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短編集

墓あばきの少女

作者: 裏山おもて

 ざぐ、ざぐ、ざぐ、ざぐ


 銀月は雲に隠れ、宵闇がじっと虚空に滞留する。


 視界は黑。濃霧のような高密度の黑。


 ざぐ、ざぐ、ざぐ、ざぐ


 土を掘り返す鈍い音は、夜の暗澹あんとんに溶けて沈んでいく。

 

 染みだす汗は、血のように服を濡らしていた。


 ゴッ


 手に硬い感触が跳ねかえってきた。急いで土を払いのけると、小さな箱を見つけた。


 そっと懐にしまう。


 でも、まだだ。まだこんなものじゃ足りない。もっと、もっと掘らないと……


 湿って弛む手のひら。


 堅いスコップの柄を握り直すと、生温かい風が吹き抜けた。


 雲が流れて月が顔を出す。


 銀色に満たされたその墓地には、土まみれになる少年と、彼のすぐそばに座りこむ小さな少女が映り込んだ。


「誰だっ!?」


 墓地とへかけてくる足音。


 もう見つかった。


「逃げるよ!」


 少年は慌てて少女の手を取ると、走り出した。




    手 手 手 手 手 手 手 手




 自分が特別不幸だなんて、思ったことはない。


 もっと不幸なひとはたくさんいる。街を歩いていても、どこかの市場にもぐりこんでも、いつでも何人かその姿は見つけられる。


 首輪をつけられた奴隷、足枷をつけられた娼婦、馬車に轢かれたまま放置され腐っていく老婆。


 人間でありながら人間扱いされない人々。

 搾取されるだけの生命。


 そんなひとたちに比べれば、自分はまだ報われるほうだ。

 ただ親を亡くして、住むところと金を失くしただけ。

 貴族に生まれて貴族として育ち、いくら落ちぶれても奴隷にはならない。貴族を守る法律は、この国の根幹だ。家がなくとも教会に転がりこめば飯くらいはわけてくれる身分。なんなら大きな罪を犯して捕まれば、貴族用の牢獄に入れられて温かい毛布に巡り合うこともできる。もちろん貴族としての誇りは失うけど、居場所は手にすることができる。


 しかし少年がそうしないのには、理由があった。


「おにいちゃん……」


 少年と手を繋いでいるのは、小さな少女。

 紅い首輪をつけた少女。

 年齢や髪や目の色は違えど、顔立ちはとても似ていた。


「おなかすいたよ、おにいちゃん」


 少年は、自分の力で生きなければならなかった。誰かに助けを求めたりすることはできない。

 教会に逃げ込むことも、牢獄という名の保護施設ででぬくぬくと暮らすこともできない。


 そんなことをしてしまえば、妹までも失ってしまう。 

 平民の血が半分混ざっているゆえに、貴族の身分を持てない妹が、他人の奴隷になって酷く扱われてしまうから。


「……わかってるよ、リナ」


 だから少年は少女の髪を優しく撫でる。


 妹に奴隷のように首輪をつけないと、他人の手から守ることができない世界。

 少年は心の中でギリリと歯噛みして、少女の手を引いて歩く。





 墓をあばきはじめたのは、半年前のことだった。


 他人のものを盗むのは気が引けた。金や宝石や食べ物。それらはみんな苦労して手にしているものだ。貴族とはいえ贅沢ができるほど裕福ではなかったから、少年にも少女にも、物の価値はずっと前からわかっていた。


 はじめは、生まれ育った街でなんとかやっていけていた。

 両親が死んでも家は残っていた。その家で、妹とふたりでつつましく暮らしていた。

 安い食べ物に薄い毛布を被り、落ちている小銭でその日を過ごした。

 だけど、そのうちすぐに金が尽きてしまう。

 背に腹は代えられないと家を売ることにしたのはいいものの、訪れた商人に良いように騙されて、あってないような安値で売ってしまった。騙されたと気付いたときには遅かった。少年と少女は、わずかなお金を握り締めて、寒空のもとに放り出されたのだった。


