第一話 都内某公立高校①
固いコンクリート床を全力疾走する靴音が、薄暗い廊下に反響する。茶色い髪をまとめたポニーテールを揺らし、黒の戦闘服に身を包んだ彼女は、期待と興奮で瞳を輝かせていた。息が切れ、丸めて握りしめた辞令が汗で湿っていても、彼女の勢いは止まらない。
「ここだ……!」
『警視庁対ダンジョン化対策室』、通称ADSの重い鉄の扉にたどり着くと、勢いよく扉を開けて大きく息を吸い、満面の笑みで叫んだ。
「おっはよーございます! 熱川レミ、22歳! 今年警察学校を卒業したばかりの新人です!本日付けでADSに着任いたしました! よろしくお願いします!敬礼ッ!」
だがそこには、期待していた「エリートたちの活気あふれる拠点」とは程遠い光景が広がっていた。薄暗い部屋には無機質なモニターが並び、数ヶ所に赤い点滅が映し出されている。数人の隊員が無言で書類を整理し、コーヒーの匂いが漂う。活気も歓迎の声もない。
「え……これがADS? なんか、めっちゃ地味……」
レミの呟きに、部屋の奥から低い声が響いた。
「随分騒々しい新人だな。」
「あ、はい!元気なのが取柄です!よろしくお願いします、先輩!」
「……教育担当、黒崎零だ。お前が話に聞いていた熱川レミか」
年齢不詳、30歳前後だろうか。切れ長の美しい目がレミを一瞥し、すぐにモニターに戻る。黒髪を短く綺麗に切りそろえていて、コートの下から一本の短剣が覗いている。あれが噂の「アーティファクト」、ADSで一人にひとつ与えられる「専用装備」だ。思わずレミの胸が高なる。
「へえ、先輩、私のこと知ってるんだ! じゃあ、さっそくよろしくね、バディ!」
「誰がバディだ」
黒崎は立ち上がって背を向け、ファイル棚を確認する。その冷たい態度に、レミの眉がピクッと動いた。
「ちょっと! あたし、ちゃんと試験受けてここに来たんだから! 先輩として、もっとこう……歓迎とか、指導とか、ないの?」
「指導? 生き延びろ」
「……は?それだけ?」
「他に何かいるのか?」
レミが更に反論しようとした瞬間、スピーカーからけたたましいアラームが鳴り響いた。モニターに赤い警告が点滅し、隊員たちの動きが慌ただしくなる。
「他の奴らは」
黒崎が近くの隊員に尋ねる。
「全員他の現場に向かってます」
「俺たちが行くしかないな。動くぞ、新人。準備はいいか」
「え、なに? 動くって…?」
「ダンジョン化現象発生だ。東京都内の公立高校。行くぞ。」
レミの瞳がキラリと光った。
「ダンジョン化!待ってました!」
レミの軽率な言葉に、黒崎が眉をひそめる。
「遊びじゃないんだぞ」
「あっ、サーセン……」
「急げ」
「あいっ!」
二人は急いで部屋を飛び出した。
深夜。東京都郊外の公立高校。校舎は黒い霧に覆われ、建物全体が歪んで見える。ADSの装甲車が到着すると、黒崎は無言で降り、レミが慌てて続いた。
「ここって……何年か前にいじめ事件で女の子が自殺して、さらに先生が体罰してたことを隠蔽してた学校だよね?うわぁ、ここかぁ……」
「正確には2年前。しかし夜間に変異したのは不幸中の幸いだったな。万が一生徒や先生が取り込まれてでもいたら大惨事だった」
「『ダンジョン化は過去に事件や事故が起こった場所、いわゆる【いわく付きの場所】で起こる』、試験で出たやつだ」
「ふん。お勉強が役に立ったようで何より」
「うわ、それ嫌味!? 」
黒崎はレミの抗議には答えず、無言で小さな金属製のケースを投げてよこした。レミが受け取ると、中には拳銃が入っていた。グリップに奇妙な刻印が施してあり、銃口は仄青く輝いている。
「それがお前に支給されたアーティファクトだ。持っとけ」
「わお!あたしのアーティファクト!レミ感激!……んー、銃、っぽいけど、 どう使うの?固有スキルとかある?」
「知らん。自分で試せ」
「は!? 先輩としてそれ、どうなの!?」
黒崎は答えず、霧に足を踏み入れた。レミはふくれっ面で追いかける。霧をくぐると視界が歪み、次の瞬間、二人は校舎の廊下にいた。壁に蠢く「死ね」「消えろ」の落書き、脈打つ床、赤黒い液体が滴る天井。遠くからは何かの唸り声が響いてくる。
「うわ……ヤバ! これ、ほんとに学校!?」
「感情を抑えろ。冷静さを保て。ダンジョンは人間の感情に反応する。騒ぐとエコーが寄ってくるぞ。」
「エコー?って何だっけ……」
「ったく、試験に出ただろ、エコーというのは……」
その瞬間、廊下の奥から黒い影が現れた。巨大な人間の頭を歪めたような怪物。目がなく、口が大きく裂け、「ミステタミステタミステタ」と甲高い声で囁いている。レミの背筋がぞくっとした。
「これがエコーだ。場所に残された感情の残響。撃て。」
レミは銃を構えたが、手が震えて引き金が引けない。そこに怪物が迫ってくる。
「ミステタ…ミステタ…ミステタァ!」
「わっ、わわわ……!」
「ちっ」
黒崎が割って入り、ソード型アーティファクト「影刃」を一閃、エコーを切り裂き、怪物は黒い煙となって消え失せた。
