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第六章 「アウトロー」


 街の景観を一望出来る小高い丘の上に、ジョーンズの屋敷は大きく構えていた。

 自警団の郎党が出入りする一階のラウンジでは、昼間、娼館から攫って来た遊女どもを相手に輪姦パーティが開かれている。

 常人であれば、およそ吐き気を催すだろう、異様な臭気が充満した室内。

 汗と精液と発情した獣の放つ熱気。

 酒と紫煙と麻薬とが混ざり合い、空気はじっとりと湿っていて酷く蒸し暑い。

 自警団の有象無象たちは、バカ騒ぎの中で遊女たちをそれぞれの性癖に応じて嬲り尽くす。

 何人もの男たちに休む暇さえなく犯され続けた遊女たちは皆、もはや声を上げる気力すらなく、無抵抗な人形のようで、ともすれば死んでいるのではないかと思われるほどだ。

 欲望の赴くままに、快楽を貪る輩たちの宴。

 それはもはや人間と呼べる尊厳を持った存在の姿からは、遠くかけ離れた異常な世界。

 そんな中で一人、金髪のエレンは、我関せずと椅子に腰をかけ、グラスに入った小麦色の液体を優雅に傾けていた。

 目を閉ざし、耳を塞ぎ、鼻をつまみたくなるような惨状の中、

 エレンは微塵の感情すら切り捨てた挙動で、平然と酒を飲んでいる。

 まるで最初から、その場には自分一人しかいないかのような佇まい。

 無理に感覚を閉ざしている風でもなく、精神が機能していないのでもなく、彼女はただ普通に過ごしているだけなのだ。どこか数多を超越した清々しさすら感じられるほど、その異常なまでの冷血さと無関心さは、狂った熱気に冒された空間の中、一際浮き彫りとなっていた。

「ケケケ……」

 そんなエレンに、一人の男が近づいてゆく。

 男は自警団の団員で、『痴漢者』の異名を持つ強姦殺人の常習犯だった。

 保安事務所からは賞金つきで指名手配を受けている。しかし、ここでは特別珍しいことでもない。自警団に属する者たちは皆、すべからくお尋ね者だ。

「おぉい、団長さんよぉ? アンタも一緒に混ざらねぇかァ? えぇっ?」

 男は麻薬と女で完全に逝ってしまった表情を、エレンにぴったりと近づけながらニチャニチャ音を立てて笑う。

「アンタも女なら、この光景を見て子宮の奥がむずむずと疼いてくるだろう? なぁあ?」

 エレンは意に介さない。黙ったまま葉巻を一本銜えた。

「ヤニなんか銜えてねぇで、俺たちのぶっといもんを銜えてみなって? 俺は一目見た時から、アンタを犯してみたかったんだ。ケッケッケ! 綺麗な脚だなァ~?」

 男の汚く黒ずんだ手が、エレンの太ももを掴む。

「……」

 ガラス球のようなエレンの目線が、ちらりと男に向けられた。

 男は笑う。そして笑いながら絶命した。顔面を粉々に撒き散らし、どさっと床に沈み込む男の体。その場に居合わせた者たちが、一同唖然とする。屍となった男自身、一体ナニが起こったのか、理解する間もなく絶命したことだろう。僅かに鼻腔をくすぐる硝煙の香りだけが、たった今起こった出来事を指し示す残滓。

「トーマスっ!!」

 数秒遅れて、既に物言わぬ男の名前を呼びかける声。

「テメェ……!」

「殺りやがったなッ!?」

〝痴漢者〟の異名を持つトーマスと親しかった者たちが睨むのは、何事もなかったかのように葉巻を燻らせ、酒を飲んでいるエレン。

「クソッタレが!」

 ばたばたと拳銃を手に立ち上がろうとする男たち。その数は六人。うち五名が、声を上げる間もなくその場に倒れて沈黙した。火を噴いたのは漆黒のコルトSAA。新たに転がった五つの死体は、その弾倉に残っていた弾薬ときっちり同じ数。

 残った一人も、握った銃把の引き金に触れることは出来なかった。エレンの抛ったナイフの刃が、素早く正確に、男の頚動脈を切断したのだ。激しく痙攣しながら、どばっと大量の血飛沫を上げて、六つ目の死体が床に転がった。トーマスの分を合わせると、全部で七つ。一転して血と硝煙の臭いがたちこめる屋内。

