第六話 夜見ヶ丘病院②
点滅する蛍光灯が薄暗く廊下を照らし出す中、レミ達四人は最大限に警戒をしつつ廃病院の廊下を進んでいた。
「うう、暗いなぁ」
レミが思わず腰のフラッシュライトに手を伸ばす。
「待て」黒崎がそれを制止する。
「エコーが光に反応して襲ってくる可能性がある。視界が最低限確保出来ている限り、ライトは控えろ」
「うっ、ラジャー」
「お待ち下さい」
イヌビスは急に立ち止まり、耳をかすかに動かす。
「アコ様、わずかですがここから奴らの気配を感じます」
薄暗い照明の中、部屋名が書かれた古いプレートが照らし出されている。
『診療録管理室』
「要はカルテ室ね」
アコが呟く。
「調査しますか」
「ああ」
イヌビスの問いに黒崎が応じる。
「イヌビス、戦闘態勢」
「了解」
「エコーとの戦闘に入るぞ。新人、突入と同時に天井に照明弾を撃ち込め」
「どうせ襲ってきますもんね、ラジャー」
アコと黒崎の指示に、イヌビスとレミが返す。
「行くぞ」
黒崎がドアを開け、レミは照明弾を天井に撃ち込む。
光が、カルテ室を明るく照らし出す。
「……」
汚れたリノリウムの床の上に、数枚のカルテが落ちている。
姿は見えない。だが確実に何かがいる。四人はあらゆる方向に目を配り、異変を見逃すまいと神経を研ぎ澄ます。
カタッ。カルテ棚の扉の一つが、静かに開いた。
それを皮切りに、次々と棚が開き、カルテが飛び出してくる。
「来るぞ!」黒崎が叫ぶ。
数十枚のカルテが刃のように回転し、風を切りながら一斉に襲いかかる。イヌビスが腕をクロスして立ちはだかり、黒崎が近くの棚を倒しバリケードにする。
「屈め!」
レミとアコが身を伏せ、カルテがイヌビスのボディとバリケードに火花を散らす。弾かれたカルテは軌道を変え、まるでブーメランのように再度襲いかかってきた。
「くっ、この程度!」
イヌビスが唸る。
「何よこれ、カルテって紙じゃないの?」
棚の後ろから光弾を連射し、迎撃するレミが悲鳴に近い叫び声を上げた。
「常識を捨てろ新人、ダンジョンは何でもありだ」
「観察したものを受け入れるのよ。あのカルテは刃物、それだけ」
「理屈じゃわかるんですけど」
「……きりがないわ」
アコが白衣のポケットに入った『全能鍵盤』を握りしめる。
「イヌビス、ハウリングキャノン!」
「了解、アオオオオオン!」
イヌビスの咆哮を受け、カルテがまるで麻痺したように動きをとめる。それに合わせるように、黒崎が前に飛び出した。
「伸びろ、影刃」
物干竿ほどの長さに伸びた黒い刀身を自在に振り回して、動きを停めたカルテを高速で切り刻む。漆黒の嵐のような剣撃を受けたカルテが、紙屑となって散っていく。
「……ふん」
黒崎は刀身を元の長さに戻した。一行の前には、チリと化した紙屑の山が出来ていた。
「おお、格闘ゲームなら『ブラックシュレッダー』って名前がつきそう」レミが感心する。
「お、レミちゃん、ナイスネーミングセンス」
「……勝手に変な名前を付けるんじゃない」
黒崎は呆れたように呟いた。
「危ない!」
突如、イヌビスが吠えた。
紙屑の山から、切れ端で出来た蛇が飛び出し、一瞬のうちにレミを締め上げる。
「う、うわあああ!」
巻き付かれたレミは突然、異常な寒気に襲われた。咳が止まらず、立っていられないほどのめまいに思わずうずくまる。悪魔が脳を銛で突き刺したような頭痛に見舞われる。
「痛い……寒い……頭が……割れる!」
「熱川!」
レミに駆け寄り、触れようとした黒崎をイヌビスが制止する。
