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第十二章 「荒野の墓標」


 自警団による襲撃から一週間が経った。

 その間を混乱するジャスティス・シティーから落ち延び、近隣の町でやり過ごしていたハリー・ゲンジ・コーネリアの三人は、その日の夜遅く、一足先に眠ってしまったエンジェルを潜伏先の宿に残し、いつぞやのように店じまい寸前の酒場を貸し切って深刻な面持ちを連ねていた。  

 数日前のことだ。町の掲示板に一枚の張り紙が出された。

 それはジャスティス・シティーの知事であるジョーンズ=ネッガー名義で書かれたものであり、噂によれば張り紙はここだけでなく、近隣一帯の町に広く流布されているらしい。

 荒地のジャンゴに告ぐ。――という仰々しい見出しから始まった内容は、捕らえた反乱分子の公開処刑を行う旨と、指導者であるジャンゴの命と引き換えに捕虜を釈放し、今後一切の危害を加えないことを誓うという、あからさまな物だった。

 期限は公開処刑の当日、該当の時刻まで。

 そして処刑の日時は、既に明日へと差し迫っている……。

「……コーネリア」

 最初に口を開いたのはハリーだった。冷静な口調で、釘を刺すように淡々と告げる。

「もちろんわかってると思うが、こいつは罠だぞ。たとえ俺が大人しく降伏しに行ったところで、ルークたちは釈放されやしない。奴等は俺たちをまとめて消すつもりなんだ」

 コーネリアは静かに頷き、薄ら寒さを感じさせる笑みを浮かべて言った。

「ハリーさんやゲンジさんに、これ以上のご迷惑はおかけできません……。お二人はあの子を連れて、どうかこの町を離れてください……」

 その言葉が意味するところはすぐにわかった。

 ハリーはコーネリアを鋭く睨みつけ、憮然とした態度で言う。

「オメェまで無駄死にすることはねぇだろ。ルークや他の連中だって、オメェには生きていて欲しいと思ってるはずだ。それなのにオメェは、あいつらの想いを無駄にするのっていうのか?」

 ハリーの言い分に、コーネリアは震える細い声で、微かな憤りを露にした。

「男の人は身勝手ですよ……。私はいつだって置いていかれる……。父のときだってそうでした。私一人を残して、幸せに生きてくれだなんて、そんなのあんまりです。大切な人を失ってたった一人生き残った女が、幸せに生きられると思いますか? 男の人はそれで格好がつくのかもしれないけど、無責任すぎます……。父を失ったときはルークが側にいてくれました。だけどルークを失ったらもう、私は本当に一人っきりなんです……」

 今にも泣き出しそうなコーネリアの表情を見たゲンジは、いよいよ湧き上がる感情を抑えきれなくなった。彼女は気丈に振舞っているが、本当は助けを乞いたい気持ちでいっぱいのはずだ。一緒に戦って欲しい、大切な恋人や仲間達を救って欲しいと、泣いて、縋って、心から訴えたいに決まっている。だがそんなことは言えるはずがないのだ。まだあどけなさすら残る娘の心情を思うと居た堪れなくなる。

 ゲンジはこれまで、心情的にはルークたち革命団の若者たちに寄り添っていながら、体面のことを気にしてハリーに言い出すことが出来なかった。だが事ここに至ってはもう、遠慮などしていはいられない。

「なぁ、ハリィ?」

 ゲンジはコーネリアの分まで、ハリーに本当の気持ちを打ち明けた。

「――あいつら、なんとか助けてやれねぇかなぁ!? やっぱり、このまま見殺しにするわけにはいかねぇよ! だって、悔しいじゃねぇか!」

 彼のことを信頼できる相棒として認め、熱心に語りかける。

「二人でなんとかこう、上手く作戦を立ててよぉ!?」

「……お前に一体何が出来る?」

 しかしハリーの態度は期待に副えるようなものではなく、冷ややかでいて、そして他を寄せ付けないものだった。

「俺たちに一体何が出来るってンだ? 相手は俺たちが来ることを見越した上で誘って来てるんだぞ。刑場の方も、厳重に守りを固めてあるに違いねぇ。そもそもが多勢に無勢だ。何も出来っこねぇよ。まとめて犬死するのがオチだ」

