第十章 「決別の賛歌」
屋敷の中央最上部に位置するジョーンズの執務室に、エレンは呼び出された。不愉快そうに眉根を寄せて黙り込んだジョーンズ。傍らに控える秘書のジョナサンは、陰険に細い目の奥を光らせている。重苦しい雰囲気の中、それでもエレンはいつもと変わらぬ無表情で、冷淡に事の顛末を説明した。――自警団の新入り二人が裏切りを働き、コーネリアを連れて逃走。エレンは配下の三人を引き連れて逸早く追跡に向かったものの、反撃を受け、団員三名は死亡。結果的に逃走を許してしまったという筋書きである。
一通り説明が終わった後、数拍の間を置いて、ジョーンズは物々しく口を開いた。
「どうして仕留めなかった?」
冷ややかでいて、そしてドスの利いた恐ろしい声。この町に住む人間であれば誰しもが震え上がるようなジョーンズの剣幕にも、エレンは動じない。平然と言葉を返してのけた。
「仕留めなかったんじゃない。仕留められなかったんだ」
意外な返答に、ジョーンズの目尻がぴくりと反応する。
「お前ほどの腕を持ってしてもか」
「少なくとも私よりは上だろう。なにせ、私は奴の弾から逃げ回るので精一杯だったんでね。とてもじゃないが、こっちの弾を当てる余裕なんかなかったよ」
「…………」
ジョーンズは見極めるように正面からエレンを睨みつけた。厳しく断罪するような目つきに、エレンも臆することなく冷ややかな眼差しを返す。無言で数秒見つめあったのち、ジョーンズはエレンに「もういい。下がれ」と退出を命じた。エレンが踵を返して出て行くと、残されたジョナサンはエレンへの不信感を露にして、ジョーンズにそれを訴えた。
「あの女の証言は信用出来ません。エレンと共に追跡に向かって殺された三人ですが、彼らはいずれもウチでは最古参の古株でした。事実上、団内においては重鎮とされていた三人で、実力も統率権もあり、またエレンとは違って、下の者たちからの信頼も厚かったようです。彼らの増長ぶりをエレンが目障りに感じ、かと言ってこれまでのように表立って粛清にかければ反発する者も多くなる。だからそれを見越した上で、秘密裏に始末したのではないかと……団員たちの間ではそういった噂が持ち上がっています」
「そんなことはどうでもいい」と、ジョナサンの長口述をジョーンズは一蹴した。
「内部抗争など俺は関知せん。問題は外部からの進攻だ。娘を連れて逃走した新入りの二人というのは一体何者なんだ」
ジョーンズの苛立った口調に、ジョナサンは一瞬竦み上がる。
「インディオ、サンチョと名乗っていましたが、いずれも恐らく偽名でしょう……。よそから来た者のようですし、素性はわかりません。そもそも、彼らを自警団に引き入れたのもあの女です。やはり一芝居打つための役者として、二人はあの女が雇ったのではないでしょうか? あの二人にいずれ何か騒動をやらせるつもりでいて、そこへちょうどあの娘が連れられて来た。だからあの二人に、あたかも彼女を救出して逃げるような素振りを演じさせ、その期に乗じてエレンはまんまと……」
ジョナサンはどうしてもエレンの企みということにしたいらしい。疫病神のエレンを自警団から追い出したいという意思の現われだろう。しかしそのすべての決定権を持つ当のジョーンズがまともに耳を貸してくれていない事を知り、嘆息するように肩を落とした。ジョナサン自身、この仮説に少々無理があることは承知していたが、やはりエレンが何かしら絡んでいることは確かだ。どうにか上手く説得できないものかと頭を悩ませる。ジョーンズはそんな難儀なジョナサンの心境などお構い無しに話を続けた。
「一緒に逃げたあの娘は、この町の人間か」
「ええ、あれは以前からあの辺りの酒場を流していたようです」
「ならば素性も簡単に掴めるな」
「はい。もう一度捕らえて、洗いざらい吐かせますか?」
「いいや。泳がせておく」
「どういうことです?」
「――一週間前、拳銃を持った農民どもが俺を襲って来たことは覚えているな?」
「ええ……」
ジョナサンはいま一つ意図を把握出来ていない。
「あいつらは間違いなく何の取り柄もない一介の凡夫だった。しかし銃を扱うその手際の良さには、玄人から手解きを受けた形跡があった。もし、その手解きをしたのが今日逃げた二人組みの男だったとしたら、どうだ?」
「……!」
ジョナサンはようやく気づく。あの二人が何がしかのスパイであったという可能性に。そして、それが意味するところは……。