「お待ち下さい、今ヒトが彼女に触れるのは危険です」
言いながらレミに巻き付いた蛇を掴み、力任せにむしり取る。
「ふぅん!」
「はぁ……はぁ……」
蛇が引き剥がされると同時に、レミを襲っていた症状は嘘のように引いていった。
「どうやらカルテに書かれていた症状をレミちゃんに味あわせていたようね」
「酷いことを。私を病魔で苦しめたくば、コンピューターウィルスでも持ってくるんですね」
イヌビスは手の甲から火炎放射器を出すと、蛇と紙くずの山を消し炭に変えた。
「今度こそエコー反応なし」
イヌビスが告げる。
「ごめんなさい、油断しました」
「いや、お前のせいじゃない」
黒崎が返す。
「潜伏……感情の残響でしかないはずのエコーが、単純だけど戦術のようなものを?」
アコが思考を巡らせながら、周囲を見回す。
「あれは……」
天井の一角に1台の防犯カメラ。通電していないはずのそれに、赤いランプが点灯している。アコは全能鍵盤を握りながら手をかざす。
パチパチっと音を立て火花を散らしたカメラは、すぐに光を失った。
「何かが、見ていた」
「何か?」
「今のエコーは反射的に動いていたんじゃないわ。もっと大きな何かが操作していた可能性がある。エコーか、それとも他の何かかは分からないけど」
「エコーが、エコーを動かす?」黒崎が尋ねる。
「さあね。分からないことだらけだわ」
「アコ様、棚にカルテが数枚残っていました」
「オッケー、分析して」
イヌビスは頷くと、背中を開けてカルテを取り込んだ。
「分析の結果、いくつかのカルテに不審な点を発見」
「どうしたの?」
「使用されたインクに時間差があります。ところどころ、インクが新しいものになっています」
「カルテが、改ざんされた?」
「その可能性はあります」
「確認させて」
アコがイヌビスの背中からカルテを取り出して目を通し、ついでタブレットに目を通した。
「黒崎ちゃん、レミちゃん、あなたたちは上に向かって。私とイヌビスは少し確認したいことがあるから地下に向かうわ」
「了解、二手に分かれよう」
黒崎が頷く。
四人はカルテ室を出る。
「レミちゃん」
「はい」
「無理しないでね」
アコはレミにパチンとウインクをして、少し先に行ったところにある階段を、イヌビスと降りていった。
アコ・イヌビス組と別れた黒崎・レミ組は、階段を登り、病室の廊下を進んでいた。
この階も消毒液の匂いが立ち込め、蛍光灯がチカチカと点滅し、血の染みが赤黒く廊下に広がる。
「先輩、さっきアコさんが言ってた、カルテが『もっと大きな何かに操作されていた可能性がある』って話なんですけど」
「……新人、さっきのエコー、学校や美術館の奴らと比べて何か違うと思わなかったか」
「何かって……あっ!」
レミが目を見開く。
「『囁いて』なかった」
「そう、エコーはその名の通り、そこで起きた事故や事件の残響を響かせる。だがカルテは文字通り音もなく襲いかかってきた」
「単に無口なエコーだったという可能性は?」
「エコーは、『現象』のようなものでな。その性質に沿って動く。音を鳴らさない残響は考えづらい。だからアコも違和感を覚えて調査に行ったんだろう」
二人が話しながらある病室の横を通り過ぎた時、突然中で何かが激しく暴れる音がした。ついで猛獣の唸り声がグルルルル……と低く聞こえてくる。
「な、中で何かが暴れてる?いぬ?」
「新人、さっきと作戦は同じだ。俺がドアを開ける。後ろから照明弾を撃て」
「はい」
黒崎がドアを開けて黒刃を構え、レミが照明弾を発射する。