「バカヤロウ! オメェ悔しくねぇのかよ! それでも男か!? 男だったらここらで一発、度胸ってものを見せてみろよ!!」

「度胸ってのは肝心なところで使ってこそ讃えられるべきもンだ。むやみやたらと振りかざして無謀に走る奴はただの馬鹿だ」

「今がその時じゃなきゃ、一体何時だってンだ!!」

 ハリーは呆れ果てたようにかぶりを振ってから、一つ尋ねた。

「なぁ、ゲンジ? お前、何であいつらにそこまで入れ込むんだ? 俺にはさっぱりわからねぇよ」

「そんなもんッ、俺にだってよくわかねぇよ……。けどな、昔、一人の男が素っ裸でサボテンの上に飛び込んだ。理由を尋ねると男は言ったそうだ。そのときはそれでいいと思ったんだとよ」

「正気じゃねぇな……」

「ああそうさ。どだい人殺しなんて出来る奴はみんなイカれてる。正気じゃないからこそ出来るんじゃねぇか、並みの人間には出来ねぇことがよ!」

「悪いが俺はまだ死にたくない。話は終わりだ。帰るぜ」

 ハリーは終始素っ気ない態度のまま、早々に席を立った。

「おい、ちょっと待てよ! おい!!」

 ゲンジが声を荒げて怒鳴るのにも構わず、ハリーは背を向けて去って行く。

「ちくしょう……ッ! このチキン野郎ッ!! くそったれ!! テメェみてぇな腑抜けとは、金輪際コンビ解消だぜ、バッキャロォオオオーッッ!!!!」

 腹の底から一頻り罵りの言葉を吐き出し尽くすと、ゲンジは一瞬真顔になって、それから取り繕ったように強気な笑みを浮かべて言った。

「へへっ……なぁに、心配すんなよコーネリア……! ったくあんな腰抜け、いなくなって清々したぜ。俺は最後までお前らに付き合うからよ? いざとなりゃあ、この図体、弾除けにくらいはなるだろ?」

