11話:公正の亀裂
静寂だけが支配する空間。 分厚いカーペットが足音を吸い込み、空調の微かな駆動音だけが響く。
司法長・九条院紗夜は、マホガニーの重厚な机の前で、背筋を伸ばして一冊の古びたファイルと対峙していた。 それは『学園合併戦争法・制定の経緯と運用指針(2191年版)』のオリジナルコピー、そして黒塗りが解除された「真実」の記録だ。
(……法とは、社会の背骨。骨が歪めば、肉体はいずれ腐り落ちる)
彼女の指先が、条文をなぞる。
『第1条:国は、より優秀な遺伝子と教育システムの選抜のため、各学園間の自由競争を推奨する』
2100年頃に極秘裏に始まった国家計画――『国民管理生産計画』。 親という概念を廃し、国がプラントで生産し、基礎培養課程を終えた子供たちを、毎年2,000名ずつ各学園へ配給する。 各学園には「教育の自由」が与えられ、年に一度の「国主催の選挙会」によって選ばれた代表者が、絶対的な統治権を持つ。
紗夜はふと、窓の外を見下ろした。 勝利に沸くキャンパス、遠征軍の凱旋パレード、そして増築される兵器工場。
(選挙、か……)
東京帝国学園における選挙は、もはや儀式ですらない。 対立候補が立候補届を出そうと計画すれば、どこで聞きつけたかメーテル突撃隊が「不慮の事故」や「校則違反の疑い」を理由に襲撃し、物理的に排除するからだ。 結果、対立候補など存在せず、有権者となる生徒たちの投票用紙には、最初から『神楽坂 玲緒奈』の名前しか印刷されていない。
国が定めた『学園代表』としての絶対権限を持つ玲緒奈。 そして、その彼女が私的に任命した、我々『大和会』の閣僚たち。 法の建前上、私たちは玲緒奈の手足に過ぎないが、実質的にはこの国の法律すら及ばない「治外法権の支配者」として君臨している。
「……こんな独裁が許されるのも、すべてはこの『条文』の魔力」
紗夜は、最近開示されたばかりの『第5条』に視線を落とす。
『第5条:2205年の最終統合完了時、勝利した学園の生徒には「特一級市民権」を付与する。これには国家枢機卿への優先就任権、永続的な免税特権、および絶対的な社会的地位が含まれる』
(……そう。玲緒奈はこんな条文が隠されていることに薄々気付いていた。これがあるから、誰も逆らえない)
卒業生は、国の支配者層になれる。 現在、10学年生(社会人相当)にあたる高学年の生徒たちが、生意気な後輩である私たち大和会に従っている理由はここにある。 彼女たちはかつての民主主義政権の崩壊と、弱者がどうなるかを目の当たりにしている。 だからこそ、「勝てる見込みのある」玲緒奈達の強さを認め、現場を任せ、自らは整備部隊や研究者、教官として帝国学園を支えているのだ。
だが、その勝利への道は、あまりに金がかかりすぎている。
紗夜は、手元のもう一つのタブレット――極秘会計録に目を落とし、深いため息をついた。
【今期軍事費:赤字拡大】 【原因:大規模転移門の維持費、および新型兵器開発コスト】
帝国学園の強さは、圧倒的な「金」の力だ。 最新鋭のAI教育システム。個人の理解度に合わせて最適化される個別カリキュラム。 成績優秀者には、高級ホテルのような衣食住と、あらゆるインフラへのアクセス権が与えられる。
(2200年から2205年までの『卒業凍結措置』により、生徒の滞留数は増える一方……。先輩方への年金にかかる費用も馬鹿にならない)
支出は膨れ上がる一方だ。 国からの正規の補助金だけでは、この異常な軍拡と福利厚生は維持できない。
「……玲緒奈も、椿も、まだ危機感を持っていないわね」
玲緒奈たちは、今の赤字を「必要な投資」と捉えている。 周辺の学園に対し、帝国の技術力と武力が圧倒的に有利な今のうちに、一気に版図を広げ、資源を確保して隷属化させる。そのためのコストだと。 彼女たちの目には「勝利」しか映っていない。
だが、財務と法を預かる紗夜には見えていた。 これは「自転車操業」だ。 止まれば倒れる。勝ち続け、奪い続けなければ、この巨大な帝国学園は自重で崩壊する。
では、その不足分をどう補填しているのか?
紗夜の視線が、損益計算書の最下部にある項目に吸い寄せられる。
【臨時収入:特別資源売却益】
(……他校の生徒を狩り、その魂を国の機関に売る。それしか、この経済を回す方法がないなんて)
4ヶ月に一度、国の回収船がやってくる。 そこで売られるのは、生贄装置で使い潰され、魂の抜け殻となった「元・人間」たちや、生贄装置で使いきらなかった余剰な魂エネルギー。 国はそれを高値で買い取り、帝国学園の軍資金となる。 その金で、さらに強力な兵器を作り、また次の学園を狩りに行く。
これは、日本国という壺の中で行われる**『蠱毒』**だ。 共食いをさせ、最後に生き残った最強の一匹だけを取り出す儀式。
「……頭では、分かっているの。分かっているけれど……」
紗夜は強く拳を握りしめ、書類を閉じた。
理解と感情は別だ。 システム維持のために資源が必要なのは分かる。 だが、労働長・五十嵐 結衣の、あの人間を物品として扱う冷徹な目。 内務長・白鳥 詩織の、相手の心を壊すことに喜びを見出すような拷問。 そして、それらを「教育」と称して楽しむ学園の空気。
(私の役目は『司法』。学園内の秩序と公平さを守ること。 でも、今の私は何? ……ただの、虐殺の肯定者ではないの?)
先日の武蔵野庭園学園の件。 清川 撫子たちへの仕打ちは、資源回収の効率化という名目を借りた、単なる「見せしめ」と「嗜虐」ではないのか?
「……もし、法が機能していないのなら。それを正すのは誰?」
誰もいない図書館。 その問いかけに答えるのは、無機質なAI司書の電子音だけ。
『検索条件に該当する項目はありません』
紗夜は立ち上がる。 彼女の中にある「公正」への渇望は、この狂ったシステムへの理解を超えて、静かに、しかし確実に熱を帯び始めていた。
それはまだ「裏切り」ではない。 だが、彼女は自分の目で確かめなければならなかった。 この繁栄の地下で、本当は何が行われているのかを。
(……行きましょう。第3地下区画、特別管理棟へ)
それは、彼女が越えてはならない一線を踏み越える、最初の第一歩だった。
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次回、12話 勝者の反省会 です!
次回投稿予定時刻は2/5 18時です。
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