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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

後宮の女王も悪くない




 マリアンネは、ヘーゼイス公爵家の娘である。

 四大公爵家の一角であり、宰相として国の中枢にいる父親を持つ彼女が、王太子の婚約者になるのは当然の流れであった。

 現在の王太子リュシスは、母親が伯爵家の出であるので、些か後ろ盾が弱い。

 国王の寵愛で王妃となったが、伯爵以上の爵位がある家からは蔑まれていた。

 お披露目の夜会にて、身分など関係ないと言い放った国王の後ろには、ヘーゼイス公爵家とは違う公爵家がいるので、皆は何とも言えない表情を浮かべていたと聞く。

 先代王妃の実家が公爵家だからこそ、多少の融通が利いていただけである。

 そんな後ろ盾が強い国王と後ろ盾が弱い王妃の間に生まれたのが、王太子リュシスだ。

 国王譲りの薄い金色と、母親に良く似た顔立ちゆえに父親に溺愛されていたが、力の無い王子であった。

 血縁にあたる公爵家は、貴族の均衡を崩した王妃を憎んでいる家の筆頭だ。

 王妃の実家は商売が得意で金だけはあったが、商売人ゆえに他の貴族たちを敵に回せない。

 王子でありながら立場の弱い息子を憂う国王は、ヘーゼイス公爵家に頼み込んだ。

 ヘーゼイス公爵家は、公平に貴族の均衡をまとめる家でもある。

 公正であるから、宰相という役割が果たせた。

 今でも危うい均衡が完全に崩れると渋るヘーゼイス公爵家だったが、婚約の打診を受けた娘本人が乗り気で前向きな姿勢を見せたことで婚約は結ばれたのである。


「いいかい、リュシス。マリアンネ嬢を大切にしなさい」


 国王は常に、リュシスに言い含めていた。




 王国には良くある髪色だが、うっすらと赤味を帯びたさらさらの茶髪をマリアンネは気に入っている。

 ヘーゼルの目も、光に受けると煌めくのが好きだ。

 だが、リュシスは自分の金色と比べると地味だとマリアンネを揶揄ってはにやにやと笑う子供だった。

 そんな時は、マリアンネはにっこりと笑うだけで何も言わない子供で、リュシスはいつも悔しそうに顔を歪めていたものだ。

 婚約者としての交流は王宮ではなく、ヘーゼイス公爵家にリュシス自ら赴いていた。

 それが気に食わないのだろう。

 マリアンネは、涼しい顔でリュシスの癇癪を流していた。



 月日は流れ、マリアンネとリュシスは成人の十六歳を迎えた。

 成人の祝いの場で、リュシスは母親と同じ伯爵家の娘を見初めたのである。

 流れる美しい金髪に、深い青空の目を持つ、エリアンテなる少女を。

 パーティー会場で頬を染めパートナーであるマリアンネを放って行くリュシスを、それを見て顔を青くする国王夫妻の姿を、マリアンネは冷めた目で見ていた。


 二代続けて伯爵家の娘を王妃にした。

 誰も好意的に見ない、王家の醜聞としての婚姻をリュシスは成したのであった。



 それから二年後。

 マリアンネは、王太子が無理矢理開いた後宮に住んでいた。

 さすがのリュシスも、ヘーゼイス公爵家の力は惜しかったのだろう。

 自分に甘い父王に強請り、宰相たるヘーゼイス公の反対を押し切りマリアンネを後宮に押し込んだ。

 リュシスは知っていたのだ。

 婚約を結ぶ時に、マリアンネが乗り気であったのを。

 自分を愛するマリアンネならば、喜んで後宮入りすると。

 それは、事実だった。

 マリアンネは婚約に乗り気であったし、後宮にも笑顔で入った。

 成人してすぐの後宮入り、二年が経ったが不満一つない。

 ほら見ろ、マリアンネは俺を愛しているんだと、エリアンテを抱き寄せリュシスは笑った。



 それから更に一年後。

 リュシスの隣に、エリアンテはいない。

 彼は王太子のままだが、エリアンテは王太子妃でなくなった。

 寝所で複数人の男たちと居るのを、侍女に見つかったのだ。

 彼女は知らない! 違う! と叫んだが、先んじて王太子妃が襲われていると侍女の上げた悲鳴で集まった人々に目撃されてしまった。

 そして、さすがは王宮騎士と言えるほど迅速に男たちとエリアンテは騎士たちに捕縛されたのだ。

 それに加え、エリアンテの実家の悪事が発覚。

 王妃の実家である伯爵家に、親戚なのだからと金を強請っていたことや不当に商品を奪っていたのが明らかにされたのだ。

