第十一章 「殺しが静かにやって来る」
革命決行に向けての下準備は整った。
連日行われた猛訓練と熱血講習を経て、燃える男たちの打倒ジョーンズに懸ける期待と意気込みは益々膨れ上がり、今や団内のボルテージは最高潮。心技ともに最高の状態にある。
その日の深夜。ハリー・ゲンジ・ルークのスリートップによる作戦会議にて、遂に、決行の具体的な日取りが決定した。一週間後の深夜、自警団の本拠地でもあるジョーンズの屋敷に奇襲をかけるというものだ。
ようやくその時が迎えられることを喜び、立ち上げ当初からリーダーとして皆を率いて来たルークは興奮を抑えられない様子。ゲンジも心情的にはルーク寄りで、ハリーだけがどこか一歩引いたようにそれを静観している。
ルーク・ゲンジとハリーの間には、これまでも度々そういった温度差があった。
「明日、皆を集めてこのことを報告します」
ルークが子供っぽく弾んだ調子でそう言ったとき、ハリーが冷ややかに釘を刺した。
「日時の詳細は伏せておけ」
ルークは嬉々とした態度を窄ませ、どうしてですかと純粋に尋ねる。
ハリーは酒の入ったグラスを傾けつつ、何故か険悪な雰囲気を纏って口を開いた。
「奇襲作戦に情報の漏洩は命取りだ。他の奴等には直前になるまで黙っておけ。それからコーネリアも含め、どんなに親しい間柄の人間にもこのことは絶対に喋るなよ。秘密を知る奴は俺たち三人だけでいい」
せっかく盛り上がっていたところに水を差されたこともあってか、ルークはいささかハリーに対して反発した。
「仲間を疑えって言うんですか……」
「そうさ。裏切り者が出る可能性だってある」
つっけんどんなハリーの言い草に、ルークは反抗した。
「……嫌です」
「何だと……? テメェ、誰に向かって物言ってんだ? ああ?」
声を荒げ、ハリーがきつく恫喝する。しかしルークも決然とした態度でそれに対抗した。
「僕は僕の仲間たちを信じます。リーダーの僕が信じてあげなくて、誰が信じるっていうんですか。彼らはこれまで、それぞれ違った境遇の中、それでも同じ理想に向かって一緒に歩んできた同志なんです。辛い中で、血と心を分け合った彼らの気持ちを無碍にすることは出来ません! 彼らを尊び、等しく肩を並べるのが僕の信条です!」
「甘ったれんなバカヤロウ! 大勢の人間を抱えるってのは奇麗事じゃやっていけねぇんだ! 人間にはそれぞれ勝手な事情ってものがある。考え方も、感じ方も、同じに見えてみんな違うんだ。そいつらを纏めて率いて行くのに、オメェみたいに調子のいいことばっかり言ってると、すぐに潰れちまうんだよ。どっかで計算や駆け引きってものが無きゃなぁ、仮にジョーンズを倒したところでこの町は荒れ果てるぞ!」
「僕らの目的は独善じゃありません! 皆で腹を割って話し合い、全員が納得するまで、ぐちゃぐちゃになりながらも理想的な解決方法を模索する。それが本来あるべき政治の形だと思います! 僕らとジョーンズとの違いはそこなんです!」
「いきがるのもいい加減にしろこのクソガキ! 人間って奴はなぁ、ちょっと向かい風に吹かれりゃあ簡単に裏切るんだよ! テメェは夢を見すぎだ! 命のやり取りをする局面で、痛い目に遭ってからじゃあ遅ぇんだよ!」
裏切り裏切られの世界で荒波に揉まれ、命辛々そこを渡ってきたハリーにはもはや、他者を信じることが出来ない。疾うに心の擦り切れた彼にとって、ルークの青臭く愚直な考え方は堪らなく癪に障った。未だ挫折というものを知らぬ純な情熱が、彼の眼差しからは溢れ返っている。
「そうかもしれません……。それでも、――……」
真っ直ぐな目をした青年革命家の心は折れない。
熱く滾った双眸の輝きが、彼のすべてを雄弁に物語っていた。
「人を疑って傷つけるよりは、信じて傷つけられる方がいい。馬鹿と呼ばれようが、何度裏切られようが、それが僕の道です……!」
ルークが思いつめた表情でそれを言うと、ハリーは呆れたように肩をすくめた。
「ああそうかい、だったら勝手にしろ。どうなったって俺は知らねぇからな」
ハリーが怒って席を立つと、ルークは落胆したように嘆息した。ハリーの意見が正しいということはルークにもよくわかっていた。しかし、自分にも譲れないものがある。理想と現実の間で揺れ動く心。それまでだんまりを決め込んでいたゲンジが、取り成すようにルークの肩を叩いた。
