たき火を囲んで
僕とウワズル―はトトを引き連れて一旦、さっきの拠点の小屋に戻った。
部屋の中に入ると、ウワズル―は急いで荷物をまとめ始めた。
「とにかく、ここにいちゃまずい。すぐに追手が来る。さっさとずらかろう」
僕も一緒に片付けながらウワズル―に聞いた。
「でも、一体どこにいくのですか?」
「気はすすまないが、オイラたちが抜けてきた森に戻ろう、あそこまでは来ないはずだ」
「でも、あの森はグリフィンの巣なんですよね?」
「大丈夫だ、グリフィンは、夕暮れ時から眠りに入る」
僕はふっとトトに目をやる。トトは入口で立ち尽くしたまんま、ぼんやりしている。
僕たちは荷物をまとめると外に出て、馬のもとにたどりついた。
僕がトトを先に馬に乗せようとすると、馬が突然暴れ出した。首を振り回し、蹄で何度も土をけりあげる。
馬の目は大きく剥きあがり、口からよだれが飛び散った。いくらなだめてもまるで落ち着かない。
穏やかなはずの馬なのに、一向に言う事を聞かない。
その時、トトが、ぼそりと口を開いた。
「無理よ。死霊魔術師は生きた動物には嫌われているの。アタシは動物には乗れないわ」
ウワズル―がトトに目をやり、口を開いた。
「へぇ、死霊魔術師のそういう噂話を聞いた事はあるが、本当なんだな」
僕は呟いた。
「じゃあ、どうすれば……歩いていくには遠すぎる」
「ふふ、大丈夫。この辺りには、いくらでも”腐りかけた何か”が転がっているわ」
トトはそう言って口元に真っ黒い杖を当てると、小さく詠唱した。
【髑髏馬車】
どこからか木を踏みしだく音が近づいてくる。すると突然、僕らの目の前に紫の瘴気をまといながら、骨だけの馬が黒ずんだ荷車を引いて現れた。
その骨だけで形作られた馬らしきものは、僕らの目の前で大きく仰け反りわなないた。トトは顔色一つ変えずに、その荷馬車に乗り込む。
僕とウワズル―は顔を見合わせて、馬に飛び乗り、森へめがけて突き進んだ。
森の奥まで来て、追手が来ない事を確認してから僕らは野営地を探した。ちょどいい小さな広場を見つけて、僕たちはそこで休むことにした。
周囲から適当に木を集めて焚火を囲む。ウワズル―がトトを見つめながら、恐る恐る口を開く。
「アンタ、サキュバス族か?」
トトは、少し口角をあげて、力なくうなずいた。
「オイラが見たところ、その顔につけている仮面は魔道具、しかも何かの呪いが施された仮面だね」
「あら、よくわかるわね」
「オイラは魔道具にはちょっくら詳しいんだ。外す方法はないのかい?」
トトはちょうど仮面の真ん中、眉間のあたりを指さして答えた。
「ここに、この呪いをかけた魔術師の刻印があるの。これを消せばはずせるわ。でも消すには、呪いをかけた本人の生き血でつくった魔術の薬液が必要なのよ」
「へぇ、じゃ、もしも呪いをかけたそいつが死んじまっていたらどうするんだい?」
「一生この仮面は外せなくなるわ。それが呪いというものよ。うふふ」
僕は焚火に照らされる二人のやり取りを横で眺めながら、ぼんやりと考えていた。
成り行きとはいえ、ネンベルクや村人たちを苦しめ、ユッテを傷つけた張本人を救ってしまったのだ。
この死霊魔術師は、ネンベルクにとっては明確な敵だ。敵を連れ帰る。これがどういう事なのか。どうするべきなのか。
疲れ切ったいまの僕の頭では、考えがまとまり切らなかった。
アルフレートの手記より④――――――
僕たちは、暗い森の中、焚火を囲んでしばしの休息をとる。
ホビット族のウワズル―はすでに寝息を立てている。
妙に目が覚めてしまった僕は【サキュバス族】の【死霊魔術師】であるトトに話しかける。
トトの表情は仮面に隠されてよく見えない。彼女は時々、奇妙な笑い声を発する。
その時も、少し変な笑い方をした後、僕の問いかけに口を開いた。
アンタも物好きね。アタシみたいな死霊魔術師を助けるだなんて。
え? どうしてアタシが死霊魔術を使うようになったかって? そんな質問をされたのは初めてよ。
普段はこんな話はしないけどさ。一応、アンタってアタシの命の恩人にあたるわけだから、教えてあげる。
いっておくけど、そんなに気持ちのいい話じゃないわ。聞いて損したなんていいっこなしよ?
