予想外の救出
太陽のいなくなった空を見あげる。海からの潮気のある冷気に包まれたカームカールの漁村は、ひんやりと静まり返っている。
僕たちは漁村に入り込み、ゆっくり進んでいた。
のびた雑草が僕たちを邪魔をするように足元に絡んでくる。周りにある石造りの家の壁は無残に崩れ、緑のツタがまるで無数の指のようにはりついている。
僕はウワズル―の背中を見失わないようについていく。目を離すと今にも草陰に埋もれて、消えてしまいそうだ。
ふと、少し前からぼんやりと赤い光がさしこんできた。視界がよくなる。
ウワズル―が僕に振りむき、手を下にかざした。僕はさらに身をかがめて、ウワズル―と一緒に太い木の根元に身を隠した。
少し先に広場がある。そこに何人かの人影が松明を持ち円形に並んでいた。
その中心にひざまずいていているのは、あの死霊魔術師だ。どうにも、不穏な空気だ。
僕は声を潜めてウワズル―にたずねた。
「一体、何をしているんでしょう?」
「ちょっとまて……ほら、これを耳にあてな」
そういうとウワズル―はどこから取り出したのか、小さな貝殻のようなものを僕に手渡してきた。
「これは?」
「魔道具【聞き耳の貝殻】だよ。耳にあててあいつらをじっと見つめろ、風に乗ってあいつらの会話がすこし聞き取れる」
僕は言われるがまま、それを右耳にあてて、その集団を見つめた。ほどなく男の声が響き始めた。最初は微かに、そして、しだいにはっきりと聞こえてきた。
「……かなおん、……だ。それで、のこのこ逃げてきたというのか?」
男の声。死霊魔術師の前に立っている男の声だろう。剣士だろうか。腰に立派な剣を携えている。
次に女の声、間違いなくあの死霊魔術師の声だ。
「あの村に、光の魔術を使う奴がいるだなんて聞いていなかったわ。アンタたちの下調べがまずかったんじゃないの?」
「トト、悪いがお前はもう用済みだ」
「そうやって、自分の過ちを、全部アタシに押し付けてさ。けっ、汚い男」
トトと呼ばれた女は言葉では強気だが、その声はすこし震えているように聞こえた。また男のこえが低く響く。
「死霊魔術師ふぜいが、調子に乗るとは」
剣士らしき男はそういうと、腰にさしていた剣をズルリと引き抜いた。
剣がさやから引き抜かれる冷たい金属音に、思わず僕は肩をすくめた。仲間割れでもしているのか、それとも何かの見せしめか。一気に場の緊張が高まる。
松明の火に照らされた男の剣は、異様に長く見えた。
ウワズル―が、慌てて僕を見上げた。
「おい、おい、おい。こりゃあ、ただごとじゃないぜ。アンタ、どうすんだ?」
僕は考えを巡らせる。死霊魔術師が殺されてしまえば尾行どころではない。
しかし男たちとあの死霊魔術師は会話から判断すると、知り合いのようにも思える、男たちへの尾行に切り替えてもいいのかもしれない。
いや駄目だ、男たちが何者かもわからない。僕は色々考えてはみた。
けれど、最も重要な事は最初からわかっていた。今、目のまえで殺されかけている者を放ってはおけないという事だ。
僕は腰の杖を右手に握る。手が汗ばんでいる。僕はもう一度杖を強く握りなおす。
しかし、僕は動くのを待った。まだだ、もう少しだ、もう少し何かヒントが必要なのだ。
その時、女の声がぽつりと聞こえた。
「ゲルル、め……」
「貴様! その名を、口にするな!」
剣士が大きく振りかぶった瞬間、僕は一気に木の陰から飛びだして杖をかざし、男の手元に焦点をあてた。詠唱する。
【火弾】
杖の先から、伸びた火花は一直線に剣士の手に直撃する。剣士の手元で真っ赤な炎がはじけた。剣士は、ウっと言いながら剣を手放す。
僕は、今度は剣に杖をむけて、続けて詠唱した。
【火弾】
宙に浮いた剣が地に落ちる前に、2発目の火の玉が剣にぶち当たる。剣は火の玉に弾かれて、はるか闇の中に飛んでいった。
剣士は右手をおさえながら、怯むことなく、雄たけびをあげた。
「何者だ!」
その場で松明をかざしていた全員が一斉にこちらに振り向き、一斉に剣をひき抜いて、一斉に身構えた。
この人数差。戦ったところで勝ち目はない。僕は続けて詠唱する。
【閃光】
一気に周囲が真っ白にかわる。僕はなおも直線に走り続ける。
うわっ、と男たちのふがいない声が響く真っただ中。僕の目の前に、トト、と呼ばれた死霊魔術師の肩がせまる。
僕が彼女の手を掴み強引に引っ張ると、彼女は人形のようにふらりと立ち上がった。
「早くするんだ!」
僕は無我夢中で彼女の手を引いて走り出した。
後ろの方で、騒然とした声が聞こえる。僕はちらりと振り向いた。
剣士たちを翻弄するように、幾人ものホビット達が飛びはねながら、次々に口元に魔術カードを当て魔術を繰りだし、攻防を始めている。
僕は前を向いて、闇を一気に駆け抜けた。
不意に足元から声が響いた。
「アンタ、こっちだ! オイラについてきな」
いつの間にかウワズル―が僕を先導するように足元にぴったりとついている。
僕はウワズルーの向かうままに、ついていった。次第に罵声や、戦いの音が遠のいていく。
僕は息を切らしながら、ウワズル―にたずねる。
「彼らは、大丈夫でしょうか!」
「オイラたちを舐めてもらっちゃ困るね! あの程度の連中にやられたりはしないさ!」
僕はその言葉に力強さを感じた。ウワズル―は続けて興奮気味に話す。
「それにしても! アンタすごいな、オイラの見間違いじゃなければ、火の魔術の後に、すぐに光の魔術を唱えたようにみえたぞ!」
「僕の魔術は属性にかぎられないんです」
「おっほ~! すごいぞ! すごいぞ! オイラそんな魔術師初めて見たぞ!」
ウワズル―はぴょんぴょん飛びはねた。
僕はトトと呼ばれていた女にちらりと目をやった。女は手を引かれうつむいたままながら、力なくついてきている。
とにかく、このトトの口から”ゲルル”という名前が出たのだ。ネンベルクの次兄である、ゲルルという名が。
ゲルル:ゲルル・ネンベルク。ネンベルク家の次男。今回の騒動にかかわりがあるとされている人物。三男であるシエラ・ネンベルクを子供のころから邪険に扱い、排除しようと画策している節がある。シエラ曰く、野心家との評。