「まぁ奴の言うことは尤もだし、お前の気持ちも良くわかる。肝心なのはどこで折り合いをつけるかだ。俺やあいつは所詮引き立て役だからな、最後に決めるのはお前なんだぜ」
優しく見守ってくれるゲンジに、ルークはひっそりと打ち明けた。
「僕は明日、皆に今日決まった決行の日取りと作戦内容を報告したいと思います……」
自信なさ気に口ごもりながら、落ち込んだ顔をしてそう言ったルーク。ゲンジは寛容な態度で、どこか褒めるように笑って見せた。
「そうかい。ま、思った通りにやってみな」
「……はい」
――――。
ジョーンズの執務室に切迫した表情のジョナサンがやって来たのは、夜半過ぎのことだった。
「知事、早急に対処すべきと思われる報告がございます」
数週間に渡って極秘裏に行われていた諜報活動の成果をジョナサンは淡々とした語調で報告する。ジョーンズはデスクに肘を突き、熟考するような表情でそれを耳に入れた。
そこで明かされた重大な事実を、大した動揺もなく聞き終えたジョーンズはたった一言、「それは確かな筋からの情報か」と尋ねた。
ジョナサンは毅然とした態度でそれを肯定する。
「多重作戦という線も考えられなくはありませんが、なにぶんにもこちらの警戒が強まると知った上で、故意にそういった情報を流すとは思えません。状況的に見て、まず間違いはないかと……」
ジョナサンは自身の掴んだ事実をことさら強調するように反芻した。
「――明後日の深夜未明、武装した反乱分子がこの屋敷に襲撃をかける模様です……」
ジョーンズは強かにほくそえんだ。
「フン、まぁいい……。どのみち身の程も弁えぬ愚かな農奴どもの企むことだ。狙われようと狙われまいと、結果は同じことさ」
ジョーンズの鋭い双眸に嗜虐の眼光が宿った。
ジョナサンは背筋を正し、指示を受け入れる。
「自警団の連中をここへ呼べ。奴等の好きな狩りの時間だ。派手にやれとなぁ?」
「はっ!」
嵐の前の静けさに、ジョーンズはこれから起こる惨劇を彷彿とし、言い知れぬ高揚感を抱いていた。
――――。
その日は朝から風が強く、昼を過ぎた辺りからいよいよ天候は大荒れとなった。
奇襲作戦の決行をとうとう明日に控え、それまで今か今かといきり立っていた革命団の面々も、さすがに今日ばかりは緊張を湛えて、それぞれ眠れない夜を過ごしているのだろう。
吹き荒ぶ突風が窓の格子をがたがたと激しく揺らす。その様子に自らの心境を重ねつつ、ルークは無言のまま、本日もう何度目になるやもれない銃の手入れをしていた。初陣を前にした緊張を紛らわすように、何度も何度も、震える指先で丹念に銃身を磨いてゆく。
コーネリアも、ハリーも、ゲンジも、エンジェルも、みんなその場に居合わせていたが、今夜ばかりは軽々しく言葉も交わせない。皆押し黙ったままの重苦しい沈黙がじっと居座り続け、落ち着かない心地で夜明けを待つ。
勝っても負けても、明日ですべてが決するのだ。
ルークとコーネリアはそこに馳せる期待と不安の鬩ぎ合いで細い神経を張り詰め、ゲンジもそれに釣られるようにしてそわそわしていた。エンジェルは特に何の感慨もなさそうに、ただ雰囲気を察して大人しくしているだけの様子。
「……」
そんな中、ハリーだけが一人、彼らとは少し違った懸念を抱いていた。
二日ほど前から革命団に属していた男の一人が、行方不明になっている。作戦決行を間近に控えた興奮と緊張からか、周囲はまるでそのことを気に留める様子もなかったが、ハリーだけはそれが妙に引っ掛かっていた。単なる敵前逃亡ならいい。しかし、いかんせんタイミングが悪すぎる。
――妙な胸騒ぎがしていた。
その不安を後押しするかのようなこの悪天候。窓の側へと歩み寄ったハリーが、忌々しげに外の様子を窺ったとき、ふと視界の端に揺らめく光源があった。
暗闇の中、遠くの方でぼうっと灯っているオレンジ色に蠢く明かり。はじめは松明か何かだと思った。しかし、何かがおかしい。なんだこれは。胸の辺りがぞくぞくとする。気持ちの悪い違和感に鳥肌が立つ。
この強風の中で? あれだけ離れた位置にある松明のともし火が、果たしてこれだけはっきりと見えるものなのか……?
