帰り道
僕は闇の中で、杖をかざし小さく詠唱する。
【灯明】
杖の先がうすぼんやりと輝き周囲を照らし出す。僕は、魔力を調整しちょうどいい明度にすると、杖を腰のベルトに固定した。
足元をぐっと押さえつけて崩れないかどうか確認しながら1歩ずつすすむ。両の手で穴を押しひろげるように体を支える。
完成前の、でこぼこの階段を歩いているような気分だ。
一歩進むごとに闇が深さを増して、僕の肩に不安がのしかかってくる。僕はゆっくりと、じりじりと進んでいく。
その時、ふいに穴が広がりを見せる。次第に背をぴんと伸ばしても問題ないほどに広がり、最後にはなだらかな場に降り立った。
穴の底。そこには、何もなかった。
両手を伸ばして一回りできるほどの少しの空洞があるだけ。どこかにつながる道もない。ブラックゴブリンの巣ではなかったようだ。
僕は念の為、杖を手に持ちあちこちをぐるりと照らしてみた。それでも何もない。自然にできた穴のようだった。
僕はどこかほっとして、すぐに来た道を戻った。
出口をでてすぐ、目の前に見えたディークマンの手を掴むと、軽々とひっぱりあげられる。僕は飛び出すように外に舞い降りた。
「どうでしたか?」
心配そうなディークマンの声に、僕は首を振った。
「奥は行き止まりでした。巣ではなかったようです」
「ふぅ。わかりました。ひとまず今日の探索はこれで十分でしょう。暗くなる前に村まで戻るとしましょう」
僕たちは荷物を担ぐと道を引き返す。川を下り、目印の【オーク岩】を超え、橋を渡る。登りはきつかったけれど下りはとても足が軽かった。
心も荷物も軽くなり、初めての討伐作戦を終えた解放感からか、僕の疲れはどこかに吹き飛んでいた。
来るときは、陰鬱に沈んでいるように感じた森の風景は、いまは美しく落ち着いた空間に見える。
ディークマンは、もはや地図も見ずに元来た道を先導してくれる。彼の頭の中には、この森のすべての配置がつまっているようだった。
すこし気が抜けて、足元だけに気をとられていた僕は、立ち止まっていたディークマンに気がつかなかった。ディークマンの背中に頭をぶつけた。
「いてっ」
僕は額をおさえながら顔を上げ、ディークマンの背中にたずねる。
「まさか、道に迷ったとか?」
のんきな僕の言葉には答えずに、ディークマンはゆっくりと左右に首を回している。周囲を警戒しているように見えた。
僕はとっさに一歩下がり、杖を身構え後ろを確認する。緊張が走り、声をひそめた。
「ゴブリンがいるのですか?」
「いえ、その逆です」
「逆?」
僕は杖をおろして、ディークマンに近づいた。
ディークマンは手招きし、僕を自分の隣に寄せた。そして少し先を指さした。
「先ほど倒したブラックゴブリンですが、あのひときわ大きな木の根元に死骸を集めておいたはずです」
僕は目をこらす。僕にはどの木も同じに見えるから、実はあまり確証はもてないのが正直なところだった。
でも、ディークマンのさす指の先にある木の根元には、ブラックゴブリンの死骸はなかった。
ディークマンが不安げな声で告げた。
「とにかく、行ってみましょう」
僕たちは木の根元まで駆け寄った。ここまでくれば、僕にも確証がもてる。
このあたりの土は水分を多く含んでいて、踏み込むと軽く足がめり込む程度にはやわらかい。
その木の根元の土には、さっきまでそこで寝転んでいたであろうブラックゴブリンたちの体の痕がくっきりと残っていたのだ。
ディークマンはその土のへこみを困惑の目で見つめて黙り込んでいる。
僕たち2人の間に何とも言えない、どんよりとした空気が流れはじめた。誰かが僕たちのあとをつけてでもいるのだろうか。
僕は周囲を注意深く見回しながら、口を開く。
「もしかして、別のギルド団が横取りしたとか?」
ディークマンは僕の言葉には答えず、木の根元にさらに近寄ってしゃがみ込んだ。
「……死んでいなかった……いや確かに急所をついた手ごたえがあったのに……そんなはずはない」
ディークマンは独り言のように言葉をこぼしている。
ディークマンは、地面すれすれまで顔を寄せて、すっと先を見通した。
「何かの痕跡を見つけるのはむつかしそうですね」
そういうと、ディークマンはどこか暗い表情のまま立ち上がり、再び歩き出した。
僕は、無口になったディークマンの背中をおいかけながら、なんとなく嫌な予感がしていた。そして、その予感はつぎの場所で確信にかわった。
「くそっ」
急に放たれたディークマンの言葉に僕は驚く。今までそんなセリフを口にしたことが無かった彼が、驚くほど動揺している。
ディークマンは、僕の存在を忘れたかのように突然走り出した。僕はどんどん小さくなっていく背中になんとか追いつく。
僕は、息を切らして、さっきブラックゴブリンと戦った場所にたどり着いた。そして周囲を確認する。
やはり、ここにあったはずのブラックゴブリンたちの死骸は一体当たりとも残っていなかった。
僕たちは、幻でも見ていたのだろうか。幻だったからこそ、あんなにたやすく討伐できたのだろうか。
僕はちらりとディークマンの横顔を見た。その表情はかたく、余裕が消えていた。
自分の槍術に自信があるからこそ、仕留めていなったことに対するある種の苛立ちがその横顔に立ち込めていた。
ディークマンは少し震えたような声で僕に言った。
「もうしわけありません。わたくしとしたことが……情けない」
「きっと、誰かが持ち運んだんですよ。もしかすると村の人かもしれません」
「いえ。村人たちとは、討伐後に一緒にゴブリンの死骸を処分をする約束をしていたのです。あの人達がかってにそのような事をするとは思えない」
僕は次の言葉が浮かばなかった。下手な慰めは余計にディークマンをみじめにする。
ブラックゴブリンを倒せていなかったという情けなさに加え、村人との約束も守れなかったという事実が、ディークマンを押し潰そうとしているのかもしれない。
ディークマンの手が少し震えているように見えた。
僕はディークマンの手から目をそらして、つぶやいた。
「とにかく、村に戻りましょう」
今度は僕がディークマンを先導することになった。ここまでくれば、僕にもある程度の帰り道がわかるのが唯一の救いだ。
ディークマンは村に戻るまで、ひとことも口をきいてはくれなかった。
灯明:火の魔術の一種で杖の先に明かりを灯す初級魔術。魔力の調整しだいで数メートル四方を照らすことが可能となる。光の強さとしては弱く全体的に赤みを帯びている。一般的な松明と同程度と考えてよいが風に揺れることもないため、松明よりは使い勝手が良い。