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第七章 「真昼の決闘」


 翌日の昼間。

 ハリーは全身ズタボロになって、町の通りを彷徨い歩いていた。

 その様相はなんだか満身創痍で浮浪者のよう。

 今朝方、ジョーンズの屋敷から帰って来た遊女たちによって、ハリーは袋叩きに遭ったのだ。結局、有り金を全部むしり取られ、無一文で娼館を追い出された。自業自得である。

「あぁ~、痛ぇ……。俺もう、女嫌いになろうかな……ガッテム!」

 鈍い痛みの残った股間を庇いつつ、ぎこちない足取りで街路を歩くハリー。

 通りかかった目の前の酒場から、ギターを持って出てきたコーネリアとばったり遭遇した。

「あれ? ハリーさん?」

 ハリーは引っ掻き傷だらけの顔を歪め、ぎこちなく笑う。

「どうしたんですか? 酷い怪我……」

 心配そうな表情をするコーネリアに、ハリーはころっと態度を変えた。

「いや。まぁ、名誉の負傷ってところかな?」

 こんな状態でも、見栄を張ることだけは忘れないようだ。

「ちょっと、待っててくださいね」

 コーネリアは出て来たばかりの酒場に戻ると、消毒用のアルコールと布を貰って来た。

 ハリーは大人しく手当てを受ける。そのまま二人で、道端にしゃがみ込み、少し話をした。

「もう偵察は終わりですか?」

 そう言えば、そんな設定だったなと久々に思い出す。

「あぁ、そうだな。――さすがに飽きが来たし……」

「え?」

「いいや、何でもねぇ」

 ほぼ一ヶ月間、ずっと娼館を梯子し、入り浸っていたのだ。

 飽きて当たり前だ。むしろ遅いくらいだろう。

「ハリィさん」

「ん?」

 コーネリアはふと遠い目をして尋ねた。

「ハリーさんは父のこと、良くご存知なんですよね?」

「まぁ、実際に会ったことはねぇけどな」

「盗賊だった頃の父がどんな人だったのか、教えてくださいませんか?」

 コーネリアの父――幻のタネン。伝説の大盗賊。

「んー、そうだなぁ……。前にも言ったと思うが、悪党の世界じゃあ〝超〟がつくほどの有名人だよ。タネンの噂話や伝説はそれこそ山のようにあるぜ?」

 ハリーはそのうち、覚えていることを話した。

「政府指定のS級指名手配犯。絶頂期の賞金総額は、なんと百万ドルだったっていう、とてつもない大物だ。とにかく滅法腕が立ち、頭もキレる。おまけに人望は厚く、狙った獲物は逃さない。神出鬼没で大胆不敵、且つ、その手口は芸術品のように鮮やかで、向かうところ常に敵なし。しかしながらその正体は幻の如く、数多の謎に包まれている。――ってな感じでまぁ、俺たち無宿人にとっちゃあ、神様か、英雄様みたいな存在だな」

 コーネリアはどこか寂しげに微笑む。

「英雄ですか……。なんだか、私には想像がつかないです……」

 ハリーは意外そうな顔をして言った。

「そうかぁ? じゃあ逆に訊くがよ、本物のタネンはどんな様子だった?」

「う~ん、そうですね……。父は、実際の歳よりもずっと老け込んだ皴の深い顔で、いつも穏やかに笑っているような人でしたよ。そんなに物凄いギャングだったなんて、とても想像が出来ないくらい体は痩せていて、不自由な手つきで私によくギターを弾いてくれました」

