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頂きもの短編集

一つ屋根の下‏

作者: ゲストa

紫煙にけぶる息苦しい半地下の酒場は、けれどある種の人間を奇妙に引きつける。

弱った動物がねぐらにこもって傷を舐めるように、鬱々とした気分の時にふと思い出す店なのだ。

過去に煌めくあまたの失恋に、負けず劣らず派手に砕け散ったと噂の友人もまた、カウンターで一人うなだれていた。





  【 お酒のチカラ 】





彼が背負うとてつもなく陰惨な空気に、カウンターはおろか店内の人影もこの時間にしてはごく僅か。

表面上はいつも通りの店主に目をやると、『ココに座れいいから座れ何ぼさっとしてやがんだてめぇコレ早く何とかしやがれ!』というぎらついたまなざしが返った。

友人から一つ席をあけ、仕草と視線だけで注文を出すと店主も黙ったまま正確に意図を読み、ある酒瓶に手をかけた。

鼻孔が蕩けそうなその芳香、喉を焼く刺激さえ甘いと感じる、悪魔に愛されたような逸品。

初めて口にした瞬間、不覚にも……涙ぐんでしまったほどの。

値段ももちろん恐ろしいことになっていて、伝手のおよぶ限りをたどっても手に入ったのはこの一本だけ。

目にするたびに生唾を飲んで、しかし何気なく味わうのもどうかと柄にもなく怯みにひるんで、今日まで残る宝物だ。


コトン、と杯が下りたのは私の前じゃない。

惜しげもなく注がれた液体は蜂蜜色にとろりと揺れて、虚ろな目をした友人を映したはずだ。

目は向けない、何も言わない。

……だって、何が言える?

やがて厚い掌が、ゆっくりとそれを包んだ。






「よっし、潰れた!へっへ、ざまぁみやがれってんだっ!!しかしなぁ、一杯で撃沈かよ。相変わらずだなこいつも……」

「体質だから仕様がないよ」


「あーあー、いい酒を水みたいによぉ。だいたいこの野朗、酒を数滴落とした果汁しか飲めないクセに何で酒場に来やがるんだ?」

「それでも酔えるんだから結構じゃない。あんまりかっかしないでよ、残りはあなたにあげるから」


「…………いいのか?マジでかっ!?後で嫌っつっても返さねえからな!」

「そんな真似したら死ぬまでねちねち文句言うくせに。好きにしていいったら」


「じゃっ遠慮なく!うはぁ~っ気前のいいこって、あんなに苦労して手に入れたのになぁ」

「……もう、それを飲んでも後味悪いだけだからね」


カウンターに崩れ落ちた友人の、険しい口元をそっとなでると無精ひげが指先をつついた。

ふ、と弛んだその輪郭に、合わせるように私も嗤った。


悪魔に愛された酒、琥珀の夢、月の蜜酒。


何が混じるのか、その酔いが招く眠りは濃密。

けれど身体は覚めているのだ、むしろいつもより敏感に、多情に、“刺激”を受け入れて素直に悦ぶ。

なにも、覚えていられないのに。

飲みどころを選ぶのは、馬鹿げた値段のせいだけではない。


「……もしかして“お持ち帰り”する気か?いや、この酒の使い方としては正しいんだろうが……おかしくねぇ?まいど潰れたこいつを連れて帰ってんのはお前さんだろうに、今まで何してたんだよ」

「“友達”は、そーいうコトはしないの」


「そうだろ、お前ら間違っても色っぽい雰囲気はなかっただろ。なんでいまさら急に?」

「なんで……?それは私が聞きたいよ。なんでこの人は、毎度まいどフられてんの?何で定期的にぐずぐずじめじめシケた店の端でやけ酒あおってんの?一級の戦闘職が。頭脳あたま技量うでもある希少な人材がだよ?性格だって、ちょっとずれてるけど言うほど悪かないのにどいつもこいつもっ、この人が差し出す愛情は踏みつけにしなきゃなんないって決まりでもあるのかっ!?」


溜まりにたまった鬱憤のとばっちりをくらい後ずさった店主は、しかしこちらの言葉が途切れたと見るやきりりと表情を引き締めた。


「おれの店はシケてねえっ!」

「ウンそうだねー。町イチバンの人気店だ、毎晩お客サンが押し寄せてるねー。儲かりすぎて困っちゃう?」


「おまっ、真顔のイヤミは凶器だぞ!?チクショウがっ、こっちに当たんな鬱陶しい!!おれにとっちゃこいつは自分の酒量も分からねえ阿呆で、お前さんはたまに見るぶんにゃ面白いがアクの強い厄介者だ!惚れたの腫れたの勝手にすりゃいい、どうせなるようにしかならねえよっ!……まあ、おれから言えんのは一言だけだ」

