姫と野獣 1
「…………え?」
目の前でボフンと立ち込めた煙。
それが晴れて行った時、わたしは激しく混乱した。
「マーガレット」
低く艶やかな声がわたしを呼ぶ。
膝まで長く伸びた亜麻色の髪と、宝石のように煌めく桃色の瞳。そして、あろうことか一糸纏わぬ、褐色の肌。
「…………っ」
「マーガレット……愛してる、マーガレット……」
…………このヒト、誰っ!?
※※※
わたし、マーガレット・サンサーンは贔屓目抜きに見ても美しい娘だ。そして、同じく、不幸な娘なんだと思う。
幼い頃、お母様が読んでくれた『灰被り姫』。まさに現状、そんな感じ。
お母様が病死した後、お父様は親戚の強引な説得に負け、後妻を貰った。後妻には二人の連れ子がいて、更に一昨年、跡継ぎとなる息子も産んでいる。
後妻も、二人の義姉も、わたしの新しい家族じゃない。あくまでも、彼女達はサンサーン家当主の「後妻」と、「義理の娘」。
彼女達にとって、お母様譲りの美貌を持ち、長く「サンサーン家の一人娘」であったわたしは、邪魔者以外の何者でもない。
「もう、『あなただけのお父様』ではないの」
後妻にそう言われた時は思わず笑った。あんたはまんま、意地悪な継母か。
「それで?」
ただ、わたしは『灰被り』と違って我が強かった。意地悪な継母に従順な継子である必要を感じない、と言い換えてもイイ。
報復上等。あわや家庭内戦争勃発だ。
「お父様なんて、最初からアテにしていないわ」
こんな後妻を押し付けられてる時点で、たかが知れてる。
だから……わたしは、家を出た。
周りはあれこれ言って来たけど、正直もう、対抗するのも馬鹿らしいじゃない? あっちがどう思おうと勝手だけど、わたし、彼女らに興味ないし。顔を見ないで済むなら、それが一番。
それに。ウマい具合に、我が家は保養地に別荘を持っている。人里離れた、自然豊かな広い別荘。
王都にいるよりずっっっっと自由だ。
「姫様! 姫様どこですか……!?」
幼馴染みでもある侍女のジュリの声を、わたしは大木の上で聞いていた。
別荘に移住して6年。当初の「自分であれこれやってみよう月間」は「何でも挑戦してみよう月間」に変わっている。
つまり、わたしの興味は、今までやる機会のなかった料理とか、掃除みたいな身の回りのことから始まり、駆けっことか木登りみたいな、令嬢ならば一生やらないだろうことへのチャレンジにシフトしていた。
今日も今日とて、庭で一番立派な樹のてっぺんにレッツトライ!
「姫様ぁ? 出てきてください姫様、今なら多少汚してても怒りませんよー?」
ジュリはさ、イイ子なんだけど真面目過ぎる。
「……怒られるのが怖くて木登りなんかできますか、ってね」
王都からわたしが連れて来た従者は10人。ジュリを含む侍女が4人に、護衛が4人、料理人が2人いる。
ちなみに下働きは現地雇用で、今は男女合わせて15人ばかり、いたと思う。
押しに弱いお父様も、さすがにこれ以上身軽になることは許してくれなかった。
ま、仕方ない。近くには別の貴族の別荘もたくさんあるからね。交流ないけど、どこからどう噂が回るかわからないし。
お父様にしてみれば、わたしの命と家の体面、どちらも守らなきゃならないのだろう。……うん、そう考えれば、これでも譲歩してくれてるかも。
「姫様ぁ? どこですかーっ! 王都からお手紙が届きましたよー?」
「えー、もう騙されないってば。手紙じゃなくて釣書でしょ?」
ウロウロと庭を歩き回るジュリに聞こえないくらいの返事を返し、わたしはせっせと大樹の枝を登って行く。
まったく、17歳の誕生日を終えた途端、喧しいことだ。まずは義姉二人に勧めてあげればイイのにさ。……ま、あの器量と性格じゃ厳しいか。
「……ふぅ」
立派な広葉樹は、随分頑張ったはずなのに、まだ三分の一の高さ、というところ。それでも、立派に伸びた枝と生い茂った葉が、わたしの姿を隠してくれる。
「今日こそ……っ!」
なかなか筋肉がつかず細いままの腕に力をこめる。足も目一杯踏ん張って……
「ぅ……わっ!!」
次の枝に渡るための足場にした小さなウロが、ボロリと崩れた。
咄嗟に両腕で太い枝にしがみついたのは良かったが、わたしはそのままぶら~んと枯れ葉よろしく垂れ下がるしかない。
「うっそ……」
ここからどうするの!?
落ちるのは論外。絶対ケガする。でも、足をひっかけられる場所なんて……
「グルゥ」
「ひゃ!?」
足掻いていると突然、腰のあたりを何かに力強く引っ張られた。
すぐ近くで、獣が喉を鳴らす低い音。
「ぅひょ─────っ!?」
視界が緑から空色に変わると同時に、浮遊感に襲われた。バサバサとスカートのはためく音は自分の奇声にかき消されている。
ポスン。
そこから四つん這いの姿勢で叢に放り出されるまでは、ほんの一瞬。目を見開いて固まるわたしの頬に、ふいに生暖かい息がかかった。
見なくてもわかる、大きな口。
それがパカリと開き、鋭い牙の奥……真っ赤な舌がベロリンッ!! とわたしを舐めた。ベロリンッ、ベロリンッ、ベロリンッ!!
