姫と道案内 1
なんとなく知ってはいた。けど……リヒャール様、本当に仕事がめちゃくちゃ早かった。
ロメオが帰ってまだ半刻。なのにわたし、リヒャール様と並んで馬車の中に座ってます……。
一瞬、「え!? もう聖皇国に行くの!?」と焦ったものの、違うらしい。今回の目的地は近くの教会。
場所はリヒャール様が知っていた。バイドの頃に何回か忍び込んだから、と言うけれど……バイドの巨体でそんなこと、できるのだろうか。
「ようこそいらっしゃいました」
前触れを出していたおかげで、教会に着くとすぐに、中から優しそうな老齢の女性が出て来た。衣服から察するに、ここに勤める尼僧だろう。
片田舎の寂れた教会。歴史を感じさせる外壁と彩り賑やかな花壇が、彼女の笑顔と相俟って、温かな雰囲気を醸し出している。遠くから明るい子ども達の声も聞こえる、穏やかな場所だ。
「ステキな場所……」
思わず漏らした感想に、なぜかわたしの肩を抱く力が強まった。これ、エスコートの域じゃないよね!? 人前で密着とか……恥ずかしいから!!
「ハァ……マーガレットが可愛い過ぎる……」
……うん。わかった。もはや病気だ。放っておこう。
「マーガレット、耳が真っ赤だよ? 食べてイイ?」
「イイわけないでしょ!
……あの、こちらの教会のシスターですよね? 突然すみません」
放置失敗。うぐぅ……!
でも、本当にリヒャール様に構ってる場合じゃないと思う。訪問しておいて出迎えを無視するなんて、失礼だ。身分は伏せてあるが、そういう問題でもないと思う。
「はい。当教会を預かります、ディジーと申します。教会はいつでも皆様のお越しをお待ちしておりますから、ご心配はご不要です。もし子ども達の粗相をお気になさらないようでしたら、次からはお使者の方もご一緒に、皆様でいらしてください」
ニコニコと穏やかに話すシスターディジーは、「こういう歳の取り方をしたい!」と憧れるような、可愛いおばあちゃまだった。
その姿を見ると、やはり「聖皇国に行って出家する」というアイデアは有りだと思う。国内に残って自身の運命を呪うより、ずっと幸せになれるはずだ。
「ありがとうございます。それで、あの、今日は……」
用件に移ろうとして気付いた。わたし、何しにココに連れて来られたのかまったく知らない。
「祈りの間をお借りしたい」
すかさず、リヒャール様が割って入った。相変わらずの切り替えの早さだ。デレデレと変態発言を繰り返していたヒトと同一人物とは思えない。……この、肩を抱いてわたしの髪先を弄る指がなければ、だけど。
体に触れる筋肉質な体温が、「男のヒト」だと主張していてすごく困る。恥ずかしいし緊張するし……コレはバイド、バイド、バイド! ……毛刈りした二足歩行のバイドだから気にしない!!
「婚礼の宣誓でいらっしゃいますか?」
「ふぇ!?」
「いや、それはまた改めて。そちらではなく、お借りしたいのは奥の間の方」
「まぁ、ではあなた様は……。ご案内致します」
ちょっと待って何、今の? おばあちゃま、笑顔でとんでもないこと言わなかった!?
「場所はわかるから構わないよ。使用許可だけもらえるかな」
「……かしこまりました」
「行こう、マーガレット。……あぁ、教会の精霊達もきみの前では霞んでしまうね。ほら、ご覧? 可愛い私のマーガレットを皆が祝福したがって……」
「え……!? 何!?」
リヒャール様が肩を抱いたままそっと歩みを進めるから、否応なしにわたしまで教会の中に入ってしまった。こんな無遠慮に踏み込んでイイ場所なのだろうか。……いや、でも、将来の職場だと思えば……。
不安になるわたしに、リヒャール様がふいに天井を指差して見せる。
ゃ……眩しい……!!
「集まって来たね。今に降るよ」
どういう意味……?
示された天井付近は真っ白に輝いていた。どんどん光度を増すソレが、ギュウウッと一点に集中して……一気に爆ぜる。
「きゃ……っ?」
しかし瞬間的に予想したような爆風はなく、空気はひどく優しかった。そっと視線を戻せば、花びらが一斉に散るかのような華やかさ。
リヒャール様の言うように、小さな光が舞いながら、静かに二人の上に降り注いでいた。
「まぁ……精霊様が……」
後ろからついて来ていたディジーおばあちゃんが、感涙に咽びながら神と精霊に祈り始める。長年勤める尼僧ですら、そうそう見ない程に貴重な光景なのだと察せられた。
「『コントラリートゥス』」
リヒャール様の通る声が精霊術を紡ぐ。彼の長い褐色の指先が向けられたのは、わたしの髪。フワフワとした空色の髪の一房だった。
「ゃ……何!?」
降り注ぐ光のうちの幾つかが、リヒャール様の指先を介してわたしの髪に吸い込まれた。顔のすぐ右横の一房だけが、ほんのりと白銀に輝いている。
「勝手にごめんね? でもちょうど良かったから」
簡単な魔術の基礎知識はあれど、わたしは魔術を使えない。精霊術に至っては完璧なる門外漢だ。
何が起こったのかわからず狼狽えていると、リヒャール様が輝く一房を指に巻き取り、そっと丁寧に口づけた。だから人前でそういうの止めてってば! ……じゃなくて、人前じゃなくても、だった! 恥ずかしいから!
