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ネンベルク子爵

 今日は、僕が働く魔術書店の店主であるフロレンツさんに連れられて、ある人物のもとに行く事になった。


 フロレンツさんはみかけによらず、すごい人だ。僕の働く魔術書店の店主であり、その隣にある冒険者ギルドの支配人も兼務している。


 というよりも、冒険者ギルドの支配人が本来の仕事であり、魔術書店の店主はおまけの趣味でやっているようなものなのだ。


 2人で箱馬車に乗り込んでからどれくらいがたったのだろうか。


 車内の硬い椅子の上、体を上下左右にゆすられながら、僕は自分の隣に置いてある麻袋をちらりと見つめた。


 ここには、この前僕がヴォルフに見せつけられた、ブラックゴブリンの牙がぎっしりつまっている。


 数日前、この証拠品の牙をもって、フロレンツさん一人でブラックゴブリン討伐の依頼主のもとに行ったらしい。


 けれど、この討伐の依頼主から、報酬の支払いを渋られたそうだ。そこで、今回は何故か僕も付き添う事になった。


 僕が何の役に立つのかはわからないけれど、これも経験だ。いずれは書店だけでなく、冒険者ギルドの仕事も任されるのかもしれない。


 ガタン、と車内がひときわ大きく揺れて、僕のおしりが跳ね上がった。前に向き合って座っていたフロレンツさんも宙に浮いた。ひいっと小さな悲鳴が聞こえる。


 居眠りから覚めたフロレンツさんに、声をかける。


「大丈夫ですか?」


「大丈夫とはいいがたい。腰が痛くてかなわん」


 フロレンツさんはそういいながら、前かがみになり腰をトントンと叩いた。


「フロレンツさん、依頼主の家にはまだ着かないんですか?」


「たしか【ネンベルク平地】を越えてすぐじゃから、じきに着く」


「え? 確か、依頼主の名前はネンベルク家でしたよね」


「そうじゃ、つまり、依頼主はネンベルク平地の領主さんじゃよ。貴族……といっても、少し気の毒な境遇のお方じゃがな」


「気の毒って?」


フロレンツさんは、僕の質問には答えずにまた目を閉じて、うつらうつらし始めた。


 ほどなく、馬車の揺れが小さくなったかとおもうと完全に止まった。外から、到着しましたよ、と馭者(ぎょしゃ)(馬車を運転する人)の声が聞こえた。


 凝り固まった両の手足をぐーっと伸ばしてから、僕は麻袋を体の前にしっかりと持つ。ドアを肩で押し開けて久しぶりの大地に降り立った。新鮮な空気を胸いっぱいに吸いこむ。


 続いて降りたフロレンツさんが、後ろで、ふぁ~、みたいな奇妙な声を上げている。


 目の前には、開いたままの大きな鉄製の門。その向こうに、とんがり屋根の大きな屋敷が蒼天を突いてそびえたっている。


 その屋敷は立派だけれど、どこかさびしそうにみえた。周りは不思議なほど静かで、人の声も、鳥のさえずりさえ聞こえない。


 僕が、お城のような屋敷に気を取られていると、いつの間にか、フロレンツさんは門をとっくにくぐり抜けて、かなり前を歩いていた。


 僕は胸の前の袋を抱えなおすと駆け出した。


 屋敷内の庭園を抜ける途中に気になった。木々の枝や花壇の花は統一感がなくあちこちを向いているし、中には茶色くうなだれているものさえある。


 足元の芝も、あちこちが剥げて土が透けている。僕は馬車の中でフロレンツさんが口にした言葉を、ふと思い返した。



『貴族……といっても、少し気の毒な境遇のお方じゃがな……』



 その時、僕の頭に浮かんだのは、没落貴族と呼ばれる人たちの存在だ。


 先代の領主が急になくなったり、子供が多い場合は、その領地を子供の数で分割して受け継ぐことになっているらしい。


 そのために土地や遺産を巡り争いごとが多いと聞く。


 中には、領地の取り分が少なくなったり、荒れた土地を押し付けられてしまう人もいるそうだ。


 最近あちこちでそういう問題が増えていると聞いている。魔術書店員として働いていると冒険者たちを通していろいろな噂がきこえてくるのだ。


 僕はようやく追いついたフロレンツさんの背中に問いかけた。


「なんだか、随分とさびれているような気がするんですけど。本当に代金を支払ってくれるのでしょうか?」


 フロレンツさんは少し間をとった後にこたえた。


「……だからお前さんも一緒につれて来たんじゃよ。話の流れではひと肌脱いでもらうかもしれんぞ、ほっほほほ」


「え?」


 妙なことを言わないでほしい。今日はただフロレンツさんの横に居ればいいと思って来たのだから。


 のんきに構えていたというのに、いまの一言で急に僕の心に不安が芽生えはじめた。


 屋敷がすぐ目の前に迫る。その時、右の方から小さな金属音が聞こえて、僕たちは同時に立ち止まり首を向けた。


 陽光に照らされた庭の隅に、しゃがみ込んだ背中が見えた。土いじりか何かをしているようだ。


 フロレンツさんが、挨拶をするとその背中は立ち上がり、こちらを一瞥する。その男は曇った表情で、はげた芝を踏みながらゆっくりと近づいてきた。


 大きい。第一印象はまさにその一言だった。うすでの布一枚羽織ったような格好の下から、膨れ上がった筋肉がその存在を主張している。


