Ⅰ時 偽物のシンデレラ
夕暮れ時の市場は、非常に込み合う。世界の中心ならまだお昼すぎと云える時間ではあるが、この北大陸では太陽の光がとても貴重だ。日が暮れる前にと市場へ来たのだろう、既に何所からこれだけの人が来たのかと驚くほどのにぎわいだ。もちろん、私もその一人。
「ねぇ、エオリオ。明日のお菓子はどっちが良いかしら」
右手にはりんご、左手にはぶどう。昨日は梨を食べたから、それ以外に良い色艶をしているのがその二つだった。お菓子の果物選定は、一日のうちでも非常に大切な仕事である。
「昨日も食べたけど、やっぱり梨も捨てがたいわね。シャルルの好きなコンポートにするべきかしら」
「……」
「エオリオ、聞いてないわね」
相変わらずの無反応であちこちを見回しているので、わかり易く声のトーンを落として呟いてみると、エオリオは慌てたようにこちらを向いた。
「……え、あ、聞いてる聞いてる!」
「そう、じゃあどう思う?」
にっこりと微笑んで両手のフルーツをかざしてみる。
「俺はりんごが良いと思う、良い匂いがする」
「そう? じゃあ私が提案したのはどう?」
「……え、あー、それでも良いと思うけど!」
取り繕ったように返事をして笑うエオリオに、私も負けじと微笑んで返す。すると次第に、エオリオの笑顔が申し訳なさそうにしぼんで行った。
「……ごめん、シルビア」
「最初から聞いてなかったって云えば良いじゃない」
私より頭二つ分大きい身体を縮こまらせている様は滑稽だ。明らかに不審な行動をしていたにも関わらず、気付いていないと思うほうがおかしい。
「あんたも少しは気抜きなさいよ、これだけの人なんだから、そんなに逆立てていたら逆に目立つわ」
「ごめんね、シルビア」
何度云ったところで意味がないと云うのに、一緒にでかけると必ずこんなやり取りになる。エオリオにも悪気がないのはわかっているが、私の努力を台なしにされてしまうのは少し困る。と云うか、だいぶ困る。
「あくまでも自然に、買い物に来ているんだから、もう少し堂々としてなさいよ」
「シルビアは単純に考え過ぎだと思うよ。ここは追っ手の管轄なんだから、もう少し緊張感持たないと、俺の力だって確実に効いているってわけじゃないからね」
まるで子どもに忠告するかのように叱られるのもまた毎度のこと。私が怒っていたのにずるいと思いながらも、事が事だけに反論する立場にはない。
「大丈夫よ、今の私は、ただの買い物客なんだから」
ただ買い物をしに来るだけで厳戒態勢に入られると困る。だから本当ならエオリオは置いて行きたかったのだが、今日はどうしても付いて来ると云って聞かなかった。
城下町に来てから初めての休日、人のにぎわいはまたいつもの比ではない。それはもちろん、明るい笑顔が増える日。だがそれと比例して増えるのが、窃盗などの犯罪という事実。けれどエオリオが心配しているのは、犯罪に対処する憲兵が増えていることである。休日は騎士団と契約している戦士も居る。国の機関とは異なり、自治体が抱えている凄腕の剣士集団だ。休日の彼らは、窃盗犯などの捕縛やたまに出る暴れ妖精の処理にと忙しい。守ってくれる市民にはありがたい話だが、その騎士団から逃げている身の上としては、非常に出歩きにくい。
「シルビア」
「説教するならあんまり名前を呼ばないで、それこそ足が付くわ」
私はシルビア・ルーガーデン、舞踏会で王子に求婚され逃げて来た者です。と云いふらして歩いている気がして、思わず口調も尖る。舞踏会で王子に求婚されるなどとてつもない名誉で、貴族の女性なら誰もが憧れる話だ。
──あの舞踏会で出逢った異性とは、最後の恋に落ちる。
現在の国王両陛下の仲睦まじさから下町ではあの舞踏会にそんな噂すら流れていたが、貴族の間では当然出来レースという形で知られている。要するに現国王は、以前お忍びか何か、表沙汰にはできない何所かで出会った上流階級ではないグレナンデス家の令嬢を、見初めてしまっただけのこと。家柄を問わず堂々と求婚できる場所と云ったら、あの舞踏会しかない。つまり這い上がるチャンスがある。だからこそ、誰もが舞踏会に憧れる。
