第九章「情無用のジャンゴ」
――ハリーとゲンジが行方を晦ましてから早一週間。
依然として何の音沙汰もなく、二人の帰りを待つルークは頭を悩ませていた。
「大丈夫よ。あの人たちが、そう簡単に殺されるはずがないもの」
コーネリアはそう言って励ますが、ルークの懸念はもう一つ別なところにもあった。
不安は焦りに、焦りは不信に変わる。
「……あぁ、そうだね」
感情の入らない返事をしながら、ルークはやはり、考えずにはいられなかった。
――もしかすると、自分達は見限られたのではないだろうか。
そもそも二人はこの町の人間ではない。この町がどうなろうと、あの二人にはまるで関係のないことなのだ。加えてハリーとゲンジは、本来アウトローである。
心情的には自分たち貧民よりも、敵である自警団の方にこそ寄っているのではないだろうか。
いつ裏切られてもおかしくない。
彼らがジョーンズ派に寝返ったとしても、不思議じゃない。
もしかすると既に、いや、最初から……。
「……馬鹿な!」
ルークは必死にそんな疑念を振り払った。
人を疑うのは、自身の心が卑しく、臆病な証拠だと。自責の念に苛まれる。
そして自らの内にある確固たる信念の在処を確認し、前向きに考えてみた。
もし仮にこれから先、彼らの協力が得られなかったとしても、自分達がやるべきことは何も変わらない。ジョーンズと自警団を倒し、この町の人々を開放する。もともとは自分達の力だけでやり遂げるつもりだったことだ。彼らの本心がどうあれ、ここまで協力してくれたハリーとゲンジには感謝をするべきだろう。二人のおかげで、自分達は戦う力を得ることが出来たのだ。感謝の意を表明するためにも、必ず目的を果たす。
――――。
晴天の霹靂。白昼堂々、町の通りを馬に乗った自警団の行列が闊歩していた。
大名行列よろしく、彼らが通る所、平民たちは跪き静かにこうべを垂れる。
そうしなければ反逆罪に問われてしまうからだ。
知事であり支配者であるジョーンズは、週に一度、必ず自らが出向いて町の様子を見廻るということを定例としていた。もちろん護衛役を兼ねて自警団の構成員は総動員である。
ジョーンズの独裁哲学において、愚民どもを支配する方法の一つは、屈服するという習慣を身につけさせることであった。
城の頂上に篭もりきって滅多に姿を現さない王など、所詮はただの飾りだ。
実力主義に拘る彼は、小まめに民衆の前に姿を晒し、その威厳を見せつけ、頭を下げさせることこそ重要だと考えているのだ。
先頭ど真ん中を行くのは勿論、ジョーンズ=ネッガー。
その両隣には彼が信頼を寄せる、秘書のジョナサンと自警団長のエレン。
その他の雑魚は漸次、年齢や入団時期など細かな立場の差によって、上に立つ者ほど前を歩くといった決まりになっている。もちろん自警団の中で一番下っ端のハリーとゲンジ、もといインディオとサンチョは最後尾についていた。
(おいハリー、ホントに大丈夫かよ。俺らのことを知ってる連中もちらほら見かけるぜ?)
(心配すんな。変装は完璧だ)
(そうかぁ?)