「――反逆のにおいがする。久しく嗅いでいなかった香りだ」
ジョナサンはそれを聞いて、少々焦ったように意見した。
「しかし、もしそうだとすれば、尚のこと早めに手を打った方が……」
「クーデターを画策する奴等がいるとすれば、一人や二人捕らえたところでそう簡単に自白するとは思えん。下手にこちらから弾圧をかければ、危険を察知して身を潜める可能性さえある。しばらくは泳がせておいて、裏にいる輩たちを根こそぎ誘き出す。そうしておめおめと出張ってきたところを一網打尽にすればよかろう」
ジョーンズは嗜虐の笑みを浮かべて言った。
「なぁに、ちょっとした余興も兼ねてさ。そう簡単に潰してしまってはおもしろくない。抵抗する獲物ほど駆逐したときの悦びとは大きいものだ」
ジョーンズはジョナサンに指示を下した。
「娘の素性を調べて、その近辺から情報を集めろ。くれぐれも極秘裏にだ」
「自警団の連中も動かしますか?」
「フン、奴らには伏せておけ。所詮は鉄砲を振り回しているだけがお似合いの塵どもだ。脳味噌まで筋肉で出来ているような奴等に、隠密行動など出来やせん」
「承知しました」
――――。
しばし行方知れずとなっていたハリーとゲンジ(ジャンゴとボンバー)の帰還によって、しばらくの間なりを潜めていた革命団の活動は瞬く間に再燃した。ある種の潜伏期間を得たことで、そこに賭ける意気込みが増強されたのだろう。無論、水面下においての活動であるという点については、以前にも増して厳しい管理体制が敷かれるようになったものの、団内の士気や結束という側面に関しては、以前にも増してより強固なものとなった。
ルークやゲンジについては言うまでもなく、あれだけ不満を垂れていたハリーも、いざ戻ってみれば彼らの熱気と意欲にすっかり扇動され、革命騒ぎに加担している。
昼間はジョーンズ一派の目を掻い潜って集会を開き、実技訓練や来たるべきそのときに向けての心構えなどを説く講習を行い、夜はルークの自宅にて、ハリーとゲンジを交えた首脳三人による入念な打ち合わせと意見交換が行われる毎日。
理想の実現に向けて激しく燃え上がる男たち。本人達は大真面目でありながら、その活き活きとした姿はどこか楽しそうに見える。コーネリアは身近にいながら、なんとなく立ち入れないような疎外感を感じて、羨ましげに彼らのことをずっと見ていた。
しかし、だからといって傍観者に留まるようなことはせず、彼らが活動している間は、コーネリアも歌を歌うため、積極的に町の中へと出向いた。あのようなことがあった手前、彼女の身を案じたルークは引きとめようとしたが、彼女もまた譲らなかった。自分は自分に出来る事をしたいのだと訴え、酒場や町角に出向いては細々とあの歌を流して歩く。さしずめ革命団の布教活動だが、その旨を伝えることが出来ないため、ひたすら地道で日陰な活動が続く……。
その日もコーネリアは、往来の隅で集まってきた子供たちを相手に歌っていた。
ギターの穏やかな旋律に乗せていつものように歌い出しつつ、時折微笑みかけては、真っ直ぐな眼差しをしている愛くるしい子供たちへと優しい表情を向ける。
のんびりとした昼下がりの光景。眠気を誘われるようなその柔らかな心地に浸りきっていたせいか、気づくのが遅れた。
「……!」
正面、そして左右から一斉にこちらを睨み据え、近づいてくる数人の男たち。身なりを見れば、自警団の尖兵であるとすぐにわかる。背後は壁面であるため、既に囲まれてしまった状態だ。おまけにコーネリアとそれを取り囲む彼らの間には何にも知らない子供たちがいる。
剣呑な雰囲気を湛えて迫り来る無頼の輩たちを前に、子供たちはすっかり怯えた表情でコーネリアの側へと身を寄せ合った。みんな目に涙を浮かべて、心細そうにぶるぶると震えている。
コーネリアはそんな子供たちを庇うように抱きとめ、「大丈夫だから」と言い聞かせた。
目敏くそれを見て取った男たちは、ニヤニヤと悪趣味な冷笑を浮かべ近づくと、早速その子供達に手を掛け始める。
「ほら、こっちに来い!」
怖がって泣きじゃくる子供達を怒鳴りつけ、無理やり引っ張り出して人質に取る。
「やめてください! 何をするんです!」
「うるせえッ! おらクソガキども! 大人しくしねぇと捻り殺すぞ? ああー?」
「やめて! 乱暴にしないで!」
コーネリアが必死になって抗議するも虚しく、あっという間に形勢は悪化した。
「どうしてこんなことを……」
「べっつにぃ~?」