 まだ成人にも満たない少年と、小さな少女。

 助けてくれるひとなんていなかった。


 雨風をしのぐために、両親の知り合いの男の家を訪ねたときのことだ。


 男はニコニコ笑って迎え入れてくれた。

「いつまでもいてくれていいよ」

 そう言ってくれた。

 優しいおじさんだと思った。


 それが間違っていたと知ったのは、数日後の夜中。

 男はまだ十歳の妹を、犯そうとした。


 少年は男の頭を殴りつけ、その隙に妹をつれて逃げ出した。


 誰も信じることができない。

 妹は、自分が守らなければならない。

 そう決意したときには、すでに街から遠く離れた森のなかだった。


 わずかに懐に入っていたお金と、自分たちの体。

 頼れるものはそれだけだった。

 他人の物は盗みたくない。他人は傷つけたくない。


 そこで少年が思い出したのは、両親が死ぬときに亡き骸と一緒に墓に放り込んだ、箱だった。


 死者の弔いとして、なにかひとつ大切なものを入れる。

 少年が両親のために入れたのは、両親の結婚指輪だった。


 そして少年は、街を渡り歩き、墓をあばくようになっていった。




    手 手 手 手 手 手 手 手




「おにいちゃん、おなかすいた」


 少女がちいさくつぶやくと、少年はにっこりと笑った。


「わかった。ちょっとまってね」


 少年は懐から、昨日掘り出した箱を開けた。

 そこには小さな宝石が入っていた。

 それほど高価な品物じゃないだろう。土の下に埋葬するものは、おおきな金銭になるようなものではない。ただし安物というわけでもない。それなりの値打ちがある、持ち主の想い出が詰まったもの。

 後悔は積み重なる。胸の痛みは、死者の呪いのようだった。

 誰とも知らぬ死者に謝りながら、少年は宝石を取り出す。


 質屋にそれを持っていくと、そこにいた老父に「標準値の六割でいいので、すぐに引き取ってください」と言った。老父はしばらく宝石を眺めてから「銀貨六枚だね」と羊皮紙をひっぱりだしてきた。質屋というのは無責任なもので、盗品とわかっていてもたいていは買い取ってくれる。ただし市場価値に対して売値をかなり下げないと、すぐには買い取ってくれない。わけありだということを自覚していると態度に表したほうが、あっさりと買ってくれることに、この半年で気付いた。


 少年はすぐにサインを終えると、銀貨六枚を手にして店を出た。

 そこで目を剥く。


 目の前で、妹が地面に倒れ、顔を背の高い男に踏まれていた。

 ぐりぐりと靴の裏でなじられていた。


「おい、奴隷のくせにぼうっと突っ立ってんじゃねえよ。ああ? くせえなおまえ。ご主人様に洗ってもらってねえのか? ……まさか、逃げ出してきたってわけじゃねえよな?」

「やめろ!!」


 少年はすぐに男の体を突き飛ばした。

 男はよろめいて、少年を見下ろす。


「……なんだおまえ?」

「僕のものに手を出すな!!!!」


 いまにも殴りかかりそうな剣幕に、一瞬男がたじろぐ。

 しかし少年の髪の色と眼の色を見て、それから少女の首輪を見ると、汚い物をみるかのように舌打ちをしてから、


「ちっ……オチガネかよ」


 オチガネ。

 それは堕落した貴族を差すスラングだった。その言葉を遣うのはたいてい平民で、かつ男の髪の色は茶色じみた黒色だった。貴族の身分である少年には手をあげることは許されない。

 少年は自分の目と髪が、いくら汚れても見間違えのないような金色であることに感謝しつつ、去っていく男の背中を眺めた。


「……ごめんね」


 起き上った妹が、うなだれてつぶやいた。

 彼女の髪は黒い。間違っても貴族とは思われない。

 生まれ持ってのことだ。謝る必要なんてない。


「いいんだよ。リナはなにも悪くない」

「ううん、ちがうの」


 リナはそう言って、ポケットから大きな財布を取り出した。


「……ごめんね、おにいちゃん……だって、いつもおにいちゃんばかり、くるしいおもいをさせてるから、わたしにもなにかできないかとおもって……」

「っ!?」


 さっきの男からスッたのだろう。

 少年はすぐに妹の手を握り、駆けだす。

 

