アノマリーA-001:朝になると位置が変わるマグカップ
朝の作業室は、だいたい静かだ。
だいたい、というのは例外があるからで、今日はその例外に近い。
カップが、いる。
正確には、そこに置いたはずのカップが、
そこにいることを主張している。
「……おはよう」
僕は挨拶をする。
返事はない。
返事はないが、位置は合っている。
昨日の夜、確かにここに置いた。
そして今朝も、ほぼ同じ場所にある。
ほぼ、というのが大事だ。
定規を取り出すほどでもない。
今日は測らない日だ。
測らないと決めた日は、測らない。
代わりに、コーヒーを淹れる。
湯を注ぐと、白い陶器の内側で、
液体がくるりと回る。
それだけで、少し安心する。
回るものは、だいたい無害だ。
「今日は、動かなかったね」
そう言いながら、カップの縁に口をつける。
温度はちょうどいい。
熱すぎると、現象が増える気がする。
これは経験則だ。
理由はない。
机の上には、メモ用紙が一枚ある。
白紙だ。
昨日、何かを書こうとして、やめた。
書かなかった理由は覚えている。
書くほどのことではなかったからだ。
書くほどのことではない、
という判断ができた日は、だいたい平和だ。
カップは静かだ。
静かすぎて、少し拍子抜けする。
「まあ、そんな日もある」
そう言って、僕は椅子に座る。
観測はしない。
ただ、そこにあるという事実だけを受け取る。
受け取りすぎない。
意味づけない。
今日はそれでいい。
コーヒーを飲み終える頃、
カップは相変わらず、カップのままだ。
異常は起きていない。
起きていないことも、記録するほどではない。
記録しない日は、だいたい良い日だ。
僕はカップを流しに持っていく。
水で軽くすすぐ。
水は普通に流れる。
「じゃあ、また夜に」
そう言って、元の場所に戻す。
少しだけ右に寄せた気がするが、気のせいだろう。
気のせいにしておく。
今日は、ほのぼのだ。
たぶん、
向こうも、そう思っている。