アタシが初めて死霊魔術を使った相手はね、実は、母さんなの。怖い? きゃはは。
アタシの母さんはね、月のように綺麗な女性だった。なんというかさ、そっと寄り添ってくれるような雰囲気を持っていたの。
誰もが母さんを見た途端に、独り占めしたくなるの。娘のアタシですら、母さんが誰かと話しているのを見たら嫉妬したほどよ。
それほどに、誰をも虜にするほどの美貌の持ち主だったわ。でもね、何事も”過ぎたるもの”は災いを呼び寄せるの。
アタシの生まれ故郷はね、ここから南。海を渡った国。深い谷底にある小さな村。
アタシたちの種族はね。男はインキュバス族、女はサキュバス族として、男女別々に暮らす掟があるの。夫婦になっても会うのは年にほんの数回。その時だけ愛し合う。
だからアタシの住む村は、みんな女だったのよ。
ある日、アタシたちサキュバス族が住む村はずれに、傷ついた1人の青年が倒れていた。母さんがそれを見つけて、連れ帰り看病したの。
青年は目を覚ました途端、あっという間に母さんの美しさに魅了されてしまったわ。しばらく村で過ごした青年は傷が癒えた後、また来ると言って去っていった。
そして幾日もたたないうちに、言葉通り村に現れた。何度も何度も。
ある時は両手一杯に深紅の薔薇を抱えて。ある時は豪華なドレスを、またある時は七色に輝く宝石を手の平いっぱいに持ってきたわ。
そうやって、何度も母さんに求愛し続けた。
青年は毎日、毎日村に通い続け、母さんは毎日、毎日、青年からの求愛を断り続けた。
母さんが、求愛を断れば断るほど、青年はよりいっそう母さんに執着し、狂気の沼に足を踏み入れていったの。
そしてある日、ついに青年は怒り狂い、母さんの喉もとに隠し持っていた短剣を突きつけた。
青年は「おれの妻にならなかったことを後悔させてやる」と言い残して、帰っていったの。
アタシは怖くなり、母さんに逃げようと言った。けれど、母さんは「大丈夫よ」と取り合ってくれなかった。
でも、間違いだった。
青年はその国の王子だったの。王子はすぐに大軍を率いて、まず、アタシの父さんたちがいるインキュバス族の村を焼け野原にした。
そして、ついにアタシたちの村にやって来たの。大軍で谷を取り囲み、雨のように矢を放った。
アタシ達が逃げ惑う中、母さんの前に王子が現れた。嫌がる母さんを無理やり抱え上げて連れ去っていったの。
軍隊が去った後、逃げ延びたアタシたちは、別の場所で村を立て直した。けれど、皆のアタシに対する視線は痛かった。
アタシには居場所が無かった。なぜって? だって、アタシの母さんがあの王子を村に引き入れてしまったのだから。アタシは厄介者の娘だったのよ。
アタシは毎晩、泣きながら月に祈った。母さんから貰った杖を握りしめて。母さんが帰ってくるようにと。
アタシに寄りそってくれるのなんて、もう母さんしかいなかったから。
そんなある日、突然、母さんがふらふらとかえってきたのよ。アタシは祈りが通じたと思って、喜んで母さんを家に迎え入れた。
母さんは、元気がなくぼんやりとしていたけれど、アタシはうれしかった。
アタシは母さんが帰ってきたことを誰にも知らせなかった。村の人にも秘密にした。だってまた軍隊がきたら困るから。
母さんは、夜起きて、昼間寝て、家から一歩も出なかった。そんな生活を繰り返していた。
でもね、ある時から母さんは、ひどいニオイを漂わせはじめたの。酸っぱいような鼻をつくあのニオイ。
次第に母さんの目は落ちくぼみ、骨は浮き上がり、皮膚は剥がれおちて、中から真っ黒い腐った肉のようなものが見え始めた。
その時、わかったの。これは母さんじゃない。母さんの体を借りた、何か別のものだと。
アタシは村の人にようやく白状したわ。母さんの姿をした何かが家にいる、と。
すると村の人たちは慌てて、アタシをある森に住む、闇の魔術師のもとに連れて行った。
その闇の魔術師から、呪いの仮面をつけられ、名を奪われ、こういわれたの。
”忌まわしき死霊魔術師は、顔を見せることも、名乗ることも許されぬ。お前は一族のもとを去るべきだ”とね。
アタシは村を追放された。
アタシは知らずのうちに、死霊魔術を覚醒させていたの。知らずのうちに母さんの屍に死霊を憑りつかせ、操っていたのよ。
王子に連れ去られて、お城で優雅に暮らしていると思っていた母さんは、とっくに屍になって森にすてられていたの。
アタシの祈りが死霊を呼び寄せて、母さんの体に憑りつかせてしまったのよ。かわいそうな母さん。
これがアタシが死霊魔術師になったお話よ。どう? 面白くもなんともないでしょ、うふふ。
アタシは、もはや、自分の顔も名前も忘れてしまった。トトっていうのは本当の名前じゃないの。
でも不思議。自分の名前は忘れてしまったっていうのに、母さんの名前はよく憶えている。
月のような母さん。
アタシは時々、よるに浮かぶ月を見上げながら、母さんの綺麗な口もとをふと思い出すの。
そして、思うの。母さんは、アタシの事をなんて呼んでいたのかしらってね。
――――――サキュバス族 死霊魔術師 トトからの聞き取り
髑髏馬車:通称、どくろ馬車。闇の魔術の一種。移動手段として扱われることが多い初級魔術。周囲にある屍の骨に死霊を宿らせて馬の形を作る。荷台の方は腐りかけた木や骨でできている。そのために強い腐臭を放っていることも多い。基本的に馬車を形作っている間は継続的に魔力を消費していく為、それなりの魔力量を持った術者しか扱えないとされている。