 乱交騒ぎは、既に遠く忘れ去られたかのようである。

 他の自警団のメンバーたちは、威厳を保った表情で睥睨しつつ、内心ではさめざめと戦慄していた。エレンは最初からずっと椅子に座ったままだ。火のついた葉巻を銜え、左手には酒の入ったグラスを持ったまま、片手間に七人の郎党を瞬殺した。あとはもう目も暮れようとはしない。きっと興味がないのだろう。

「何事だ一体ッ!?」

 銃声を聞きつけ、ばたばたと廊下を駆けてきた中年の男が声を荒げる。

 彼はジョーンズの秘書で、ジョナサンという男だ。

「……っ!」

 血溜まりの中に転がった七つの死体を目にして、秘書はいちいち説明を聞くこともなく、これをやってのけた張本人を睨んだ。

「エレン……! またお前か……」

 心底うんざりとした表情で眉間を押さえ、

「団員を殺すなと何度言ったら分かるんだ!? それに屋敷内で発砲をするなとも、再三忠告しておいたはずだぞ!」

 エレンは冷ややかに微笑み、グラスに入った液体をゆらゆら揺らして見つめている。

「お前、一体どういうつもりなんだ!?」

 グラスに光を透かして眺めながら、金髪の女は軽く結んだ薄い唇を、静かに開いた。

「――クックック、別にぃ? 何でもないよ?」

 殺伐とした空気の中、酷く場違いな、のんびりとした口調。

「ただ私はね、口で物を言うよりも、頭に血が上るよりも先に、手っ取り早く殺してしまうタチなんだ。だからこれは、一種の不可抗力なんだよ」

 まるで他人事のように、どこかふざけて言うエレンに対し、秘書の怒りは増幅する。

「いい加減にしろ! そんな言い訳が通ると思っているのか!?」

「まぁ、いいじゃないか。どうせ使えないゴミ屑だったんだ、そう気にする必要もないよ」

 エレンは立ち上がり、葉巻の吸殻を床の血溜まりに落として消火した。

 そのまま悠然と歩き出す。

「おい、どこへ行くんだ!? 話はまだ終わっていないだろ!」

 エレンは今さら思い出したように困った顔をして言った。

「毎度のことだが、君の演説はちっとも面白くないね。それにここは少し空気が悪い」

 やれやれと肩を竦め、ブロンドの悪女はのたまった。

「私は外の酒場で飲み直して来るから、君たちは汚れた床を綺麗に磨くんだ。いいかい? 私が帰って来るまでに済ませておくんだよ? そうでなきゃ、君たちの心臓にも鉛の玉を撃ち込んであげる。フフ、わかったね……?」

 出入り口の扉を塞ぐように、ぼんやりと団員の一人が突っ立っていた。

「あっ……」

 エレンの進路を見て速やかに退こうとしたが、その通行を僅かに妨げてしまう。

 邪魔だという代わりに銃声が一発。

 本日・八人目の哀れな男を撃ち殺して、エレンは傲然と笑いながら屋敷を出て行った。

 秘書は頭を抱え、盛大に溜息を吐く。

「なんて奴だ、まったくッ……!」

 自警団の者たちも口々に不満を連ね出した。

「ふざけやがってあのアマァ!」

「おい、いいのかよ! あんな女に好き放題やらせておいて!」

「無茶苦茶だぜ。あいつがやって来てからの半年、もう何人の身内が死んだよ?」

 秘書のジョナサンは忌々しげに顔を顰めて言う。

「昨日までに三十六人。――今日の八人を合わせると、合計で四十四人だ」

 凶悪犯罪者や腕利きの用心棒を集めて構成された自警団の面子でも、さすがに呆れるほどの数字だ。

「イカレてるぜ」「化け物かよ……」

 ジョナサンは深々と頷いてみせる。

「あぁ、本当にとんでもない女だよ……! お前たちもいい加減、あいつの気に障るような言動や行動は控えてくれ。これ以上、人員を削られたんじゃあ、堪ったものじゃない!」