 不祥事の数々に、エリアンテが王太子妃であったという事実も抹消された。

 実家は取り潰され、ただの娘となったエリアンテは修道院に行ったと言われているが、詳しいことはわからないという。



 マリアンネはゆったりと、指先を磨いていた。

 後宮の部屋で、十九歳という瑞々しい曲線を薄い寝間着で包み。

 足先は、実家から連れてきた侍女が丁寧に磨いていた。


「金色の小鳥は、地面の下? 川に委ねた? それとも、海かしら」

「羽がもがれては、長くはないでしょう」

「そうよね」


 ふうっと、形の良い爪に息を吹きかける。

 お気に入りの香を焚き、上質なソファーに身を任せ、マリアンネは微笑む。


「意外と、早かったわ」

「あと一年は掛かるかと思っていたのですが」

「小鳥なのだから、外敵に気をつけなくてはいけないのにね」


 マリアンネは息をつく。

 彼女の部屋は、高級な家具や絵画で彩られていた。

 ベッドやソファーは、王太子であるリュシスが使用するものよりも品質が良い。

 これらは全て、ヘーゼイス公爵家の財で用意したものだ。

 部屋だけは王家のものだが、それ以外はマリアンネの息が掛かっている。

 後宮の使用人は全てヘーゼイス公爵家から連れてきた者であるし、マリアンネひとりだけが住む後宮は廊下に敷く絨毯、絵画はもとより、飾られる花ですらヘーゼイス公爵家から連れてきた庭師が育てたものだ。

 建物は長い間開かれていなかったので酷かった傷みは、全てヘーゼイス公爵家で修繕した。

 彼女は今や、後宮の女王のようであった。

 国王と王妃は何も言わなかった。

 言えるわけがない。

 ヘーゼイス公爵家の家紋を飾らなかっただけでも、優しい対応だと思ってほしいものだ。

 今の国王に力はない。

 かつては、あった。

 王妃と婚姻するまでは、強い後ろ盾と家臣がひれ伏すほどの発言権も。

 王太子の婚約打診を、家臣である宰相が渋った時点で落ち目になってはいたが。


「ここは、まるで我が家のようよ」

「マリアンネさまへ敵対する者はひとりもいませんもの」


 落ち目であった王家の力を更に削いだのは、リュシスだ。

 伯爵家から王太子妃を娶り、婚姻式の際に妃はエリアンテのみ! と、宣言したのだから。

 その頃にはマリアンネが後宮入りしていたので、安心感と慢心で気が高ぶったのだろう。

 教会から招いた教皇と、他国の重鎮たちの前での宣言により、マリアンネは側妃候補でもない、ただ後宮に住んでいるだけのヘーゼイス公爵家令嬢となった。

 側妃を持つことは、国王にだけ許されている。

 だから、候補だったのだが。リュシスの発言により、それすら消えた。

 王族に連なる身であれば、国王や王太子に尽くすべきだろうが。

 マリアンネは後宮にいるだけで、力ある他家の娘だ。

 落ち目の王家に従う理由がなかった。


「俺を愛しているだろう! 後宮から出るなよ!」


 エリアンテを抱き寄せ、にやにや笑うリュシスだけが状況を理解していなかったが。

 いや、エリアンテもわかっていなかった。

 王宮で、後ろ盾のないまま過ごす恐ろしさ。貴族の矜持の高さと冷酷さを理解していたのなら、もう少しは長生きできただろうか。


 ぱしゃっ、溢れた水が絨毯を台無しにしていく。

 これは張り替えだろうとマリアンネは考え、目の前に立つ王宮が用意した侍女を見た。

 後宮入り初日のことだ。


「あら、ごめんなさぁい。手が滑りましたわぁ」


 マリアンネの後ろには、ヘーゼイス公爵家から連れてきた侍女がひとり控えている。

 前に立つ数名の侍女は嘲笑を浮かべ、水が入っていた桶を持ったままマリアンネを見ていた。

 水はマリアンネのドレスを汚したが、これは王宮側が用意したものなのでどうでもいい。

 侍女たちはマリアンネが王太子に愛されないと、蔑んだうえで行動に出たようだ。

 後宮入りするに当たって、国王から侍女たちの情報を得ていたマリアンネは、右手を振り上げた。

 鋭い破裂音の後に、頬を真っ赤に腫らした侍女が悲鳴を上げて転がった。

 初めてひとを叩いたが、手が痛くなるのが難点だと思う。


「なっ、なにを!?」


 抗議の声を上げる侍女たちを無視し、連れてきた侍女から紙とペンを受け取ったマリアンネはさらさらと何かを綴る。


「そこに転がる娘の男爵家は、もう切り捨てなさい。後ろの子爵家と、名ばかりの伯爵家もね。ああ、空っぽになった屋敷は買い取りましょう。妹が貴族向けのお店を出したいらしいから」

