姫と元野獣 2
「あの……姫様。陛下からのお使者がいらしているのですが……」
相も変わらず……というか毎日毎分毎秒、リヒャール様との攻防は続いている。バイドが消えて早一週間。
わたしはこの変化にまったく馴染めていない。このヒトがどことなくバイドっぽいのは事実だけど……まだ信じてないからね?
「使者? 手紙じゃなくて?」
「えぇ。何でも、絶対にお返事をいただいて来るよう申し遣った、とかで……」
「……ハァ。応接室よね」
「はい」
「……リヒャール様。どけて?」
移動するには、勝手にわたしの膝を枕にしている彼の頭を退けねばならない。まったく、油断も隙もない。ちょっと読書してる間に……もうっ!
「……ハァ。不粋だね。せっかくマーガレットが私の髪を梳いてくれていたのに……」
「は!?」
「ふふ、無意識? マーガレットのたおやかな指は、やっぱりとても心地良いよ」
思わず、本を持たない左手を見た。わたしの手、何やってんの!?
なんか……確かに思い返してみれば、指先に感触が残るような気も……しないでもない。バイドの、チクチク硬い被毛ではなく、お腹の柔らかな亜麻色を撫でたような……。
って、亜麻色? リヒャール様の髪の毛の色、バイドのお腹の毛と一緒だ。
そ……っ。
バイドの色だと思ったら、勝手に、膝の上の亜麻色に手が伸びた。
ふんわりと柔らかな長い髪。手触りまでバイドと似ている。サラリ、サラリと指の間を通り抜ける細い亜麻色は、わたしのお気に入りだった。バイド、どうしているだろう…………って、そうか、
「ハァ……幸せ過ぎて襲いそう……」
「へ!?」
うん、違う! やっぱりリヒャール様はバイドじゃないよ! バイドはいつも幸せそうに目を細めて喉を鳴らして……リヒャール様も幸せそうに目を細めてるけど……そんなとんでもないこと言わないもんっ!
「やだな、怯えないで? 私、これでも理性には自信があるんだよ? 忍耐強い方だしね」
パッと離した手を、素晴らしく素早い動きで掴まれた。もっと撫でてと言わんばかりに連れ戻された指先。え、でも……と思った時には、わたしの指先にリヒャール様の精悍な頬が擦り寄る。
「ちょ……リヒャール様! 使者が待ってるんだってば! ……うひゃあっ!?」
パクリ。
指先が柔らかな熱を感じる。
「や……くすぐった……っんやぁ……」
食べられた!?
バイドの鋭い牙とは違う、整った並びの歯が、指先を甘噛みしている。大きくザラリとしていた舌も柔らかく繊細なヒトのそれに変わって、わたしの指の腹をくすぐった。
「ふふ……」
「ちょ……っ止めて!!」
ゴンッ!
もう無理!! と椅子から横にずり落ちた。と同時に、わたしの膝から落とされたリヒャール様の側頭部が座面にあたってイイ音を立てる。
「ぁ……ごめんなさ……」
咄嗟に謝りかけて、ふと気付く。わたし、悪くないよね!?
「大丈夫?」
そのまま床にへたり込んだわたしに、ごく紳士的に手を差し伸べるリヒャール様。この場面だけ見れば、まさにステキな皇子様だ。でも……諸悪の根源!
「まったくマーガレットは……どこまで私の心を掻き乱せば気が済むの……? あまりの初々しさに眩暈がするよ。ハァ……可愛い」
立たせてくれたのはありがたい。正直、腰が……。
軽々とわたしを持ち上げる頼もしい腕に、思わず、ドキリとさせられる。簡素な服を着ているからこそ、腰に回された彼の腕を強く感じた。
着痩せするタイプ、だよね…………ってこらマーガレット! 何を反芻しているのかな!?
「……あれ? リヒャール様? どこへ……」
スマートにエスコートしてくれるエキゾチックな貴公子。
シンプルな単色の服も、彼の褐色の肌と亜麻色の髪を際立たせ、ラフな装いだからこそ、やけに色っぽく見える。
バイドのことは怖がって一切近付こうとしなかった下働きの女達が、リヒャール様を潤んだ眼差しで見つめている。異国からの客人だと知らせてあるから当然なのかもしれないが……バイドを殊の外大切に思っているわたしからすると、なんだかやけに面白くない。
「応接室だよ。使者殿が来ているんでしょう?」
「え!? 一緒に行くつもりなの!? だって……」
国王の使者なんて、間違いなく後妻の息がかかっている。しかも内容は絶対、聖皇国の……えっと、リジー……リュジー? なんかそんな名前のヒトとの婚約のこと。この間の「国王命令」をガン無視中だから、間違いない。
そんな場所にリヒャール様を連れて行くなんて……どう考えたって、厄介なことにしかならないと思う。
「私は『聖皇国から密かに派遣された特使』ということにしよう。あそこは秘密主義だからね。使者もそれなりの地位の貴族でしょう? なら、見るからに聖皇国人な私を疑うことはないと思うよ」
「……聖皇国人?」
「あれ? マーガレットは知らない? 生粋の聖皇国人はね、きみ達と色彩が違うんだ」
「そうなの……?」
「うん。髪とか目とか肌とか……。例えばそうだな……バイドは黒かったでしょう? でももし、マーガレットが獣の形を取るとしたら、きっと白だ。
…………あぁ、マズい。純白でしなやかなマーガレット……滾る……見たい……」
うん、わたしは何も聞いていない。聞こえない。
応接室へと続くドアはすぐそこだ。臨戦態勢に入らなきゃ。
ドアの前に立つ兵士と目が合った。老齢に近づいているが、腕の立つ忠臣だ。若い頃に妻子を亡くして心を病み、前王妃……お母様に救われたのだ、と聞いたことがある。
その彼が油断なく辺りに目を配り、
「宰相閣下の三男様です」
と小声で囁いた。
「っ!」
わたしの中の警戒レベルが跳ね上がる。なぜまた、このタイミングで……。
「誰?」
ビクリと震えたのが伝わったらしい。リヒャール様がエスコートのために繋いだ手を優しく撫で、静かな声で問いかけて来た。
さっきまでの変態っぷりが嘘のような思い遣り溢れる声に……あ、わたしは変態発言なんて何も聞いてないんだった。知らない知らない。
……ふぅ。
緊張して強張っていた肩が、まさかの脳内一人ツッコミにフワッと弛んだ。あはは……予想外のリヒャール様効果。
「自称、わたしの婚約者候補。継母の手先よ」
「……そうなんだ。うん、でも大丈夫。守るよ」
簡潔な説明が、リヒャール様にきちんと伝わったのかはわからない。でも、本当に彼がバイドなら、これですべて理解できただろう。
バイドだけには、愚痴も涙も曝して来た。……って今思うと恥ずかしいな! ぎゃーっ!!
「マーガレット王女殿下が御成です」
え、ちょっと待って、心の準備が……。
「行くよ」
臨戦態勢どころか、発覚した黒歴史のせいでパニックだ。なのに、無情にもドアが開き……リヒャール様がわたしを優雅に引きずって行く。
ちょっと待ってぇ──!!