急速に脳が収縮していくような不快感に見舞われる。
立ち眩みとともに理解が追いついた。
「……ッ!!」
ハリーはすぐさま身を翻し怒涛の様相で危険を叫ぶ。
――燃えているのは民家だった。
それも一つや二つではない。
その事実にルークたちは一瞬我を忘れて硬直した。
ハリーが慌てて二の句を繋げようとした瞬間、玄関のドアが荒々しく突き破られる物音。
空かさず駆け入って来た数人の足音が、五人のいるリビングの前で一旦停止し、一呼吸置いて勢い良く蹴破られる扉。相手の姿を見る間もなく、マズルフラッシュと銃声の凄まじき猛襲。
ハリーが即座に撃ち返し、ゲンジがひっくり返したテーブルを盾に弾を避けつつ、ルークとコーネリア、エンジェルを連れて裏口から外に出る。
しかしそこにも敵が待ち構えていた。
コーネリアとエンジェルを庇いながらも盛んに応戦するゲンジ。
ルークも慌てふためきながら、握った拳銃の引き金を引いた。――
「……チィッ!」
硝煙立ち込める家の中に一人残ったハリーは、巧みに敵の放つ銃弾を掻い潜りながら唇を噛んだ。――相手の正体は言うまでもなく自警団だ。やはり情報は漏れていたのだ。それに加えて天候にも見放された。吹き荒れる突風の騒音に掻き消され、これだけの人数が近づいて来るのにも気づけなかった。
「こんのっ、クソ野郎が―ッ!!」
完全に裏を掻かれた悔しさを発散するように、ハリーは鉛の弾を滅茶苦茶に乱射した。ほとんど威嚇にしかならないメクラ撃ち。そもそもこの手狭で物陰の多い屋内は、銃撃戦に不向きなのだ。
どうしてこんなことに――。
沈痛な心境に浸る余裕すらなく、ルークは覚えたての銃を振るっていた。しかしまるで役に立たない。それもそのはずだ。拳銃を持ったルークの手は酷く震えていたのだから。あれだけ練習してきたというのに、頭の中がぐちゃぐちゃで、教わったことを何一つ思い出せない。培った実力を発揮できない苛立ちと、死への恐怖とが綯い交ぜになって、ルークはほとんど錯乱していた。そしてその心の隙は、非情な戦いの場においてはあまりにも致命的だった。
「――っ!?」
背後を取られたと不覚に気づき、振り返った瞬間、網膜に白く強烈に焼きついたマズルフラッシュの閃光。肩に焼き切られるような激痛が走った。どんなことがあっても手放してはいけないと教わった銃を取り落とし、ルークはもう何も考えることが出来ず、ただただその場に倒れこんであられもなくのた打ち回った。
それを目撃したコーネリアは顔面を蒼白にして叫ぶ。
『ルーク!!』
銃撃戦の最中、外から聞えてきたコーネリアの悲鳴にハリーははたと振り返る。そのときリビングに火炎瓶が投げ込まれた。撃ち合いでは埒が明かないと踏んだ廊下の連中が投げ込んだのだろう。ハリーは手近な窓ガラスを突き破って外に転がり出た。ぼっと燃え広がり、たちまち火の海となった屋内を背に、素早く周囲の状況を察知し事態を把握する。
「くッ……!」
――肩を撃たれたルークは、既に敵の手中に落ちていた。
「ゲンジ!」
もう間に合わないと、瞬時に彼を見捨てる判断をしたハリーは、ゲンジのもとに走る。
「ハリー!」
「強行突破だ! この町を出るぞ!」
無駄のないやり取りで即座に意思を通じたハリーとゲンジ。ハリーが先陣を切る形で飛び出し、コーネリアとエンジェルの手を引いてゲンジが後に続く。
「ルーク!! ルークぅううーっ!! いやぁあああ!!」
泣き叫びながら行きたくないと抵抗するコーネリアを「馬鹿野郎!」と張り飛ばし、ゲンジは無理やり彼女を引っ張って走った。