KKKのような赤い覆面を被った二人は並んで馬を歩かせながら、声を潜めて言葉を交わす。
(よぉ、ハリー? やっぱり見る奴が見ればバレるんじゃねーかなぁ)
(ッたく、テメェはビクビクし過ぎなんだよ。小心者だなぁ。それじゃあ返って怪しまれるだろ。ほら、もっと胸張って、堂々としてろ)
(お、おう)
「…………」
ふと、先頭を行くジョーンズが手綱を引いて馬をとめた。
後続の連中も黙ってそれに倣う。
「知事?」
ジョナサンが代表して窺うような声をかけた。ジョーンズは答えず、他の何かに意識を向けているようだ。耳を澄ませば、どこからかギターの音色と女の歌声が聞えて来る。
ジョーンズは無言のまま進行方向を変え、行列は再び進み出した。
――――。
コーネリアはいつものように酒場で歌をうたっていた。
昼時の酒場は夜ほどの賑わいはないにしろ、それなりに客は入っている。
ギターの旋律に乗って彼女の透き通るような声が響き渡ると、それまで雑談に耽っていた者たちも互いに注意を呼びかけあい、静かに聴き入る。演奏するのは、いつものあの曲。
自分にはこれくらいのことしか出来ないからと、コーネリアは時間があるとき、酒場や街角でいつもこの曲を弾き語りしていた。
彼女の地道な活動のおかげで、町の人々の間にも少しずつ広まりはじめている。
最近では、コーネリアの歌を聴くためだけに、わざわざ店を訪れて来る客もいるほどだ。
彼女の演奏によって、殺風景な店内はすっかり穏やかな雰囲気に包まれていた。
不意に軋んだ音を立てて、スイングドアが開かれる。
「ん……?」
客かと思ってふと振り返った店員の表情が戦慄に凍てついた。
「――っ!!」
彼は動揺のあまり持っていたグラスを取り落とし、その割れる音が湖に投げ入れられた小石の如く、波紋を呼んだ。
ジョーンズを先頭に、自警団の者達がぞろぞろと店内に踏み込んでくる。
騒然となる店内。怖れをなした客達は一斉に逃げて行った。
コーネリアは演奏を中断したまま硬直する。出来ることなら、一刻も早く逃げ出したい気持ちだった。しかし自警団の、いやジョーンズの睨む視線の先は、明らかに自分だ。
理由はわからないが、自分が何故か彼らに目をつけられてしまったということだけは確かなようだ。
案の定、コーネリアは不躾な男たちによって周りを囲まれた。
言うまでもなく助けは来ない。
店に来ていたコーネリア贔屓の客も、せいぜいが入り口の所からこっそりとこちらを窺うので精一杯である。所詮はしがない町人だ。彼らに助けを期待するというのは酷なことであろう。そんなことをすれば間違いなく殺されてしまうのだから。
不気味なほど静まり返った店内。
コーネリアは黙って突っ立ったまま、彼らの言葉を待った。
「――いい歌だな?」
口を利いたのは、名実ともにジャスティス・シティの支配者として君臨する、ジョーンズ知事であった。驚いたようにビクッと一瞬肩を跳ねさせた後、
「ありがとう、ございます……」
と、おずおず引き攣った礼を返すコーネリア。
ジョーンズは立派な顎髭に手をやり、にやりと悪の風格漂う笑みを浮かべた。
「どうだ? 俺の屋敷へ来て、歌って貰えないかな?」
「え……」
茫然とする少女。
独裁者の誘いはいやに紳士的で、あたかも任意のような調子であったが、取り巻きの男たちは既にその要求の真意を理解した様子で、不気味に笑いを堪えている。
たとえ丁重にお断りしたところでおめおめと引き下がるような連中でないことは先刻承知済みだ。下手に抵抗して、他の人たちを危険に晒すわけにもいかない。
コーネリアは大人しく従うより他になかった。
「……決まりだな」
ジョーンズの一言に促され、前後左右を囲まれたまま、コーネリアは歩き出す。
後ろの方で隠れるように混じっていたハリーとゲンジ。
ゲンジが小声で焦りを見せた。
(コーネリア……!)
我を忘れて一歩踏み出しそうになったところをハリーに掴まれる。
(馬鹿野郎。テメェ、何する気だ?)