15畳ほどの広さの病室。放置されたベッドが左右に配置されている。
「えと、私入院したことないからよく分からないんですけど」
レミが奥を指差す。
「病室って、奥側に鉄格子があるもんなんです?」
レミが指さした先、そこには壁に代わって動物園の檻のような鉄格子がはめられており、向こう側は暗闇で覆われていた。獣の唸り声は、その奥から聞こえてくる。
ガン!ガン!と、何か大きなものが鉄格子に体当たりを繰り返し、そのたびに鉄格子が激しく揺れる。
「部屋が変質してるな。新人、注意しろ」
メキメキと音を立てて、ついに鉄格子が破られる。まるで誰かに押し出されたかのように闇から姿を現したのは、一台の古びたベッドだった。
「べ、ベッド?」
「来るぞ」
ベッドの形が歪み始める。手前のヘッドボードがギチギチと音を立てて裂け、牙が突き出した巨大な口が現れる。
「わ、ベッドが猛獣に!」
「グオオオオ!」
レミを視界に捉え、獣と化したベッドが猛然と突進してくる。
黒崎は影刃を伸ばし、天井に突き刺した。
「縮め、影刃!」
黒崎はレミの手を掴み、黒刃をつかんで急上昇することで、かろうじてエコーの突進を躱した。
エコーが思い切り入り口にぶつかると、振動が二人を揺らす。
レミの足元で牙を鳴らし、魔獣と化したベッドがレミの足に食らいつこうとする。
「この!」
レミは光弾を発射するが、巨大な牙に弾かれる。
「弾かれた?じゃあこっちならどう!」
レミはベッドの中心を狙い撃つが、特に効いた様子はない。
魔獣は再び入り口に向かって体当たりをした。揺れが彼らを襲い、黒崎の手が震える。
「先輩!」
「俺のことは……気にするな……奴の弱点を……撃て……」
「撃てって言われても……」
ヘッドボードに弾丸は効かない。かといって中心を狙っても手応えはない。
どこだ、どこを狙えば……
レミはふと、実家のベッドの事を思い出した。横になるとガタガタして、決して寝心地はいいとは言えなかったベッド。あのベッドとこのベッド、どっちが古いんだろうな……
「ん?ガタガタしてた?」
レミの脳裏に閃くものがあった。
「ここだっ!」
レミはベッドの角を狙い撃つ。
弾丸はマットレスの奥に隠された接続部のネジを正確に弾き飛ばし、足の1本が折れる。
「ガアアアア!」
ベッドが苦悶の声をあげる。
「よし、もう一本!」
レミが再び弾丸を発射する。
「くっ……」
しかしその時、黒崎が大きくぐらつき、レミは狙いを外してしまった。光弾は空を切り、虚しく床を撃つ。
「先輩!大丈夫ですか?」
「すまない……」
黒崎の額に汗が滲む。
「いいんです、揺れも考慮して狙いをつければ……やってみます。任せてください」
「新人……」
「はい?」
「訴えて……くれるなよ……」
「どういうこ……わぁっ?!」
漆黒の刃が天井を貫いて現れ、レミの足裏に入り込んで上に押し上げる。次の瞬間彼女の体は黒崎の片腕に抱きかかえられていた。
「せん、せんぱ……」
レミの顔がみるみる上気していく。
「これで狙え。いけるな」
「はい!」
しっかりと固定されたレミは、軽々と残り3箇所の足を吹き飛ばした。
足を失った魔獣は、床にへばりつき動けなくなる。
「……」
天井から剣を抜き、床に降り立った黒崎は静かに魔獣に相対する。
「ウ……ガウ……」
未だ敵意をむき出しにするベッドの頭上に、両手で影刃を持って振り下ろす。魔獣は真っ二つに切断され動きを止めた。
「あの、先輩、だ、大丈夫ですから。私気にしてないですから」
「ああ」
二人はなんとも言えない空気のまま、病室を後にした。