町の至る所から火の手が上がり、複数の銃声と複数の悲鳴が交錯するように響いている。唸り声を上げて吹き荒れる強風の中、まるで地獄絵図が如く光景が広がっていた。
先頭を走るハリーは道端に転がったいくつもの死体に視線を流しつつ、足だけは決して止めない。死んでいるのは皆、革命団の者ばかりだ。まったく詰めが甘かった。彼らには奇襲を掛けるための手筈はあっても、奇襲を掛けられたときの対処法などなかったのだ。まさかそんな事態が訪れようとは夢にも思わなかったはずだ。大方皆パニックに陥り、あれだけ訓練を重ねてきたにもかかわらず、実力の半分すら発揮できずに殺されたのだろう。虚しいものだった。結局これが現実なのだ。弱者が群れを成して団結だの理想だのほざいたところで、所詮は呆気なく強者に蹂躙される運命にある。希望と情熱に満ち溢れ、反体制を掲げた若者たちの末路。これですべてが終わりだ。夢のような希望のあとには、奈落のような絶望が待っている。
「ハリーッ!!」
ゲンジの叫びでふと我に帰ったハリーは、前方に躍り出る二つの人影を敵と認識した。
「……伏せろ」
言うが早いかハリーは鮮やかな手際で愛用のコルトを引き抜いた。ゲンジがコーネリアとエンジェルを抱えて地面に跳び伏せる。素早いファニング。強風に煽られ身を捩るようにして倒れる敵の兵士二人。彼らが死に際に放った凶弾は共に虚空を掠めて消えた。
自警団の下っ端二人を地獄の底に叩き落したハリーは、その先に見える砦柵の外側に向かって再び走り出す。あれを越えればもう町の外だ。
さらば、ジャスティスシティ……。
〝隣町まで一気に走るぞ! それまで辛抱しろよ!〟
ゲンジの励ますような怒鳴り声が、酷く遠いところから反響し、夢現に聞えてくる。掴まれた腕に伝わってくる、彼の大きくて力強い手のひらの感触でさえ、今は乏しく。
陽が落ちて、見渡す限りの真っ暗闇となった無尽の荒野をひたすら走る。走る。走る。すべてを置き去りにしたまま、まるで悪夢の中を彷徨うかのように。覚束無い足取りで。
「…………」
次第に遠ざかってゆく故郷の町並みを、コーネリアは振り返りながら見送っていた。
――――。
自警団による反乱分子の制圧は呆気ないほど一方的な結果に終わった。
自警団の死傷者数はごく僅か。それにくらべて革命団の損失は正に壊滅的だ。
組織を構成していた若い農民たちのうち八割が死亡。首謀者のルークを含む残りの二割弱は現在、屋敷の地下牢にまとめて収容してある。彼らをあえて生かしたまま捕らえたのは、近々公開処刑を行い、町の者達に反体制を掲げた愚か者たちの末路を見せしめるためだ。
派手に暴れまわり、久々の人間狩りで余すことなく暴虐の欲求を満たした狂犬たちは、愉快な宴に舞っていた。祝い酒を酌み交わし、各々自らがどれだけ残虐に獲物を殺したのか雄弁に語って自慢したあと、戦利品として浚って来た反乱者の女房子供を壊れるまで陵辱して遊び殺す。
自警団の者達が鼓膜が破れそうな勢いで乱痴気騒ぎに耽っている中、その狂騒も届かぬ、屋敷の地下では、黴臭く狭苦しい牢獄の中で革命団の残党たちが辛気臭く喪に服していた。皆、打ちひしがれた表情で膝を抱え、悲壮に黙りこくったまま俯いている。勝者と敗者、その境遇はあまりにも対照的だった。
こつこつと足音が近づいてくる。
鉄格子の扉が開かれて、ぼろぼろの男が一人投げ込まれた。
かなり手ひどく痛めつけられたらしく、人相が変わっていて、最初それが誰だかわからなかった。そのうち誰かが彼の名前を口に出し、他の者たちも気づく。
