わるいひと
ある朝、どこかの国のどこかの街、ブラウン管TVに映し出されるニュース番組ではいつものようにニュースキャスターが特に変わったことがないといった表情で殺人事件があったという事実を報告している。
ー犯人は強盗目的で民家に侵入。犯行に気づかれた犯人は目撃者である民家の住人三人を殺害し、逃走。7歳の長男を残し家族全員が殺害されたこの事件、警察は凶悪事件として目下、犯人を捜索中…ー
そしてコメンテーターがいつものように当たり障りのない真っ当な意見を述べ、画面は家族を殺害された少年のインタビューへと変わる。
少年は、まだ殺人というものが理解できないのだろう、一体全体何が起きたのかよくわからないといった表情を浮かべインタビュアーの質問に答える。
「わるいひとがやってきて、みんなをころした」
犯人は、民家で奪った金で家を建てた。場所はその国に住んでいる人でさえほとんど知らないであろう田舎街だ。いや、村といった方が伝わりやすいだろう。娯楽施設や観光施設などほとんどない、見渡せばほとんどが自然のままの風景だ。風が吹き稲穂が揺れ、木々たちがざわめき、あぜ道を通り過ぎていく。そんな村に、犯人は恋人とともにひっそりと暮らした。そして、子供が生まれ、幸せな家庭を築いた。彼らの子どもはすくすくと成長していき、幾年もの時は流れ、村には鉄道が走るようになり、観光事業が発達し、森が破壊され、川は死に、風は行き場所を失い孤独死した。街となったその場所では身売りや、事業家、ずるがしこい奴しか生き残れなくなった。犯人の子供は、親の金で豪遊をし、路地裏で膝を抱えて泣いていた女を買った。
すさんだ心を持ったその女は瑠璃色の綺麗なネックレスを犯人の息子にねだる。彼は、それを買ってやった。確かにそこには愛に似た何かが受け渡された。彼女らは毎晩SEXに明け暮れ、ドラッグに溺れて行った。いつかツケが回ってくる。そんなことは麻薬をやっている奴なら誰でも知っている。それでもやめられるワケなんてないんだ。長生きしたって意味がない。ただ、一瞬の、真っ白な世界。キラキラ輝いているその素晴らしい一瞬を味わいたいんだ。それ以外は全部クソなんだ。人格が溶けて消えてしまう寸前、彼女は「初めて空を飛ぶその一瞬だけでいい。その一瞬だけを私は生きたい。私に素晴らしい時間をくれてありがとう」
そう書き置きを残し旅に出た。残りわずかな時間を使って。大量のドラッグに侵されたこの体じゃ、もうロクに生きれないだろう。そして彼女は最後に自分の人生を書いた本を出し、発売の三ヶ月後に亡くなった。
彼女の本は飛ぶように売れた。残酷なお話、残酷な事件、そういったものは民衆の一番の退屈しのぎになる。彼女の本を出した出版社は多くの利益を出し、彼女の担当をした編集者はその金で高級車を買った。黒塗りのベンツで彼はまだ誰の足跡も付いていない、真っ白で冷たく、まるで音のない夜の雪道を走っていた。時速130kmものスピードを出し誰もいない雪道を走っていた彼の車はカーブのあたりでスリップした。
ガードレールにぶつかるその瞬間、ヘッドライトは黒いスーツを着た中年男性を照らし出していた。
黒いスーツを着た男性は政治家で、自分の私腹を肥やすために横領やら脱税をして贅沢をする傍ら、自国民が餓死するところを見て見ぬふりをする。しかし、その生活も長くは続かずに悪事がばれそうになり、一人山道へ逃げ出してきたところだった。この先どうしようか、いつかは結局見つかって逮捕されてしまう。分かりきったことだ。彼はそう考えながら、凍えるような寒さの白銀世界を歩く。とりあえず、町へ降りて食べるものを探さなくてはいけない。彼は気の遠くなるような(それは体感時間でだが)時間をかけ街へとたどり着く。町へ着いた頃にはすでに眩しい光を放つ太陽がちょうど彼の真上あたりに見えた。彼は食事をするために人気のなさそうなレストランに入り、ガラ空き状態の店内の最も奥の席に座る。見まわしてみるとお客は自分以外にはたった一人しかおらず、そいつは眼鏡をかけて必死にパソコンに向かって何かを打っていた。