冷徹なハリーにゲンジは憤りの表情を向けた。
「……」
ハリーはそれをまじまじと見つめ返し、無言のまま首を左右に振る。
〝余計なことをするな〟と、厳しくその目で咎めながら。
店を出たあと、コーネリアはジョーンズの馬に乗せられた。代わりにジョーンズは馬を降り、手綱を引いて歩く。大将が馬を降りているにもかかわらず、手下が乗るわけにもいかない。他の面子もジョーンズに倣い、大名行列のようだった支配者たちの行進は、江戸時代の市中引き回しのような光景になる。往来の向こうから、慌てて駆けつけて来る者がいた。
「コーネリア!」
ルークが大声を上げて、行列の前に躍り出る。
「ルーク!」
それは助けを求めるものか、制止を促すものか。恋人の姿を見て初めてコーネリアが叫び声を上げた。
ルークは構わず、ジョーンズの前で惜しげもなく土下座の体勢を取った。あとはただ必死になって許しを請う。
「知事様! どうか! どうかお許しください! この者は私の許婚なのです!」
ルークを見下ろすジョーンズの目は、ひどく落ち着いていて猟奇的に見えた。
もっと単純にサディスティックな挙動をみせるのは自警団の下っ端ども。
「チィッ!」
ルークが殺される。そう直感したゲンジは拳を握り締めた。
〝もう我慢ならねえぞ〟
そう思った矢先、隣にいたハリーが前方へ飛び出していた。
「――!」
ハリーは土下座して列の進行を止めているルークに向かって猛然と駆けてゆく。
助けに入るつもりかと思ったが、それは違った。
「くぉらァ!! 貴様ッ、ジョーンズ知事に無礼を働いて、ただで済むと思うなよッ!!」
ルークの首根っこを捕まえて引き倒すと、派手に怒号を上げながら、殴る蹴るの殊更激しい制裁を加える。
その有様にほとほと呆れ返るゲンジであったが、興味を失ったように再び行列を進め始めるジョーンズを見て、ようやく理解した。これは機転を利かせたハリーの助太刀なのだと。状況的に考えて、ルークは殺されてもおかしくなかった。あのまま放っておけば、間違いなくそうなっていただろう確信がある。それをジョーンズや他の団員の手でやらせる前に、ハリーは先制という形で防いだのだ。自身の立場を守りつつ、折り合いをつけてルークの命も守ってやる。おまけに今は自警団所属のインディオであるハリーにとって、ジョーンズや他の団員に向けてのアピール、ポイント稼ぎにもなるという優れた手だ。
ゲンジは感心するやら呆れるやらで複雑だったが、ひとまず気持ちは治まった。
「ルークっ!」
散々痛めつけられた挙句、往来の隅に捨て置かれるルークを見て、コーネリアは涙ぐみながら必死に叫んでいた。この場で一番可哀想なのは彼女だろう。
役割を終えたハリーはそそくさと行列に戻り、一団が遠ざかって行く。
ルークは無様な姿に這いつくばりながら、攫われて行く最愛の少女を見送ることしか出来なかった。
――――。
威圧的な空気が、酒と煙草と男の臭いで濁った室内を支配している。
「……」
ジョーンズの屋敷へと連れ込まれたコーネリアは、衆目の的に立たされたまま沈黙を貫いていた。不気味な笑みを湛えた狼たちの前で、少女は決然とした表情を見せている。
「歌え」
低く落ち着き払ってはいても、抗えぬ恫喝のようなジョーンズの言葉に、コーネリアは確かな意思の通った声で返事をした。
「あれは私のとても大切な人と、貧しい町民の方々を想って作った歌です。あなた方のために歌うことは出来ません」
クックック……と、どこか空恐ろしい失笑がこぼれて重なり合う。