「なに?」


「失恋しても酒がある。どうぞ今後ともご贔屓に」

「…………ありがと。心強いよ」






さて、どうしてくれようか。

友達以上を望んでも、さして勝算があるわけじゃない。

長くつかず離れずの距離で観察していれば嫌でもわかる、こいつの理想は“お姫様”だ。

清楚で純情な世間ずれしていない女性、守らなくてはと思わせる小柄で内気な少女。

見事に似通った女性に惚れ続け、振られ続け、もうその根性を讃えればいいのか学習能力のなさを憐れめばいいのか迷う境地で。


だから普通に考えたら無茶だ、無理だ、無謀だ。

私は女としてはかなり恵まれた体格で、それを生かした職業は冒険者、もう中堅の域に入るので若くもない。

腕も稼ぎも悪くない、ついでに派手な趣味もないので財産と呼べるものも人並み以上に得た。


なら、もう旦那なんていらないんじゃないか?ふと魔がさしたのはいつだったか、女らしさなんてものもここ数年で激減中だ。

むしろ、お嫁さんっていいな~、なんてことを多分独身男性の心境で思ってしまう今日この頃なので。

自分のベッドで無防備に横たわる男、そんな状況を前にしてもムラムラより気後れが大きい。


『……お前のソレ、同情じゃねえの?』


彼に肩を貸して店を出る瞬間、店主がぼそりと投げてきた問い。

あの酒の酔いはどれだけ深くても泥酔状態にはならないので、全体重を引き受けるわけではなくても重いものは重い。

上がる息に紛れて、聞こえなかったことにした。

店主もそれ以上なにも言わず、静かに扉を閉めた。


そうじゃない、とは言いきれなくて、重ねてしまった十年だった。

友人の表情に陰りが、疲労が、滲み刻まれていくのをただ見ていた。

噛み締めつづけた苦い感情の名前を、私はいまだに知らずにいる。


要求は単純で、多くはない。

この人はもっと幸せそうに笑っているべきだ。


今までは周期は短くても、好きな女性の傍にいられたなら幸せだろうと考えていた。

でも、それならなんで彼の感情はだんだん内にこもっていくんだろう。

満たされているはずの恋愛中でさえ、近頃は微笑がせいぜいだ。

不満が募る、そして思う。



――私なら、もっと。



衝動が冷めないうちに折り良く……という言葉はアレにしても、好機が巡り彼はここにいる。

既成事実を作れば情も湧くかと、思い切って剥きかけたものの、肌に残る傷跡を見て手が止まった。

戦士の勲章ともいわれる傷も、彼の場合はその多くが愛の勲章でもある。


戦う事が生業の彼にわざわざ近付いてくるお嬢さん方には、皆それなりに差し迫る事情があったそうだ。

必要とされれば彼は奮い立つ、恋にまで熱が高まればもう身を捧げるように彼女達を護り、粘り強く事態を打破する。

だが事が終われば接点もないのか、やがて距離が生まれ、しばらくすると酒場でうらぶれる彼を見るのだ。

飽きるほどに繰り返される喜劇、今や依頼費を抑えるために餌として送り込まれる女性すらいるほどだ。


正確を期すなら、彼の好みは“困っているお姫様”なんだろう。

どちらがどちらを必要としているのか、あるいは利用しているのか。

縋りつかれれば条件反射のように恋に落ちる彼、あまりに都合のいい救いの手を取らずにいられない立場のお姫様。

正直そんなものが恋愛と呼べるかと、罵りたい気持ちもあった、それでも。


傍から眺めれば見事な茶番、またやってるぞと笑われて、でもいつだって彼は真剣で。

何度も危ない目に遭って、怪我を負って、けれど救えなかった女性なんていないのだ。

滑稽でも、振られんぼでも、そういう役回りには名称がある。

両手両足の指を折って足りないだけの女性を救った男は、英雄の名に相応しい。


私は、悪い魔女で充分だけど。

救いを求めるお姫様がたを蹴散らし、その英雄を奪い盗る役で。

しかし、いくら悪役希望でもやってはいけないこともある。

……文字通り身体に刻まれた痛々しい歴史を、こんな卑劣な手で汚す覚悟はない……まだ。


直すべきは直し、必要なところだけ緩めて、軽く温かな上掛けで横たわる身体をふんわり覆うと。

また少しだけ唇が弛み、よほど肌触りが気に入ったのか頭までもぐりこんでしまった。


「……………………よし、寝よう」


おかしいな、あんなに意気ごんだ宵の口、この結末は予想してなかった。

すごすごと主寝室を後にし、いつも酔いつぶれた彼を転がす客間へ。


明日はもう少し頑張ろう。








またたく間に訪れた夜明け、まだ薄暗い主寝室に忍びこんだのはしかしやましい気持ちからではない、着替えが必要だったのだ。

寝ているだろうと遠慮して、静かにしずかに扉を開いたのが裏目にでた。

自然と眺めたベッドの上には、挙動不審な生き物がいた。


ぐりぐりと頭を振る奇妙な仕草は、どう見ても敷布に頬擦りをしているように見える。

かと思えば、今度は両腕に抱えた上掛けにじゃれつき、ばふっと深く顔を埋めた。

いや、そのまま大きく波打つ背中からすると思いきり深呼吸をしているようだ。

何だ、何がしたいんだ、臭うのか私の布団は!?