 コーネリアの強張った表情がふと綻んだ。

「ゲンジさんは、優しいですね」

「あぁ? いや、俺ァ別に……!」

 ゲンジは面映そうにそっぽを向く。

「――でも、いいんです」

 凛とした気概を持って、コーネリアは言った。

「覚悟は出来ていました。私、はじめから決めていたんです。死ぬときは一緒だと……。だから大丈夫。寂しくなんかありません」

 ゲンジはそれでもまだ何か言いたげだったが、コーネリアは気づかない振りをして「あ、そうだ」と思い立ったようにポケットから鍵を取り出した。

「約束の報酬のことですけど、これ、お預けします」

 それは納屋の地下にある財宝蔵の鍵だった。受け取ったゲンジは納得のいかなそうな面持ちで、遠慮がちに尋ねる。

「……いいのか?」

 コーネリアはあっけらかんと笑って「ええ」と頷いた。

「ここまで付き合っていただいたお礼です。お二人で必要な分だけ持って行ってください」

「そうか……」

 やるせなさを湛えてゲンジが預かったキーをポケットに収めると、コーネリアは改めてゲンジと向かい合った。

「今まで、本当にありがとうございました。感謝しています……」

 心からその気持ちを伝えるように、深々とお辞儀をするコーネリアを見て、ゲンジはああこれで本当にお別れなんだなと思った。

「それじゃあ……」

 コーネリアが静かに席を立つ。

 出入り口のスイングドアがしばらく揺れてやがて止まった。

 救いがたく悲壮な少女。現実主義者で冷たい相棒。木偶の坊の名に相応しく、無力な自分。……すべてに腹が立った。

 がらんとした無人の酒場に一人取り残されたゲンジは、やけくそに酒をかっ食らい、怒りに任せてテーブルを殴りつける。

 ハリー、ゲンジ、コーネリア。

 決別の夜はそれぞれの気持ちが離れてゆく寂寥さだけを残し、ただ静かに流れていった。

 ――――。




 公開処刑を明日に控えたその夜、ジョーンズ=ネッガーは私室に一人閉じ篭もって、愛用するコルト・ネイビーの手入れをしていた。

 ジョーンズが長年肌身離さず愛用してきたネイビーには、使い込まれたことの証として、たくさんの傷あとがある。全体の塗装は剥がれて斑になり、銃把は色あせ、磨り減っている。しかし経年により酷く消耗・劣化した銃の風貌は、みすぼらしさよりも、歴戦を潜り抜けてきた兵士のような凄みがあり、ジョーンズは気に入っていた。彼がこれまでの生涯で手にした拳銃はこの一挺のみ。数々の勝利と栄誉を共にしてきた唯一無二の一挺だ。

 実際、処刑を行うのは自警団から選出された銃殺隊の役目であるが、それとは関係なく、ジョーンズはまるで何かに祈りを捧げるが如く、入念にその一挺を磨き上げる。

 それはある種の神聖なる儀式のようだった。

 作業に没頭しつつ、ジョーンズはふと遠い過去に思いを巡らす。

 自分には勝利の女神がついている。――

 ジョーンズがそう確信したのはもう遥か昔のこと……。

 このところ、いささか懐古的な心境に至っている原因はジョーンズ自身よくわかっていた。

 幻のタネン――。久々に聞いた、懐かしい名前だ。

 今からかれこれ、もう三十年以上も前のことである。当時、まだ成人前の若者だったジョーンズは血の気の多い不良少年だった。彼はもともと貧しい農家の出身であったが、地味で慎ましい畑仕事などには目もくれず、アウトローの派手で自由な生き様に心底憧れていた。盗んだ金で購入した新品のネイビーリボルバーを片手に盛り場をうろつき、チンピラ相手の喧嘩も良くやったし、流れ者のガンマンを見つけては決闘を吹っ掛け、紙一重のところで勝利したことも数知れない。今思えば全く命知らずで無謀な所業といえるが、当時はまるで根拠のない自信と活力に満ち溢れていた。

 そんな彼がとりわけ尊敬視していたのが、当時まだ現役であった、幻のタネンである。

 タネンは当時から既にカリスマ的人気を誇り、歴史的な大盗賊として広く名を馳せていた。その大胆不敵な手口、天下一級といわれる射撃の腕前、正体が謎に包まれているという神秘性までひっくるめて、少年ジョーンズは魅了されていた。彼の噂を聞くたび、その目を燦然と輝かせ、彼が北の町に現れたと聞けば、北に向かい、南の州銀行を襲ったと聞けば、南に向かうほど、ジョーンズにとって幻のタネンとは、憧れの存在だったのだ。

 彼こそは勝利の女神に愛された英雄だと、心酔していた。

 片や国中にその名を轟かす史上最強の賞金首。片やアウトローに憧れる名もなき不良少年。タネンとジョーンズとはまるで天と地の如くその有様を隔て、接点など皆無な間柄だった。

 そんな二人に訪れた逢瀬は偶然か必然か、はたまた数奇な運命によるものか、それは定かではない。しかしそれが、二人の人生にとって大きな転機であったことに間違いはないだろう。

 そのとき既に故郷を捨て、放浪の旅に出ていたジョーンズは、途中たまたま立ち寄った町の酒場で盗賊の一味と思わしき数人の男と出くわした。小耳に挟んだ会話の中で、その名を聞いたジョーンズは驚いた。

 ごく少数の手下を引き連れたその男こそ、幻のタネンだったのだ。

 それまで噂は数多く耳にしていたジョーンズも、その姿を見るのは初めてだった。

 強靭な肉体に、猛禽類を髣髴とさせる鋭い眼光、桁違いに強大なオーラを纏った噂に違わぬ大男だった、という印象が残っているが、そのときのジョーンズは何分にも興奮しきっていたため、タネンが実際にはどのような風貌であったのか、今となっては明瞭に思い出すことが出来ない。とにかくそれくらいジョーンズは舞い上がっていたのだ。それはもう常軌を逸脱するほどに。 