男は小説の原稿を書いている最中、店内にあくどそうな顔の、黒いスーツを着た中年男性が入ってきたことに気がついた。それでも一瞥をくれただけで彼は先ほどまでのように小説の執筆作業を再開した。彼は、この世の全ての人間が死んでしまい二人だけが生き残って世界を作るというSF小説を書いている。第三次世界大戦が起こり、多くの先進国が核を持ちだし、北半球が死の灰に覆われ、南半球は環境汚染や異常気象により人々はただ死の恐怖におびえるだけになった。その二人の人類の命を残して壊れた人間世界は、やがてエゴと欲にまみれた新しい世界に生まれ変わるというお話。いや、生まれ変わるというのはおかしい。元に戻ったとしようか。この世界は、すでにエゴと欲にまみれている。独裁者に、兵器によって焼け死ぬ瞬間「革命はエゴだ」と言わせようか。勇者に「死んだふりをするなら死ねよ」と言わせようか。そう考える彼はエゴにまみれている。太陽が西へと沈み、後を追うようにして月が顔をのぞかせる頃、彼は長時間居座りつずけた店を出て大通りを歩く。その日の会社勤めから解放された人や学校帰りの人などでそれなりに賑わっている。彼は特に目的もなくブラブラと歩きながら、通り行く人々を観察する。ふと、強い風が吹き目にゴミが入り慌てる。戸惑いながらふらついていたら若い二人組のカップルにぶつかってしまった。とりあえず彼は素直にぶつかってしまったことを詫び、自宅への道を歩いて行った。
カップルは最近結婚したばかりの新婚夫婦だった。真っ白なワンピースを着た彼女は妊娠していて、春に出産する予定だ。町へ黄色のベビーカーを買いに来る途中に眼鏡をかけたやせ細った男にぶつかった。だが、彼はぶつかったと同時に真っ先に謝ってくれたので、むしろこちら側が申し訳ないことをしたような、いたたまれない気持ちになった。その後、彼女らが幸せそうに生まれてくる子供の話をしていると、大通りに爆撃機でも突っ込んできたのかというような騒音を鳴らし、バイクが50台通り過ぎて行った。男は「あんなやつら事故にあってしまえばいい。あんなふうに人を不快にさせる奴はいなくなればいい。」と言うと彼女は「そんな悲しいことを言わないで。誰にでも生きる権利はあるわ。少なくともここの常識はそういう風にできているの」そう言ってまた生まれてくる子供の話へと話題を戻した。
彼は言う「きっと可愛い女の子が生まれてくるよ。真っ白なミルクをたくさん飲んで天使のような顔をして。そして人々に夢を与えるんだ」
隣の家の方が騒がしい。確かあそこには最近引っ越してきた、若い新婚夫婦の家だよな。奥さんは妊娠していて春に子供が生まれると言っていた。パトカーのサイレンの音が聞こえる。窓から顔をのぞかせると人だかりができている。野次馬根性で寝間着姿のままサンダルを引っ掛け、人だかりに突っ込んでいく。家の前には「KEEP OUT」というテープが張り巡らされ、なにか事件があったことを示唆している。幸せそうな家族だったのに可哀想だな。何があったのだろう。近くにいた少年に尋ねてみた。すると少年は無表情でこう言った。
「わるいひとがやってきて、みんなをころした」
−了−
このなかで最も悪い人って誰?
悪い人って聞いてどんなことをイメージする?