アノマリーB-001::朝になると位置が変わるマグカップ(非公開研究補遺)
非公開研究補遺
観察対象:アノマリーB-001
件名:位置変動現象に関する継続観測記録(詳細改稿・第1版)
記録者:博士(僕)
取扱:非公開(内部参照のみ)
備考:本記録は原因解明を目的としない。現象の記述と再現条件の保持のみを目的とする。
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### 0. 概要
B-001は、陶製の飲用容器である。
一般的な形状を持ち、視覚的・触覚的な特異性は確認されない。
しかし、夜間の非接触状態において、机上での位置変動を繰り返す。
位置変動は以下の特徴を示す。
* 変動が「一定方向」に偏る。
* 変動量の分散が小さく、複数日にわたり再現される。
* 机面および底面に擦過痕が形成されない。
* 変動により転倒・傾斜・回転が付随しない(少なくとも観測開始時点の姿勢は保持される)。
* 変動量が「観測者の測定精度」と同程度に収束し、しかもそれを下回ろうとする傾向がある。
最後の項目が重要である。
ただし重要であるという判断も、本記録の目的ではない。
重要であると感じてしまうのは、僕の癖に近い。
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### 1. 対象の物理的諸元(初期測定)
対象:陶製飲用容器(マグカップ形状)
識別名:アノマリーB-001
測定日:不明(本記録開始前日)
* 高さ:92mm
* 口径(内径):84mm
* 口径(外径):86mm(リム厚約1mm)
* 底部直径:62mm
* 持ち手突出:最大24mm
* 重量:312g(内容物なし)
* 重心推定:底面から約41mm(内容物なし・空状態)
* 表面状態:マット寄りの釉薬。微細な点状凹凸あり。
* 擦過痕:側面2箇所(古い)。底面の新品摩耗は確認されない。
* 匂い:なし。
* 音:叩打で一般的な陶器音。割れや内部異物の兆候なし。
机面は、一般的な樹脂加工板である。
水平状態は簡易水準器で確認済み。
傾斜があるとしても、当該移動量(約30mm)を誘発するには不足している。
また傾斜なら「擦過痕」を残すはずである。
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### 2. 観測環境と座標定義
観測室:密閉可能な作業室。
夜間の換気設備:停止。
夜間の立ち入り記録:なし(施錠ログ確認済み)。
床振動:同時間帯に顕著な外乱なし。
室温:夜間一定ではない(これは許容する)。
机上に基準点を設定する。
机中央を原点Oとする。
観測者の着座位置を机の一辺とし、そこから遠ざかる方向をY軸正方向、左右をX軸とする。
左をX負、右をX正とする。
基準点は目視ではなく「触ってわかる」ようにした。
小さな透明テープを机裏側に貼り、触覚で位置を再現できるようにした。
目視基準は人の気分でズレることがある。
触覚基準は、少なくとも僕の中ではズレにくい。
* 初期配置:X = -42mm, Y = +0mm
(Y=0は便宜的で、原点近傍という意味しかない)
定規は金属製。最小目盛1mm。
視差回避のため、測定時は同一姿勢をとる。
具体的には、机の縁に顎を近づけ、目線が机面と平行に近い角度となるようにする。
こうすると、目盛がまっすぐに見える。
見え方がまっすぐだと、数値がまっすぐになる。
数値がまっすぐになると、気持ちが静かになる。
静かになるのは大事だ。
測定時刻は06:00を基本とする。
これは僕の生活リズムの問題であり、現象の条件ではない。
条件ではないが、条件になりうる。
条件になりうるものは、条件にしないほうがいい。
でも条件になりうるものを全部排除すると、何もできなくなる。
だから、僕は記録だけする。
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### 3. 観測手順(夜間)
毎日22:00以降、対象への接触を行わない。
対象を視認する回数も最小化する。
ただし、「視認しない」ことを目的化しない。
視認しないことが目的化すると、それは儀式になる。
儀式になると、観測ではなくなる。
対象は机上に放置する。
室内照明は消灯。
ドアは施錠。
鍵は僕が保持する。
鍵の所在は、僕の胸ポケットで固定する。
固定しないと、別の場所に置いた可能性が生またいへんになる。
可能性が増えると、記録が増える。
記録が増えると、僕が安心してしまう。
安心するのは、あまり良くない。
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### 4. 観測結果(第1〜第3日)
#### 4.1 第1日
06:00。