コーネリアは失望したように掠れた息を吐き出す。
「私を貶めたいのなら、こんなことは止めてください! その子たちは何も関係がないじゃないですか! 卑怯ですよこんなのは!」
「おいおい、人聞きの悪いこと言うなよな。俺たちはただ、こいつらと一緒にオメェの歌を聴きたいだけなんだぜ? 客だぞ客!」
男たちは何ら心が痛まないのか、けらけら笑っている。人質に取った幼い子供を小突いて、一層泣き喚くその苦痛な表情を愉しんでいる者さえいた。
「クックック……!」
「おら、どうしたぁ? 早く歌えよ! ガキどももお前の歌が聞きたいって駄々捏ねて泣いてるぜ?」
「あんまりうるさいと、俺たちァ、うっかり者だからなぁ? ついつい加減を間違って殺しちまうかもしれねぇ」
「あー、なんかチョー殺してぇー気分だなぁー」
コーネリアはそのとき、確かな怒りを感じた。この者たちはもう人間じゃないと、悪態を吐いて唾棄したいような気持ちだった。
「くっ……!」
『歌え歌え』と囃し立てる野太いアジに押され、コーネリアはギターを抱え直してささやかな声で歌い始める。自分でも意図しないうちに酷くなげやりで乱雑な歌い方になってしまった。こんな調子では余計に彼らを刺激することになり、人質に取られた子供たちを危険に晒してしまうと解っていながら、どうしても抑えきれなかった。コーネリアは、こんな気持ちでこの歌を扱う自分自身に許しがたい感慨を抱く。
「――」
べちゃっと不快な音を立て、不意にゲル状の液体が顔面に降りかかった。コーネリアは演奏を中断し、茫然と顔を拭って手に付着したものを見る。それは生卵の卵白と黄身だった。
「ケッケッケ!」
自警団の一人が、戯れに投げつけたのだ。
「うるせーんだよ! この下手クソがァ! やめちまえ!」
それを皮切りに他の者たちからも次々と激しい野次が浴びせられる。
「引っ込めブス!」「「そんな鈍臭い歌、聴きたかねぇや!」「失せろ!」「帰れ! 殺すぞ!」
罵声とともに色んな物が飛んできた。
唾に、酒瓶に、火のついた煙草。果ては馬の糞まで。
たまたま通り掛った者や、近所に住む町の者たちは足を止め、遠巻きにその光景を眺めている。あくまでも眺めているだけで、誰もそこに関わろうとはしない。その者たちの中にはきっと、人質に取られた子供たちの父母だっているはずなのに。
「…………」
それでもコーネリアには、傍観者に成り下がっている彼らのことを責める気持ちはなかった。むしろ幸いだと思う。もし助けに入ろうとする者が現れていれば、その者はきっと殺されていただろう。みんな、今はただ大人しく見ていて欲しいと彼女は願った。
雑兵たちの目的は、大勢の人の前で私を笑い者にすることなのだ。憂き目に遭うのは私だけでいいと、そう思っていた。
盛大な帰れコールの中、コーネリアは泣き出しそうな表情になって必死に耐え忍びながら、それでもなんとか演奏を続けようと意地を見せる。
「チッ」
なかなか折れない彼女の態度に、痺れを切らした一人の男が拳銃を抜き据えた。轟く銃声。コーネリアの抱えたギターが、彼女の袂から荒々しく弾き飛ばされる。
「っ!?」
血相を変え、慌てて拾い上げようとするコーネリアを嘲笑うかのように、また一人の男がそれを思い切り、硬い靴の底で踏み躙った。
「おっと、悪ぃな~? 少しばかり足元がふらついちまったよ」
男がわざとらしく軽佻にのたまい、体重をかけてぐりぐりと捻った踵を退けると、もとより年代物で機構の危うかったギターは、見るも無残に全壊していた。
「――」
スクラップも同然となった父の形見であるギター。その残骸を前に、コーネリアは表情を失い、音もなく崩れるようにしてしゃがみ込んだ。
「クックックッ……ブーッ、ハッハッハッハッハッハ――――っ!!!!」
男たちは、嬉々として高らかに哄笑した。彼女の心を陵辱し、屈服させたのだと心ゆくまでその快感に浸り、満足したのか立ち去ろうとする。
――そのとき、ギターの残骸を前にして立ち、コーネリアは静かに歌い始めた。
ご機嫌な嘲笑をまたたくまに萎ませ、睨み殺すように男たちが振り返る。
「この女ァ……!」「まだわからねぇのかよ……」「ちくしょうが!」
逆上した男たちが再び近づいてこようとすると、少女の静かな歌い出しが、爆発的な声量によって豹変した。
ノスタルジックなギターの伴奏はもうない。
心地良い旋律も、美しく透き通った声もない。
ただ空に向かって声を張り上げ、のどを嗄らし叫ぶように、コーネリアは謡う。