「か、カーディ……?」


掠れきった声はそれでもとどき、生き物はゆっくりとこちらをむいた。

悪びれたようすはおろか、眉一つ動かさない無表情でだ。

こっちの存在に気付いたうえであの狼藉か……ああもう、どんどん傍若無人になっていくなぁ。


「オーゼングラスの雪衣」

「へ?……ああ、分かる?」


肌触りに惚れた高級毛布、買って悔い無し毛織の最高峰だ。


「アルダ・ルワナの濡れ羽鳥」

「……へえ、結構目利きなんだね。それは流通量が少ないのに」


軽さ、温かさで敵なしの高山鳥の羽毛布団、既成品にはとても手が出せないから仕方がなく自分で狩った。

薄い空気に倒れそうになり、俊敏な獲物に弄ばれて、さんざん苦労させられたものの出来も寝心地も申し分ない。


「ん……シスターン香水の“薄暮”か……いや“夕凪”だな」

「ひとの寝床を嗅ぎ回るなっ!!」


しかし、どれもこれも高級品ばかりなのに原材料からぴたりと当てたな。

個人的に、彼には質実剛健、悪く言えば質素な印象をもっていたのに。


「豪勢だな」

「そうかな?寝心地にこだわるなんて仕事じゃ許されないんだから、家でくらい堪能したい」


「意外だった」

「こっちこそ、どんな依頼でも愚痴は吐かないって聞いてたから、あんまり身の周りに関心ないのかと思ってたよ」


「人を無神経呼ばわりか。言っても仕方ない時は黙っているだけだ」

「ふ~ん。で、寝心地はどう?」


「…………悪くはないが。しらふで眠ってみなければ詳細な評価は難しいな」

「じゃあ結構。惰眠を貪りたいなら止めないけど、いつもの部屋に移動してからお願い」


「ここでは駄目か」

「邪魔、見ればわかるだろうけど着替えたい」


じっとりと顔から下を舐める視線、欲を含まないそれに応じて寝間着ながら胸を張って踏んばった。

私と彼は、身長では頭一つと差はないものの、体格ではずいぶん見劣りする。

それでも足取り怪しいこの男に肩を貸したり、襟首を引き摺ったり、担いでベッドに投げ捨てられる程度には鍛えた身体だ。

もちろん聞き分けのない客人を床に蹴り落とすのも、そう難しくはない。

重心を傾け、利き足をほぐしてみせるとカーディの目付きが鋭くなった。


「哀れな酔っ払いに対する君の気遣いはその程度か」

「ソレを道端に捨てもせず、毎度毎度まいどまいど以下略で家まで持って帰ってくるのは素晴らしい気遣いじゃないの?」


感謝の言葉など長らく聞かないものの、たまに酒場――“アナグラ”に、私名義の珍しい酒がひっそり増えている。

たまに、といっても酔っ払い回収後一週間以内という規則性をもつので、匿名を使う意味は不明だけど。


今も、恩を感じていなくなくもないような無念の顔つきでもっさり立ち上がるカーディ。

そこらの椅子に掛けておいた自身の服を掴み、部屋履きをつっかけて、やはりわっさもっさと隣を横切る。


「それ、私の布団だけど?」

「寝心地の検証を頼まれたはずだ」


平坦な声音に裏腹、くるまった上掛けを握るごつい腕には取られまいと筋さえ浮かべて。

あけすけな執着が妙におかしくて、咎める気も失せた。


「…………何か用意しとくから、気が済んだら台所に顔出してね」

「ありがとう」


素直なお礼に驚いて、思わず彼を振り返る。