 こんな機会はもう二度と訪れないかもしれないと胸に留め、一もニもなく、彼はタネンに決闘を願い出た。正気の沙汰ではない。素人に毛が生えたようなの少年が、伝説に謳われる最強のガンマンと一対一の勝負を演じようというのだ。当然の如くタネンの手下に追い払われ、最初は相手にされなかった。しかしジョーンズはしつこく食い下がった。今まで憧れてきたタネンに、一度でいいからこちらを向いて欲しい、そんな彼の熱意が伝わったのか、はたまた大物特権の気まぐれからか、タネンは決闘の申し出を承諾してくれた。

 そしてその日の黄昏時。町外れの荒野で二人は向かい合った。タネンとジョーンズの対峙を見守るものは、沈み行く太陽と、タネンの右腕らしき配下の男が一人。

 ジョーンズとていくら舞い上がっていたと言っても、勝ち目があるとは思わなかった。タネンに懸かっていた百万ドルの賞金など忘却の彼方。彼はただタネンの作る伝説の一部になりたかったのだ。タネンと指しの勝負を演じて死ねるなら本望だと、そのときのジョーンズは本気で思っていた。それこそが美学だと、煎じ詰めれば単なる殺し合いに、眩暈のするような幸福感すら覚えた。死への恐怖心や辞世にあたっての後悔など欠片もなく、ジョーンズはただ嬉々としてそれを甘受する心境で決闘に臨んだのだ。

 配下の男は手持ち無沙汰に退屈した面持ちであったし、もちろんタネンに至っても緊張などしている様子はない。その場で意気込んでいたのはジョーンズだけで、ほとんど彼の独り善がりだったといって過言ではなかった。その瞬間が訪れるまでは……――。

 ジョーンズはそのとき起こった出来事を、生涯忘れることはないだろう。

 何万分の一という天文学的な確立のなせる業。とにかくそれは奇跡としかいいようのない幸運であり、そして一方では信じられないほどの不運だった。

 ――ジョーンズの放った一発の弾丸が、銃を手にしたタネンの右手を撃ち抜いたのだ。

 タネンが銃を取り落として倒れ込むさまを目撃したジョーンズは、思わず腰を抜かしてへたりこんだ。そして負傷したタネンが配下の男に庇われながら逃げるように去ってゆくのを茫然と見送り、日が暮れ、辺りがすっかり暗闇に包まれた頃、ようやく理解した。

 自分は幻のタネンに勝ったのだと。――

「…………」

 ジョーンズはふと我に返り、すっかり回想に浸りきって手元を休めていたことに気がついた。

 取り出したパイプ煙草にマッチで火をつけ、思い切り吸い込んでゆっくりと吐き出す。舌先に痺れるような苦味が広がり、鼻を抜けて行くいがらっぽい芳香にしばし喫する。

 頭の中ではまだ、過去を反芻するかのように、劣化したフィルムのごとく映像が断片的に流れていた。右手を撃ち抜かれたタネンが苦痛と共に驚愕したような表情を浮かべる様子、唯一の傍観者であったタネンの配下もまた、痴呆のように口を開け、呆気に取られていた……。

 ――何故、あのときの自分がタネンに勝利したのか、今なら分かる。

 ジョーンズは喜びとも悲しみともつかぬ表情で背凭れに深く身を預けながら脱力した。

 ――あの瞬間、幻のタネンに寄り添っていた勝利の女神が、彼を拒絶し、自分に乗り移ったのだ。事実としてそれ以来めきめきと頭角を現し始めたジョーンズは南北戦争の北軍に志願兵として参加し、その勝利に大きく貢献。地位と名誉を築き上げ、金も女も欲しい物はなんでも手に入れた。それ以来、ジョーンズは常に勝者であり続けたのだ。