再び罵声を投じようとしていた男たちは、その凄まじい迫力に思わず口を噤んだ。
美麗で清楚な容姿、繊細で穏やかな普段の彼女からは想像もつかないような泥臭さと熱気が放たれる。ボロボロの格好でたった一人、必死に腹の底から叫び散らす少女の姿は壮絶だった。怒りと悲しみ。抗うように、まるで何かを弔うように、コーネリアは謳った。
子供たちは啜り泣くのをやめ、呆然と目の前の光景に魅入っていた。遠巻きに傍観していた大人たちも、たちまち痺れたように目が離せなくなる。
道行く者たちもその異様な熱気に次々と足を止め、または惹きつけられるように、人集りの規模が大きくなる。もはや自警団の尖兵どもはすっかり呆気に取られてしまい、その場に居合わせた誰もが彼女の歌声に圧倒されていた。
「……けっ、興ざめだな」
白けてしまったように吐き捨てて、無頼漢の一人が背を向けた。それを機に他の男たちもこぞってその場を立ち去ってゆく。
冷静さを気取り、呆れ返ったような態度とは裏腹に、彼らは動揺を隠せていない。
「――」
物陰からその一部始終を目撃していたハリーは、その光景に衝撃を受けた。革命団の指導役をまたもやゲンジ一人に押し付けて、再三、訓練を抜け出してきたハリーは、たまたま娼館へと向かう途中でこの現場に出くわしたのだ。そしてそのまま立ち尽くすこととなった。
ハリーはこれまで、コーネリアのことを非力で無知なくせに奇麗事ばかり並べ立てる、どうしようもない小娘だと認識していた。あのルーク以上に子供で、取るに足らない存在として軽視し、どこか哀れんでさえいた。しかし今、彼女の雄姿を目の当たりにして、思わずにはいられない。
「歌は暴力も強し……か」
胸中に浮かんだ思いを茫然と口にするハリー。それは本来、冷徹さを重んじる彼にとって最も嫌悪すべき部類に入る世迷言だった。そんな馬鹿馬鹿しい戯言を、あんなにも儚く頼りないと感じていた少女が現実の形として証明してみせたのだ。
コーネリアは自分よりも遥かに強い自警団の荒くれどもを相手に、たった一人で戦い抜き、そして事実上勝った。暴力的な手段など一切講じず。自分の信じるやり方を貫いて。
思わぬ伏兵に己の理念を根底から覆され、そこにルークたち革命団の抱く理想の完成形を垣間見たハリーは、大いに心を揺さぶられた。
「……そうか」
そうだったな、と。ハリーは忘れかけていたことを思い出した。
その後光のような雄々しさに身を焦がされて、初めて実感する。
コーネリアが伝説に謳われる大盗賊・タネンの娘であったということを――。
「――おらァ! お前ら何見てやがるんだ!! ぶっ殺すぞ!!」
去り際に自警団の者たちが火消しを行ったことで、我に帰った野次馬たちが慌てて散り始める。人質に取られていた子供たちが解放され、それぞれの親元に駆け去ってゆくのを見送ると、コーネリアも憑き物が落ちたように、ぐったりと項垂れた。
白昼の騒動はすぐに鎮静化し、そこから一人取り残されたかのように、座り込んで脱力するコーネリア。不意に、背後から声が掛けられた。
「あのぅ……」
気の抜けた顔をしてなんとなく振り返ると、そこには一人の女性と、子供が立っていた。
コーネリアは子供の顔を見て、人質に取られていたうちの一人だと理解する。声を掛けてきたのは、その子の母親だろう。
「ありがとうございました」
母親と思われるその女性は、やおら深く頭を下げてそう言った。
「え……」
「あなたのおかげで、うちの子は助かりました」
間違っても感謝の言葉を言われるなどと思っていなかったコーネリアは、少し驚いた顔をしてかぶりを振った。
「いいえ、もともと私の蒔いた種ですから。気にしないでください」
それよりもこんなところをさっきの連中に見られたら、この親子に火の粉が及ぶのではないかと思い、コーネリアは失礼と思いつつ早々と話を切り上げた。
母親は最後にもう一度だけ深くお辞儀をしてから子供とともに去って行く。微笑をしたためてそれを見送ったコーネリアは、それから改めてギターの残骸と向き合った。
心のなき者に踏みにじられた父の残滓を、感慨深く眺めたあと、破片を一つ一つかき集め、帰途に着く。
家に帰ったコーネリアは、決して誰にも知られないよう、静かにそっと、一人声を押し殺して泣いた。父の思いでが詰まったギターの残骸を胸に抱き、泣いて、泣いて……。
そして娘は、そんな自分との決別を心に誓った。
――――。