「不自由な、手つき……?」

 ハリーはふと引っ掛かりを感じて尋ね返す。

「ええ。父は右手に障害がありました。握力がほとんどなかったみたいです」

「そいつは、生まれ持った物なのか?」

「いいえ、違うと思います。右手の甲に大きな傷痕があるのを見たことがありますから……。たぶん何かが原因で怪我をして、その障害が残ったんだと思います」

「……」

 ハリーにはそれでなんとなく察しがついた。

 無敵の無頼漢と謳われた幻のタネンが、何故、忽然と裏の世界から姿を消したのか。

 タネンほどの大物が、何故こんな町の小さな農夫に納まって、ひっそりと、まるで隠れるように生きて来たのか。

 ――幻のタネンは、凄腕の拳銃使いとしても有名だった。もともとはガンマンの方で一躍名を上げたあと、それを元手に、彼は盗賊に転身したという話を聞いたことがある。

 つまり、幻のタネンはギャングである以前に、生粋のガンマンだったということだ。

 ――早撃ち0.3秒、暗がりの中、百メートル先の標的にだって百発百中。

 ハリーが革命団の面子の前で嘯いたあのキャッチコピーは、何気にタネンの触れ込みから取ったものだった。もちろん誇張はあるだろうが、とにかくタネンの腕前が超一流であったことに疑いの余地はない。少なくとも、今のハリーよりは遥かに上をゆく存在だったはずだ。

 事故か、それとも撃ち合いに負けてか。伝説の男に何があったのかは分からない。

 しかし、結果として彼は利き腕の制御を失ってしまった。拳銃使いにとって、それはあまりにも致命的だ。同じガンマンだからこそ、ハリーには分かる。

 拳銃を失うこと――。それはもはや、死ぬことと同義なのだと。

「――父は、ただの臆病者ですよ……」

 ハリーは静かにその言葉を聞きとめた。

「……臆病者?」

 コーネリアは頷き、憂いを帯びた清らかな瞳で、足元を見つめながら話す。

「それほどすごい力を持っていたのに、誰も救おうとはしなかった。何も変えようとはしなかったんです……。十年前に今の知事がやって来て、この町の人たちがたくさん殺されました。それなのに父は何故か、もう何もかも諦めてしまった老人の表情で、ただ虚ろに笑っているだけで……。きっと勇気がなかったんですよ。自分が盗賊だったってことが、みんなにバレるのが怖くて。だから納屋に隠してあったあのお宝も、他人の為はおろか、自分の為にすら使おうとはしなかったんでしょう……。情けないですよ、そんなの……」

〝違う。そういうことじゃない〟

 ハリーは心の中でコーネリアの言葉を否定した。しかしこの娘にはきっと解らないだろう。

 ルークや、相棒のゲンジですら理解できまい。ふと、腰のピースメーカーに手を這わせ、その感触を確かめる。

 ――これを失って尚、生き続けなければならなくなったガンマンが、一体どれほど惨めで、矮小な存在なのか……。

 利き腕を失った彼は、同時にすべてを失ってしまったのだ。

 ――伝説の男は、無気力で無関心な、生きる屍となった。

 利き腕を失っても、腕は二本ある。もう片方の腕をまた磨き直せばいいじゃないかと、大概素人はそう考える。

 確かに利き腕でなくとも、死に物狂いで鍛え上げれば、それと匹敵できる可能性はある。

 しかし、そんなことは理屈でしかない。

 実力に起因する、崇高なプライドと過剰な自信こそがすべて。

 今まで積み上げて来たそれらすべてを無に還されることが、一体どれほど屈辱的なことか。きっと心が折れてしまうだろう。

 ハリーにははっきりと見えていた。

 蛻の殻となってしまった一人の男。伝説の無法者。

 あとはただ、死んだように生き、無様に年老いてゆく、英雄の姿が。

 背筋に悪寒が走った。

〝そんなことになるぐらいだったら、俺は迷わず死を選ぶ〟

 死とは美学だ。それによってすべてが清算できる。

 男にとって、死とは最後にして最大の切り札だ。

 ――死に切れずに生き残ってしまうことこそ、本当の地獄なのだ。

「……」

 沈黙を嫌って、ハリーは問いかける。

「オメェ、親父のことが嫌いなのか?」

 コーネリアは小さく首を振った。

「嫌いじゃありません。好きだからこそ、悔しいんです……。せめてあそこにあるお金のことだけでも、もっと早くに教えてくれていれば、ルークのご両親は殺されずに済んだかもしれないんです。もっとたくさんの人が、救えたかもしれないのに……」