 そして十年前。完全自治区という特例の法を敷き、ジョーンズはこの町に支配者として君臨した。かつてタネンと出会い、命運をわけた、このジャスティス・シティーに――。

 反対に敗れたタネンの方はそれ以降ぱったりと消息を絶ち、〝幻のタネン〟は歴史の表舞台から唐突に姿を消した。タネンのその後については様々な噂があった。殺されたとも隠居したとも言われ、中にはその絶大な影響力を買われ政治家に転身したなどという突飛な話まであったが、そのどれもが憶測の粋を出ていない。とうに死んでいるのか、今もどこかで生きているのか、その消息はジョーンズにも掴めていなかった。しかしそれも最早どうでもいいことだ。どのみちあのような失態を晒して生き続けられるほど、甘い世界ではないということをジョーンズは知っていた。

 無敗の伝説を持つ荒野最強の男が、名前も無きひよっ子に呆気なく敗れたのだ。たとえ周囲がそれを許容したとしても、タネン自身のプライドがそれを赦さなかったはずだ。

 タネンは死んだ。自分が殺したのだと。ジョーンズは昔、酒場などで酔っ払った際、吹聴したこともあったが、その手のほら吹きはそれこそ数多くいたため、誰からも信用はされなかった。口惜しくも証拠となるものは何もない。それによって冷やかされたり、鼻で哂われたりするのは癪だと感じ、以降ジョーンズはその真実を固く自らの胸の内だけに秘め、誰にも語ることはしなかった。ただ、いつもそれを糧としてここまでやってきた。いまだに語り継がれる伝説の男を、俺は倒したのだという栄華、そこから生じる茫漠な自信こそ、ジョーンズ=ネッガーの人生における至宝であった。

「――……」

 手入れを終えたメイビーを器用に組み立て、一発一発、シリンダーに弾を込めるジョーンズの表情は、これまでとは違っていた。

 明日の公開処刑で、何かが起こる。――そう予感があったのだ。

 何か起こるとすれば、それはジョーンズにとって都合の悪いことである。にもかかわらず、彼の胸中にはまるで久方ぶりに自らの運命を切り開くかのような感慨が去来していた。

 ジャスティス・シティーを治めて十年。明確なクーデターを画策した者たちは今回が初めてだった。結果として失敗はしたものの、その雄志は下々の者達の間で多弁に語り継がれることだろう。それに感化され、将来的に第二、第三の反乱分子が現れる可能性は十分にある。だからこそ明日の公開処刑は抜け目なく修めねばならない。

 ただ一つ気がかりなのは、やはり噂の〝ジャンゴ〟という男。一体何者なのか、何が目的なのか、個人的な興味も湧くが、この際それはどうでもいい。問題はその男が明日、現れるかどうかだ。あのあからさまな文面を読めばこちらの魂胆はすぐに分かるはずだ。あえてそういう風に書かせた。正常な神経の持ち主であればまず来ないだろう。それならそれでいい。むしろその程度の情念しか持ち合わせていないのであれば特別危険視するほどのこともない。死刑囚も町の人間も、自分達は見捨てられたのだと悟って、絶望的な諦念に喫するだろう。

 もし現れたら、そのときは観衆の真ん中で奴を虐殺し、罪の重さとそれに対する罰の凄惨さを知らしめる。そのあとで囚人も滞りなく処刑すれば、下人どもの希望も立ち消えるだろう。

 不安などない。あるはずがない。あってはならない。

 明日なにが起ころうと、勝者は自分だ。既に運命はその顛末を決しているのだと。

 ジョーンズは勝利の女神を抱いているという絶対的な感覚に酔いしれながら、長い夜を明かすのだった。

 ――――。




 一夜明けて、とうとうルークたちの公開処刑当日がやって来た。

 見上げた空は嫌味なくらいに清々しく、深い蒼に澄み渡っている。

 凛として静かな雰囲気の朝方、四人は潜伏先の町を出発し、密かにジャスティス・シティーの門を潜った。コーネリアはそこでハリー、ゲンジ、エンジェルの三人にそれぞれ違った言葉で別れを告げ、一人、町外れの丘にある墓地へと向かった。