けれど私には、這い上がる気力もない。ルーガーデン家も元は王族に連なり古くからある名家だったが、半年前に父ゴルデア・ジズ・ルーガーデンが事故で急逝、次なる世継ぎに男児が居なかったため、貴族としての地位は剥奪されてしまった。子どもが女の私しか居ないこと、そして私が婿をもらっていないことが、致命的になったのである。
けれど私はほっとしていた。あの嘘だらけの貴族社会からようやく逃れることができた。男社会で体裁ばかり気に掛ける、そんな貴族の生活が心の底から嫌だった。だからこそ今もこうして王子から逃げている。権謀術数の貴族の国サントラガル、王族なんて汚いことばかりだ。特にこの国の王族エヴァンフレスキー家は、この北大陸内でも結構な年数の歴史を誇っている。権威があるのは結構なことだが、そのため犠牲にして来たものも数多くあると云うことだ。そんなものに嫁ぐ気など、私にはない。
「で、結局どれが良いの?」
ずいともう一度、フルーツを差し出した。まだ心配そうに周りを見るエオリオに、少し苛立っているのもある。私の守妖精は昔からどうにも過保護過ぎていけない。
「……りんごにしよう」
「決まりね」
本当はどっちでも良いような雰囲気だったが、ここで蒸し返していたらいつまで経っても帰れない。加えて混雑の中あまり店の前に陣取るのも申し訳ない。私たちは買い物を済ませると、市場を後にした。
サントラガル王国の城下町エヴァンは、街の象徴である城を中心に、一般庶民が住んでいる。市場や店が立ち並ぶ庶民的な並びと一緒にできないからか、貴族のお屋敷は馬車が必要なほど離れたところにある。だからここを通る馬車は貴族のもので、庶民はそれにだけ気を遣って避けていれば良い。城下町を守る騎士団はしょっちゅう辺りを見回りしているし、城勤めだからと別段敬い気遣う必要はない。気軽に横を通って問題のない相手だ。
「だからこの時期を狙った理由を申せと云っているのだ」
だけど私は、残念ながらその気安いはずの騎士とは簡単に話すことができない。狭い路地裏で、窃盗犯に説教する騎士が立ち去らないかと、買い物客のふりをしながら待っているしかない。しかし既に日は暮れ始め、そろそろ帰宅したい時間である。
「長そうだね」
「長そうね」
問題なく横を通っても良いのだが、二人で路地は埋まってしまっているので、声をかけなければならない。それが少し勇気の要ることなのだ。エオリオの後ろに居れば気が付かれないとは思うのだが、この時期何所もかしこも忙しくてぴりぴりとしている。できることなら接触は避けたい。
「隣の路地から回り道しようか」
「その方が早いかもしれないわね」
店の物色を諦めてエオリオと通りを歩き始めたところで、
「そっちに逃げたぞ!」
「追え!」
ばたばたと騎士が向こうから駆けて来て、風のように去って行った。雑踏をものともせずに駆け抜けていく姿は、流石と云うべきなのだろうか。
「いつもこんなに大変なのね」
「シルビアは馬車に乗ってたから知らなかっただろうけど、たまに止まったりしていたのは窃盗犯が多かったからだよ。舞踏会の時期は特にね」
舞踏会が開かれるのは毎年冬の寒さが来る前、9の月。舞踏会で求婚して晴れてご成婚となればおめでたい。寒くなる前に心が晴れるようなニュースを届けたいというものらしい。王族の結婚で心温まるのは、純粋な下町のお嬢さんぐらいだろうと思ってしまう私は擦れているのかもしれない。
しかしどうやら擦れたお仲間は居るようで、舞踏会イコール貴族が城下町をよく訪れると云うことに目をつけ、金銭目的で軽犯罪が増えるのが常らしい。以前は馬車に乗る側だったので、私もこうして城下町で暮らすようになってから初めて知ったことだ。守り隠されている貴族の令嬢と云うものは、こういった汚い側面を知らずに、嘘八百を並べ立てて貴族社会の軸を動かさなければならない。えげつないことばかりだ。
「あれ……?」
通り過ぎた騎士を見ていたエオリオが、ふと声を漏らす。
「今なんか、懐かしい子が居た気がしたんだけど」
「……昔の知り合いか何かじゃないの?」
そう考えるとあまり良い気がしない。私に心を割って話せるような友人などあまり居ない。すべてが貴族社会の嘘だらけで、誰も本気で信じられないような世界だ。特に年頃になってからは父の牽制が厳しく、社交界に出ることもなくなった。私とエオリオ、どちらかだけが知っている妖精など存在しようもない。