ジョーンズは椅子から立ち上がると、コーネリアの顎を不躾に摘んで、その目をぎょろっと覗き込んだ。細い肩を慄かせながら、コーネリアは必死に目を背けまいと抵抗を示す。
「いい目をしているな。心の底から俺のことを嫌い、憎んでいる目だ」
ジョーンズはその歪んだ嗜好心をくすぐられたように嬉しそうな声を発する。
「フフ……どうあっても、歌う気はないと言うんだな?」
瞳の奥は落ち着きなく揺れ動き、コーネリアは傍目からでも判るほどに怯えていた。当たり前だろう。怖いに決まっている。
それでも強がるように「はい……」と口にした少女の微妙な表情を、たっぷりと味わうように見つめるジョーンズ。
「殺されてもか?」
独裁者の風格を漂わせながら放たれたその一言に、コーネリアは息を呑んだ。
体中が凍えたように震え始め、一層竦み上がる。綺麗な鳶色の目が今にも決壊しそうなほどに潤んでいた。
ジョーンズが腰から抜いたコルトネイビーをコーネリアの胸に突き付け、ゆっくりと激鉄を起こす。コーネリアは顔面を蒼白にして、途方に暮れたように硬直した。気丈で美しい少女が壊れゆく様子を愉しむジョーンズと自警団。例外は大して興味がなさそうな秘書のジョナサンと、いつも通りポーカーフェイスのエレン、赤い覆面を被ったまま、集団の一番後ろで隠れるように何やら密談しているハリーとゲンジぐらいだ。
さぁ音を上げろ。泣け、喚け、助けを求めて諦めろ。絶望した顔を見せてみろと、気違いじみた期待の声が聞こえてきそうな雰囲気の中、それでもコーネリアは精一杯に抗った。
酷く怯えた蚊の鳴くような細い声で、確かに告げる。
「歌えません……」
雑兵どもからは幻滅したような空気が漏れる。
しかしジョーンズはむしろ好意的だった。
さきほどよりも一層、鋭い目の奥にあった鉛色の輝きが増している。
目の前の少女から、何かを見出したかのように。
「気に入った」
ジョーンズの一言にコーネリアはぽかんとした表情を浮かべる。それを理解する間もなく胸に突き付けられた拳銃が収められ、ひとまずは深く安堵の吐息を漏らした。しかし。
「こいつは少々、躾が必要らしいな?」
ジョーンズは姦計を孕んだ嘲笑を浮かべ、配下の者たちをちらりと見やる。そして一言。
「輪姦せ」
すっかり白けかけていた自警団の面々が再び高揚したように喜色を含めた下品な反応を返す。
〝まわす〟という言葉の意味をコーネリアは瞬時には理解できなかった。しかしそれが自分にとって、都合のいい事ではないということは周囲の反応から感じ取れる。
「なっ、何を……!」
言いかけたコーネリアの腕を、獣のような男の一人が掴んだ。
「やっ、やめてください! いやぁあッ!」
振り払おうともがくが、数人がかりで囲まれると、もはや手も足も出ない。
遠ざかって行くコーネリアの悲鳴を嗤って聞き流しながら、退屈凌ぎにはまぁまぁだったな、とジョーンズは思った。
――――。
コーネリアを犯す順番は公平を規す為、ジャンケンによって決められた。
運良く先行を勝ち取った最初の三人が、鼻息を荒くさせながら部屋に入る。
照明は天井からぶら提げられた裸電球が一つ、埃っぽく殺風景な部屋の中、簡易ベッドに縛られた状態のコーネリアが転がっていた。
ジョーンズの屋敷内には、もっと広くて豪華な造りの部屋もあったのだが、陵辱にはこのくらい荒んで狭苦しい部屋の方が気分も出るという理由でここが選ばれたのだ。
「へっへっへ……」
酷薄に哂いながら近づいた男の一人が、コーネリアの口元からぞんざいに猿轡を取り外した。