 材木をぞんざいに接いで作られた十字架がいくつも立ち並ぶ荒廃した墓地には、他に人の姿も見当たらない。ただ時の流れに置き去りにされ、忘れ去られた亡者たちが静かに眠っているのみである。無数に並んだ十字架のうちの一つ。コーネリアは父の墓の前に立つと、花を添えて跪き、静かに黙祷を捧げた。そして静かに瞳を開くと、微笑んで。

「ただいま……お父さん」

 十字架の下で眠る父に、そっと胸の中で語りかける。なんてことのない、他愛ない父と娘の会話。ノスタルジックな気分になって、昔の思い出を一つ一つ挙げていっては、一つ一つ、心残りのともし火を吹き消してゆく。

 きっとこれが父との最後の会話になるだろう。

 覚悟は決まっていた。例えもし、この場で父の幻影が現れ、涙ながらに説得されたところで、もう自分の意志は変わらないだろうとコーネリアは思う。決心というものは迷っているうちは不安で不安でたまらないが、一度これと結んでしまえば、後は案外、穏やかな心地になるものだ。投降の期限、処刑の開始時刻まではまだ少し時間がある。短いというには永く、永いというには短い猶予だった。

 コーネリアはぎりぎりまでこの無人の墓場で、愛する父と二人きりで過ごすことを決めていた。それから先、この身は、愛する〝彼〟に捧げるものになるのだから。

 ――――。




 ハリーとゲンジは、ルークとコーネリアの邸宅に向かった。正確には邸宅跡というのが相応しく、家はすっかり全焼してしまっていたが、肝心の納屋の方は無事だった。

 コーネリアから託された鍵を使い、地下の財宝蔵に堂々と踏み入る。用意して来た麻袋に手分けして、金や銀、宝石、紙幣や貨幣の類を片っ端から詰め込んでゆく。

「なぁ、ハリー?」

 山盛りの宝石類を両手で掬って袋に収めながら、ゲンジが不意に明るい声を出した。

「俺は全然やる気はねぇがよぉ、もしやるとしたらどうすればいいと思う?」

 冗談めかして誘うようなゲンジの問いかけを、ハリーは憮然としたまま黙殺した。

 ゲンジは舌打ちするように歯痒そうな表情をする。情に篤いこの大男は、まだ諦めきれていないようだ。ゲンジの脇では、エンジェルアイが幼児特有のとぼけたような表情で、札束を袋に詰めていた。ハリーは黙々と金塊の山を切り崩す。

 三人の間に会話はなく、終始、単純作業の味気ない時間が遅々として流れた。

 これでいい、これでいいんだと、妙な焦燥に駆られそうな自分自身に言い聞かせながら、ハリーは何もかも忘れて作業に没頭した。

 麻袋八つ分、ようやく金塊の山を半分ほど削ったところで、何かが埋もれているのを見つけた。ハリーの手元がはたと止まる。

「…………」

 黄金色の山の中、隠すように埋葬されていたのは、酷く錆びついた一丁の拳銃だった。

 ハリーは恐る恐る手を伸ばし、金塊の山からそれを取り出してみる。

 ――コルト モデル1848(通称 コルト・ドラグーン)

 激鉄と引き金の駆動部分は錆によって完全に固まってしまっている。これではもう使えそうにない。そもそもがパーカッション式という旧式の拳銃だ。カートリッジ式が普及した今となっては、よほどの物好きでない限り実戦で使おうとは思わないだろう。

 酸化物による茶色い皮膜に覆われた銃身には、ナイフの刃先で刻んだような文字があった。


 〝Here lies tannen.〟(幻のタネン、ここに眠る……)


 尖りながら震えているような歪んだ文字からは、男の悲愴と諦念が、ひしひしと感じ取れる。ハリーは目を細めた。コーネリアから話を聞いて、憧れた男の顛末は知ってはいたため、さほどのショックはない。しかしやはり話に聞くのと、確かな証拠を目の前に突きつけられるのとは現実感が違う。すっかり錆びつき、スクラップも同然となったタネンの拳銃を見て、ハリーの胸中には深く寂寥の感慨が湧いた。