「ロレンツォ!」
彼は数日前から行方をくらませていた革命団のメンバーだった。
「おい大丈夫か!」「しっかりしろ!」
傷ついたロレンツォを労わるように取り囲む残党達の姿を見て、連れて来たジョナサンは陰険な嘲笑に口元を歪ませた。
「何が可笑しいんだ!」
残党の一人が激昂し食って掛かると、ジョナサンは小気味良く肩をすくめ、軽佻にのたまった。
「おめでたい奴らだな。そいつがお前らを裏切って情報を流した張本人だとも知らずに」
「なんだって……」
ルークは驚愕した。他の者たちも動揺を隠せない。
「おい、お前本当なのかよ」「嘘だよな。嘘だと言ってくれよ、なぁ!」
男は腫れ上がった顔を悲痛に歪めて吐き出した。
「すまねぇ……。みんな、すまねぇ……赦してくれ」
男は、ぽろぽろと涙を流しながら謝罪の言葉を口に出す。
「――」
仲間を殺され、肉親を殺され、自身らもまた助からない運命にあると知りながら、それでもなお気丈に振舞おうと努めていた男たちの、最後の砦が虚しく崩れ去った。
真実を知って途方に暮れる愚か者たちの顔つきを、ジョナサンは侮蔑の眼差しで眺め、冷笑しながらその場を立ち去った。
「……何故だ。なぁ、どうしてなんだ。頼む。言ってくれ」
ルークが懇々と諭すように問い詰めると、男は嗚咽に咽元を詰まらせながら話し出した。
「女房が、病気なんだ……。なんでも難しい病気らしくて、治すのにすごく金がかかるって言われた。だけど、ウチはまだ娘のマリーも小さいし、家族三人食べていくのにも精一杯なんだ。貧乏な百姓風情がとても払えるような金額じゃなくて……」
「それで俺たちを売ったってのかよ!?」
「それならそうと、何故相談してくれなかったんだ」
「お前、そんなこと俺たちに一言も言わなかったじゃねぇか!」
仲間たちから口々に批難の横槍を入れられ、それでも男は逆上することなく、ひたすら自分を責め立て弁解した。
「すまねぇ……。どうしても言えなかったんだ……。みんなが一生懸命、命懸けで大きな目標に向かって進んでいるって解ってたから。革命団の中には、親や兄弟や、大切な人たちを殺されて、本当に辛い思いをしながら必死で頑張ってる奴らが沢山いるって、俺、知ってたからよぉ……。そいつらのことを考えると、俺一人の事情なんて、ちっぽけなことのように思えて来て……。そいつらに比べれば、俺なんか全然マシな方なのに、何でお前だけそんな甘えが許されるんだって、みんなから責められる気がして……。今までずっと仲間だったみんなのことが、急に怖くなったんだ……。みんなは凄く立派で、俺だけどんどん置いて行かれているような気になってさ……。こんなことしてる場合じゃない、でもどうしたらいいんだろうって、俺が迷ってる間にも、女房はどんどん弱っていった。……娘のマリーが、毎日のように訊くんだよ。『ママ、死んじゃうの?』って、寂しそうな顔をしてさ……」
男の目は酷く虚ろで、今にも自殺してしまいそうなほど思いつめていた。彼がどれだけ精神的に追い込まれていたかは一目瞭然だった。
「――俺、もうワケわかんなくなっちまってよぉ! そんなとき、ジョーンズの秘書が俺のところにやって来たんだ……。奴は革命団の存在に気づいてた。メンバーの事情を調べ上げて、誰か裏切る見込みのある奴がいないかと狙ってたんだ……。あいつは頭がいいから、まるで仏様のような顔をして寄って来てさ? 十分な金と腕のいいドクターを紹介してやるって。俺を誘って来たんだ……。俺は、悪魔に魂を売っちまった……最低だ」