「――く、はぁっ!」
同時に少女は息を呑む。そして恐る恐る目の前の男たちを見上げた。むさ苦しい髭面、土気色の肌は荒れてごつごつとした痘痕になっており、浮浪者同然の強烈な悪臭を体中から漂わせている。コーネリアは恐怖と不快感で表情を歪めた。
「こいつぁ上玉だぜ」
「しかも素人娘だ」
「丁度いい。娼館の安っぽい売女にはいい加減、飽き飽きしいてたところだ」
平然と交わされる剣呑な会話に、コーネリアは思わず声を発した。
「なっ、何をするんです……」
三人は示し合わせたように一度顔を見合わせると、愚問だといわんばかりに嗜虐の笑みを少女へと向けた。
「おい。オメェ、今まで何人の男にヤられた?」
男の一人がコーネリアの髪の毛を乱暴に掴み上げ、顔を近づけながら恫喝する。
「答えろ、じゃなきゃ殺すぞ? ああ?」
少女は怯えきって何も答えられない。
「まさか処女か?」
コーネリアは顔を真っ赤に染めて、泣きそうな顔になった。それを肯定と受け取った男たちは馬鹿にしたように哄笑する。
「ハッハッハ! こいつぁいいや! 他の奴等が聞いたら、さぞかし悔しがるだろうな!」
「後がつかえてんだ。さっさと始めようぜ」
「ほらよ!」
髪の毛を掴んだ男が、強引にコーネリアの体をベッドの上に捻じ伏せた。
「きゃっ!」
短く絶息するような悲鳴。
もはや訊くまでもなく、少女はこれから自分がどんな目に遭わされるのかを理解した。
男たちは三人がかりでいとも簡単にコーネリアの体を押さえつける。
「いや! やめてください! いやいやいやああッ! やめてぇえええええッ!!」
悲鳴を上げて暴れるコーネリアの頬を、一人が思い切り張り飛ばした。
「うるせえッ! テメェ、次叫んだら顔の形が変わるほど殴るぞ? ああ!?」
コーネリアの目をぎょろっと覗き込むように恫喝して、男たちは服に手を掛けた。縛ったままの状態で、無理やり服を引き剥がそうとする。
少女はもう抵抗できなかった。細く頼りない拳を握り締め、固く目を瞑って、必死に堪えるような表情を浮かべる。それを見た男たちはまた爆笑した。
「ケッケッケ! 堪んねーなぁこのツラはよぉ!」
「やっぱり牝は無理やりヤッちまうに限るぜ」
「壊す。犯す。ハメ殺すッ……!」
コーネリアは目蓋の裏にある暗闇の中で、自らの死を覚悟していた。このまま大人しく辱めを受けるくらいなら、舌を噛み切って死のうと決意する。最後の踏ん切りをつける気持ちで、少女は最愛の青年を心に思い浮かべる。ルークは彼らとの戦いに命を賭けている。だからこそ自分も、彼らの手に染まったまま生きるなんてことは許されない。たとえルークが許してくれても、自分自身が許さないだろう。いざ決心してみると、胸の奥から何か重たいごつごつとした物がスッと抜け落ちていくような感覚に至った。
心が静かになる。……静かだ。少し静か過ぎる。
「……?」
ふと気づいた。ついさっきまで聞えていた男たちの狂喜じみた話し声が、猛りきった息遣いが全く聞こえない。
どうしたのだろう。それに触れていたはずの男たちの無骨な手の感触も消えている。
コーネリアは薄く目を開いて、様子を窺った。
(これは、どういうこと……?)
男たちは倒れていた。三人とも床でぐったりと目を閉じ、気絶しているようだ。
何が起こったのかわからず、困惑の表情を浮かべるコーネリアの前に、一人の男が現れた。
赤い覆面を被った大男。
この男が目の前の三人を眠らせたのだろうか。しかし一体、何のために?