 ――ああ、本当にタネンは死んだのだなと、実感し、現実として受け入れる。

 しかし一方では、どこか吹っ切れたような、妙な清涼感があった。

 もう何年もの間、きつく閉ざされ続けてきた心の蓋が不意に外れ落ち、無意識のうちに抑え込んでいた感情が滾々と流れ出す。

 タネンの墓標とも言える錆びついた拳銃を、思い出の欠片のように握り締めて、ハリーは穏やかな口調で話し始めた。

「なぁゲンジ。俺はよぉ、ニューオリンズの出身なんだ。争いごとも飢えも知らない、裕福な家庭のぼんぼんだったんぜ?」

「――だろうなぁ?」

 ゲンジは振り返りもせず、二度返事のような調子で言葉を返した。

「初めてオメェに会ったときの印象はよく覚えてるよ。女みてぇに痩せ細ってて、子供みたいに綺麗な顔をしてさ、腰に提げた拳銃は高級なアンティークに見えた。ナヨっちくて、いけ好かねぇ野郎だ。俺みたいに生まれたときから運のねぇ奴とは違って、こいつはきっと恵まれた環境で大切に育てられたんだろうなと思ったぜ」

「ああ。だが俺はそれを捨てたんだ。宿も明日もない、ヤクザな生き様に憧れてな?」

「フンッ、正気の沙汰とは思えねぇや」

「そうさ……。――俺は、幻のタネンに憧れてたんだ」

 ゲンジは少し意外そうな顔をする。冷たく渇いていて、唯我独尊に思えるハリーにも人並みに憧れるものがあったということに。

「友達の親父が酒場の店主でな、よくタネンの伝説を聞かせてくれたんだ。タネンの言い伝えは、何不自由ない生活に退屈し腐ってた俺の夢だった。親はアウトローに憧れるなんてとんでもないと言ったが、俺の中の気持ちはどんどん膨らむ一方だった。十二の頃から射撃を習い始めた。しっかり勉強もするという約束で親は許可してくれたんだが、もちろん俺は学問などそっちのけで没頭したよ。自分で言うのもなんだが、俺は筋が良かったんだ。――今思えば、それがいけなかった。射撃の腕が上達すると、いよいよ夢が現実味を帯びはじめたんだ。俺は十八のときに家出して、それっきり無宿人の仲間入りさ」

 ゲンジは最初、ハリーはいつものように冗談を言っているのだと思った。しかしハリーの口ぶりには穏やかでいながらも、どこか真に迫った雰囲気があることに気づき、はたと手を止め、振り返る。

「しかし現実ってのはそう甘いもンじゃねーな。アウトローってのは外から見れば格好良く映るもンだが、内情は悲惨なもんだ。初めの何ヶ月かは確かに楽しかったさ。自由を手に入れたような気になって舞い上がっていたからな。だが冷静になってから気づいた。金も命も、安全なところにいるうちはクソくらいに思ってたが、実際その保障がなくなってみれば急に惜しくなるもんだ。宿も明日もない切羽詰まった状況に、俺は激しく後悔したよ……。それからは飢えと争いの毎日だ。格好良さもクソもねぇ。食う為生き残る為の、ひたすら意地汚ねぇ戦いの日々だった。色んな奴と手を組んだが、どいつもこいつもお互いに信頼なんかしちゃあいねぇ。いざとなれば訳も聞かずに殺しあうような冷たい仲さ。オメェともそのつもりでコンビを組んだんだ」

 ハリーの表情にふと翳りが落ちる。

「俺はこれまで、テメェの命を後生大事に生きてきた。俺はいつの間にか、金の亡者になってた……。俺は、みんな忘れちまってたんだよ。夢を抱いていた心なんざ、とうの昔に擦切れちまってよ、あとに残ったのは、金と命が惜しいばかりの雑魚みたいな欲だけだ」