 彼女は傍らに置いたそれを大切そうに抱え上げ、微笑んで見せる。

「でも。父は私に、このギターと歌を歌うことを教えてくれました。酒場で歌なんて歌っていても、ぜんぜん儲かりはしないんですけどね、――私は、少しでも多くの人に聞いてもらいたいんです。何も出来なかった父の代わりに……。何の力もない私だけれど、父と一緒に、ほんの少しでも、誰かの支えになれたらいいなと思って……」

 娘は何も知らないのだ。自分の父が疾うに抜け殻だったということを。

 そんな空っぽの男が遺したモノを、大切そうに抱いて、糧にしようとしている……。

〝無知とは皮肉なものだ〟

 ハリーはコーネリアのことを哀れで、滑稽な存在だと思った。

「――ん?」

 ふと気づいたとき、周囲がやけに騒がしかった。

 町の者たちが皆、血相を変えて、一様に同じ方向を目指して駆けて行く。

「なんでしょうか……?」

 コーネリアが不思議そうに首を傾げる。

「さぁ? ちょっと行ってみるか」

 二人がのこのこ後について行くと、向こうの通りに大きく人だかりが出来ていた。

 ざわついた人ごみを掻き分けながら、前へと進んで歩く。

「ハリーさん! コーネリア!」

 野次馬の中にルークとゲンジの姿があった。

「おう、何の騒ぎだこれ?」

 出会い頭にハリーが尋ねると、ゲンジは渋い顔をして、

「エライことになりやがったぜ……」と騒ぎの中心を指差す。

 ――そこには馬に跨ったジョーンズ知事と自警団の行列。そしてその眼前には、貧しい身なりをした三人の若者が、堂々と立ち塞がっている。

 まさに一触即発の剣呑な雰囲気。察しのついたハリーは、声を潜めて今一度尋ねる。

「あの三人、革命団の連中か……」

 ゲンジは黙ったまま首肯した。

「クリス、ヴィン、チコ」

 ルークが三人の名を悲愴に呟く。

「どうして、こんな無茶を……!」

 野次馬のどよめきが大きくなった。

 ――三人が荒々しく声を上げて、ジョーンズに食って掛かったのだ。

「やいジョーンズ!」

「よくもこれまで、俺たちを散々食い物にして来やがったなァ!」

「だがそれも今日で終わりだ!」

 自警団の面子から空かさず恫喝の声が飛ぶ。

「テメェら誰に向かってそんな口利いてんだ!? あぁんッ!?」

 しかし三人も怯まなかった。

「うるさい! お前らは引っ込んでいろ!」

 一連のやり取りを見て、ゲンジはあちゃーと頭を抱えた。

 昨夜、ルークに対して言ったように、他の連中にももっと早い段階で釘を刺しておくべきだった。それなりに力をつけた今の革命団は、己を過信しやすく危険な時期にある。

 ちょんちょんと脇をつついて、ハリーが小さく問い掛けた。

「オメェの教育が悪いんじゃねぇのか、ボンバー先生よぉ……?」

 それに対しては言いたいことが山ほどあったが、今はそれどころじゃない。

 ――三人はベルトとズボンの間に挟んで隠し持っていた拳銃を取り出した。

 途端、それまで一言ととして発していなかったジョーンズの目が、鋭く光る。

「貴様ら、どこでそんな物を手に入れた……?」

 三人は答えず、敢然と声を張り上げる。

「俺たちと勝負しろジョーンズッ!」

「ここで逃げれば、お前は卑怯者だぞ!」

「かかって来い腰抜け! 町中の笑われ者になりたいのか!」

 自警団の連中もいよいよ殺気立った。

「いい加減にしろ屑どもッ!」

「お前ら、こんなことしてただで済むと思うなよ!?」

 傍らに控えていた秘書のジョナサンが冷静な口調でジョーンズに耳打ちする。

「知事、構うことなどありません。即刻始末させます」

 ジョナサンがちらりと目線を送る先にはエレンがいた。

 相変わらず無機質な表情で、からくり人形のように非人間的な何かを感じる。