「あ、あのぅ」
コーネリアはおずおずと話しかけてみる。
「あなたは……?」
すると男はおもむろに覆面を取り払い、素顔を晒した。代わりに取り出したサングラスをかける。コーネリアは思わず目を丸くして驚嘆した。
「ゲンジさん!」
呼ばれたゲンジは「あいよ」と小さく微笑んでから、コーネリアの縄を解き、代わりに気絶した男たちを纏めて縛り上げる。
「で、でも、どうしてここに……?」
安堵の息を吐き出すとともに、コーネリアは当然といえば当然の疑問を発した。
「ワケはあとだ」
ゲンジは振り返り、コーネリアに手のひらを差し出す。婦人をダンスに誘う紳士の仕草。
「さぁ、王子様のところへ帰ろうか? お姫様?」
――――。
その頃ハリーは、逃走用の馬を拝借するため、敷地内にある厩に忍び込んでいた。
「けっ、何で俺がこんなことしなきゃならねーんだか」
ぶつくさと悪態をつきつつ、手頃な馬を見繕い、倉から連れて出す。
そこで予定通り、コーネリアを救出したゲンジと落ち合った。
「ハリーさん!」
「ばか。声が大きい」
窘められて声を潜めながら、コーネリアは「……お二人とも、これは一体どういうことなんですか?」と状況を尋ねた。ハリーがにぶっきらぼうに答える。
「もう面倒くせぇから、説明はかくかくしかじかで省略だ」
「フィクションって便利ですね」
その後、意外なほどあっさりと屋敷を抜け出した三人は、そこでうろちょろしていた挙動不審な人影に出くわした。
「――コーネリア!? それにハリーさんとゲンジさんも!」
出会い頭に大きな声で驚嘆したのはルークだった。「声が大きいっ……!」と三人揃って注意する。口元を手で押さえて声を潜めながら、ルークは尋ねた。
「……お二人とも、どうしてここに?」
おいまただよ、お前なんとかしろ、と言わんばかりにハリーは億劫そうな表情を浮かべてゲンジに説明を促した。
「げふんっ! あー、説明は、かくかくしかじかだ」
「なるほど。フィクションって便利ですね~」
「お前らもなんか擦れてきたな……」
ルークとコーネリアへの悪影響が誰に由来するものかはともかくとして、ハリーは「オメェこそこんなところで何やってたんだ?」と問い返した。
「いやぁ、それは、そのぅ……」
ルークは困ったように苦笑し、頭を掻く。腰の膨らみから拳銃を隠し持っていると見抜いたハリーは意地悪く先制した。
「まさか、恋人を助けるために一人で乗り込もうなんて気はなかっただろうなぁ?」
「あ、はは……」と、ルークはますます弱ったように恐縮する。ゲンジは指導者としての威厳を見せつつ、呆れたように言った。
「バカ。くれぐれも軽率な行動は慎むようにと言ったはずだぞ? リーダーのお前が、捕まったり殺されたりしたんじゃあ、意味がねぇだろ」
「はい……。すみません……」
一通りのお説教が終わると、二人を一騎の馬に乗せ、先に逃走経路の指示を出す。ルークとコーネリアの後姿が完全に見えなくなってから、ハリーとゲンジもそれぞれ馬の鞍に跨った。二人で今後のことなど相談しながら帰途につく。
昼間や宵の頃合にはそれなりに賑わっている町中も、今の時間帯ではひっそりかんとした静謐の中。灯の落ちた夜の道は、数メートル先も見渡せぬほど深く濃い闇に包まれている。
「――さっきのセリフ、そっくりそのままテメェに返すぜ?」
馬の蹄で軽快なリズムを刻みながら、ハリーはふとそんなことを言った。
「……ん?」
とぼけた風なゲンジに、嫌味がましくジト目をして説く。
「コーネリアを助けに行こうとしてたルークに説教垂れたろう? お前こそ一体なに考えてんだ。なんだってこんな危険冒してまであいつらに加担してやらなくちゃならねぇんだよ」
不満げなハリーを、ゲンジは軽く笑ってあしらった。
「まぁいいじゃねーか。やっちまったものをとやかく言ったって仕方がねぇやな。それによく考えてもみろ? ジョーンズのところであんな下っ端扱い受けるより、ルークたちのところで救世主様扱いされて踏ん反り返ってる方がマシだろう?」
ゲンジの言い分にハリーは少し考えるような仕草を見せる。
「……まぁ、そりゃあ確かに」
「お宝のこともあるし、なるべくあいつらの側に居た方が都合がいいってもんさ」
業腹なことではあるが、短い逡巡の末にハリーが納得し、話題は移ろう。
「しっかし、意外なほど上手くいったな? 今のところ追っ手が掛かってる様子もないし、なんだか拍子抜けだぜ」
敵地からの逃走についてゲンジが不意にそんな感想を漏らした。
ハリーも同意する旨のコメントを述べる。
「この分じゃあ、自警団もブロンディも大したことねぇな」
「へへっ、全くだ」
すっかり気を抜き、二人でけらけら馬鹿にして笑いながら夜風を切って馬を駆る。
――!!