「気に入らねぇ言い草だな」

「テメェ、俺たちにヘコヘコしてろってのか? それも〝女〟なんかによぉ!?」

「そうだッ! それじゃあ俺たちの面子は丸潰れじゃねぇーかッ!」

 ジョナサンは吐き捨てるように言い返す。

「だったら誰かあいつを止めてくれ!? もう私じゃあ手に負えんよ! それが出来ないのなら、今すぐ皆で床を掃除するんだ! どうなったって知らないぞ!」

 秘書は踵を返し、その場を去って行く。

「チッ、冗談じゃねぇってんだ!」

「ぶち殺してやりてぇなァ、あの雌犬ッ……!」

 荒野に生きる男たちにとって、女に舐められるということほど屈辱的な仕打ちはない。

 皆、口々に同じ旨の汚い台詞を言葉巧みに吐き散らしつつ、死体と血で汚れてしまった床を仕方なく掃除し始める。

 ――団内でエレンの心象が最悪なのは、何も今に始まったことではなかった。

「私は顔と身形の汚い男が嫌いだ。だから君たちのことは大嫌いだよ? 何かあったらすぐに殺すから、そのつもりで気をつけるように。いいね?」

 半年前、自警団に入った彼女が最初に放った一言だ。

 以来、エレンは常日頃から、少しでも隙を見せれば即座に殺してやるからなと、周囲の者たち全員に思わせる傲慢っぷりを発揮していた。悶々と殺意を向けてくる狂犬のような男たちに囲まれていながら、しかし彼女は平気でいる。一体どういう神経をしているのだろうか。隙さえあればとは思うものの、そもそもエレンは、最初から気など張っている様子がないのだ。

 無謀に反抗を試みた者は次々と死んでいった。

 反抗どころか、ほんの些細な理由一つで、まず何よりも先に、鉛の玉が飛んで来る。

 しかもエレンの射撃は恐ろしく正確だ。脅しも何もあったものじゃない。最初から一発で急所を射抜かれる。

 息を吸って吐くように殺しを行い、興奮も動揺もしない女。

 嫌々でもエレンの言うことには従うしかなかった。従えない者は確実に死ぬ。

 今残っている二十余名のメンバーたちは、何だかんだと口では言いながらも、皆それなりに状況の判断と物事の理解が出来る者たちだった。

 そうでない者は、もうとっくに殺されている。

 基本的には、エレンは周囲のことに無関心なので、彼女の要求を呑み、あとはひたすら当り障らぬように気をつけていれば然程問題はない。

 今日殺された八人は、いずれも日が浅く、そういった心得のない新入りだったのだ。

 ――――。


「――……ブラッキー、ニーニョ、ワイルド、フリスコ。以上の八名です」

 秘書からの報告を受けたジョーンズ=ネッガーは、特に深刻な様子も見せなかった。

 ソファーに深々と腰をかけたまま、「フッフッフ、一日で殺した人数としては新記録だな?」などと冗談めかし笑っている。ジョナサンは困った顔をして言った。

「知事……。そろそろ真剣に、あの女の処遇を考えて頂きませんと……」

「何故だ?」

 パイプ煙草を手に、顎をしゃくって促すジョーンズ。ジョナサンはおずおずと意見した。

「無礼を承知で申し上げますが、エレンは自警団には少々相応しくないように思えるのです」

 控えめな言い方だが、内心ではすぐにでも自警団を追放し、この町からも追い出してもらいたい気持ちだった。

「エレンは自警団一腕の立つ女だぞ? 強い者を味方に抱え込み、組織を率いらせるのは当然のことではないのか」

「いえ、しかし……! あの女は危険すぎます! 確かに実力こそ認めますが、いや、それがあり過ぎるからこそ問題なのです! 強すぎる戦力は味方をも疲弊させ、やがては脅威となり得る! 実際、エレンはもう誰にも手がつけられません!」

 自警団はもともと、半年前までは五十人を超える人員を抱えていた。

 それが今や、二十名弱にまで縮小されている。

 半年間で、実に四十六人の損失だ。――うち四十四人を、エレンがたった一人で殺している。これは明らかに異常だ。まるでタチの悪い冗談のようだが、このままでは本当に、たった一人で自警団そのものを壊滅させかねない。

 しかしジョーンズはいつものように、意に介することなく狡猾に微笑むのだ。

「連中は皆、腹の底では一匹狼だ……。奴らが俺の配下にいるのは(ひとえ)に金の為さ。しかし金よりももっと効果的に人を操れるのが、恐怖と暴力による支配だ。一癖も二癖もある荒くれどもを統率する者は、それくらいの器でなければ務まるまい……」

 ジョーンズには今のところ、エレンをどうこうしようという意思はないようだ。

 むしろ好意的ですらある。ジョナサンは嘆息した。ジョーンズがエレンのことを甚く気に入っているのは先刻承知済みだ。

 しかしそのエレンの所業に、一番頭を悩ませているのは秘書であるところの彼だった。

 エレンが粛清を行う度、ジョナサンは新たな人材を確保し、引っ張って来なければならない。しかしどう考えてもそれが追いついていないのだ。

 今日、彼女に殺された八名も、つい先日、呼び込んで来たばかりの人材だった。

 連れて来ては殺され、連れて来てはまた殺される。まるでイタチごっこのよう。

 理由を聞いても、どうせ彼女はいつもの如く、無能な団員を間引いているだけだとしか答えないだろう。確かに今のところ、それで目立った支障はないように思われる。しかしいい加減、ジョナサンはうんざりしていた。ここまで来るともう、何か作意的なモノを感じざるを得ない。