「か、かっこいい……! じゃなくて!教えてよ!もっとこう、戦い方とか!」
「教えた。撃てってな。」
「そんなの指導じゃないやい!ぶーぶー!」
言い合いながら探索を続ける二人は、保健室にたどり着いた。扉に「助けて」と血の文字。ADSの情報では、いじめ被害者は保健室登校をしていたらしい。濃い消毒液の匂いが部屋に充満していて、壁からは何かが生えて、うねっている。
「何あれ?白い……触手?」
白い触手のように見えたのは包帯だった。不気味に蠢き、レミに照準を合わせているように見える。
「うわ! 包帯が動いてる!? いじめのトラウマってやつ!?」
「推測はいい。騒ぐな。撃て。」
「ねぇ先輩、もっと熱く指導してくれない? アクション映画の師匠キャラっぽくさ!」
「 死ななきゃ何でもいい。」
「もう、あたしのスーパーヒーローライフどこよ!?」
レミは愚痴りながら銃を構え、青い光弾で包帯を撃ち抜く。包帯はふにゃふにゃと崩れ落ちたが、今度は天井の蛍光灯が点滅、キャビネットが開いて注射器が矢のように飛んでくる。レミは素早く身をかがめてテーブルを倒し、盾にする。
「中々いい判断だ」
「へへっ、って危なっ!」
注射器がレミの頭をかすめる。
カカカッ、と注射器がテーブルに刺さる音が響く。
「先輩、これどうすれば」
「お前の声が引き寄せてるな」
「え、私のせい!? それ、先輩が教えてくれてれば……!」
「ちょっとしばらくそこで喚いてろ」
「なっ……!」
怒りで顔を真っ赤にするレミを無視して、黒崎はテーブルを蹴り飛ばした。テーブルは注射器を巻き込みながらキャビネットに衝突し、破壊した。
「沈黙を確認。行くぞ」
「おお、あたしの声で注射器を引きつけておいて、その隙に先輩が注射器ごと発生源を撃破! それならそう言ってよね!今のすごくバディっぽかったね!先輩!」
「調子に乗るな新人。次だ。」
二人は階段を上り、2階へとたどり着いた。
「ここは……」
「ふむ、家庭科室だな」
ADSの情報では、いじめ被害者が調理実習中にからかいを受けていた場所。扉を開けると、鍋から黒いスライムが這い出し、無数の包丁やナイフ、フォークが飛び交っている。食器や調理器具がカタカタと鳴り「ヘタクソ」「マズイ」「オマエノセイ」と嘲笑うかのような声を立てている。
「うわ、包丁が飛んでる!? 家庭科のストレスって怖!」
「孤立と嘲笑のエコー。撃て。」
「はいな! 」
レミは銃を連射し、スライムを撃破した。だが包丁が旋回し、スライムに気を取られていたレミの腕をかすめて、血が滲んだ。
「痛ぁっ!」
黒崎が声を荒げた。
「騒ぐな、エコーが活発化する! 我慢しろ」
「痛いもんは痛いのよ、バカ!」
「黙れ! 左に避けろ!」
レミが左に飛び、飛んできた包丁を避けると同時に、黒崎が「影刃」で包丁を叩き落とす。床に落ちた包丁を黒崎が足で踏みつけると、パキャッと割れる音がして包丁は動かなくなった。包丁が壊れると同時に黒崎は飛び出し、華麗な剣捌きでナイフとフォークを次々と床に叩き落としていく。
「全対象、沈黙」
しばしの格闘の後、黒崎は軽く息をついた。
「先輩、今のめっちゃカッコよかった。キュンキュンしちゃう」
「世辞はいい」
レミに応急手当をした黒崎は目を逸らし、家庭科室を出た。レミも後に続く。
「あっ、ちょっと照れてる。可愛いんだー」
「………」
黒崎にギロリと睨まれ、レミは慌てて視線を逸らし、口笛を吹いて誤魔化す。
「行くぞ」
「あいっ!」
(もう現場に慣れてきている……なんて胆力だ)
黒崎は心の中で少しだけ感心した。
さらに探索を続ける二人は、体育館に到着した。ADSの情報では、部活や体育の授業で体育教師の体罰が行われた場所、ということだ。
「はぁん、やらかしすぎよこの学校」
ため息をつきながらドアを開けると、床は血のような赤い液体が広がり、中央に巨大な手首が浮かんでいる。
「うわ! ビンタでっか!? 体罰された怨念ってやつ!?」
「そうだ。気を抜くな。」
「タルンドル!タルンドル!」
「ひゃあ!」
風を唸らせながら「平手」が振り下ろされ、轟音とともに床が砕ける。レミは跳び、銃を連射した。光弾が当たるが、傷つかない。黒崎が「影刃」で数回切りつけると、一箇所だけ「平手」が大きく反応する箇所があった。
「硬っ! 先輩、どうすんの!?」
「弱点は掌だ。タイミングを合わせて撃て。」
「タイミング!? もっと具体的に!」
「俺が撃ちやすくする。お前が撃つ。」
黒崎が平手の指の下に潜り込み、短剣を指先に刺した。
「伸びろ、影刃」
黒い刀身が竿のように伸び、「平手」がぐいっと持ち上げられる。
「今だ」
「おっす!当たれぇっ!」
レミが露になった掌を狙う。光弾が命中し、砂と化した「平手」が崩壊していく。
「やった!」
「……だがここにも核はない。引き続き探索を行う。図書室、理科室を確認する」
「了解、相棒!」
黒崎は頷き、二人で歩き出した。少し遅れて、黒崎が「誰が相棒だ」と不機嫌そうに呟いた。