刹那に感じ取った只ならぬ気配、二人が目を剥いたその瞬間。
「……ッ!?」
突如、前方十数メートルの暗がりから、炸裂音とマズルフラッシュの閃光が瞬いた。
手綱を断たれ、バランスを崩したハリーは空中に投げ出されるような格好で馬から転落する。ゲンジは空かさず馬を急停止させた。
「ハリー!」
落馬したハリーは着地と同時に上手く転がるようにして衝撃を緩和し、そのまま空かさず引き抜いた拳銃を暗闇の中に向けて構える。
「…………」
じっと息を殺すように呼吸を落ち着け、銃口の切っ先にまで感覚を研ぎ澄ませながら目を凝らす。
じりじりと乾いた砂を踏みしめ、ゆっくりとこちらに向けて近づいて来る足音。三人……四人……。暗闇の中からそのシルエットが徐々に浮かび上がる。ようやくその者たちが姿を現したとき、ハリーは不敵な笑みに口元を歪めた。
「噂をすれば、なんとやらってか……」
配下の団員を引き連れて、金髪のエレンが悠然とした佇まいを見せつける。最初の一発を貰ったときから大方予想は出来ていた。こんな見通しの悪い暗がりで、ハリーの握っていた手綱だけを正確に射抜ける拳銃使いなどそうはいない。
エレンの半歩後ろに身を置く三人の顔もついでに確認する。三人とも自警団の中では最古参とされるメンバーだ。ジョーンズとエレンの二人を例外とすれば、実質リーダー格となる団内でもとりわけ力のある御三方。どうやら今回は少数精鋭で攻めてきたらしい。
「……へっ、団長自らお出迎えとは光栄だねぇ」
ハリーは少し声を張って大げさにのたまった。
「だがちょいとタイミングが良すぎやしねぇかい? あっさり逃走を許しちまったかと思えば、どういうわけか今度は待ち伏せときた。まるで、最初から全部分かってたみてぇによ?」
エレンは無表情のまま動じない。どうやら答える気はないらしい。
お付きの男たちも口々にエレンを非難するような言葉を発した。
「団長、あいつら二人を誘い込んだのはアンタの責任だぜ」
「今度ばかりは、お前さんもヘマをやったな」
「いずれボスに報告して落とし前はつけてもらうが、まぁ安心しな。あいつら二人はきっちり俺たちが始末してやる。今はまだアンタの部下だからな?」
三人の表情には確かな余裕と、これまで幾多もの死線を掻い潜って来たことを思わせる風格があった。
「おい青二才」
男の一人が酷薄な嘲笑を頬に刻みつつ、ハリーの方を振り返った。
「テメェ、あんまり調子に乗るなよ? あんな猿芝居で俺たちを虚仮にしたつもりなんだろうが、所詮はひよっこの浅知恵よ。ボロが出るのも早いってもんだ。……フン、冥土の土産に教えてやろうか。俺たちはなぁ、――」
銃声一発。どさっと、男は呆気なく地面に倒れこんだ。そしてそのままピクリとも動かなくなる。仲間の二人は痴呆のような面持ちで、茫然と立ち尽くしていた。
「冥土の土産に教えてやろうか。――」
くるくると手の中で銃を回しながら、ハリーは肩を竦めてみせる。
「喋る暇があったら撃て?」
「てっ、テメェ!」「……この野郎ッ!」
途端、真に迫ったような顔つきになって、本域の銃撃戦に傾れ込もうとする二人の男に何食わぬ顔で制止をかけたのはエレンだった。
「お前たちは下がっていろ」
彼らの心境を一つも理解していないどころか、ハリーの雑魚扱いに同調するようなエレンの態度は二人の神経を激しく逆撫でした。
「ふざけるな! もうお前の命令なんか聞いてられるか!」
「ここまでナメられて引き下がるほど、俺たちは落ちぶれちゃいねえ!」