「マーガレットがあまりにも可愛いから、精霊達が祝福を与えたがったんだよ。精霊の祝福自体はイイものだけど、聖皇国の行く先々でこれじゃあ困るでしょ? だから、何人か選んで契約して……マーガレット専属の精霊を決めたんだ。
この先は契約精霊がマーガレットを悪意から守ってくれる。この髪の中で眠る子たちがね」
「え……え!? 髪!?」
「そう。この光ってる一本一本に。コレで百人くらいかな。このくらい居れば何かあっても安全でしょ? あ、精霊が馴染めば光は消えるから気にしなくてイイよ」
人智を越える出来事過ぎて、理解できない。
この一房に精霊百人? てか、精霊ってそんな無尽蔵にいるもんなの? じゃなくて、なんでわたし?
「さ、こっちだよ」
理解できなさ過ぎて何から質問すればイイのかわからなくなっているわたしを、リヒャール様は奥の小部屋へと導いて行く。
教会と縁のない生活を送っていたせいか、こんな小部屋があるなんて知らなかった。真っ白な扉は見慣れた教会様式だったが、その中は驚くほど、彩りに満ちている。
床は草原のように毛足の長い緑の絨毯。天井は晴れ渡った空の青。壁は眩しい日差しのような薄い黄色で、そこにこの世の全ての種類の絵の具を使ったんじゃないかと思う程、色とりどりの円が描かれていた。
「すっご……! ……光ってる……?」
リヒャール様が敷居を跨ぐと、描かれたたくさんの円がうっすらと光り始めた。精霊が宿ったというわたしの髪の一房も一緒に。
なんとも幻想的な光景だった。
あらゆる色の光が、淡く優しく、瞬くように揺れている。壁に描かれた円だったはずのそれらは、空気を溶かし込んだかのように輪郭をなくして、ホンワリと穏やかに輝いていた。
「ここは祈りの間。精霊術を使える者のための部屋なんだ。見てて?」
つっ……とリヒャール様が最奥の壁で光る金の円に触れる。すると、その円が優しい光を強め、壁全体へと広がった。
小さな部屋といっても、壁一面が黄金に光る光景は神秘的としか言いようがない。
「『スペチヌンク・ペィリーヌ』」
精霊術の呪文は不思議な響きだ。意味はわからないけれど、葉擦れの音のように自然な音だと感じる。そしてやっぱり、やけに響く。
「わ……っ! リヒャール様、部屋が……」
壁が透けたんだと思った。
有り得ないけど、壁が透明になってさらに奥の隠し部屋が見えて来たんだ、って。
「うん。少し待ってね。そんなにかからないと思うから」
金色の光が落ち着いた時、壁のあった場所はここと似たような部屋に変わっていた。ただ、あちらの部屋には机と一脚の椅子がある。
「姉の部屋の祈りの間と繋げたんだ。ペィリーヌは勘がイイから、すぐ来るよ」
「お姉さんの部屋? え、だってリヒャール様のお姉さんって、聖皇国にいるんじゃなかったの……!?」
こんな異国の片田舎に聖皇国の皇女様が閉じ込められているなんて一大事だ。わたしはザァァッと一気に青ざめた。戦争になる……!?
「ふふっ、やっぱりマーガレットは素直で可愛い……。大丈夫、聖皇国の王城にあるペィリーヌの部屋の様子を、精霊の力でそこの壁に映しているだけだから」
「……壁に、映した???」
優しく宥めるように、回された手が肩を撫でる。そっと寄せられた顔がチュッと額に触れた。
「……っ!!」
「落ち着いた?」
「お……おぉ落ち着くわけないでしょ!?」
真っ青から一転。真っ赤になっておでこを押さえるわたしを見るリヒャール様の目は、ひたすらに甘い。きっと砂糖だって裸足で逃げ出す。
「そう? じゃあ、もっと私にドキドキして?」
「っ!?」
おでこを押さえる手の甲にそっと触れる、温かな唇。
「大好きだよ、マーガレット。この愛が少しでもマーガレットに伝わるとイイな」
どこまでも甘い、幸せそうな眼差しから目を逸らせない。恥ずかしくて溶けちゃいそうなのに、リヒャール様の翳りなく桃色に輝く瞳に捕らわれてしまった。
……たまに、バイドのような暗い赤に沈む瞳。バイドは……わたしの大切なモフモフの友人は……幸せじゃなかったんだろうか……?
「ひゃっ!?」
ペロリ。今度は湿った柔らかいモノが手の甲を這った。
「おいし……マーガレットの肌は甘いね。私はこの甘い香りに惹かれて迷い込んだんだよ? すごく……イイ匂い……」
まさに今! バイドのこと、考えてたのに!
「うぅぅ……甘いのはリヒャール様でしょ! リヒャール様なんか……おっきな蟻さんに食べられちゃえ!!」
「……っ! ハァ……可愛いよマーガレット……っ! ……どうしよう、やっぱり今すぐ結婚の儀だけでも……」
「おい。わたしは何を見せられているのだ?」
ぎやっ!?