 盗みなんてしなくていいのに。

 おまえだけは、穢れずに生きてほしいのに。

 この汚れきった世界で、純粋でいてほしいのに。


 少年はなにかから逃げるようにして、街を出た。




    手 手 手 手 手 手 手 手




 ざぐ、ざぐ、ざぐ、ざぐ


 それから、より懸命に少年は土を掘り返ようになった。


 ざぐ、ざぐ、ざぐ、ざぐ


 街から街へ渡り歩き、墓を荒す。


 ざぐ、ざぐ、ざぐ、ざぐ


 少年のとなりには、いつも首輪をつけた少女がいる。


「おい! 誰かいるのかっ!?」


 墓守に見つかりそうになると、すぐに逃げ出す。


 そんな生活を繰り返し、少年と少女がたどりついたのは暗い街だった。


 森と山に囲まれた、小さな街だった。


 いつも灰色の曇天に覆われた、不気味なほどに静かな街。


 えたような匂いが鼻につく、空気が淀んだ街だった。




    手 手 手 手 手 手 手 手




 その街は寂れていた。

 

 街の入り口の門は固く閉ざされていた。どこか抜け穴がないか探していると、壁に細い階段を見つけた。細くて長い階段を落ちないように登った。街壁はそれほど高くない。植物が少ない土地だからか、獣も少ないようだった。

 壁を越えて中に入った。

 昼間だというのに、街に活気がない。それほど大きい街ではないようだが、村というほどでもない。地面は石畳に舗装されているし、家だってレンガ造りが目立つ。それなりに栄えた都市だったのだろう。


 だがその街は死んでいるようだった。

 しばらく歩いて街の中心街のような場所にでる。

 食糧や日用雑貨を売っている商店をいくつか見つけた。


 しかしどの店主も沈んだ顔で、少年と少女のことに気を留めない。

 ためしに「こんにちは」としゃべりかけてみる。


 雑貨屋の老人は、ギギギと首を動かして、うなずいた。


「…………いらっしゃい」 


 みすぼらしい子供ふたりに疑心もなく、頭を下げる。

 うつろな表情で、ただ少年たち――その背後の空間を見ているようだった。


「おにいちゃん、こわい」

「そうだね。さっさと仕事して、こんな街から出よう」


 休む間もなく墓場を探し始めた。

 たいてい墓地は街の隅っこにある。それも森の近くが多い。森がない場合は、北側に多い。なぜかはわからない。


「あれ、おかしいな」


 違和感に気付いたのはすぐだった。

 まず、ほとんど誰ともすれ違わなかった。それなりに広い街なのに、仕事をしている大人の姿が見当たらない。我が物顔で街をあるく上級貴族の姿も、媚びへつらう商人も、首輪と鎖で権利を奪われた奴隷も見当たらない。


 それよりも不自然だったのは、墓地がなかったことだ。


 数時間かけて街を一周しても、墓地の姿が見当たらない。

 死者を蝋で固めて土葬する。それがこの国で一貫して行われている埋葬方法だ。

 もしかして、この街は違うのだろうか……。


 少年は疑問に思い、また雑貨屋の老人に尋ねてみた。


「墓地はどこですか?」

「……ここが墓地だよ」


 なんとなしに言った老人の言葉に、ゾッとする。


「……冗談だよ」


 生気のない老人は、濁った眼をすこしばかり薄めて、墓地の場所を教えてくれた。

 ほかの街のように、大きな墓地というのはないらしい。それぞれの家が、小さな土の庭を街のどこかに持っていて、そこに死んだ者を埋葬するようだった。たしかに街のそこかしこに土の公園があるような気がしたが、あれがすべて墓地だったとは。

 少年は老人の店の雑貨から、小さな髪留めを選んで買って店を出た。


「……またのおこしを」


 少年は少女の髪に小さな赤い髪留めをつけた。

 首輪と同じ色だからか、意外にも似合っていた。


 ふたりは閑散とした不気味な街を歩く。

 ときおり響くカン高い鳥の鳴き声。黒い影がぐるぐると上空を旋回している。エサでも見つけたのか、どこかの家の陰に飛び込んでいっては、すぐに出てくる。その口には赤い液体で塗れた内臓が加えられていた。