対象は初期位置からX軸正方向へ31mm移動していた。
Y方向の変化は0〜1mm以内(測定誤差範囲)。
* ΔX = +31mm
* ΔY = ±1mm
机面に擦過痕なし。
対象底面に新規摩耗なし。
対象の姿勢は保持(倒れ・傾斜なし)。
対象の回転角も顕著ではない。
持ち手方向は初期と同一に見える(これは厳密には測定していない。測定すると僕の手が伸びる)。
内容物は前夜に入れた液体(種類は固定していない)。
液体が減っているようには見えない。
蒸発はする。蒸発は普通。
普通の話はここでは重要ではない。
重要ではないが、書くと安心する。
安心すると、観測が濁る。
だから、ここまでにする。
#### 4.2 第2日
前日終了時点と同一座標に再配置した。
再配置は僕が行った。
再配置の際、手袋は使用していない。
手袋を使用すると、触覚が変わる。
触覚が変わると、配置が変わる。
配置が変わると、変動量が変わる。
変動量が変わると、僕が面白がってしまう。
面白がるのは、いちばん良くない。
06:00。
対象はX軸正方向へ29mm移動していた。
Y方向の変化は0〜1mm以内。
* ΔX = +29mm
* ΔY = ±1mm
ここで、現象が偶発的滑落である可能性は低下した。
ただし、低下したというのは僕の心の中の話である。
心の中の話は記録に残していい。
残していいが、残しすぎると、物語になる。
物語になると、原因が欲しくなる。
原因が欲しくなると、嘘が混じる。
嘘は混ぜたくない。
だから、低下した、までで止める。
#### 4.3 第3日
同一条件で継続。
06:00。
対象はX軸正方向へ32mm移動していた。
* ΔX = +32mm
* ΔY = ±1mm
3日間の平均移動量:30.6mm
標準偏差:1.2mm
移動方向は、観測者の着座位置方向と一致傾向。
角度差最大4度以内。
この一致について、意味づけはしない。
意味づけは、たぶん、危ない。
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### 5. 追加観測(第4〜第9日:分散の収束)
ここからが本題である。
ただし本題と言うのも変だ。
本題があると思うと、そこに向かってしまう。
向かうと、世界が優しくなる。
優しくなると、異常は消える。
消えると、僕が困る。
困るのは嫌だ。
だから、「追加観測」と言う。
第4日から第9日まで、同一条件で観測を継続した。
以下にΔXのみ記録する。ΔYはすべて±1mm以内。
* 第4日:ΔX = +30mm
* 第5日:ΔX = +31mm
* 第6日:ΔX = +31mm
* 第7日:ΔX = +30mm
* 第8日:ΔX = +31mm
* 第9日:ΔX = +30mm
平均:30.6mm
標準偏差:0.49mm
標準偏差が低下した。
観測が安定しているのは好ましい。
好ましいが、好ましいと言っていいのかわからない。
でも好ましいと書いてしまう。
書くと、僕が落ち着く。
落ち着くと、測定がさらに安定する。
安定すると、標準偏差がもっと下がる。
つまり、観測者の落ち着きが、現象の分散に干渉する可能性がある。
可能性があるが、可能性という言葉は便利すぎる。
便利すぎる言葉は、少し危ない。
そこで、次の観測から、測定誤差自体を見直した。
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### 6. 測定誤差の再評価(視差・姿勢・時間)
僕は、測定誤差がどの程度あるかを確かめた。
これは現象の観測ではなく、僕の観測である。
同一位置に固定した無関係なマグカップを用意し、
同一姿勢で10回測定を繰り返した。
結果、僕の測定は、だいたい±0.5mm以内に収束した。
つまり、僕は0.5mm程度の誤差で世界を見ている。
ここで、B-001の標準偏差が0.49mmになった。
これはつまり、B-001の変動量の揺らぎが、
僕の誤差と同程度にまで収束したことを示す。
さらに言うと、
僕がもっと落ち着けば、僕の誤差はもっと減る。
僕の誤差が減れば、B-001の揺らぎもさらに減る可能性がある。
僕が変われば、世界が変わる。
それは普通の話だ。
普通の話なのに、数字で出ると少し変だ。
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### 7. 観測条件の変更(最小限)
条件を変えた。
ただし変えすぎない。
変えすぎると別物になる。
#### 7.1 視認回数の増減
夜間、対象を一度だけ視認する日と、まったく視認しない日を作った。
視認する日は23:30に3秒だけドアを開け、対象を見て閉めた。
見たとき、対象はそこにあった。
そこにあったということしかわからなかった。
それで十分だ。
結果、移動量は以下。
