第十三章 「一握りのドル」
ルークたち革命団の残党は、既に処刑場に入っていた。傍らでは自警団の者たちが周辺の警備や執行の段取りについてを入念に打ち合わせしており、前方には磔の為の黒い十字架が六つほど、凄然とした姿で立ち並んでいる。
縄で拘束され、集められた革命団の者たちは皆、全身傷だらけで既に死にかけているような姿をしていた。連日連夜繰り返された過酷な拷問と目を覆うような虐待の爪痕だ。しかし、これほど悲惨な仕打ちを受けた挙句、見世物として殺されんとする状況の中にあってしても、彼らの表情には諦めや絶望といった憂いは感じられない。男たちの目は研ぎ澄まされた刃物のように、熱く鋭い輝きに満ち溢れている。
そこにはリーダーであるルークの尽力があった。
ルークはクーデターの首謀者として、殊更激しく暴行を受けた。誰よりも酷い仕打ちを受けながら、誰よりも仲間たちのことを想い、彼らを庇って必死に勇気づける、そんなルークを面白がって、自警団のならず者たちは徹底的に痛めつけた。それでもルークは決して屈しようとはしなかった。希望と誇りを捨てなかった。ルークが自らの身を持って示した不屈の精神によって、彼らの結束は遂に完全なものとなったのだ。
「みんな、最後まで戦い抜こう」
リーダー・ルークの言葉に、仲間たちが力強く共鳴する。
「ああ!」「もちろんだ!」「磔にされたって関係ねぇ。奴らの顔に唾を吐きかけてやる!」「くたばれジョーンズ、くたばれ自警団と叫びながら死んでやるさ!」
ルークは感激したように目頭を熱くさせて頷く。
自警団の処刑人から声がかけられた。
ルークを含む最初の六人が死の十字架に吊られてゆく。
――――。
町中は慌しかった。ルークたち革命団の処刑時刻まで、既にあと数十分を切った。見物に赴く大勢の人々の流れに逆らって、ハリーは歩く。すれ違う人々は皆、顔に不安と焦燥を貼り付けたような表情をして、ハリーの周囲を騒然と流れて行く。
そのとき、何気なくすれ違った白い影。忙しなく蠢く人ごみの渦中で、ハリーは静かに足を止めた。
「…………」
振り返ることはせず、何気ない動作を装いながら取り出した葉巻に火をつける。
背中越しに甘く誘うような女の声を聞いた。
「――かわいいぼうや。おいでよ、おもしろいあそびをしよう」
透き通ったブロンドの髪を僅かに靡かせ、女の姿は幻影の如く人込みの中に掻き消えた。
死神の誘惑に今さら乗る必要もない。ハリーは紫煙を吐き出しながら、ストップモーションを解いたように再び歩き出す。
ふと道端に一人の幼女がしゃがみ込んでいるのを見かけた。幼女の前には薄汚れた空き缶が一つ置かれている。物乞いをやっているようだが、こんな状況で彼女を気にかける者などいるはずもない。
目の前を多くの大人たちが通り過ぎる中、幼女は酷く寂しげな眼差しを地面へと向けていた。
ハリーが近寄っていくと、幼女は気づいて顔を上げる。
「両親はどうした?」
ハリーが尋ねると、幼女は表情を曇らせながら小さく答えた。
「ママが病気で、たくさんお金がいるの……。パパも帰って来ないし……」
「何か芸は出来るのか?」
幼女は唇を尖らせながら、首を横に振る。
「わたし、お歌をうたうことぐらいしか出来ない」
「歌……?」
「うん」
幼女は恐らく覚えたてであろう旋律を震える細い声でなぞり始めた。
たどたどしく紡がれるそのメロディーには覚えがあった。
コーネリアが作った、あの歌だ。
きっとどこかで、彼女が弾き語りしているのを聴いて覚えたのだろう。
思わずこぼれてしまう笑み。幼女はハリーの表情を見ると、少し不思議そうな顔をした。
歌が終わると、ハリーは提げていた麻袋の中から、数枚の百ドル札を抜き取った。
幼女はハリーの手に握られた百ドル札を期待する眼差しでじっと見ている。
「名前は?」