「うん、そうなんだけど……」
きょろきょろと辺りを見回して、歯切れの悪い云い方が珍しい。
「お義母様たちかしら」
「違うよ、あんなの居ても無視」
人好きな顔をしながらも、ばっさりと切り捨てる。父様が再婚した相手は、よくある地位と財産目当てで、二人居る義姉も良い人とは云えないような家族だった。私に当たって来る三人に対して、エオリオは露骨な悪意を見せた。貴族地位を剥奪された私たちは、父様の莫大な財産を手に下町へと移り住んだが、それでもお義母様たちは優雅な生活を送っていた。私もついこの間まで、そこで暮らしていたのだ。
──あの舞踏会があるまでは。
「良いわよ、見て来ても。私一人でも帰れるわ」
日が暮れかけていてもまだ少しは明るいし、窃盗が多いと云っても、私が持っているのはせいぜい夕飯の材料ぐらいで、すっかり町娘として溶け込めるような大した服装でもないから、窃盗犯が目を付けるとも思えない。エオリオは顔をしかめたものの、どうやらよっぽど気になるらしく、
「すぐ戻るから絶対に待ってて」
と私に背を向けた。騎士団の多い道端に置いて行かれる方が逆に危ない気がするのだが、云う隙もなくエオリオは雑踏を分け行ってしまった。仕方なく、私は近くの建物に背を預ける。あまりの人の多さに、少し酔い欠けていたので休めるのはありがたかったかもしれない。
サントラガル王国が建国以来、一番に誇っているのは妖精に加護を得ている国だと云うこと。世界の中心アリカラーナのように、精霊が国の周りをしっかりと固めて守っているわけではないが、この国の人は誰しも、生まれた時から守妖精が付く。動物のような獣のような、不思議な媒体ではあるものの、生まれてから死ぬまで時間を共にするパートナーだ。自分を守ってくれるパートナーをないがしろにすることはないし、守妖精は自分にしか見えないものだ。
ただ私の場合、生まれつきこの国の妖精と相性が良いらしく、子どもの頃から他人の守妖精が見えてしまっていた。今も人酔いするのはその所為だ。雑踏の通りゆく人々が、普通の人の倍の数見えている。なるべく見ないようにするのだが、うっすらでも見えてしまうものはどうしようもできない。
何十年かに一度、まれに私のような体質の子は生まれているらしく、研究面で実証されていることだが、そんな状況で長い年月を生きるのはなかなかに難しい。そんな人でも人間世界に溶け込んで生活できる調整が必要とのことで、私のもとへパートナーとして来たのは、人型を取れるトップの妖精エオリオだった。妖精の中では最高位らしいのだが、私に対しては相変わらずただの過保護なお兄さんだ。高位の妖精は人間も姿を感じられるらしく、エオリオも他の人に姿が見えてしまうと云う少し特殊な面がある。本来は人間の守妖精などやる地位ではないらしいのだが、少し面倒くさい力を持っている私を守るには、普通の妖精では役不足なのだそうだ。
だからこそエオリオは妖精としてより人間として生きている感覚が大きい。たまには妖精と気兼ねなく話せれば良いとは思っていたから、止めることもできなかった。
(知っている子、かぁ)
少し考えるも思いつかない。お義母様たちの守妖精は悪い子ではなかったが、自分の主に命令されたら妖精も従うしかない。だからエオリオは相当嫌な思いをしている。さっき本人も否定していたけれど、そうなると他に誰が居るだろう。以前付き合いのあった人と云えば、せいぜい学友か、元婚約者候補である。遠い昔ならそれこそ王宮関係者でできるならば会いたくはない。
「そっちだ!」
またしても怒号が聞こえて、思考を中断させられる。表を着飾り生きる貴族社会に居たから、こういった声はどうも聞き慣れず驚いてしまう。市場の呼び込みもようやく慣れて来たものの、最初は怒鳴り合っているのかと思ってびっくりしてしまった。生まれと云うものは仕方ないけれど、自分の非力さを感じてしまって少し嫌である。
もう少し端に寄ろうとしたところで、駆けてきた騎士と肩がぶつかり、持っていた袋からりんごが漏れ落ちる。
「あ……」
「あ、済まない!」
慌てたように振り返った騎士だが、私を見た後に前方も気にしている。