「ちょ……」
ベロリンッ、ベロリンッ、ベロ……
「んんんっ! こら、バイ……んんんっ!!」
わたしを襲う……いや、むしろ助けてくれてジャレついて来た、大きな大きな野獣の名はバイド。1年程前から居着いている、モフモフの友人だ。
見た目は厳つくて、失礼極まりないことに、下働きの中には「バケモノ」と呼ぶヒトもいる。でも、中身は子犬みたいに無邪気でかわいい。
「……ハァ、ハァ、ハァ……もうバイドってば……口はやめて、っていつも言ってるでしょ……っ」
なんとかバイドのベロリン攻撃を両手で防ぎ、
「でも、ありがと。助けてくれて」
ギュウッとその首元に抱きついた。
中身子犬のバイドはわたしの口元をよく舐めたがる。でも、いくら中身は子犬でもガワは巨大生物。大きな舌でベロベロされると口も鼻も覆われて息が出来ない。頬っぺくらいならイイんだけどね。
「グルルルルル」
チクチクする毛で覆われた太い首が、ご機嫌な音を立てる。うん、やっぱりかわいい。めっちゃかわいい。
わたしはバイドの毛に顔を埋め、いっそうしっかり抱き締めた。……ハァ、お日様の匂い。癒されるぅ。
「きゃあっ! 姫様っ!! このバケモノ、姫様を離しなさいっ!!」
しかし、わたしの癒やしの時間は耳をつん裂く金切り声のせいで唐突に終了した。
首を巡らせれば、見慣れない女性が一人。ジュリに言われてわたしを探し回っていた下働きの一人だろう。
「大丈夫よ。バイドにひどいこと言わないで。優しい子なんだから」
「……姫様……良かった、ご無事でしたか」
角度的に、彼女にはわたしが食べられたように見えたのかもしれない。真っ青だった顔に安堵が浮かんだ。
確かにバイドはパッと見ると闇のように真っ黒で、そこらの大型肉食獣の二倍は大きい。赤っぽい瞳がいつでもギラギラ輝いていて、牙は異常に長い上に鋭いし、四本の脚もがっしり太い。
一見すると犬と猫を混ぜた猛獣。太古に滅んだと言われる魔獣のようだ。
「バイドはいつもわたしを助けてくれるの。あなたも早く慣れてちょうだいね?」
「は…………はぃ……頑張ります……」
バイドは、わたしには絶対害を為さない。
賢いバイドは、迷い込んだ彼を保護し、脚のケガを看病したわたしに恩義を感じているらしいのだ。
こんなに強そうなのに子犬みたいに懐いてくれるとか、ホント、かわいい。別荘に来て一番良かったのは彼に会えたことかもしれない。最高の友達だ。
「あの……姫様を、ジュリ様が探してらして……」
やっぱりそうか……。おずおずと話しかけてくる下働きの娘に、溜め息で返事を返す。
お行儀悪いが仕方ない。だって心底嫌なんだもん。バカ貴族の釣書とか、見て何が楽しいの?
とはいえ、樹からも落ちたところだし。バイドが来てくれなければ危なかった。
ハァ……。今日のところは大人しく室内に戻るとしますか……。
「わかったわ、ありがとう。どうせまたお見合いの話でしょ? ……はいはい、戻りますよ……ハァ……」
下働きに愚痴ったってしょうがないことはわかってる。それでも嫌々過ぎてつい、零れた。
「バイド、わたし戻るね。助けてくれてホントにありがとう」
「グゥゥゥ」
「ん? バイドも来るの? まだお日様高いのに珍しいねぇ、うふふっ、嬉しいから全然イイけどっ」
「グルアッ」
寝そべったままでもわたしの背くらい大きいバイドの頭をワシャワシャ撫でる。大きなバイドには別荘の室内は窮屈なようで、ケガが完治してからは夜寝る時以外、あまり入ることがなかった。
……うふふ、バイドに添い寝するの、最高なんだよね。首筋の毛は短いから硬いけど、お腹のあたり、亜麻色の毛はフワフワ長くて柔らかい。お布団より幸せで、わたしはいつでも大歓迎。うん、今日はのんびり昼寝もイイかもしれない……!
「うふふふっ」
大きな大きなお供を連れたわたしは、上機嫌でスキップする。
バイドがいてくれるなら釣書なんてなんのその。すぐに破り捨てちゃうんだから。
「……姫様っ!! なんですかその有り様はっ!!」
あ。
手足に擦り傷。顔や髪はよだれでベタベタ。ワンピースも所々裂けている。
「えーっとぉ……」
……意気揚々と帰ったわたしがジュリの説教とお風呂から解放されるのは、残念ながら、しばらく先のことだった。
なかなか溺愛モードにならない魔王様の話を書いていたら、とにかく溺愛しまくり甘々な話を書きたくなって……
自分で楽しむ用に書いていたのですが、データが溜まり過ぎてテキストアプリがフリーズするようになったので……フリーズ解消のため、チマチマとアップさせていただきます
あれこれ書きかけなのに、自己満用でさらに増やして……すみません