食事にもさして拘りのない彼の感謝は、やはり布団を貸したことに対してだろう。

ナゼそこまで寝具を愛するのかという疑問は残るが、新たな一面を発見してしまった。


そのまま立ち去るかに見えたさなぎのような後姿は、しかし戸口でわさりと翻った。

もう常の無表情に戻っていたものの、少しだけ垂れた右眉は困惑のしるし。


「どうして今回に限って俺は君の部屋にいたんだ」


一度も彼を入れたことのない、私の趣味の極み、私の匂いが染みた、私だけの縄張りに。



――それは愚問でしょ?



戦闘時なみの踏み込みで間を詰め、胸元をはだけると同時に首筋をやんわり齧ってやった。

そこだけ大きく上下した喉仏も、ちろり、味見してみたものの、殺気が無いせいか残る酔いのためかぴくりとも反応しない。

しかし意識のない相手を襲うのはナシだが、二日酔いに付けこむぶんには問題ないなどという俗物は。

……きっと、どう足掻いたって彼の好みには合わないのだ。


「そりゃ私だって女だから?たまにはイイ男が食べたくなるの」

「…………そうか」


手を放し身を引くと、鼓動二つでカーディが消えた。


「なんだ、元気なんじゃないか」


床を見れば散らばるのはよれた男物の服ばかり、上掛けだけしっかり抱えて逃走したらしい。

本物なわけだ、あの執着は。

くっと喉に込み上げた笑いをダメ押しで吐きださせたのは、力の限り閉じられた扉の騒音。

……ただし、玄関でも裏口でもない位置でだ。


「っは!……ふはっ、勘弁してっ、逃げる先がソコ!?誰の家だと……っくく、もう何なんだ!?」


気が済むまで笑ってみたら鍛え上げた腹筋が痛みで引きつった、まったく恐ろしい男だ。

手早く着替えて台所に向かうと、新鮮な水を用意して爽やかな香りの香草を一枝落とす。

首も喉もかなりしょっぱかった、あれだけ汗をかいたなら喉が渇いているだろう。


届ける先は昨日の寝床、いつだって彼のために空いている、彼しか泊めない客室。

頭の回転も足も速いカーディが、あえて選んだ逃げ場でもある。


案外、私にも望みはあるのかもしれない。












案外、私にも望みはあるのかもしれない……なんて、勘違いもいいところだった。





  【 甘い生活 】





好きな女性の前以外では、口数少なく、空気は読まず、話術など心得も興味もない人間。

そんなカーディだが、たとえ返事は的外れでもこちらの言葉を無視することはなかったのに。

その彼が客間に籠城したまま、なんど呼びかけてもウンともスンとも言わないというこの状況。

長年の油断をつき不意打ちで迫ってしまったという弱味がある以上、合鍵で押しいるのも躊躇われた。

だから水だけ扉の前に置き、引き下がってきたものの。


「暇すぎる……」


ちなみに予定外の存在が予定外の居座りを決め込まなかったら、今日は庭掃除がしたかった。

我が家には騎獣用の立派な庭がついているのに、このところ忙しくろくに面倒をみていない。

いい加減に手入れをしたい、しかし彼の引き籠った部屋は思いきり庭に面している。

彼がしんみりと籠る部屋の外でざくざくばさばさ騒音を発して、あげくいつも気さくなお隣さんと世間話に興じていいものだろうか?