ジョナサンと取り交わした約束がその後どうなったかはもはや訊くまでもない。悪魔の甘い囁きに惑い仲間を裏切った男は、悪魔に裏切り返された。
「あいつ、最後に笑いやがった……。お前らみたいな貧乏人には、家庭を持つ資格なんてない、まともに生きる権限すらないんだって……! 女房と娘には手を掛けないでおいてやる、簡単には死なないように。じわじわと野垂れ死にさせる方が、面白いからって……!」
男はとうとう声を上げて泣き出した。号泣しながら、土下座してみんなに詫びる。
「すまねぇ! 本当にすまねぇ! すまねぇ……ッ!」
ルークは胸が張り裂けるような思いで、彼の言葉を受け止めていた。
居た堪れない雰囲気の中、激情を抑えきれず、何人かの男たちが彼に掴みかかる。
「ふざけんなよこの野郎ッ!!」「お前のせいでいったい何人の仲間が死んだと思ってる!? 謝って済むことか!!」「テメェ、ぶっ殺してやるッ……!」
彼は赦しを請うだけで抵抗はしなかった。
裏切った仲間たちに殺されることで、償いを果たそうと覚悟していたようだ。
「――やめろォオオ!!!!」
ルークは取り乱す仲間達に凄まじい剣幕で激昂した。皆が動きを止めて一斉に振り返る。
顔を真っ赤に染めて、あふれ出そうになる涙を必死に堪えながら、ルークはリーダーとしての責務を果たすように、叫んだ。
「僕たちは何をやってきたんだ! 僕たちは今まで何のために戦って来たんだ!! 彼は確かに選択を誤った! 彼の犯した過ちのせいで、何人もの同志たちが無残に殺された! それはもはや取り返しのつかない罪だ! 彼を赦せない気持ちもよくわかる! 僕だって一歩間違えれば、殺してやりたいと思ったかもしれない! だけどその気持ちを抑えることが出来なかったら、僕たちはジョーンズや自警団の奴等と同じじゃないか!! 僕たちは彼らとは違う! 彼らの暴力的なやり方や考え方に、不満を感じ、怒りを感じ、声を大にしてNOと否定した。それが僕たちの始まりだったはずだ! 僕たちは情けなくも銃を取り、結局は暴力によって解決を講じるしかなかった! だが勘違いをするな! どんなときだって平和的な解決法を模索することを忘れてはいけない! その一点においてのみ、僕たちは彼らとは確実に違う! その気持ちだけは、絶対に忘れないでくれ!!」
若者たちの目に悔しさを堪えすぎた涙が浮かぶ。裏切った男に殺到していた者たちも、その手を離し、大人しく座り込んで顔を覆った。
「ちきしょうッ……!」「なんでだよ……。あと少しのところだったのによぉ!」
ルークは鼻のあたまを赤く染めたまま、優しげに微笑んだ。失意の底にある皆を励ますように、穏やかな口調でそっと語り掛ける。
「僕たちは負けました。だけど、何も恥じることはないと思います。何の力もない僕たちが気持ちを一つにすることでここまでやれたんだぞって、見せつけてやることが出来た。だから最期のときまで、堂々と胸を張っていよう。……希望はまだある。僕たちのやって来たことは無駄じゃないと、僕は信じます」
ルークにとってそれは、たとえ自分たちが死んでも、必ず後に続く者たちが現れ、この町を救ってくれるだろうという未来への希望を謳った言葉だったのだが、それを聴く者たちには意外な形で受け止められてしまった。
「そうだ……。まだ、ジャンゴさんとボンバー先生がいる!」
誰か一人が発言したことで、誤解は瞬く間に感染を拡大した。
「そうだ! あの人たちなら、きっと俺たちを救い出してくれるはずだ!」「まだ希望はある!」「まだすべてが終わってしまったわけじゃないんだ!」「みんな、最後まで頑張ろう!」