「俺だってそうさ……」

 同情したように言うゲンジに対し、ハリーはゆっくりとかぶりを振ってそれを拒絶した。

 ハリーはずっと考えていたのだ。目の前には一生遊んで暮らせるほどの大金、そして自らの命も安全なところにあるというのに、どうしてこんなにも虚しく感じるのか。心がひどく乾いて、醒めきってしまうのか。ハリーはそのことをずっと考えていた。そして、タネンの古びた拳銃を見て、ようやく解った。

「俺は忘れてたんだ。俺がタネンに憧れたのは、奴が何万ドルも稼ぐ盗賊だったからじゃねぇ。奴が有名人だったからじゃねぇ。――奴が凄腕のガンマンだったからだ。どんな困難に際しても、拳銃一つで己の運命を切り開く、俺はそんな生き様に憧れたんだ」

 ――自由という名の夢に捕り付かれてアウトローを志した愚か者は、かりそめの自由を手に入れた。不安に心を囚われ、現実という壁に行く手を阻まれ、諦めという名の鎖で繋がれて……。

 そして、かつて憧れた英雄の惨めな末路を知った今、絶望よりも何故か胸に滾ってくる情熱を感じる。腰のピースメーカーに手を触れると、それは一つの決心へと変わった。


〝俺はこいつで、夢を取り戻す。――もう一度やり直すために……。


 世の為? 人の為? 金の為? ……否。――己の為。


 ――俺はこいつで、今の俺自身に引導を渡すんだ〟


 ハリーはおもむろに半分ほど金塊の入った麻袋をひっくり返して、空っぽに戻した。

 そうして札束の山から、当初の要求どおり、一万ドルだけを袋に収めて立ち上がった。

 頭の片隅では、タネンの伝説の一つに、太陽に向かった決闘法というのがあったというのを、また一つ思い出していた。ガンマンの勝負は太陽を味方につけた方の勝ちだ。撃ち合う際には視界を陽光で遮られぬよう、太陽に背を向けた位置が優勢とされる。くだらないことのようだが、五分の勝負である決闘の場においてこの位置取りは重要だ。しかしタネンはそれを破り、大胆にも決闘の際は必ず相手に太陽を背負わせた形でそれを撃ち倒していたという。ハリーはそれを聞いて、いつか自分も真似をしてみたいと思っていた。

 そういえば結局、今まで一度も試していなかったなと思い出す。

 こんなにも胸がワクワクするのは何年ぶりだろう。最高の気分だった。

 錆びついたタネンの拳銃を胸に抱き締め、ハリーは地下倉庫を去ってゆく。

 ゲンジもハリーに倣って、あとに続いた。

 納屋を出たところで、二人は並んでゆっくりと煙草を吹かす。

「これからどうする?」

 ゲンジの問い掛けに、ハリーは内心の高揚を隠しきれぬようにほくそえみ、

「俺はちょいと野暮用があるんでね」

「へぇ~、奇遇だなぁ。俺もなんだ」

 二人は憑き物が落ちたみたいに、晴れやかな笑みを交わしあった。

「まぁ、日没までにはここを発とうぜ」

「そうだな」

 適当な口約束だけを取りつけて、ハリーはゲンジに背を向けた。ゲンジもエンジェルを連れて歩き出す。二人の足取りに迷いはない。余計な相談や打ち合わせなどなくとも、また会えることをお互いに確信しているかのように。わかたれた路を己の流儀で進んで行く。

 ――――。




 いつの間にかぼんやりとまどろんでいたコーネリアは、教会からの鐘の音で目を覚ました。

 天辺に貼りついていた陽が傾き、空が黄昏の気を帯びた黄金色に変化しつつある。

 清廉な鐘の音がキラキラと輝き、空の果てへと広がるように鳴り響く中、コーネリアはゆっくりと膝を立て、父の墓標に別れを告げた。

「それじゃあ、行ってきます……」

 生やさしい風に吹かれながら、無数の十字架を背に、コーネリアは墓地をあとにする。純白のワンピースが翻りながら丘の下に消えて行くのを、十字架は黙って見送っていた――……。

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