれだけ汚くなれるのは、シルビア・ルーガーデンのためだけだ。長い歴史の中で人間に嫌気が差してしまったシャルル・サンドリヨンは、人間など歯牙にもかけない。それでも城下町に居続けているのは、ただ単純にシルビアを守るためである。他の妖精使いと連絡を取るような事態にはなっていないから良いようなものの、もし連絡を取りたいと云ったところで、この男はよほどの事情でない限り動こうとしないだろう。
「トレメイン家に関しては目下調査中だ」
「知っているよ、ラウド王子がちょこまかしているのをよく見る。でもねラウ、そんなの私にはどうでも良い」
メルク・トレメインがどういった思惑でゴルデア・ルーガーデンと再婚したのか調査しているものの、そう簡単に答えが出て来ない。メルク・トレメインは夫を殺害した容疑がかかり騒ぎになったことがある下位の貴族だ。同じ貴族とは云え、ルーガーデン家とは天と地の階級差がある。もう女性しか居ないトレメイン家が存続しているのは、夫殺害の容疑が冤罪であったため、女主人としての貴族地位を特別に許されたからである。調べれば調べるほど綿密に隠されていて、誰がそこまで周到に隠せたのかと不思議に思うほどだ。
しかしそんな理由すら、妖精使いにはどうでも良いことらしい。シルビアを下女扱いしたあの女たちを、シャルル・サンドリヨンは一生許さないのだろう。
「頼むから私怨は全部終わってからにしてくれ」
「云われなくてもわかっている、シルビアに怒られたくはないしね」
「そうだ、シルビアがトレメイン家にされるがままになっていた経緯が知りたい」
シルビアならば嫌なことは嫌だと云う、それは結婚を断られずとも知っている性格だ。再婚は仕方ないにしても、嫌ならばあの時点でシャルル・サンドリヨンを頼ることもできたはずだ。最もな疑問であるはずなのに、妖精使いは小さく溜め息を吐いただけだった。
「もうこんな時間か、長居をし過ぎた気がする。邪魔したね」
唐突過ぎる対面の終了に面食らって、ろくに言葉すら思い浮かばない。
「サンドリヨン」
「……そんなこともわからないなら、私は君を本当に認めないよ。莫迦だね」
冷酷な妖精使い、そう云い切っても良いほど、シャルル・サンドリヨンの瞳は冷ややかだった。