諦めかけていた雰囲気が一転、がらりと変わって持ち直した。寂寥感に溢れていた皆の瞳が、再び希望の光を宿す。まったくハリーとゲンジの持つ影響力には驚かされながら、しかしルークは複雑な心境だった。
彼らのように、手放しで希望を持つことは出来ない。仲間の呼びかけに曖昧な相槌を打って答えつつ、ルークはふと恋人のことに思いを馳せた。
(コーネリア、愛しのきみは無事でいるだろうか。そのことだけが僕は気がかりだよ……)
――――。
深夜、ジョーンズ=ネッガーの私室では、暗がりの中に小さなランプの灯りが一つ、薄ぼんやりと燈っていた。
備え付けの大きなベッドに腰をかけ、ジョーンズは葉巻を吹かしながら思索に耽っている。
ベッドの上にはネグリジェを身につけた女が一人横たわっている。金髪のエレンだ。二人の間にはしばし会話がなく、室内はひっそりと膝を正したような静謐に包まれている。
クーデターを画策する一派の制圧は成功した。その首尾は申し分ないと言ってもいいはずだ。しかしにもかかわらずジョーンズの表情は何故か浮かない。様子を窺っていたエレンはふと口を開き、そのわけを尋ねた。
「何を考えているの?」
ジョーンズは自らの慧眼さをひけらかすように、「お前と同じことだ」と言葉を返す。
「…………」
二人は一瞬だけ互いの胸中を探り合うような目線を交わした。ジョーンズは苦笑し、吸い込んだ紫煙をゆっくりと吐き出す。そうして静かな語り口で話し始めた。
「ジョナサンの調べてきた情報によると、今回の反乱には指導者がいたらしい。流れ者の、ジャンゴとかいう男だそうだ」
「――ジャンゴ……?」
「ああ。なんでも凄腕の拳銃使いで、幻のタネンを倒したとか嘯いてるって話だ……。まぁそれが事実かはともかくとして、その男が組織内で象徴的な存在だったことは確かだろう。指導者の存在は予てより疑っていた。今回死亡した反乱分子の死体はすべて回収させたが、それらしき奴は見当たらなかった。勿論、捕らえた連中の中にもな。自警団の中で、それらしき人物が町の外に逃げたという証言も出ている。とにかく町の人間にそれだけの影響力を持つ奴だ。このまま野放しにしておくのは危険すぎる」
「捕らえた連中を餌に誘き出せばいい」
「無論そのつもりさ。ただわからんことがいくつかある。一つは動機だ。余所者があんな貧しい百姓どもの反乱に加勢して何の得がある。金になるとは思えんし、明らかに分も悪い。目的が金でないとすれば、単なる享楽か、何がしかの怨恨か……。奴らが手にしていた銃器の出所も含めて、その辺りのことはまた改めて捕らえた連中を拷問にかける手筈だが……」
「そう易々と口を割るとは思えないね。たぶん無駄だろう。ジャンゴとかいう男の動機が怨恨だとすれば、このまま大人しく引き下がるとも思えない。恐らくこの町にはもういないだろうが、必ず近隣の町に潜んでこちらの様子を窺っているはずだよ」
「明日にでも手配書を用意させる……」
その言葉を最後にジョーンズはベッドに入った。無言のまま手馴れた挙動でエレンと接吻を交わす。それから二人、互いに身を寄せ合ったところで、ふとジョーンズがエレンの肩に手を置いた。美しいブロンドの髪を撫で付けてから、抱き寄せた体を離す。
「やめておこう……」
思いとどまったジョーンズに対し、エレンは黙ったまま、言外で疑問を投げかける。
「なんとなくな、女が機嫌を損ねそうな気がする」
「……女?」
「ああ」
ジョーンズは不敵に哂って首肯した。
「勝利の女神だ」
――――。