「……」

 既に目の前の三人は、彼女にとって必殺必中の間合いにあった。

 あとは最後の指示さえ受ければ、一瞬にして殲滅出来る状態だ。

 しかし――。

「待て」

 手下どもを一声で制したジョーンズは、颯爽と馬から降り立った。

 その場に居合わせた者たちが全員、思わず驚いた顔をする。

「知事っ!」

 ジョナサンが慌てて呼びかけた。

 しかしジョーンズは貫禄のある歪な笑みを浮かべたまま、焼けついた砂を踏み慣らし、威風堂々と三人の前に正面を向いて立つ。そして背中越しに、低く野太い声で釘を刺した。

「お前らは手を出すな」

 自警団の連中は押し黙り、腕を組みつつ、皆どこか値踏みをするような目で、ボスの実力を拝見する。

「いいぞ?」

 ジョーンズは両手を自由にして、目の前の若者三人に言い放った。

「――いつでも撃って来い。……」

 誰もが息を呑み、痺れるように沈黙した。

 猛禽のような迫力を放ったジョーンズに睨まれ、さっきまで威勢良く喚いていた三人の若者たちは、意図せず小さく後退っている。

 一気に張り詰めた空気が漂い出し、三人の額からは大粒の汗が流れ出した

 必死な形相で、おずおずとタイミングを計っている三人に対し、ジョーンズの挙動は悠然としたものだ。三人を同時に相手するという圧倒的に不利な状況の中、臆した様子などまるでない。その表情は煌々とした自信に満ち溢れ、狡猾に歪んでいる。

「……ッ!」

 タンブリングウィードが決闘の場を白々しく横切ると、一瞬風が凪いだ。

 同時に三人の若者たちが堰を切ったように銃を構える。

 最後の瞬間、三人の目に映ったジョーンズの姿は、未だ何の動作も起こしていないかのように見えた。――裏を返せば、彼らにはジョーンズが銃を抜き構える手際を目視することすらも出来なかったということ。高らかに劈くような銃声が三発。心臓を撃ち抜かれて、短い断末魔とともに死体が三つ、その場に転がった。――

「フゥン……」

 物言わぬ亡骸となって地面に伏した三人の若者を見下ろし、ジョーンズは鼻で笑う。

 手にした拳銃、コルト モデル1851(ネイビー・リボルバー)を熟練した手つきでホルスターに収めると、賞賛の口笛と薄汚い歓声が上がった。

「ヒャッハァアアー!」「お見事ッ!」「キッヒッヒッヒ!」

 見届けた自警団の連中が、可笑しそうに笑いながら手を叩く。

 裏腹に、町の者たちは皆、茫然と固まっていた。

「死骸は切り刻んで豚の餌にする」

『HEY!』

 ジョーンズの意向に従い、自警団の者たちがいそいそと三人の遺体をぞんざいに縛り上げ、馬で引きずって行く。ゲンジは厭きれたように、間の抜けた声を発した。

「おいおい……。ジョーンズの旦那、あんなに腕が立つなんて聞いてねーぞ?」

 ルークが神妙な面持ちで答える。その声は微かに震えていた。

「ジョーンズは、軍人上がりだったと聞いてます……」

「軍人上がりぃ?」

「中でも射撃の腕はピカイチだったと噂に聞いたことがあります。しかし実際に見るのは、僕も初めてですよ……」

 それを聞いたハリーがあっけらかんと言う。

「おい、ゲン公。オメェと同じだな? いや、オメーの場合は軍人〝崩れ〟か? はっはっは」

 緊張感のないハリーに、ゲンジは溜息を吐いた。

「あのなぁハリー? 冗談言ってる場合じゃねぇぞ? テメェだって見ただろう、奴の銃捌きをよぉ? あいつは只者じゃねーぜ。少なくともあの三人は、俺が教えた中でもとりわけ上手い連中だったんだ」

 実際、気圧されてこそいたものの、三人の若者が一斉に銃を構えるその動作は、およそ農民とは思えぬほど鮮やかで、指導者のゲンジでさえも思わず感心するほどに素晴らしかった。