「マリー」
「そうか。いい名前だ」
ハリーはそう言って笑うと、残り九千ドル強の札束でたんまりとふくらんだ麻袋を、幼女の膝の上に据え置いた。
「チップを弾むぜ?」
「だけど、わたしは何も……」
「勇気をわけてもらったんだ」
驚いた顔をする幼女の瞳を見つめ、ハリーは事も無げに告げて行く。
幼女が再び歌を口ずさみだした。背中越しに遠ざかってゆく幼い歌声を聞きながら、ハリーはとある店の辛気臭い看板を探して歩く。
そうして一握りのドルを手に、目的の品を買いつけた。
――――。
ゲンジはエンジェルを連れて、シャイアンの工房を訪れていた。
シャイアンは最初に会ったときと同じく相当に酔っていた。しかも今回はかなり荒れているらしく、失意の容貌でぶつくさと独り言を漏らしつつ、杯を煽る老人に、ゲンジは少し困った顔をして話しかける。
「おい爺さん、どうしたんだい?」
老人は鼻の頭を真っ赤にして、うわ言のように話す。
「女は嫌いじゃ……。女は信じられん……。利用するだけ利用して、あとはわしなんか吸い腐した葉巻のようにポイじゃ……」
「はぁ」
「しかし思えば、いい夢を見させてもらったのう……。あれはいい女じゃったぞ……。あれこそ絶世の美女じゃ……。白けきっているように見えて、瞳の奥には情熱が漲っておった……強くて美しい、抜き身の剣のような佇まいがあってのう?」
ゲンジはなんとなく事情を察した。
「まぁ誰に入れあげたのか知らねぇが、年甲斐もなく色気づいたりするもんじゃねぇや」
「ああ、お前さんの言うとおりじゃ……。わしが馬鹿だった……。しかしいい夢を見させてもらった……。あれはいい女じゃったぞ……。絶世の美女じゃ。――」
話がループしそうになって、あまり時間のないゲンジは不躾に話題を切った。
「あのなぁ爺さん、銃を売って欲しいんだ」
「ん……? しかし、お前さんは確か……」
「ああ、俺は射撃がからっきしだ。だからアンタに相談したいんだよ」
黒眼鏡の奥から覗くゲンジの瞳が真剣であることを確認し、へべれけの老人は表情を変えた。
「……精度が悪いなら、数で責めるしかあるまい」
「ガトリングか。俺もその程度のことはすぐに思いついた。しかし自慢じゃないが、俺の腕は並じゃねぇ……」
「並のガトリングでは不足か?」
「まぁ、そういうこった」
少し考えるような素振りを見せたシャイアンは、やがて小汚いグラスの底に残った液体を一気に飲み干して立ち上がった。
「こっちへ来い……」
ゲンジはエンジェルの手を引いて、言われた通りシャイアンについて行く。
よれよれの足腰で地下の銃器倉庫に下りたシャイアンは、そのまた奥にある重厚な金庫の前に立った。物々しい三つの錠を外し、扉を開ける。そこにはカバーで覆われた〝何か〟が収められていた。雰囲気から察して、かなりヤバイ代物であることだけは分かる。
「……!」
シャイアンがカバーを取り払うと、そこには見たことのない銃機器が姿を現した。
「なんだいこれは? ガトリング、なのか?」
三脚架に立てられたそれは、確かにガトリング砲と似た印象を持つ。しかしその形状は従来のものと比べ、些か異なっている。
「まぁ原理は同じじゃな。しかしこいつの性能はもっとぶっ飛んどる」
シャイアンは酔いもすっかり醒めてしまったように、饒舌な語り口で説明した。
「こいつはイギリス人のマキシムとかいう男が開発した――〝機関銃〟じゃ」
「機関銃……?」
「こいつ一台で並みの拳銃150丁分の働きをする。なんでも一分間に500発の弾を連射できるらしい」
「500発だと!?」
「そうさね。それだけ撃てれば、いくら下手なお前さんと言えども……」
「ああ、まず外すことはねぇよ。しかしこんなイカレたもんがあるとは知らなかったぜ」
「無理もない。こいつが発明されたのはつい最近のことじゃ。まだ世界でも数えるほどしか出回っておらん貴重品じゃぞ?」