 男は僕たちを見おろしながら話しかけてきた。


「何の御用でしょうか?」


 見かけによらず、驚くほど柔らかい声と態度に僕は少しほっとする。フロレンツさんが見上げて話す。


「冒険者ギルド支配人、フロレンツと申します。先日、ネンベルク様からご依頼頂いた討伐が完了しましたので、そのご報告と報酬の受け取りに参りました」


「冒険者ギルド? ネンベルク様が、一体何の依頼をされたのですか?」 


 男の顔がさらに曇る。


 フロレンツさんと僕は顔を見合わせた。僕が胸に抱えた袋を少し持ち上げて答える。


「ネンベルク平地に大量出現したブラックゴブリンの討伐です。証拠として牙をお持ちしました」


 その男は地面が震えるほどの大きなため息をついた。急に肩がしおれて一回り小さくなる。


「一体、あのお方は何を考えておられるというのだ……このわたくしがいるというのに。承知致しました。少々お待ちを」


 その男はくるりと背中を見せた。かと思うと、もう一度僕らを見る。クルクルと忙しい人だ。


「申し遅れました。わたくし、このネンベルク家に仕える従士、ディークマンと申します。以後お見知りおきを」


 そういうと、ディークマンは手を胸に当て、深々と頭を下げた。


 その丁寧すぎるお辞儀に、僕たちは驚き、慌てて深く頭を下げた。











 上着を羽織ったディークマンに続き、屋敷に招き入れられる。


 広い玄関から入り、真正面にある中央の階段をぐるりと上る。まるでここ何年も窓を開けていないかのようなじめじめした空気。


 コツコツと鳴り響くのは僕らの足音のみ。全くと言っていいほど人がいない。


 2階にのぼると、恐ろしく高い天井の廊下に出る。窓のカーテンにはレースがひかれ薄い光が差し込む。レースの所々に虫食いなのか穴が開いている。


 僕は列の一番最後に続きながら、少し前を歩くフロレンツさんに小声でたずねた。


「あの方は?」


「さぁな、前回わしが1人できたときはいなかったが」


 一番奥の部屋の前で、ディークマンが止まる。僕らはすっと口をつぐんだ。


 ディークマンは直角に方向転換してドアに向くと、力強くノックした。ほとんど叩いているといってもいいほどだ。


「ネンベルク様、入ってもよろしいですか」


 返答はなし。


 ディークマンはため息をついて、ドアを開く。そして、僕らに目くばせをして一歩進んだ。


 続いて僕らが室内に入ると、本に囲まれた書斎の奥、窓の前で上半身裸で剣の素振りをする背中が見えた。ディークマンが声を上げる。


「ネンベルク様」


 ネンベルクと呼ばれた男は、こちらを見ずに、素振りをつづけながら言葉をつなぐ。


「何をやっているディークマン。お前はクビにしたはずだ。さっさと、兄上のところにでも行け。ここにいても支給金は出ないぞ」


「わたくしを雇うお金はなくても、冒険者ギルドに支払うお金はあるのですね」


「何を言っている」


「冒険者ギルドからのご使者です」


 男の動きがピタリと止まり、ゆっくり振り向いた。


 男は肩で息をしながら、僕らを眺める。


「あっちゃ~、なんとタイミングの悪い男だ」


 その言葉が僕に向けられたのかとおもって一瞬ひやりとする。しかしそれに応えたのはディークマンだった。


「タイミングが悪くて結構です。ブラックゴブリンの討伐依頼が完了したそうです。ま、わたくしには何の話かわかりませんがね」


 ディークマンの少し棘のある言い方に、男は、ふう、と深呼吸でかえした。


 男は横の椅子に掛けていたブラウスを掴むと、さっと手を通して、ボタンをしめた。こちらに向き直る。


 斜めに伸びた眉の下にある落ちくぼんだ褐色の瞳がこちらを向いた。ブラウンの髪をかき上げて男は告げた。


「ようこそ。小鳥さえもよりつかない、辺境の子爵、シエラ・ネンベルクのボロ屋敷へ」


「ネンベルク様!」


 ディークマンが叱るような口調で声をあらげる。ネンベルクは顔をしかめた。


「なんだ、俺の決め台詞を邪魔するな。それにディークマン、お前はもう俺の家の人間ではない。文句を言われる筋合いはないぞ」


「ならばわたくしもあなた様の指図は受けません。あなた様の家の人間ではないのですから」


フロレンツさんが口元に拳を当てて、おほん、と、一つ咳をしてから割り込んだ。


「よろしいでしょうか。討伐の報酬のお話をしたいのですが」


 ネンベルクとディークマンが黙り込み、一瞬の沈黙。


 ネンベルクが部屋の左手奥にあるソファを指さした。


「そこへ座ってくれ」



ネンベルク家:このネンベルク平地一帯の地域を治める領主の一族。

今回、登場したシエラ・ネンベルクはネンベルク家三男となる。もともと豪胆な性格だが今の自分の置かれた境遇に嫌気がさしているのか、やや投げやりな態度が目立つようになっている。ディークマンとは腐れ縁といった感じではあるが、どこか行動の節々にお互いの信頼度の高さがうかがえる。


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