* 視認なし:ΔX = +30mm / +31mm
* 視認あり:ΔX = +30mm / +30mm
差は小さい。
ただし視認ありの日の方が、値が「切りよく」なる傾向がある。
切りよいのは嬉しい。
嬉しいのに、嬉しいと言ってはいけない気がする。
でも僕は書く。
書くと落ち着く。
落ち着くと切りよくなる。
切りよくなると嬉しい。
嬉しいと書く。
また落ち着く。
循環がある。
循環は普通は良いものだ。
でもこれは良いのかどうかわからない。
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### 8. 机上基準の消失(比較対象の減衰)
ここで、机上に置いていた他の物品について注記する。
当初、机上にはB-001以外に以下が存在した。
* メモ用紙
* シャープペン
* クリップ
* 予備定規
* 小さな時計
しかし、観測を続けるうちに、これらは不要になった。
不要というのは、僕がそう判断したという意味ではなく、
「置かなくなった」という意味である。
置かなくなると、机上が単純になる。
単純になると、誤差が減る。
誤差が減ると、B-001の揺らぎが減る。
揺らぎが減ると、観測が気持ちいい。
気持ちいいのは危ない。
でも危ないと言ってやめるのは、もっと危ない。
危ないと言ってやめると、僕は別の方法で観測を続ける。
別の方法はたぶん乱暴になる。
乱暴になるくらいなら、今のままがいい。
机上の物品が減った結果、
B-001は机上で唯一の「存在」になった。
存在が一つになると、
世界は測りやすくなる。
測りやすさは、倫理ではない。
倫理ではないが、僕は測りやすい世界を選んでしまう。
これは癖だ。
癖は直らない。
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### 9. 記録の順序(未来を含む記述の発生)
ここから先は、少し書きにくい。
書きにくいことは、書いておいた方がいい。
書いておくと、次に同じことが起きたとき、驚かなくてすむ。
驚かないために、書く。
第10日、僕は観測結果を記録した。
記録の途中で、翌日の数値を書いてしまった。
具体的には、以下の一文である。
> 第11日も、ΔXは+30mmとなる見込みである。
「見込み」という語がついているので、予測の形をとっている。
しかし、僕はそれを「予測」として書いた感覚がなかった。
むしろ、書いた瞬間に、もうそれは「記録」だった。
その翌日、第11日。
ΔXは+30mmだった。
一致は偶然の可能性がある。
しかし偶然という言葉は便利すぎる。
便利すぎる言葉は、危ない。
僕は、以後、未来の数値を書かないように注意した。
注意は簡単だ。
注意は簡単だが、注意すると、注意したという事実が条件になる。
条件が増える。
条件が増えると、観測が濁る。
だから、書かない。
書かないが、記録は続ける。
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### 10. 追加試験の未実施理由(合理的だが逃げ場がない)
ここで、僕が実施していない試験について整理する。
#### 10.1 固定試験(未実施)
固定すれば、対象の移動を止められる可能性がある。
しかし固定した時点で、対象は「移動する対象」ではなくなる。
移動しない対象を観測しても、移動の記録は得られない。
得られないものを得ようとすると、嘘が混じる。
僕は嘘が嫌いだ。
嘘をつかないために、固定しない。
#### 10.2 夜間撮影(未実施)
撮影すれば、移動の瞬間が記録できる可能性がある。
しかし撮影は、新たな観測点を追加する。
観測点の追加は、現象そのものを変質させる可能性がある。
可能性があるからではない。
僕が「撮影したい」という欲を持つからである。
欲は現象の条件になりうる。
欲を条件にしたくない。
だから撮影しない。
#### 10.3 破壊試験(未実施)
破壊は不可逆である。
不可逆は、観測の連続性を破壊する。
連続性が壊れると、僕の生活が壊れる。
生活が壊れると、僕が困る。
困るのは嫌だ。
だから破壊しない。
この三つの「しない」は、合理的である。
合理的であるが、合理的であることが、少し怖い。
怖いが、怖いと言ってしまうと、また物語になる。
物語になるのは、ここでは避けたい。
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### 11. 暫定結語
B-001は、夜間に机上で位置変動を示す。
変動量はおおむね+30mm前後で再現され、分散は小さい。
分散は観測者の測定誤差に収束する傾向がある。
また、記録の順序に微小な破綻が生じた。
現象は継続している。
僕は継続して記録する。
問題はない。
少なくとも、僕の中では。
以上。