 しかし、ジョーンズはそれを遥かに凌ぐ腕前だったのだ。

 単純に計算して三倍か、いや、それ以上の速度で抜き、且つ正確に心臓を貫いてみせた。

 てっきり腰に提げたあの銃は、威厳を表すための飾りか、せいぜい護身用だと思っていた。しかしあの卓越したファニングといい、あれは並の腕ではない。

「オメェだって勝てるかどうか怪しいぜ? えぇ?」

 ハリーはひらひらと手を振って軽佻浮薄にのたまう。

「ま、勝負は時の運だ。たとえ百戦錬磨の英雄だろうとな、負けるときはあっさり負けるよ」

 ゲンジは半目になって冷ややかに言った。

「それ、遠まわしに自信がないって言ってねぇーか?」

「へっへっへっ、さぁな?」

 どこまでも楽天的に振る舞い、さっさと踵を返して往くハリー。

 ゲンジとしては、ハリーの方が同じガンマンとして何かを感じるものがあったのではないかと思ったが、相変わらずこの男は掴み所がない。

「……」

 ――ルークはぐっと拳を握り締めて、その場にいつまでも佇んでいた。

 死んで行った者たちを尊む、澄んだ眼差し。

 コーネリアは黙って、そんな彼の後姿を見つめている。

 無粋かとは思いつつ、ゲンジは寄って声をかけた。

「気に病んでるんなら、そいつは大きな間違いだぞ?」

 ルークの険しい双眸がゲンジへと向けられる。

 巨漢の彼は冷たくもどこか情を孕んだ口調で言った。

「悪いのは勝手なことをしたあいつらだ。むしろ恨んだって釣りが来らぁ。これで敵の警戒は厳しくなるだろう。しばらくは様子を見た方がいいな」

 ルークは何も答えなかった。

「それとも、……この程度で気持ちが折れちまったのか? んん?」

 何かを振り払うように首を振って、ルークは決然と言う。

「いえ。大丈夫です……」

 ゲンジは不器用に微笑み、ルークの肩に手を置いた。

「……そうか」

 ――――。


 ジョーンズの心中は穏やかではなかった。

 あの三人の若者……。

 どう考えても、ただのみすぼらしい農民としか見えなかった彼らが、一体どこから手に入れたのか拳銃などを振り回し、大仰に立ち向かって来たのだ。

 しかもあれは、明らかに何者かの手解きを受けた形跡があった。この町の民にそんな指導が出来る人間などいない。となればやはり、余所者の仕業か。

 あの程度ではまだまだ、到底敵ではなかったが、問題はそこじゃない。

 正義を掲げたこの町の象徴たる、自らの独裁的な秩序が乱されようとしたのだ。

 どんな小さな波紋すら見過ごしてはならない。畏れを知らぬ愚民どもには、苦痛と脅威の味を体の隅々にいたるまで覚え込ませ、希望や怒りの最後の一欠けらすらも残らぬよう、徹底的に屈服させてやる。ジョーンズは不敵に哂った。