「私は大丈夫だから、お仕事してください」
自然を装ってりんごを拾いながら、顔を合わせないようにする。お願いだから、早く窃盗犯を追いかけて欲しい。たかだかりんごの三つや四つ、自分で拾える。
「……ああ、本当にすまない」
騎士は頭を下げたもののすぐに踵を返して走り去ってしまった。りんごを拾おうとして、自分の手が震えていることに気付いた。
エオリオには強く出ているが、私はとてつもなく臆病だ。こうして外に出て買い物することすら怖い。王族に楯突くなど、いくら元貴族とは云え侮辱罪に値する。ただ舞踏会で逃げただけならまだしも、迎えに来た王子から逃げ出して行方を晦ませている。王子が未だ探しているのは婚約者探しと云うよりも、単に自分に恥をかかせた相手を放置しておけないと云う理由だろう。見つかったらいったいどんな罪に問われるのか、それを考えると本当はすごく怖い。
それでも、知らない王子との結婚なんてごめんだった。臆病な私にも私なりの意地がある。
「あれま、騎士さんってのは優しさの欠片もなくなったんだな」
いつの間にか手が止まっていたらしい。拾おうとしていたりんごがすっと目の前に差し出されて、はっと我に返る。しゃがみこんだ私の前に居たのは、よりにもよって戦士だった。外套に付けられている証を確認するよりも、使い古されたロングブーツですぐにわかった。
「あ、ありがとう」
一応礼を云うも、あまり顔を上げるわけにはいかない。何個か落ちた分を自分で拾い、袋に入れる。戦士は基本的に国に縛られているわけではないが、自治で動いている以上、この城下町の騎士に雇われている可能性もある。あまり顔を晒せる相手ではない。
「騎士ってのはもっと上品に犯罪を片付けるはずだったんだけどな」
「この時期だもの、忙しいのよ。仕方ないわ」
むしろ早く去ってくれて安心していたと云うのに、戦士が現れてしまってはあまり意味がない。落ちた数個を袋に入れ直したところで立ち上がると、彼も立ち上がって私を見る。
「どうもありがとう」
そのまま立ち去りたかったのだが、生憎とまだエオリオが来ていない。袋片手にまた端によると、戦士は少し顔をしかめた。
「人待ちか? こんな時期だ、もう帰った方が良いぞ」
云われてみれば確かに、みんな店を閉め始めているし、こんなところで突っ立っているのは確実に浮いている。だがここを離れるわけにはいかない。
「ええ、もう帰るところよ。もう来ると思うから大丈夫、ありがとう」
「なら連れが来るまでここに居ようか」
「大丈夫だから!」
思わず大声を出してしまい、目と目が露骨に合ってしまった。そこでようやく初めて顔を見たが、年が同じぐらいの、まだ若い戦士だった。
「……ごめんなさい、大丈夫だから戻ってくれた方が助かるわ」
顔を背けながら云う。面倒くさいことに、戦士と騎士は、無駄に張り合うところもある。戦士が居ると騎士が来る可能性もあるので、できることなら早く居なくなって欲しかった。
「シルビア……?」
「え?」
唐突に私の名前を云うので、自然私も顔を上げてしまった。本気で驚いているような群青の瞳を思わず見つめてしまうと、戦士も動揺しているのか、慌てたように取り繕う。
「……ああ、いや。その」
戸惑いながらも、戦士の表情は次第に柔らかいものになる。
「まさかこんなところにルーガーデンのお嬢様が居るとは思わなかった」
どくんと、心臓が跳ねる。
気付かれた。国はもちろん顔を知っているし、かつては顔出しもしていた身分だ。昔の知人に会えば一発でわかってしまう。ちらと青年を見るが、そのすっきりした顔立ちに最近の見覚えは特に思い当たらなかった。逃げるべきか口止めするべきか、どうしたものか動揺が伝わったのか、戦士は軽く笑う。
「ああ、落ち着いてくれ。別に城へ連れて行こうとか、そんなこと微塵も思っていない」
「でも……」
「まぁまぁ、別に騎士団ところに連れて行っても、俺にはなんの利益もない」
そうは云われても、私がここに居ることがこうして赤の他人に知られてしまっていることが困る。ようやく城下町に来て落ち着いたと云うのに、また拠り所を捜さなければならない。そう、なんの取り柄もない私は、誰かに頼らなければまだ生きていけないのだ。
「うーん、信用できないか? まぁでも、身元が無事で安心した」