「かしこまりました」


 淡々となされる会話に、侍女たちの顔が青くなっていく。

 それをマリアンネは冷めた目を向ける。


「我が家は、中立の立場で均衡を図ってきたの。中立ってね、圧倒的な力がないとなれないのよ?」


 まあ、中立の立場だからこそ、力だけではどうにもならないことがあるけれど。

 無礼な侍女数名の帰る家をなくすことぐらいなら、簡単にできてしまえるのだ。


 そして、後宮はマリアンネ一色に染まった。


 今の王妃と出会う前、国王には婚約者がいた。

 四大公爵の一つと関わり深い侯爵家の娘だ。

 その娘との婚約を無理矢理解消したことで、国王は後ろ盾を失い、王妃は憎まれ、王太子は蔑まれた。

 そんな王家からの打診だったので、マリアンネは乗り気だったし、前向きな気持ちで婚約を結んだ。

 リュシスが妻を失ってからひと月。

 マリアンネは後宮で定期的に行ってきたお茶会を開いていた。

 相手は友人の令嬢たちではない。

 後宮に招くのは不適切であるし、余計な詮索を生む。


「ユリウスお兄さま」


 マリアンネは甘やかな声で呼ぶ。

 向かいに座るのは、ヘーゼイス公爵家の傘下にある伯爵家の嫡男だ。

 マリアンネより二つ上の彼は、後継者として忙しくする傍ら、こうして後宮に足繁く通ってくれている。

 不貞にはならない。

 リュシスがエリアンテを唯一の妃とした時点で、マリアンネたちの婚約は消滅している。

 だから、マリアンネは後宮に住んでいるだけの公爵令嬢なのだ。

 リュシスだけが理解できず、後宮にいろと言っているだけ。

 婚約がなくなっている以上、従う理由はない。

 それでもマリアンネが後宮に住み続けたのは、全て幼い頃から慕うユリウスとの未来の為。

 マリアンネとユリウスは、共に過ごすうちに思いを通わせる仲になっていた。

 しかし、家柄の違いが壁となり、婚約は結べなかったのだ。

 ユリウスは、くすんだ茶色の髪と穏やかな鳶色の目をした優しい雰囲気の青年だ。


「マリアンネ、悲しい思いはしてないだろうか」


 ユリウスの問いかけに、マリアンネは朗らかに笑う。


「大丈夫ですわ。ユリウスお兄さまに会えたのですもの」


 だが、ユリウスの顔色は優れない。

 彼の耳にも届いているのだろう。

 マリアンネが後宮を我が物としたこと。

 侍女たちに、悲惨な末路を用意したことも。

 エリアンテについても、マリアンネが関与しているのではという噂がある。

 だからこそ、心配しているのだ。


「後宮を君が過ごしやすくするのは当然だ。侍女も、そのままにしていたら王宮の品位も落ちる。聡明な君なら、それを許しはしないだろう」

「ええ、これでもヘーゼイスの娘ですから」

「だけど、本当に大丈夫なのか? ひとの悪意は、時として恐ろしいほどの威力があるんだ。マリアンネ……君が傷つくのは、嫌だ」


 沈痛な表情のユリウスは、マリアンネが婚約を受けると決めた時に反対をしていた。

 父よりも激しいものだった。

 だが、マリアンネは自分の気持ちを真摯に伝えた。

 今の王家では、求心力が足りないと。

 放っておけば、国が瓦解する。

 ヘーゼイス公爵家の力があれば、辺境で力を付けてきた王弟殿下が台頭するまで保たせられるのだ。

 辺境伯に婿入りした王弟殿下は、隣国からの信頼が篤く、何より四大公爵家に信用されていた。


「……じゃあ、犠牲になった君は、どうなるんだ」


 悲しみ、苦しみが宿った鳶色の目には、マリアンネへの想いが溢れていた。

 だから、マリアンネは笑った。

 彼女は、自分の未来を諦めていなかった。


「あの王太子ならば、私との婚約を軽んじるでしょう。だから、傷物なら、ユリウスさまと……」

「ふ……っ」


 マリアンネの決意を知ったユリウスは、泣きながら彼女を抱きしめた。

 幼い二人だ。

 未来を切り開く力がなかった二人。

 それでも、想いだけは、いつまでも強く続いた。