 ――――。



 深夜。

 がらんどうの酒場には小さく薄ぼんやりとした明かりが灯っていた。

 この町に辿り着いて最初に入った店だ。

 一ヶ月前。ここでルークやコーネリアと出会い、金髪のエレンと再会した。

 今日はあの底意地の悪い店主の老婆がいなかったのが幸いである。

 店を閉めようと残っていた若い店員を上手いこと言い包め、客も店員もいない静謐の中で、ハリーとゲンジは呑気に薄い酒を酌み交わす。

「なぁ、ゲン公? オメェ、一体いつの間に子供なんか作ったんだ?」

 傍らには幼い少女が一人、無邪気にトランプを捲って遊んでいる。

 どういうわけか、名前のない少女が一緒について来てしまったのだ。

「まぁ細かいことはいいじゃねーか。ほら、オメェの好きな黒い髪だぜ? 将来、イイ女になるかもしれねぇ」

 ゲンジが軽く笑いながらエンジェルアイの肩を引き寄せて、ハリーの方に顔を向けさせた。

「あと十年ぐらいしたら一緒に遊んであげるからね~?」とハリー。

 意味がわかっていないのか、名無しの娘はにいっと歯を見せて嬉しそうに笑った。

 静寂に囲まれ、間延びした雰囲気の中。

 軽く冗談を交えつつ、二人は気持ち程度に少しだけ酔う。

 溜息を一つ、ハリーが切り出した。

「そろそろ、この町を離れようか……」

 ゲンジはどこか予期していたような、複雑な表情でハリーを見る。

「もう十分だろう。外のほとぼりも大方冷めて来た頃合だし、今がチャンスだぜ?」

 今日の夕方、革命団の連中を緊急招集して、昼間起こったことを伝えた。

 そしてこれからしばらくの間は自警団の警戒が強まるだろうことを話し、各々目立った行動は控えるようにと厳しく釘を刺した。

 しばらくは様子見のため、訓練も休止することとなったのだ。

「これ以上厄介なことになる前に、さっさと町を出ようぜ?」

「……」

 急に喋らなくなったゲンジを見て、ハリーは醒めた表情をして言う。

「まさかお前、情を移したんじゃあるめぇな……?」

 ゾッとするほど冷たいハリーの口調に、ゲンジは引き攣った笑みを浮かべて返した。

「へへっ、まさか……?」

 ハリーは笑わない。無表情で、その目はひどく威圧的だった。

「そうか。ならいい……」

 葉巻を銜えて火をつける。

 天井の灯に向かって、紫煙をぷかぷかと吐き出しながら、平坦に言った。

「なぁ、ゲンジ? ――あいつら、自警団やジョーンズに勝てると思うか?」

 ゲンジは考える。

「そうだなぁ。単純に頭数だけで言えば、いい勝負だろう。ここ何ヶ月かの間に、自警団の団員数は目に見えて減っているらしいし……。一人一殺で上手く行けば、相打ちくらいには持ち込めるかもな?」

「奴らは勝てねーぜ」

 ハリーは冷ややかに断言した。

「理由は二つある。一つは経験値の差だ。――確かに奴らは上手くなったよ。それは俺だって認める。一ヶ月でよくもまぁ、あそこまで育ったもんだな。からっきしハジキを扱えないお前が一体どういう風に教えたらああなるのか。まるで見違えるほどだよ」

 そこまで言ってから、ハリーは張りぼての薄笑いを掻き消した。

「だがな、奴らには肝心の実戦経験ってものが無いんだ。それと引き換え、自警団の連中は皆それなりに死線を掻い潜って来たツワモノが揃ってる。オメェにもよく解ると思うが、その差はでかいぜ? 実際に殺しあったことのない奴らは知らないのさ。――戦い方にあらず、舌先三寸で相手を欺き、己の死地を脱する。つまりはそう、非情な世界での生き方ってやつをな? こいつばかりは誰かに教えられて身につくようなものじゃねぇ。正直者は、馬鹿を見るどころじゃ済まねぇのさ……」

 ゲンジは不本意にもしぶしぶ頷き、そして問うた。「もう一つは?」と。

 ハリーは再び口元を歪めて、皮肉に笑う。

「そりゃあ、――奴らが善人だからだ」

 当然のように言って、細身の悪漢は設問した。

「例えばよ、相手を追い詰めて銃口を向けたとき、そいつが情けなく命乞いをして来たとする。『助けてくれー、どうか命だけはー、殺さないでくれー』ってな? ゲン公、オメェならどうする?」

「もちろん殺すさ。迷わず、すぐにな」

 ゲンジは即答した。実際に彼はそのようにして自警団のチンピラ二人を殺害している。

「俺だってそんなもん、鼻で笑ってぶっ殺してやるよ。一度殺すと決めた以上、泣こうが喚こうが容赦はしねぇ。必ず殺す。――けどよ、奴らにそんな真似が出来ると思うかい?」

