兄が子犬について思う事
子犬は誰に対しても人懐っこかった。良く笑い、不本意な時はすぐ顔に出る。驚いた時は少し下がった目尻に涙を浮かべていた。
そしていつも兄の隣にいる。兄もどこにでも子犬を連れて行った。仕事にも連れて行くと、見ているだけでなく一緒にやりたがった。それならばと簡単な荷運びを手伝ってもらうと、大の大人と同じ量を軽々と運んで周囲を驚かせた。兄もかなりの力自慢だが、それ以上かも知れなかった。でも兄は何も言わず、子犬もそこまでの素振りは見せなかった。
子犬は出会う前の事を一言も話さない。なので実年齢も分からないけれど、見た目よりも上のようだった。少なくとも本人はもう小さな子供ではないと自覚している。一人でも生きて来た自負かも知れない、と兄は思った。
これはあくまで想像に過ぎない。けれど子犬が過去を全く口にしないは記憶が無いのでも話したくないのでもなく、その記憶に触れる事が出来ないからではないかと兄は考えていた。
初めて会った日に言葉が通じないながら手振りを交えてもう一度名前を聞いた。意味は通じたはずだった。
その時の子犬の顔はナニモノでもなかった。
以来、兄からはその事に触れない。
だから子犬がどこでどんな風に暮らしていたのかは分からなかった。赤い髪も深緑の目も出身を絞れるほど珍しくない。着ていた物も特徴の無い簡素な肌着だった。
何故一人で彷徨う事になったのかも当然分からない。ただ、一つの町なり村が消えてしまいその生き残りではあるのだろう。消えたと言う噂も届かない程遠くの事なのか、噂にならない程小さな集団だったのか。昨今そんな話はここに届くだけでも少なくなくて、その中に子犬の故郷があるのかも判別が付かなかった。
そんな子犬だったから夜など無意識にうなされる事があってもおかしくないが、今のところそのような事はない。ただ警戒心が抜けないらしく少しの物音や違和感でも目を覚ます。良く眠れるのはあの日にそうしてやったように、すぐ隣で兄の鼓動が聞こえる時だった。子犬はもう子供ではないからと一人で寝ようともしたが、顔に"一人では嫌です"と書いてあるので抱き抱えて同じ布団に入れてしまった。
兄が子犬について思う事はまだある。想像するしかない事も多くある。確かなのは子犬が自分の弟である事、それから子犬を守ってやりたい事だった。子犬がもうその力を使わなくても済むように。