姫と道案内 2
突然、涼やかなアルトが割り込んで来た。如何にしてリヒャール様から逃れようかと悩んでいたわたしにとっては救いの神。でも、まさかこんな場面をヒト様に見られたなんて……っ! 恥ずか死ぬ!
「あぁ、早かったね、ペィリーヌ。うん、やっぱり元気そうだ」
相変わらず異常に切り替えの早いリヒャール様は、何事もなかったかのように正面の壁に向き直る。もちろん、わたしを抱えたまま。うぅ……。
恥ずかしさに潤んだ目元を隠すようにして窺えば、いつの間にか壁の向こうの部屋には一人の……
「え? リヒャール様? ……じゃないか。似てる……」
喉元まで詰まった、軍服のような服装。褐色の肌に、背中で整えられた亜麻色の髪。
リヒャール様とそっくりな人物が、尊大な態度で椅子に掛けていた。
「姉のペィリーヌだよ。双子なんだ」
わたしの呟きを拾ったらしいリヒャール様が、男装のそのヒトを紹介してくれる。……あ! 病気のはずの皇太子!?
「其方がマーガレット姫か。弟が世話になった」
にこやかにそう言うペィリーヌ様は、服装のせいもあるだろうが、堂々として皇子然としている。女性だとわかっていても、カッコイイ。
……リヒャール様も聖皇国に帰ったらああいう服を着るのかな。ちょっと見たい…………とか思ってないし! 双子だってことに驚いただけだし!
「マーガレットでございます。どうぞお見知りおきを……こら、リヒャール様!」
相手は見るからに聖皇国のお偉いさん。王女らしい挨拶を、と思っているのに、リヒャール様に肩を抱きすくめられたままだから、思うように動けない。
「私的な場だ、気にしないで欲しい。それに……弟が、すまないな」
「い……いえっ」
高貴な雰囲気のペィリーヌ様に気を遣われるとか……いたたまれない!
「それにしてもリヒャール。本当に良かった。まさか本当に戻れるとはな……わたしが寿命を迎えるのが先かと思っていたぞ」
「全部マーガレットのおかげだよ。言ったでしょう? きっともうすぐだ、って」
「あぁ……確かにマーガレット姫のおかげだ。まさか……呪いの解ける日が来るとは思わなかった……」
そっくりな二人のやり取りは、なんだか不思議な一人芝居のようにも見えた。
でも、尊大な態度を崩さないまま、感極まったように嘆息するペィリーヌ様の瞳は紫色。リヒャール様とは別人なのだと強く感じる。
「それで、今後のことなんだけど」
「帰って来るのであろう?」
「そうだね。ただ……ペィリーヌはリュージィの動きを知ってる?」
「リュージィ? また何ぞ悪巧みか」
「サンサーン王国を後ろ盾にして皇位を狙ってるみたいだよ。利用されるのは許し難いことに私のマーガレットだ」
「……は? あの野心家、まだ諦めてなかったか……」
ペィリーヌ様の姿に病気の色はまったくない。どうやらリヒャール様の言う通り、「皇太子が病気で云々」は嘘だったらしい。
皇太子殿下ペィリーヌ様の体調に不安はなく、リヒャール様だって間もなく帰る。わたしが皇弟の子と婚姻する必要は、消えた。
「ということで、私はマーガレットを連れて国に戻るよ。調べればわかると思うけど、近々サンサーン王女が洗礼を受けに行くことになっている。今の私はあくまでもマーガレットの道案内だからね。あとの手配、頼んでイイ?」
つまり、この機会に厄介な従兄弟を排除してしまおうという話だろう。
姉弟間の会話とはいえ、すごく重大な内容が交わされている気がする。わたし、ここにいてイイんだろうか。……まぁ、ガッチリ捕まれて抜け出せないから、どうしようもないんだけどね……。
「……わかった。こちらのことは万事任せておけ。リヒャールが戻ったことだし、本格的に動くとしよう。
マーガレット姫」
「はい!?」
なんとか逃げ出せないものかと考えていたわたしは、突然呼ばれて姿勢を正した。
「こちらに着いたらゆっくり話そう。リヒャールのこと、よろしく頼む」
真剣な紫の瞳。その中に切実な光が浮かんでいるように見えて、わたしは思わず頷いた。
「わたくしに出来ることでしたら」
未だに信じきれない気持ちはあるが、バイドはリヒャール様なのだと言う。そして、リヒャール様の姿を変えていた呪いを解いたのが、わたしなのだと。
そのわたしにはわからない深い事情を、リヒャール様とペィリーヌ様は共有している。家族を心配する温かな瞳。お母様が亡くなって以来、わたしには無縁だったそれに、胸が締め付けられる。この絆を守ってあげたい、咄嗟に思った。
「マーガレット……これは……まさか、『精霊の誓い』を……?」
リヒャール様の息を呑む声。
それに釣られて真っ直ぐ向かい合っていたペィリーヌ様から視線を移し、
「何コレ!? ちょ……リヒャール様!?」
驚愕した。
わたしの髪が……白銀になった一房が、また眩く輝いている。さっきまでの淡い光なんかじゃなくて、まるで小さな太陽のよう。
「……くっ……はははははっ!」
「あの……ペィリーヌ様……?」
痛いほど抱き締めてくるリヒャール様と、急に笑い出したペィリーヌ様。双子間で何かが起こっているのだろうか。わたしにはまったく状況がわからないけど。
「マーガレットの想い、確かに受け取ったよ……ありがとう。愛しい愛しい、私のマーガレット……」
「マーガレット姫。我ら姉弟は精霊に愛されてしまっている。その弟の愛するあなたもまた、精霊に愛されることになるようだ。振り回される毎日だろうが、どうか彼らを受け入れてやって欲しい。この一年程、リヒャールは楽しそうだった。あなたに会えて、ようやく、『人間に戻りたい』という欲を持ってくれた」
「……リヒャール様、人間に戻りたくなかったの?」
並べ立てられたあれこれより、その一文に引っかかった。呪いなのに? バイドでいたかったの?