 ゲンジは逡巡するまでもなく首を振った。

「いや……。無理だろうな……」

 心優しいあの若者たちは、きっと躊躇してしまうだろうと、確信があった。

「今度は逆に、オメェが命乞いをする立場になってみろ。目の前の敵に一瞬、迷いが生じた。お前ならどうするよ?」

「……返り討ちだ」

 答えは出揃った。ルークの率いる革命団が、ジョーンズ率いる自警団に勝てるかどうか。

 ハリーは結論を締めくくる。

「善人ってのはな、それだけで最初から大損なんだよ。――悪党に勝てるのは善人じゃねぇ。悪党の上を行く悪党なんだ」

 短くなった葉巻を床に落とし、ブーツの底でぐりぐりと踏みつける。

「そんな勝ち目のない戦にこれ以上荷担して、巻き添えを食うのは御免だぜ。下手な感傷はよそうや。そもそも住む世界が違うんだ」

「あぁ、そうだな……」

 ゲンジは軽く笑って頷きつつも、心の底では密かに反発を感じていた。

 確かにハリーの言うことは尤もだ。言うなれば無頼の世界の哲学。ハリーが列記とした悪党だということもわかる。しかし、彼らがそう簡単に負けるとも思えなかった。それはもはや冷静な分析ではないのだろう。いうなれば、彼らに勝って欲しいという、ゲンジの個人的な願望だった。

「――よし。それじゃあ、一つ賭けをするか」

 ハリーはそんなゲンジの心を目敏く見抜いたのだろう。唐突に提案した。

「俺は自警団とジョーンズに賭ける。ゲン公、オメーはルークたちだ」

 ハリーは毒々しく含み笑う。

「賭けに勝った方が、あの納屋の財宝を独り占めにするってのはどうだい?」

 ふと忘れかけていたお宝のことを思い出し、ゲンジは慌ててとりなした。

「あっ、てめぇ汚ぇぞちくしょう! それなら俺も自警団とジョーンズに賭けるよ!」

「馬鹿。それじゃあ賭けにならねぇだろ」

 すっかりいつもの調子を取り戻したゲンジは、ふと傍らにいる少女を見た。

「おいエンジェル。おめぇ、あいつらに賭けてやれよ?」

 ゲンジが優しく促すように言うと、驚いたことに、少女はいやいやと首を振って拒否の意を示した。

「「え~……」」と、さすがのハリーとゲンジも思わず面食らう。

「おいゲン公。このガキ、なかなか賢いぞ?」

「フッフッフ、悪い子だ」

 頭を撫でられ、名前のない少女は嬉しそうに笑う。

 ハリーとゲンジも可笑しそうに笑い、それから具体的な話を始めた。

「まぁ鍵を失敬するのは簡単だろうから、問題はあれを運び出すときだな。人目に付くのは不味い。夜中のうちに盗み出して、陽が上る前にさっさと退散って筋書きが無難だろう」

「しかしあれだけの量だぜ。いくらなんでもいっぺんに持ち出すのは無理があるだろう。少しずつ小分けにして隠すとしても、一体どこに隠せば安全か……」

 二人して腕を組み、難しそうな顔でしばし考える。

 と、そのとき――。

 ドタドタドタドタ……ッ!! ズザザザザーッ!!