 ぶくぶくに太った鼠が下水路の蓋のあいまから顔を覗かせては、通りすぎる少年たちを興味深そうに眺めていた。人間を見るのが珍しいような、そんな視線。

 

 墓地――そう言われてみればそうかもしれないという、少々胡散臭い空き地がいくつか見当たった。

 家の陰につくられた土の地面。

 そのうちのひとつに、少年は足を踏み入れる。

 まだ昼間だが、なぜか薄暗い。

 少し迷ったものの、これだけひとの気配がなければバレないのではないかと思い、隠し持っていたスコップを取り出した。もっとも見つかっても逃げればいいだけの話だ。こんなに薄気味悪い街だ。後悔はしないに違いない。

 

 ザグッ!


 勢いよく突き立てると、深くめり込む。やわらかい土だった。

 少年は耳をすませながら、力まかせにスコップを突き立てる。すんなりと掘り返せるところを見るに、土葬されたのは比較的最近なのかなと思った。

 腰あたりの深さになるまで掘り返していると、スコップの先に硬い感触があった。

 土を払いのけると、大きな棺桶だとわかった。その周囲の土を軽く掘っていると、小さな箱が埋められているのを見つけた。

 取り出して、開けてみる。


「うわ……」


 宝石だった。

 もちろん高価とまではいかないが、それなりの価値はあるだろう。

 装飾品に加工されていないから、もしかしたらこれは持ち主が大切にしていた観賞用なのかもしれない。

 なんにせよ幸運だ。

 少年は小さく「ごめんなさい」と謝って穴を登った。

 ただ、その口元は緩んでいた。


「……おにいちゃん、わたし、のどがいたい……」

「ああ、ごめんリナ。でも大丈夫、今日はいい宿に泊めてやるからな」  


 少年はすぐに少女の手を引いて、質屋に向かった。

 宝石は、高級宿に三泊できるくらいの大きなお金になった。

 寂れた街なので高い宿はないみたいだが、少年たちでも泊めてくれる酒場の宿に泊まることができた。ほかに客はいなかったし、店主は陰気臭い女だったが、文句を言わずに泊めてくれた。

 ベッドはふかふかだった。

 ぐっすりと眠れたのは、両親が死んでからは初めてだった。

 



 翌日、少年たちはまた昼間に、街にでかけた。

 昨日墓を掘ったところに行ってみると、そのままにされてあった。穴から棺桶を覗いてみるけど、やはりそのままの状態で残っていた。誰も気付かなかったのだろうか。

 少年はあたりをきょろきょろと見回してから、スコップを取り出した。そのままにしておくには罪悪感を感じて、掘り返した土をかけてやった。やはり誰の姿もなく、もとの状態に戻したとき、なにか高揚感のようなものを感じていた。


 少年は妹を連れて、街を歩く。

 目についたのは、昨日と似たような場所。やはり墓だった。

 妹を見張りに立たせて、少年はまた土を掘り返す。

 

 ざぐ、ざぐ、ざぐ。


 いくら力を入れて土を掻きだしても、誰にも見つからない。

 少年は一心不乱に体を動かした。

 見つけたのは、またもや小さな箱だった。

 なかに入っていたのは銀でできた懐中時計。

 すぐに土を戻して平らにすると、質屋に持って行った。

 きのうより少し低い値で売れた。

 少年はぎゅっと、少女の手を握り締めながら宿に戻った。

 コホン、コホン、と少女がせき込んでいることに、あまり気がまわらなかった。



 

 その翌日も、少年は墓をあばきにでかけた。

 その翌日も。

 その翌日も。

 その翌日も……




「げほっ」


 少女がひときわ大きな咳を出した音に、少年は土を掘る手を止めた。


 胸の高さまで掘り進んだ地面に手をかけて、穴から飛び出す。

 妹が地面にうずくまっているのを抱きあげて、少年は焦りをにじませた。


「リナ、大丈夫か?」

「う……くるしいよおにいちゃん……」


 ゲホ、ゲホ、と体を震わせる少女。

 少年はスコップを放り投げて、少女の体を抱えて走った。

 薬屋に駆け込もうかと思ったが、迷いが生まれた。

 自分たちはこの街の墓をいくつも荒している。もし自分たちの悪行がバレているなら、妹のことだってバレているはずだ。いままでは見逃してもらっていたけど、こっちが弱っていると知ったら捕まえられるかもしれない……。