激情に駆られた男二人は、エレンの命令を無視して正面からハリーと対峙する。
「雑魚に用はない、失せろ」
ハリーもなんだかニヤニヤと上唇を舐めながら、すっかり殺る気になっていた。
そこから一対二の変則デスマッチが展開されるかに思えたのだが……。
「――」
漆黒のコルトSAAが火を噴いた。
背後から一瞬のうちに命を絶たれ、男二人は声を上げる間もなく奈落の底に沈む。
「!」
驚いたのはハリーだ。自分がわざわざ連れて来ていた手下を何の躊躇もなくいきなり射殺して平然と佇むエレンに、当然ながら怪訝な表情を向ける。
「どういうつもりだ……」
エレンは何故か、美しく微笑み、
「彼らを殺ったのはキミだ。いいね、坊や?」
一方的にそれだけ告げると、踵を返して立ち去ろうとする。ハリーは声を荒げて、白装束に金髪の女を呼び止めた。
「待て!」
エレンの行動はあまりにも不可解だ。狂っているの一言で片付けるのは簡単だが、どうにも腑に落ちないことが多すぎる。
「……テメェ、いったい何を企んでるんだ?」
「見逃してあげようと言っているんだ。それ以外にどんな交渉も必要ないと思うが?」
「それはテメェの目的がさっぱりわからねぇからよ!」
「キミは知らなくてもいいことだ」
それとも――、と勿体つけるような間を持ってエレンは振り返り、
「どうしても私と決闘がしたいっていうのかい? 坊や?」
うっとり優しげに微笑んで、弄ぶような仕草で銃挺に指を這わせる。ハリーは思わず緊張に肩を引き攣らせた。エレンには殺気というものがない。だからこそ攻撃のタイミングが量れないのだ。得体の知れない恐怖心を抱く。
「キミも少しは実力をつけたようだが、……殺しの数は私の方が上だ。それに今キミに死なれるのは、私としても少々都合が悪いんでね? 楽しみは然るべき時が来るまで、大事にとっておいてくれたまえ」
エレンの閑雅な後姿が闇の中に溶け込んで見えなくなると、ハリーは落胆したように息を吐き、ピースメーカーを腰に収めた。いたたまれない決まりの悪さに襲われる。
終始、傍観を決め込んでいたゲンジが馬を引きながら寄って来た。
「相変わらずイカれた女だぜ。あんなのとまともに殺り合わず済んで良かったじゃねーか。なぁ、ハリィ? あいつはバケモンだ。人間が敵う相手じゃねえや」
ハリーの顔色を窺いつつ、どこか慰めるように言うゲンジ。ハリーは憮然としたまま、エレンの去った暗闇を見つめていた。
――――。
エレンはふと足を止めた。月明かりのおぼろげな空を仰ぎ、それから小さく微笑んで、あらぬ方に向け唐突に声を発する。
「キミも帰りな?」
建物の影に身を潜めていた小柄な人影は、声を返すことなく小さく身じろぎした。互いに互いの姿は見えていない。それでも相手の微妙な気配だけを克明に感じ取って、エレンは傍から見ればまるで独り言のように話しかける。
「遠慮は無用さ。今までも、そしてこれからも……私には理解者も協力者もいらない。それが私の道なんだ。これは、私だけの道だ」
「…………」
「短い付き合いだったが、いずれまた会えるだろう」
「……――」
静謐の中、質量の軽い足音がぱたぱたと土を蹴って遠ざかってゆく。
危険が去ったあと、ハリーとゲンジたちの許へ帰るのだろう。
殺し屋として培った鋭敏な感覚の中で、エレンはエンジェルアイとの別れを認識しながら、一人、今度こそ聞く者のいない独り言を呟いた。
「Thanks.……」
音もなく、脇目も振らずに、金髪の女は前も後ろもないような暗い夜道を歩き出した。
――――。