「……あれ?悪いわけないな、自分の家だし」


カーディ攻略はもう充分頑張ったはずだ、押して駄目なら引いてみろともいう。

あとは、生活のためにひと汗流そう。






丁寧に刈りこんだ下草とそれらしく切り揃えた生垣、片付けはあとに回して出来栄えを見渡す。

職人並みとはいかないものの、さっぱりと整った庭に自然と頬が弛んだ。

風雨に褪せたたたずまいの騎獣小屋も、ざっと手を入れた限りでは傷んだ箇所もなくほっとした。


数年世話になっていた騎獣、速度が自慢の長脚鳥も昨年無事引退し、我が家は寂しくなったものの庭の手入れは随分楽になった。

広いといっても閉じられた庭で、退屈した彼女に突かれはたかれ、刃先に気を使いながらの手入れはそりゃもう大変だった。

頭の良かった彼女は仕事ではとても察しが良く忠実だったから、あれはワガママというか、甘えていたのかもしれない。

今は引き取り手の老夫婦のもとで行商を手伝い、いまだ衰えないその脚力で昔やんちゃだったご夫婦の血を滾らせているそうだ。

……飼い主ともども無茶をしていないか、一度ようすを見に行ってみようか。


思い出に浸りながらものんびりごみを始末していると、お隣から小柄なご婦人が笑顔で声をかけてきた。

話好きで朗らかな女性で、留守がちな隣人にもそれとなく目を配り、こうして繋がりを持ってくれる。

これを煩がるか感謝するかは、お互いの人間性と相性にかかっているんだろうけれど、さいわい私達は上手くやっていた。


私は仕事の内容をぼかしつつ印象に残った事や出先の様子を話し、彼女は私がいなかった間のこの街の近況を教えてくれる。

詳しくは、美味しい店の情報や目まぐるしい流行りすたれ、市場の物価の変動に見る世情、ちまたの事件とそれに絡む暗い噂を実名と鋭い推理つきで。

またその推理が素人ながら的中率七割を誇るので、侮れない。

はては冒険者組合内の極秘情報までどこからか仕入れてきて、世間話風に語る底知れないお隣さんだ。


「お久しぶりですロットン夫人、今日も綺麗ですね」

「……相変わらずねハルシェ、お帰りなさい。でも少し働き過ぎではないの?帰って早々大仕事をして」


「昨日十分休みましたから大丈夫ですよ、でも心配して頂いて嬉しいです。丁度手も空きました、一緒にお茶にしませんか?また私がいない間の話を聴かせて下さいよ」

「いいえだめよ。手が空いたなら、もてなさなきゃならない人は他に居るのではないの?」


意味ありげな、けれどおどけた様子の流し目の行方は……カーディの部屋では、なかった。

視線の先にあるのは開け放たれた大きな窓、爽やかな風に揺れるカーテンと大きな食事机、そこに座り無心に口を動かす大男。

……お腹が空いたようだ。


きさまの繊細さはその程度か、食欲にぼろ負けか、ってことはさっきの無言の抵抗も実は二度寝中だったってオチだな?

女に振られたうえ腐れ縁の友人に襲われ、傷心のあまり水も喉を通らない架空の男に向けた同情を今すぐ返せ馬鹿野郎。


「硬い顔ね、喧嘩中だった?」

「いえ、これからです」


「そう、なら帰ってしばらくは窓を全部閉めておくから。こちらは気にせず存分にやらかしてちょうだい」

「すみませんね、手早く終わらせますから」


向けられた小さく丸い背にふと思い出す物があり、そうっと後ろに忍び寄って掌を揺らす。

リィン、と響いた涼しい音に目を見張って振り向いたロットン夫人、彼女は鈴を意味する可愛らしい名前の人だ。

今回の土産は小さな魔除けの銀鈴、それとこの町では手に入らない香料で練った香り玉。

庭にいれば会えるだろうと、持ち歩いていたのだ。


「いい音でしょう?これを見たら貴女を思い出して買って来てしまいました。気に入って貰えるといいんですが」

「…………いつも有難う。あなたの気配りには圧倒されてしまうわ」


嬉しそうではある、しかし微妙に呆れを含んだ複雑な笑顔。

困らせてしまったのだろうか?この香りは気に入らなかった?