 深夜だというのに、表の方から一斉に無数の馬を駆ける荒々しい蹄の音が聞こえてきた。

「なっ、なんだ……?」

 立ち込める土煙。振動で建物がわずかに軋む。

 途端、入り口のスイングドアが蹴破られるように開いて、狂犬のような男たちが怒号とともに荒波の如く押し寄せてきた。踏み込んで来たのは自警団の連中。

 全員、拳銃やライフルを手に、ハリーとゲンジ、エンジェルアイを取り囲む。

「おいおい……」

 ハリーが引き攣った笑みを浮かべ、ゲンジが周囲の有象無象に対して冗談のように言った。

「今日はもう店じまいだぜ? またにしてくんな?」

 郎党の一人、恐らくは古参の者と思わしき男からイガラっぽいお声が掛かる。

「俺たちと一緒に来て貰おうかァ!?」

 三人は状況が飲み込めない。

「一体どういうことだ?」

 ハリーが尋ねると、激しい恫喝が返ってきた。

「とぼけるな!!」

 ――まさか、革命団のことが露見したのか。

「昨日の晩、盛り場でウチの若い連中を二人、殺したのは分かってるんだ!」

 それを聞いて、身に覚えのないハリーは安心したように笑った。

「ははっ、なんだいそりゃ。お前らなんか勘違いしてんじゃねーのか? 俺たちはそんなことした覚えねぇよ?」

 しかし彼らは意に介さない。一人が滑舌の悪い口調でクチャクチャと喋った。

「裏は取れてんだよ。アフロ頭の大男に、頸の骨を折られたってなぁ?」

 それを聞いて、ハリーは愕然と顔色を変えた。

「アフロ頭の、大男っ?」 

 空かさずゲンジの方を振り向き、声を潜めて詰問する。

(おいゲン公!? オメェ、まさか……ッ!)

(……YES)

 ゲンジのすっとぼけた表情は、明らかに身に覚えのある証拠だった。

 ハリーは頭を抱える。

(バカヤロウ! オメェが真っ先に軽率な行動を取ってるんじゃねーかッ!)

(すまん……)

 しかしその軽率な行動のおかげで、今この場にエンジェルアイがいるという事情をハリーは知らない。

「なにをコソコソやってんだっ!? あぁんッ!?」

 とにかく、今はゲンジを糾弾するよりも、この状況をどう打破するかを考えることこそが先決だ。ハリーは冷静に判断する。

 ――相手の頭数は十三人。

 それぞれ武装し、既にその銃口は四方からこちらへと向けられている。

 いくらなんでも、この状況では勝ち目が薄い。

 ふと、ハリーはそこで考えを改めた。

〝そうか。俺は別に関係ねぇんだ〟

 殺したのはゲンジなのだ。自分はその現場に居合わせてすらいないのだから、逃げる必要がないじゃないか。ハリーはそう考え、すっかり安心しきった顔で肩の力を抜いた。

「オラ! 早く立てッ!」

「妙なことは考えるなよ?」

 銃口で小突かれながら、ゲンジが立ち上がる。

「チッ……」

 ゲンジもハリーと同じく、この場で戦っても勝ち目はないと悟ったのだろう。

 ここは大人しく従っておき、反撃の機会を待つのが懸命だと判断した。

 無法者とはいえ、博打だけが能じゃない。ときには冷静な判断と妥協が必要なのだ。

「へっへっへ、じゃあね、ゲンちゃん? さやうなら~」

 ハリーは他人事のように笑って、縄で縛られたゲンジに手を振る。

「チャンスがあったら、そのうち助けてあげるからね~」

 間違いなく嘘だ。宝を独り占めして逃げるに決まっている。ゲンジはそう確信していた。

「けっ! この薄情モンが! ハリィ! テメェ覚えてろよ!? 生きていたら、必ず八つ裂きにしてやるからなァ!?」

「オラ、さっさと歩けこの木偶!」

 巨漢は四方を固められ、のこのこと連行されて行った。

「ふぅ……。あいつはイイ奴だったなぁ……」

 すっかりゲンジを故人のように扱い、気を取り直して再び酒瓶を手にするハリーだったが、自警団の連中が戻って来て取り囲まれた。

「おい!」

「ワッツ?」

「お前も一緒に来るんだよッ!」

 ハリーは慌てて言い訳した。

「ホワイっ!? 俺ッ、関係ないじゃんっ!?」

「うるさいッ! 問答無用だ! 来いッ!!」

 無理やり引っ張られ、「やだやだやだ~!」とハリーは駄々っ子のように暴れて抵抗したが、ガツーンと一発、後頭部に銃のグリップを叩き込まれ失神。間抜けな格好でずるずると引き摺られて行った。

「コラ。お前もついでに来い」

 カウンターの陰にこっそり隠れていたエンジェルもあっさりと捕まり、軽々と抱えられて行った。

 ――――。

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