バイドに会いたい。でも、あの姿が呪いの産物であったなら、それを望むのは非道に思えた。だから、口には出さないで来たのに……。
あまりにわたしが不思議そうな顔をしていたのだろう。
じっと見つめる先の桃色が苦笑を浮かべた。
「そんなことはないよ。マーガレットに出会えたからね。……むしろ、間に合わなかったらどうしよう、ってすごく焦った」
「間に合う……?」
「うん。マーガレットが誰かのモノになる前に戻れなかったら……相手を噛み殺しちゃうだろうから」
「こわっ!」
バイドの体格と牙なら、冗談では済まされない大惨事だ。
「ふふふ……そのくらい、マーガレットは私の全てなんだよ」
「リヒャールには人間不信のきらいがあってな。王城の煩わしい人間関係の中に戻るくらいなら野の獣のままで良いと言っていた。マーガレット姫。弟がヒトの姿に戻ったのは本当に全て、あなたのおかげなのだ。感謝している」
「え、あの、頭を上げてください!」
「……ありがとう。こちらに来た際には心より歓迎しよう。会えるのを楽しみにしている」
「はい……っ」
長年の憂いが晴れたかのようなペィリーヌ様の笑顔は清々しくて、慈愛を感じさせた。この笑顔を向けられたら十中八九、老若男女問わずに放心するんじゃないか、ってくらいキレイだ。
「……姉上。私のマーガレットを口説くのは止めてくれ」
「リヒャール様!?」
「はは……っ! 久しぶりに私にそっくりの顔が見られたと思ったら、中身は随分と変わったようだ。人間らしくてイイよ、リヒャール。
ではまた。国境まで遣いを出しておこう」
すっと立ち上がったペィリーヌ様が近付いて来て、あちら側の壁に触れた。ふっつりとその姿が部屋ごと消える。
「あ……光が……」
一拍おいて、こちら側の壁を覆っていた金色の光も、元の円形に集束した。精霊術による繋がりが切れたらしい。
訊きたいことは山ほどある。けど……。
どうしてこのヒト、こんな縋るような目でわたしを見てるの……?
「リヒャール様?」
桃色の輝きの中に揺れる、色濃い不安。
バイドの瞳と同じ、赤っぽくて暗い瞳。
「どうかした?」
ク────ゥと、バイドが喉を鳴らす音が聞こえた気がした。
強くて頼もしいバイド。だから尚更、甘えられると嬉しかった。
「……大丈夫だよ?」
ポン、ポン、ポン、ポン……。
思わず自分から、リヒャール様の背中に腕を回す。見た目より広い背中をあやすように優しく叩けば、ゆっくりと……脱力して、わたしの肩口に顔を埋めた。
苦しいほどに抱き締められていた力が弱まって、こっそりと息を吐く。
すぐそこにリヒャール様の亜麻色の髪。お日様みたいなイイ香り。わたしの好きなバイドの匂いと、ちょっと似ている。
「バイド、甘えん坊さんだもんね」
ふいに思い出しておかしくなった。
わたしがバイドに甘えることの方が多かったけど、バイドもかなりの甘えたがり屋さんだった。くっついてると落ち着く、そんな気配が度々あった。
クスクスと笑いが湧いてくる。
わたしが変に身構えちゃってただけで、バイドはリヒャール様の言うとおり、見た目しか変わっていないのかもしれない。リヒャール様の中に、バイドを感じる。
そっか。リヒャール様がバイドだったんじゃなく、バイドがリヒャール様になったのかも。
「うふふ、おっきな子犬」
見た目は魔獣のような巨大な猛獣。でも、子犬みたいだったバイド。その、子犬みたいなバイドの姿が、人間に変わっただけ。
今初めて、そう思った。
「ひゃう!?」
なのに。
「ちょ……バイ……リヒャール様! くすぐった……っんんっ!!」
可愛いと思ったのに!
バイドの舌と違ってリヒャール様の舌はくすぐったいの! ヒト型でバイドと同じことされても困るよ!
「愛してる……愛してる、マーガレット……」
「ひゃ……わ、わかったからっ! それ止めてっ! そこで喋るな!!」
チュゥゥ……ッ
強く一度肌を吸ったリヒャール様がようやくゆっくりと顔を上げた。切なげに寄せられた眉と、熱っぽく細められ瞳に撃たれる。
「私のマーガレット……どこにも行かないで? 一緒にいてね?」
「……行かないでって……行くんでしょ? 聖皇国。一緒に」
「……うん」
捻り出した言葉に、リヒャール様がふわりと笑った。
透き通るような、無垢な笑み。
いつものリヒャール様の甘い甘い笑顔とは違う、子どものような笑顔だった。
帰り道。
シスターディジーと彼女が面倒をみる孤児達に挨拶しながら、わたしはなぜかずっと、リヒャール様が気になって気になって、仕方なかった。
……あぁもう、なんなのわたし!? どうした、わたし!?
「あ。ついちゃったね。ふふ……嬉しい」
「へ!? 何が!?」
「所有印。マーガレットは色白だから、すごく目立つ。ハァ……幸せ」
「え、ちょ……リヒャール様!?」
怒れわたし! 赤くなってる場合じゃなくて! ここは怒るとこでしょ、ほら、しっかり……っ! 頑張れわたし……っ!!
とりあえず、ここまでで一段落とします。
改変の可能性ありです。
改変した場合は改変点を新話追加時の前書きかどこかに記載します。