わずかな気落ちを敏感に察して、ふっくらした手が宥めるように腕に触れた。


「どう言ったらいいのかしら?あなたの気遣いは素敵すぎて、つい旦那と比べてしまうのよ」

「そうですか?貴女を射とめたほどの方を、私なんかと比べてもつまらないでしょうに」


「ふっ、ホホホホホッ!月のない夜は気をつけるのよ?勘違いした哀れな女性や劣等感に心折れた男性に刺されないようにね」

「はい?あの……気をつけますとも!」


「それではね」

「え、ええ。また……」


奇妙な威圧感に耐えかねて、つい頷いてしまったのだが。

彼女は時々謎めいたことを言い、しかも追及を許さないので困る。






片付けを途中で放り出し、手だけ軽くすすいで食堂に繋がる裏口に回る。

カーディへの苛立ちに先程の不可解な会話のもやもやも加わり結構な不機嫌顔だろうに、真正面から目を合わせてくる男。


「ジャムを要求する」

「…………他に言うことはないの?」


「黄色いのだ」


あれだけ全力で逃げたくせに顔を合わせればしれっとジャムを要求か。

しかも私が食べないから出したこともないのになぜ今ねだる、スプーン握り締めて。

ついでに黄色ってなんだ色で挙げるとかおかしいだろその指定、杏も林檎も柑橘も煮たら全部黄系統だろどれだよ。


彼のどこが好きなのかも見失いそうな勢いで疑問は尽きないが、一つだけよく解った。

私が少し迫ったり齧ったりしたくらいでは、この男は心身ともにびくともしないのだ。


「とりあえず。もうパンきれたけど、ジャムが出てきたとしてどうする気?まあ無いんだけど」

「……欲しい」


「なに、今日はやけにいろいろ拘るね。それは今後ここで食べる食事にってこと?買ってあげるよ好きなだけ、店にある分全種類、在庫ごと買い占めてもいい」


「本気か」

「本気だよ?カーディが私と一緒にこの家に住むならね」


もういい、思い知った、遠慮などいらないのだこの男には。

鬱陶しいほどに押して押して、ようやく蚊に刺されたくらいの煩さを感じるんだろう。

物で釣れるとも思えない相手だけど、彼を動かすツボなど謎すぎてほかに取れる手段もない。

しかしかっと目を見開いた男は素早く庭を見やり、またこちらに向き直った。

珍しく露出した大袈裟なほどに深い苦悩、戸惑うなんて情緒がまだ残っていたのか。


「俺はこれでも護衛として並以上だと自負している」

「……今そんな話してた?でも確認する必要はないよ、知ってるから」


「だから庭と騎獣小屋の掃除を、俺を番犬代わりにあそこで――っ」

「――自負心以前に人間としての尊厳を持てっ!!今なに迷ってたの!?というか、あんたの中で私はどういう人間なのか正直にきりきり吐いて?」


「恐ろしい女だ。それに、危なっかしい」


即答されたことと内容の意外さに、しばらく絶句した。

どちらの評価も、今まで生きてきたなかでおよそ言われた覚えのない言葉だった。


「恐ろしいってのは、恐いってことだよね?そりゃたまにあんたの扱いは雑だけど、そこまで?」

「違う」


「しかも危なっかしいって、それ仕事の面で?その評価は心外だよ」

「違う」


「まさかの私生活……わりと何不自由なく人生謳歌してるけど、私の生活力見くびってない?」

「ない」


さも意味あり気なことを口にしておきながら、なんの補足もなく投げやりに会話をぶった切るこの神経。

どこかで売っているならぜひとも欲しい装備だ、このやるせなさを叩き返してやるのに。

駄目だ、やはり彼に主導させると話がどこにも行きつかない。


「ところでさっきの返事は?今なら山ほどついちゃうよジャム、黄色多めで」

「多めで山ほど……」


「オーゼングラスの毛布も付けようかなぁ?新品で、毛足長めで、頬ずりしたくなるほど滑らかなやつ」