 ……捕まえられたら、妹は本当の奴隷になるだろう。


 少年の迷いは、怯えに変わる。


 足先は、自然と宿に向いた。

 少年は泊まり慣れた宿のベッドに、少女を運んだ。

 発熱していて、汗をかいていた。


「すぐに戻るから!」


 少年は急いで薬屋に向かうと、咳と熱に効く薬をもらった。

 妹にあたえてやると、すこしは症状が治まったのか、すぐに寝息を立て始めた。

 その寝顔を眺めてほっと息をついた少年は、少女が目を覚ますまでずっとそばにいた。




 少年はまた墓をあばきに行く。

 そのとなりには、ぼんやりとした表情の少女。

 少女は墓の隅っこで膝をかかえて座る。

 少年が墓から金目の物を取り出すと、少女の手をひいて質屋に向かう。

 宿で食事をとっても、少女はあまり手をつけなくなった。

 顔を青白くする少女だが、あの日から咳は止まっていた。




 その街に滞在して幾日が経っただろうか。

 少年の財布はかなり膨らんでいた。これだけあれば、数年は生きていけるだろう。どこか田舎に家を買うこともできそうだった。

 対照的に、少女の表情は暗く濁っていた。まるで死人のような蒼白の肌。焦点の定まらない目。痩せ細った手足。


 少女を墓の隅に座らせて、少年は今日もスコップを手にする。

 そして土に突き立てようとした瞬間だった。


「おえっ」


 少女が嘔吐えずいた。

 胃液が吐き出される。ほとんど食事をとらなくなった少女の口から、黄土色に濁った液体が溢れてくる。

 少年は急いで少女に駆け寄ると、背中をさすった。

 いつも以上に顔色が悪い。

 背中を痙攣させる妹に、少年は不安そうに問いかけようとして、

 

「だいじょう――――」

「おえっ」


 少女がびくんと震え、


 にゅるり


 口から白いモノが飛び出した。


「……え?」


 腕だった。

 人間の、腕。


 指先は黒く変色し、肉のない痩せた手のひら。

 血が通っていないと思えるほどに、白い腕。


 それが妹の口から飛び出してきて。


「おえっ」


 少女が嘔吐する。

 にゅるり

 と腕がさらに伸びる。

 肘が見えた。

 皮と関節しかない肘。


「おえっ」


 二の腕が出てくる。

 やはり肉付きは悪い。

 真っ白な腕。


「おえっ」


 肩の部分が出てきた。

 そしてびくんと指先が動いたかと思うと。


 ギシギシギシギシギシギシギシギシ


 まるでムカデのように指先をバラバラに動かした。

 あまりに気色の悪い光景に、ハッとする。

 妹が白目を剥いていた。


「――うああああああああああっ!?」


 思わずスコップで殴りつけた。

 重い音を立ててスコップがぶつかると、腕はびくんと震えて、口のなかに戻っていった。

 まるで巣に帰るヘビのように、にゅるにゅると喉を通り、妹の体のなかへと消えていった。


「…………。」


 少年は茫然としたまま、その場に立ち尽くしていた。

 倒れた妹に、触れることができなかった。



 少女が目を覚ましたのは、それから数時間後のことだった。生気のない目になり、虚ろな顔つきのまま、少女はひとこと「おにいちゃん、かえろう」とつぶやいて、手を出してきた。