〝あの女、……一体、何を企んでいるんだ〟

 思索に耽ようとしていたジョナサンを、ジョーンズが呼び止めた。

「問題は盛り場で殺された二人の方だ」

 そう、エレンが殺した八人の他に、今日は盛り場でも二人、自警団の団員が殺害された。

 二人とも首の骨を折られて死んだのだ。今日だけで、合計・十人の損失。

 また仕事が増えると嫌気を覚えながら、おくびにも出さずジョナサンは報告した。

「暴れ熊のリカルドと、それから――」

「駒のことなどどうでもいい。殺ったのは、何処のどいつだ……?」

「どうやら余所者のようです。アフロ頭の大男だったと、いくつか目撃証言が出ています」

「フン……。好ましくないな……」

 エレンの粛清に対してはいささか寛容だったジョーンズの目が、一転して険しく翳る。

「例え余所者とは言え、街の連中の前で、俺の尖兵たる自警団の者が殺されたとなれば、黙ってはおけん。無能な家畜どもがつけあがる隙など、一片たりとも与えてはならんのだ」

 圧倒的な迫力を放って、ジョーンズは指示を出した。

「すぐさま自警団の連中を動かして追及させろ。捕え次第、公開処刑に踏み切る」

「了解しました」

 去り際、ジョナサンは密かに思った。

 そう言えば、ジョーンズとエレンはなんとなく雰囲気が似ている。

 自警団の有象無象を飼い慣らすエレンと、町の民を徹底的に絞り上げるジョーンズ。

 共に非情で容赦なく、向けられる敵意や荒事に対し、一切動じない堂々とした佇まい。

 それはまさしく、大物の風格だった。

 ――――。


 夜も深くなり、コーネリアは名無しの少女を連れて寝室へ入った。

 静かな居間で、ルークはゲンジに決行の日の段取りを相談する。

 ゲンジは適当に話を聞き流しながら、なんとなく彼の表情を観察していた。

 ルークの顔つきは随分と革命団のリーダーらしくなったものだ。

 瞳に宿るやけに熱っぽい輝きは、ある程度の実力を身につけ、自信と期待が持てるようになって来たという証拠だ。しかし、だからこそ危険な時期でもある。

「――ゲンジさん? 聞いてます?」

 一つ釘を刺しておくかと、ゲンジはルークの声を遮って言った。

「なぁ、ちょっとお前のハジキ貸せ」

「拳銃を?」

 ルークは取り出してゲンジに手渡す。

 几帳面に手入れされた四,七五インチのSAAと、ルークの相貌とを交互に見つめながら、ゲンジは切り出した。

「なぁ、ルーク……」

「はい?」

「この一ヶ月間、お前らは俺の課す訓練に死に物狂いで耐え抜いてきた。そしてその成果は着実に身について来ている。立派なもんだよ……」

 ルークはなんだか照れたように笑った。

「ゲンジさんにそう言ってもらえると、素直に嬉しいです……」

 しかしゲンジは笑わない。

「だがなぁ?」

 低く落とした恫喝の声で、ゲンジは問いかけた。

「――お前、本当に人が殺せるのか?」

 ルークの表情が、ハッとしたように暗く翳る。

 ゲンジは少し酔っている様子で、意地悪く歪に微笑んだ。

「俺もこいつを提げた野郎は今までにごまんと見てきたがな、お前ほどハジキの似合わない男ってのも、そうザラにはいねぇ。……お前にはこんなもん握ってドンパチやるよりも、鍬を持って畑を耕す方がお似合いなんじゃねえのかなぁ?」

 不安を掻き立てられ、ルークは顔を伏せたまま、小さく口を開いた。

「どうして……」

「あぁ?」

「――どうして今さらッ、そんなことを言うんですか!?」

 感情的になるルークに対し、ゲンジは至ってシニカルだ。

「最近浮かれすぎて、肝心なことを忘れてるんじゃねぇかと思ってな? お前らがこれから銃を向けようとしているのは、レンガの的なんかじゃねえ。生きた人間だってことだよ。――それをオメェは撃てるのか? どうなんだ」