「ふんわりすべすべ……」


「濡れ羽鳥の羽毛は残りが少ないから純正では難しいけど、青綿鳥の一番良いのと混ぜたらかなりの物ができると思う」

「いや、俺はあれがいい」


「……あれって今朝奪ってった?構わないけど……じゃあ取引成立?」

「他に、今の部屋の使用許可、自炊の場合は俺の分も用意すること」


「そのくらいなら喜んで。他にはないの?夜這い禁止とか」

「できるものなら」


「まあやらないけど」

「期間は」


「一年でどう?でも無理だと思ったらその時点で言ってくれればいい」


一つ頷いて、カーディがまた真っ直ぐに視線をぶつけてきた。

灰色の瞳は左右それぞれに混じる青の色味が違い、その不安定なまなざしは動かない表情と相まって静かな凄味を生む。

男臭い角ばった顔にくっきりとした目鼻立ち、短い髪は濃い褐色、よく焼けたしなやかな皮膚に包まれた強靭な四肢。

強い人、精悍な人、不器用な人、よく解らないけれど目が離せない人。

今から一つ屋根の下、ゆったりと憩わせてみたい人。


「この取引から何を得たい、ハルシェ」

「さあ?でも気にしなくていいよ、多分もういろいろ貰ってるから」


「何を」

「うん、たとえば今なら嬉しくて笑いがとまらない」


ゆっくりと瞬いたカーディは、濃い色の睫毛を伏せてそうか、と呟き。

また猛然と自室へ走り去るその背中に向けて、私は声を張り上げた。


「買い物に行くからついでに支度してきてー、番犬はともかく荷物持ちとしては歓迎するから、自分の分は自分で担いでねーっ」


しかし意外と買収は利くようだ、物欲……というにはあどけなかったけれど、また今まで知らなかった面が見えた。

いつもの距離から一歩踏み出すだけでここまで見えるものが違うのなら、いよいよ新生活が楽しみになってきた。






「――ということで、もう窓を開けて下さって大丈夫です。こんなに気持ちのいい日なのに本当すみませんでした」

「あらそう?わざわざ有難う」


「近々きちんと紹介しますね。おかしな噂ばかりの人間ですが、私があれこれ弁護しなくても貴女の目なら本質を見通していただけるでしょう」

「ふふっ自信満々じゃない、はしゃいでるわね。ではもう少し嬉しがらせてあげましょうか?」


「何かいい話しがありましたか?」


にんまり、見惚れるほど不敵な笑顔を見せたロットン夫人はちょちょいと指先で私を招き寄せ。

贈ったばかりの香り玉の芳香をゆらりと流して囁いた。


「わたしはね、噂はともかく今日までカーディス氏の顔を知らなかったの。引かれたカーテンに誰かしらの気配はうかがえても、不気味なほど姿を見ないんだもの。深夜の帰りはともかく、出て行く時は我が家の前を通るはずなのに一度もよ?でも先は堂々と部屋に居座って会釈までしたから、何を言われなくてもあなた達の関係が変わったのは分かったわ。思えば今まではあなたに悪い噂が立たないように、自分の姿を晒さないように、慎重に振る舞っていたんでしょうね」

「イヤそれはどうでしょう。非常に残念ですが彼にそんな細やかな神経があるとは思えません、偶然では?」


「彼の失恋が平均して年三回、そして自棄酒、泥酔を繰り返しているとして十年で何回かしら?そのほぼ全てをあなたのもとで過ごしたのでしょう?ずっとお隣だったわたしの目から逃れ続けるなんて難しいと思うわ。しばらくは年甲斐もなくむきになって一日中張り込んでいたのに……」

「ああ、だからロットン氏は一時期あんなに憔悴を……会う度になぜか謝られて参りましたよ」


「ごめんなさいねぇ、ふふふっ。でも今日のことでわたし、がぜん彼への印象が良くなったの。ただの人を見る目も反省もなく、お酒にもだらしない甲斐性無しなんて思っていて……申し訳ないわ」