「マリアンネさま、王太子殿下が面会を希望されております」


 侍女がそっと来訪を告げた。


「お断りして」

「かしこまりました」


 平然と言うマリアンネに、侍女は恭しく礼を取る。


「……彼は、追い詰められているみたいだね」

「仕方ありません。敵を、作り過ぎたのです」


 エリアンテは、リュシスを愛してはいた。

 だが、華やかな見た目の彼女は、数多の愛を求めて、様々な男を渡り歩いていた。

 そして、順応力の高かった彼女は権力も愛した。

 自分より爵位の高い者には嘲りを、身分の低い者には蔑みを。

 貴族社会の恐ろしさを知らないからこそ、できた振る舞いだ。

 それはリュシスにも言えた。

 母親が伯爵家であるが、爵位の高い者たちが表面上ではあるが頭を下げる。

 その様を見て、勘違いをしてしまった。

 王族は、王族というだけで何をしても許される、と。

 王妃を思い、現実を教えなかった国王も悪いだろう。

 だが、マリアンネを含めた周りの諭しを受け入れずに、見下す道を選んだのはリュシス自身だ。

 今、全てが返ってきた。それだけだ。


「彼女については、様々な家が関わっています。そして、互いに庇っているので、真実は浮上しないでしょうね」

「そうだね……」


 エリアンテが複数人の男といたのは、仕組まれたことだろうと思う。

 王宮騎士の対応が早すぎるし、何より男たちがどんな罰を受けたのかが不明だ。

 目撃者が多いのに、男たちの人相についての情報がひとつもない。

 つまり、目撃した者たちすら仕組まれていたということだ。

 王太子妃になってからも、様々な男を相手にしていたエリアンテだから選ばれた策なのかもしれない。

 王妃の実家も、証言した後は黙秘を貫いている。

 明らかに圧力がかけられているが、彼らは助けを求められる相手がいない。

 王妃は、今の王家を支えるのに必死であるし、王太子は漂う木の葉のように寄る辺がない。

 エリアンテの事件で憔悴し、どうにかしようと足掻こうとマリアンネに擦り寄ろうにも婚約関係は解消となっていた。

 マリアンネが未だ後宮にいるのは、王弟殿下の準備する時間を稼ぐ為。

 ヘーゼイス公爵家の存在があるうちは、これ以上王宮に何かはできないだろう。

 リュシスに縋りつかれても、会う義理はない。


 リュシスは、マリアンネに何もしなかった。

 マリアンネの色を貶めるだけで、寄り添うことはなかった。

 それはマリアンネも同じ。

 公正で公平な父親を見習い、苦言は呈した。

 だが、小賢しいだの、可愛げがないだのと笑われるだけだった。

 逆にマリアンネは安心して、ユリウスを想うことができた。

 マリアンネの髪を、日が差す大地のように温かみがあると褒めたのはユリウスだ。

 目が煌めくのも、ユリウスが気づいた。

 ヘーゼイス公爵家を交流の場にしたのは、リュシスのマリアンネへの態度を周りに見せる為。

 ユリウスに、知ってもらう為だ。

 愛が芽生える要素がないことを。

 そして、確実にリュシスは選択を誤るであろうことを。

 未来を信じるには、綺麗事だけでは難しい。

 リュシスという悪意があったから、信じ合うことができた。


「いよいよ、王弟殿下が動く。彼には立派な跡継ぎがいるし、誰も反対しないだろう」

「ようやく、ですね」


 万感の想いを込めて見つめ合う。

 ユリウスは、結ばれる日を信じて婚約者を持たなかった。

 マリアンネから兄と呼ばれ、愛を隠すことになっても、目から愛情は消えなかった。

 マリアンネも、ユリウスを兄のように慕う振りをするのは苦しかった。

 後宮を一新し、主のように振る舞い権勢を示したが、傲慢な女だという誹りは避けられない。

 それでも諦めなかったのは全て、二人の未来を信じていたから。

 再び、歩む未来を。

 その為ならば、後宮の女王となったのも悪くはない。




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