「そんな物を、どうしてこんな辺鄙なところで暮らしてるジジイが持ってるんだ?」
厳つい大男から猜疑心剥き出しのジト目で睨まれ、シャイアンは分かりやすく澄ました顔で肩を竦めてみせる。
「ま、儂は新しいもの好きじゃからのう?」
「いいや、それだけじゃあ説明がつかねぇ。爺さん、アンタ只者じゃねぇな?」
「何を今さら……。儂はあのタネンと親友だったんじゃぞ?」
「そうか。へへ、そうだったな。納得したぜ?」
老人と大男は冗談めかして笑いあった。
「しかしよぉ、爺さん。こんな物が世界中に出回ったら、大変なことになるんじゃねーか?」
「ああ……。また大勢の人間が死ぬだろうな……。これからは大量殺戮の時代じゃよ。たった一人で、何百人の人間を一瞬にして殺せる時代が来る。あと二年もすれば、こいつが軍隊に配備されるじゃろう。こんな物を持って国同士が殺しあえば、人類はいずれ滅びるやもしれん。まったく世も末じゃ……」
老人の嘆きを聞いて頷き、それからゲンジは簡単な操作方法を教わった。
「いくらだ?」
「ふむ、それじゃあ弾薬込みで十万ドルほど貰おうか」
「さすが。値段の方もイカレてる」
ゲンジは苦笑しながら、エンジェルに持たせていた麻袋をシャイアンに投げ渡した。
「手付の一万ドルだ。あとはルークたちに払わせな?」
事も無げな一言を聞きとめて、シャイアンは真顔で尋ねた。
「……行くのか?」
ゲンジは笑ってもちろんと頷いた。
「可愛い教え子たちが待ってるんでな?」
「フン、そうか……」
持ち前の怪力で機関銃を担ぎ上げたゲンジは、ふと思い立って今一度老人の方を振り返った。
「なぁ、アンタも見物に来ねぇか? きっと面白いものが見られるぜ?」
「ああ、行かせてもらうさ。そいつの性能を儂はまだこの目で確かめたことがないからの」
名無しの娘がゲンジの服の裾を控えめな力で引く。目を向けると、エンジェルが示す先にはダイナマイトの入った木箱があった。ゲンジが少し考える間に、シャイアンが先を越して気前よく言った。
「好きなだけ持って行くがいい」
「へへッ、サンキュー爺さん! 長生きしろよ!」
「余計な世話じゃ、まったく……」
ゲンジはダイナマイトの入った木箱をエンジェルに持たせてシャイアンの工房を出た。
手ごろな台車を見つけて荷物を積み、二人で押して歩く。
「なぁ、エンジェル? このボンバー先生がお前に〝イイ男の条件〟ってものを教えておいてやる。後学のためによく覚えておけ?」
名前のない少女は素直に頷いてゲンジの方を向く。筋肉バカの大男は上機嫌に軽口を叩き、力強く歩を刻みながら語り出した。
「イイ男ってのはよぉ、心根の熱いバカヤロウのこというんだぜ? いくら見た目が良くたって人情味のねぇ男ってのは、どうにも薄っぺらくていけねぇや。バカみたいなことを真剣に出来る野郎こそ最高にイイ男さ。俺みたいによ? へへっ、そうは思わねぇか?」
聞いているのかいないのか、エンジェルはにっこりと楽しそうに微笑んだ。
「よし!」と、ゲンジは歯切れよく言って足を止めた。エンジェルと正面から向き合い、膝を屈めて目と目で語り合う。
「オメェも、一緒に行くかい?」
優しく包み込むような声でゲンジは少女に尋ねた。それはこれまで有耶無耶のうちに誤魔化して来たこと。お互いを新しいパートナーとして迎え入れるための儀式。
エンジェルの澄んだ瞳はサングラスの奥にある切れ長い目を確認するように見つめていた。むさ苦しい筋肉を鎧の如く身につけた男の瞳は、生まれたての赤ん坊のようにキラキラとした光で満ち輝いている。にいっと白い歯を見せてイタズラっぽく笑い、名前のない少女は頷いた。
「フフ、悪い子だ」
ゲンジはじゃれ合うようにエンジェルの頭をくしゃくしゃと撫でつけた。
――――。