「安心?」
「ああ、いや、殿下がそれを気にしていたみたいだから。こんな物騒な時期に一人で出て行っただろう。誰だって心配するさ」
「殿下が……心配?」
心配される覚えすらない。むしろ心配するぐらいだったらあんな強行突破な求婚をやめてくれと云いたい。
「心配しているから、未だ捜索しているんだろう」
「え、侮辱罪に当たるからじゃあないの?」
「……あれを侮辱罪だと思っていたのか?」
「ええ、まぁ。意地でも断る気では居たけれど、そうなると思って一応覚悟しているのよ」
当たり前のように思っていたことをなぜかすんなりと吐き出してしまうと、戦士は苦笑を返した。
「……侮辱罪で捕まえようなんて、そんな気はさらさないさ。ただ単純にルーガーデン家お嬢様失踪事件の解決を望んでいるだけだ」
そうは云われても、大人しく城に行く気にはなれない。
「まぁ城に行けとは云わないが、別に指名手配になっているわけじゃあないんだから、そんなに警戒して逃げる必要もないと思うぞ」
「……そうかしら」
「まぁ少しは話の通じる奴に話しておくか。身柄は無事と云うことだけは伝えておけば、問題はないはずだ。向こうも緩和するだろう」
「そんなことできるの?」
見たところ一介の若い戦士である。騎士ならまだしも、戦士はただの雇われの身だ。中には王に縛られることを嫌って戦士になる人も居るが、そういう人々はたいてい貴族との仲が悪い。騎士が貴族を守るならば、戦士は庶民を守る人たちだ。
「まぁ一応これでも誇りある自警団だからな。居所を教えないってのは苦労するだろうが、俺もおまえの正確な居場所は知らないからな。それ以上問い詰めようがないだろう、問題ないさ」
と、戦士は笑顔を見せるものの、私にはまだ不安が付きまとう。つまりこのままの生活を続けていても問題はないと云うのだが、いつかは城に向かわなければならないとも思っている。
私の不安は当然、事情を知っている戦士なら伝わるものだった。
「……そうだよなぁ、こんな通りすがりの戦士、信用できないよなぁ」
「そういうわけじゃあ、ないのよ」
ただ、確実な保証がない。こういったところは、嫌だとは云っても結局は疑心暗鬼な貴族生まれだと自分でも痛感する。
「……あ、よし、ならこれを預ける」
云って戦士はマントに付けていた戦士の証をあっさりと取って呆然としている私の手に握らせた。あまりのことに私は言葉も出ない。騎士団は王の名のもとに団結しているが、戦士は自治体で自分の意思で主を決めて集まっている人々である。その証をあっさりと渡されたことが怖い。
「もしおまえが捕まるようなことになれば、こいつを迎えに来た騎士団にでも出してくれ。少しは騎士団にも効力がある自警団だから」
「こ、こんな大事なもの預かって平気なの?」
「平気、平気。だからおまえは、安心してしばらく生活して居れば良い」
そう云って笑った顔が意外に幼く、ふと何所かで見たことがあるような気がした。この綺麗な群青の瞳を以前何所かで見た気がする。そう、昔、何所かで。
「ああ、もう! なんでまた寄り道なんてしてるんですか!」
訊いてみようかと思ったところで、怒声にも近い声が飛んで来て思わずびくついてしまう。戦士は慣れたように手を上げて、「今行く!」と手を上げた。
「済まない、じゃあ俺はもう行く。くれぐれも無理はするなよ」
上げた手をそのままに手を振られて、私はぼんやりと見送ってしまう。戦士の行く先にも、待っているのはさらに若い戦士らしい人だった。しかし待ち人のところへ行く前に彼は振り返って、
「ああ、俺はルシファ。中央自警団で世話になっているから、なんかあればいつ来ても良いぞ」
ご丁寧にもまた手を振って、今度こそ去って行った。
唐突にもらった情報が大きく膨大で、私の頭では少し整理し切れていない。今のはただの白昼夢だったのかと思うほどに現実味がなかった。ただ手元にある戦士の証明は、すべてを現実だと語っていた。
・・・・・
サントラガル王国の城、サントラガル城。次期国王とされるラウ=ルイシファード・サントラガル第一王子は、ここのところ自室では何やら憂い顔である。もちろん外に出る時は国の顔、たいていは笑顔を張り付けなければならない。だからこそ自室ではようやく気が抜けるとも云えるが、今は気楽と云うよりも考えることが多く、小難しい顔になることがしょっちゅうである。