 少年は恐る恐る、妹の手を握った。

 いつもと同じ感触ではなかった。


 ……妹の手は、まるで死人のように冷たかった。





 これは墓をあばいてきた罰だろうか。


 少年は、部屋の隅で膝を抱えて座っていた。

 ベッドには妹が寝ている。

 同じベッドで寝ることなんてできなかった。

 月の沈んだ深い宵闇のなかで、部屋の蝋燭だけが頼りなく揺れていた。

 少女が寝がえりを打つたびに、少年はびくりとして少女を見る。

 その口から、腕が生えてくるのではないかと怖れながら、夜を過ごした。 




 もう墓をあばくのはやめよう。


 少年はそう決意して、妹を連れて宿を出た。

 やたら霧が濃い日だった。

 昼間なのに太陽どころか、街灯さえ見えない。


 手探りで街を進んでいく。たしか街の出口は、こっちの方向だったはずだ。


「……リナ、気持ち悪くないか?」


 問いかけると、コクリとうなずく少女。

 わずか十歳の少女は、下を向いたままついてくる。

 すぐに雑貨屋が見えた。

 この道をしばらく進めば、街の出口だ。


 こんな気味の悪い街から出て、どこかの街で悪魔払いに妹を見てもらおう。


 少年が雑貨屋の前を通り過ぎようとしたとき――







「おえっ」




 振り返る。


 同時に首を絞められる。


 妹の口から、腕が二本飛び出していた。


 その白く細い腕が、少年の首を絞めつけていた。


 とっさに抵抗する。ありえないほどの力で、気管と動脈を締め付けられていた。


「――ッア、カぁ」


 声を絞り出そうとするが、できない。


 視界が揺れる。意識が薄れる。妹もまた、死んだように虚ろな表情だった。


 ……これは罰だろうか?


 妹の幸せだけのために、死者を踏みにじった罰だろうか。


 それとも、こうなる運命だったのだろうか。


 少年にはわからなかった。


 しかし、ただひとつだけ想えることがあった。


 これだけでも、叶えたかった。


 妹を――幸せにしたかった、と。


「……ぢ……ぐ……じょう……っ」


 妹の口から伸びる腕に殺されながら、少年は喉を震わせる。


 ……ああ、幸せになりたかった……


 どこかの田舎の風景で、妹とふたりで過ごしている幻覚を、少年は見た気がした。




 少年が全身から体液を垂れ流して息絶えたのは、その数秒後のことだった。



 





 ずるっ


 と。

 少女の口から這いだしたのは、細くて長い、白い女。

 女はニタリと笑みを浮かべると、少年の体を引きずって歩いてゆく。

 濃霧の街へと、消えてゆく……




    手 手 手 手 手 手 手 手




 むくり


 と少女は体を起こす。


 ぼんやりとした意識のなか、体を起こした。


 深い霧。冷たい地面。


 自分の体から、腐ったような嫌な匂いがする。


 でもそんなことよりも気になったのは、兄の姿がそこにはないこと。


 誰よりもそばにいてくれた、兄がそこにはいない。


「……おにい……ちゃん……?」


 少女はただひとり、寂れた街のはずれで、小さくつぶやいた。


「お、にい、ちゃん……」


 そしてふらふらと、腐り始めていた足で、歩きだした。


 


    手 手 手 手 手 手 手 手




 ざぐ、ざぐ、


 土の掘る音が聞こえてくる。


 ざぐ、ざぐ、ざぐ


 月が雲の背後に潜み、夜の帳が闇を深めた宵の時。


 ざぐ、ざぐ、ざぐ、ざぐ


 街から街へと、そんな音が歩き渡る。


 まるでなにかを追うかのように。


 まるでなにかを探すかのように。


 ざぐ、ざぐ、ざぐ……


 その音は、街から街へと移動する。


 暗がりのなか、耳を澄ましていると聞こえてくるのは、小さな少女の声。


 ほんの幽かに、風に染み込んで響く、腐ったような泣き声。


 それは土を掘り返すような音と混ざり、背筋を撫で、震わせてくる。


 街から街へと響きわたり、夜を奏でるその怪奇は、



「…………おにい、ちゃん…………ど、こ…………?」



〝墓あばきの少女〟と呼ばれ、街から街へとさまよい続ける。





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― 新着の感想 ―
[一言]  生きるためには手段を選べませんね、彼らのような歳なら更に。。 妹の具合が悪くなった時にはもう最後のあれは……!? そして今も妹は??
[良い点] ひたひたと怖いものが近づいてくる感じがよかったです。 最後の物悲しい終わりも品がよかったと思います。
[一言] とても面白かったです。 リズムと世界観を感じました。何かに対する純粋な思いと、罪悪感。それがゾクゾクする形で表現されていました。 素敵なホラー。
2013/09/11 23:44 退会済み
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