「それ、ちょっとやそっと見直したくらいじゃダメ人間枠のままですよね?」


「そうねぇ、うふふっ。いいから心に留めておいて、そのうち分かるでしょう」


上機嫌なのか笑って誤魔化したいのか、よくわからないまま手を振られ、隣家の涼しい木立を抜けた。

生垣の間に仕切り程度に設けられたちゃちな門を通ると、燦々と陽の注ぐ我が家の庭だ。

そこに立ちつくす男は、聞き分けのいいことに外出用に身なりを整えていた。

見据える先に今は何もいない騎獣小屋、じっとそこを見る目もやがてこちらに向けられた表情も真剣そのもので。


「世話になる以上、どんな番犬より優秀にこの家を守ろう」

「番犬扱いは嫌なんでしょ?」


「嫌なのは庭で飼われることだ」

「ああ、それは嫌だね誰でも。やるって言うなら止めないけど、気楽に同居人として過ごしてくれて構わないのに」


「なにがしかの役割を負わなければ生きる甲斐もない。君は違うのか」

「違うねえ。自分の面倒を見るだけでも立派な生き甲斐だよ、あんたはそれじゃ足りないの?」


「ああ」

「……そ。じゃあそろそろ出ようか」


庭を抜け、玄関前へ続く細い道へ。

予備の装備や、地域によって大きく異なる対魔物用の毒や毒消し、細々とした呪符やまじないの品。

そんな物が詰まった倉庫と家の壁に挟まれ、誰の目も届かない死角。

いきなり伸びてきたカーディの片腕が、胸を押し上げみぞおちを締めつけた。


「俺には君が理解できない。分からないものは気を荒立てる。だが興味も引かれる。君は俺に良くしてくれる。だから好奇心だけの干渉は控えた。距離の取り方を君に任せた」

「ちょっとカーディ?」


「君の距離を試させてくれ」


動きを抑えるのは右腕一本、左手は顎にかかりぐっと仰け反らせてくる。

暴れるほどに拘束は強まり、今では呼吸にも苦労する圧力だ。

やはり違うのだ筋力も場数も、諦めて仰のいた喉元に硬い歯の感触が埋まった。


熱く湿った吐息、次に来るものを理解してきつく目を閉じる。

人体の急所にざらりと這う、舌。

自分でやっておいてナンだけど凄いぞカーディ、これで怯まないとか生存本能は無事なのか?

私には耐えきれず腕が解けた瞬間、喉を押さえて跳びすさってしまった。

注がれる視線が少しずつ険を帯びていく。


「された事はしていい事だと理解する。やり返されて困る事はするな」

「うん、ごめん。あぁあもう、あんたが一目散に逃げ出すのも仕様がないね……」


まだまだ消えそうにない鳥肌、細かに震える指先。


「付き合いの長さも善し悪しだね。今ぞくっときたのがトキメキなのか危機感なのか、こいつ相手に何してるんだろうって違和感なのか全然わからなかった……」

「そうか」


「ごめん、もう不用意なイタズラは控える。ええと、それじゃ買い物に行こうか?」

「待ちかねた。荷物は任せろ、丈夫な背負子を用意しよう」


「いいよそんなの」

「なぜだ。多めで山ほどと言っただろうっ」


「だからそんなものじゃ足りないの、家までは荷馬車で運ぶから後は頑張って」

「瓶の十や二十で荷馬車は不合理だ」


「びん?何言ってんの、樽買いだよ」

「……たる」


「去年はほら、気候が安定してて何もかも豊作だったから瓶じゃ間に合わなくて樽詰めも多いの。質のわりに値段は破格だし良い買い物だよ。ただ、一度開けるとカビやすいから根性入れて食べてね」

「…………正気か」


「もちろん。じゃ、出発!」






街一番の品揃えを誇る老舗に到着後、約束どおり全種類在庫ごと買い取ると、荷馬車にも半量しか乗せられなかった。

しかし持て余し気味の商品が一掃されたことに喜んだ旦那さんが、格安の賃料で倉庫の一角に置かせてくれた。

持って帰った分も無事、台所と地下室と急きょ片付けた騎獣小屋を占拠し、これにて一件落着。

そして夕食の席では、隣にどどんっ!!とばかりに念願のジャム樽をすえたカーディが甘い香りに包まれながら放心していた。


「……なんて女だ……」

「堪能した?約束を守るのは人として当然だからね」


本当は黄色多めでという条件も守ろうと、もう一軒回ろうとしたのだが。

私の首を腕で締め固めたカーディが物も言わずに遠慮するので、それならとそのまま帰ってきたのだ。


「物事には限度がある。人の想像力にも。胃袋にもだ」

「大丈夫、まだ五日は持つから」


「俺は今夜本気で挑んだ。だが見ろ、表層しか減ってない」

「うん頑張ったね。その調子で空気に触れる層を毎日食べていけばカビにやられる前に終わるんじゃない?」


「毎日毎日……同じものを食べろと」

「なら違う樽も開けようか、何味がいい?」


カーディは応えず、食卓に肘をついて両手で顔を覆うと静かになった。


「……分かったよ、ちょっと悪ノリしました、反省します。開けた分は瓶に詰め直せば大丈夫、他のだって一人で食べなくても知り合いに分ければいいんだし、料理にも使うよ」

「止めるべきだった。まさかここまでやるとは……」


「見直してもらえたようで嬉しいよ。でも量が量だから、全部始末するのに一年くらいかかるかも。もとはカーディのお願いだし、なくなるまでまできっちり付き合ってよね」


長い間を挟んでのろのろと顔を上げた彼の、焦点の怪しい目はやや潤んで見えた。

かっくり、折れるように頷いてから絞り出された重い声。


「今後は」

「うん?」


「率直にどこにも行くなと言ってほしい」

「……あっはっは!」


「笑いごとじゃないっ」



――そんな台詞がぽんと出る性格なら、こんなややこしい真似はしないんだよ。

本作はゲストa氏より頂いたお話です。許可をもらいrikiが投稿しております。

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