「殿下、顔が緩んでおります」
宰相ロイジア・スタンダールはここ数日よりもずっと表情が柔らかくなった主を見て、思わずからかってやりたくなったようだ。基本的には国王に付いているが、最近はどちらかと云うとラウとの仕事が多い。久しぶりに見るラウのすっとした顔に、ロイジアも思わず顔が緩んでしまうようだ。
「ああ、済まない」
「シルビア・ルーガーデン嬢を発見したとの報告は、ひとまずの吉報でしたね」
「まぁ、何所に居るかわからないよりは安心した。無事ならひとまず、それ良いんだ」
こんな物騒な時期に身体一つで家を飛び出た彼女のことを、心配しないはずがなかった。それもすべて、自分の責任だと思うと余計にだ。
「逗留先も一応調べは付きました。妖精使いシャルル・サンドリヨンに問い合わせております」
「やはりあいつのところか。……まだ付き合いがあるんだな」
「そう毛嫌いするものではありませんよ、殿下」
「嫌いなものは嫌いだ、あいつを好む奴は居ない。だいたいシルビアが来た時点で知らせも寄越さない辺りが気に喰わない」
「妖精使いは中立地帯ですよ、そうすぐこちらに情報をくれるわけがないでしょう」
「ただ単純に俺への嫌がらせだろう、あいつもエオリオも、シルビアに対して過保護過ぎる」
シルビアの周りには過保護ばかりである。父にしろ、守妖精にしろ、妖精使いにしろ。彼女の力を鑑みるとそれぐらい過保護になるのも仕方ないのかもしれないが、ラウにとっては動き難いことこの上ない。ただ単純に、惚れた女を口説きたいだけなのにこんなにも面倒くさいことがあるだろうか。
「シルビアが城下で見つかったと云う情報は流してくれ。……流せば向こうも動くだろう」
「しかし、ご令嬢に危険が及びませんか」
「唐突に連れ去る、と云うようなことはないだろう。きっとシルビアに接触して来る者が居るはずだ。そこから始めるしかない」
いったい誰がどう接触して来るのか、それを間近で見たいと思うと同時に、それが誰なのか知るのは少し怖いと云う思いもある。だいたいの予想は付いていても、事実と確認するのはまた違う。しかしそんな生易しいことを云っていられる立場でないことは、もちろんラウなりに理解している。
華やかで煌びやかな王室は見せるだけのもので、実際に綺麗なところなどほとんどない。統治者は汚い面で構成されている。そうでなければ、国の頂点に立つことなどできないからだ。それでも、守りたいものを守るという、基本的な軸はある。そのためならどんなにも汚くなれる、それが王族だと思っている。
「だからこそ、第一王子が未だシルビアを探していると云う噂は、いい加減消しておきたい」
「そうですね、すべての飛び火が来るような事態になってしまいます。対処致します」
向こうも向こうで本気だから、本当に消せるとは思わない。ただ、程度を小さくできれば問題はない。庶民は噂に敏感で移ろいやすい。新たな噂が流れたらすぐ消える程度になっていれば、こちらも最小限の犠牲で対処できると云うものだ。シルビアを探していたのは本当だが、それはあくまで行方がわからないからであって、その噂に尾ひれがついて騎士は血眼になって探していると城下でもっぱらの噂になってしまっている。誰が吹聴したのかは不明だが、撤回させて欲しい。
「城内に入れることだけは、まだ避けたい。来ないようにどうにかできないものかと思ってはいるのだが、王子が罰するからと云う理由では後々対処に困るし、うまいものが思いつかん」
「無理して牽制する必要はありませんが、何者かが接触して城に向かわせる、と云うことも可能性としては考えられますね。まぁしばらくは妖精使いに任せるしかないでしょう。あのものなら、彼女を危険にさらすようなことだけはしません」
「……まぁそう、だな」
朗報は転がり込んだものの、あまり事態は好転していない。思わず窓から外を眺めれば、あれほどまでに良かった天気が崩れ落ちている。雷鳴でもとどろきそうな雨模様に、思わず顔をしかめてしまう。
「シルビア……」
無事ならそれで良い。とりあえずはそれで良いのだと、云い聞かせた。