 ルークは気後れした風に口ごもり、すぐには答えられない。

 彼の瞳は激しく揺れ動いていた。

「撃てます……」

 小さく力のない声。ゲンジは耳に手をあて、聞き返した。

「あー? 聞えねぇなぁ?」

 ルークは語気を強める。

「撃てます!」

 ゲンジは鼻で笑った。

「やめるなら今のうちだぞ?」

「もう決めたんです! だから、それ以上は言わないでください!」

 決心が鈍りますからと、心優しい青年は小さく呟いた。

「そうか。まぁいい。今の言葉が嘘かどうかは、本番になれば分かることだ」

 ルークはおずおずと顔を上げ、厳かに尋ね返す。

「ゲンジさんは、初めて人を殺したとき、どんな気持ちでしたか……?」

「さぁな。昔のことさ。もうとっくに忘れちまったよ」

 ぶっきらぼうに吐き捨て、一つだけ忠告しておくぞと、ゲンジは射抜くような眼光でルークを正面から鋭く見据えた。

「相手が誰だろうと、目的が何だろうとなぁ、――殺しは殺しだぜ? 人間を殺すことに、言い訳なんか通用しねぇんだよ……」

 ゲンジは拳銃をルークに返すと、静かに立ち上がる。

「暴力は一度振るうと癖になる。麻薬と一緒だ。とりわけ殺しはやめられねぇ。何もかもを忘れさせ、そいつの人格を跡形もなく壊しちまう。――お前、人殺しをやったあとでも、今まで通りに平然と暮らしていけるのかい? 他の連中はどうだ? それが出来ずに狂っていった奴らを、俺は今まで何人も見て来たぞ? お前らの望む平和と幸福とやらは、お前ら自身には恵まれないかもしれない。それどころか、今度はお前ら自身が、その平和と幸福とやらを脅かす存在になるやもしれん。本当にそれでもいいのかい?」

 塞ぎ込むルークの肩をぽんと叩いて、ゲンジは背を向けた。

「まぁ、力をつけた今だからこそ、もう一度よく考え直してみるんだな。具体的な話はそれからにしようや?」

 巨漢が去り、居間にはぽつんと、ルーク一人だけが残された。

 目の前には一挺の拳銃と。そして。

 ゲンジに突きつけられた言葉が、べったりと脳裏に焼きついて離れない。


〝お前、本当に人が殺せるのか?〟


 ルークは思わず、背中に水を浴びせられたかのようにぞっとした。

 人間を殺す。そうだ……。決して忘れていたわけではない。

 ただ、考えないようにしていたのだ。土壇場で迷いが生じないように。

 しかし、それに対してゲンジは言った。


〝殺しは殺しだぜ?〟


〝人間を殺すことに、言い訳なんか通用しねぇんだよ〟


 それは志を持ったルークにとって、あまりにも重たく、残酷な一言だった。

 暴力と殺人によって、町を支配するジョーンズと自警団。

 暴力と殺人を憎み、平和と幸福を取り戻すために立ち上がった革命団も、結局はその暴力と殺人によってしか、何も勝ち取ることは出来ない。

 迎撃に徹するわけじゃない。進んで攻め入り、力ずくで自由という獲物を奪い取るのだ。

 果たしてそこに、彼等との明確な違いなどあるのだろうか。求めるものが違うだけで、やっていることは同じではないのか。何が正しくて、何が間違っているのか。

 革命団の存在意義そのものが根底から揺らいでしまいそうになる……。


〝暴力は一度振るうと癖になる。麻薬と一緒だ。とりわけ殺しはやめられねぇ〟


〝お前、人殺しをやったあとでも、今まで通りに平然と暮らしていけるのかい?〟


〝お前らの望む平和と幸福とやらは、お前ら自身には恵まれないかもしれない〟


 ――それでも。

 虐げられ続ける貧しい民を見て想った。無残に殺された父と母に誓った。

 この足を止めるわけにはいかない。熱く胸に滾ったこの願いは止められない。

 例え自分が犠牲になっても、例え三十余人の仲間たちを道連れにしようとも、彼らを倒すことで、もっと多くの人々が救われるのだ。

 それは素晴らしいことじゃないか。その為になら、喜んで礎となろう。


〝今度はお前ら自身が、その平和と幸福とやらを脅かす存在になるやもしれん〟


 ――もし、僕らが狂ってしまったとしても、後に続く者たちが、きっと引導を渡してくれる。

 僕らが志を忘れてしまっても、新たに志を持った者たちがそれを取り戻してくれる。

 それで、いい。それで……いいんだ。

 ルークの決心は固かった。しかし、弱い心はガラス細工のようにゆらゆらと揺れる。

「……ッ!」

 不安で震える自らの胸を、強く強く抱き締めて、ルークは一人眠れぬ夜を過ごすのだった。

 ――――。

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