幼馴染が聖人になった少年の話。———英知極める者。
過去作読んでくださった方々はありがとうございました。
パラパラパラ――――――。
本を捲る…今回は読み流しているけれど。
小さく囁く紙の音。それ以外には何も耳には入らない、静かな空間。
「――――。」
過去に読んだことのある物だったと確認。
再読する必要もない、あまり知見の得られない書物だったように記憶している。
「…。」
すぐに本を閉じ、周囲を見渡す。
私を囲むように聳え立つ、巨大な本棚。
背の低い私が高い本を取るための脚立。
本を読むための最低限の光しかないこの部屋こそ。
私の、世界だ。
――――――――――――――――――――――――――
初めて本を見た時。…覚えていない。何か切欠があったと思う。
それで、本に惹かれて。本を探して。
この部屋を見つけた。
部屋を出るのは、食事が戸の前に出された時だけ。
花摘みの設備もある。眠るときは毛布を使えばいい。
本を読み、眠くなったら毛布に包まって、目覚めたらまた本を開く。
最初の内は父と母もいろいろと口を挟んできたけれど。
彼らの説教よりも、読書によって得た知識の方がよっぽど価値がある。
その事を一言いうと、2人とも黙ってしまった。
暫く何度も同じことを言っている内、父も母も読書の邪魔に来ることはなくなった。
その方がお互いの時間を邪魔せずに済むのだ、素晴らしいことだ。
―――――――――――――――――――――――――
その日は珍しく。この部屋に客人が来た。
足音は…複数人だった。彼らが私の前で止まる。
「――――――――――――――――。」
聞いたことのない声色。
その人が何かを言ったかと思うと―――私の周囲が唐突に輝きだした。
…ハッキリ言って、逆光のせいで読書どころではなくなった。非常に不快だ。
邪魔しに来たその人に文句を言おうとして本を下げ、
「――――! おめでとうございます!『賢人』です!!」
彼のその無駄に大きな声が、私の鼓膜に響いた。
――――――――――――――――――――――――――
次の日。
いつもの通り本を読んでいると、またドアが開かれた。
「――――。」
…。
話しかけてきているようだった。
読書妨害。それも2日連続。
いや、昨日のあの妙な儀式のことはなんとなく把握している。
どうやら昨日が、私の15歳の成人の日みたいだった。
そして、「賢人」になった。
ドミナリオ王国のノウズ公爵家が看板としている加護だったように記憶している。
最近では賢人の輩出もできていないと記されていたが、賢人たちの遺した知恵を用いて、金の流動の主幹、領地の政など、ある程度こなしているとのこと。
もしや、私を養子にでも送り出すのか――――。
ああ、でも賢人の本家であれば、この部屋より大きな書庫があるのかもしれない。
そんなことを考えながら、私は視線を上げた。
――――――――――――――――――――――――
ひっくり返るほどの巨大な書棚。
そこに収まらなかったであろう、山積みの大量の本。
ガラスで厳重保管された、包装の丁寧な幾つかの本。
驚いた。まさかここまでとは。
…それ以上に、こんな部屋が同じ屋根の下にあったとは。
私自身が、賢人を看板に掲げていた貴族・ノウズ家の者だったとは。
父―――と思われる、青髪の男性に「ミア」と呼ばれた時なぞ、それが私の名であることを忘れていたほどであった。
―――――――――――――――――――――――
今まで読んでいた本は、算術や語学、他国の言語の物、そこからちょっとした文学や情勢、物流などといった物がほとんどであった。私が選んだ物がではなく、あの部屋の書物が、それで全てだった。
もちろん表紙を見た限り、同系統の物もあった。あの書庫の本全てをひっくり返すこと前提の難度であったが。
特に異なっていたのは。
賢人が用いるべき―――魔術の種類、起動方法。使用方、魔術の理。詠唱の必要性、その省略法。
それらを記した書物であった。
…ぼんやりと、商人や政治に携わるものかと思っていたが。
この部屋にそういった魔法の物があるのは、そういうことなのだろう。
数日、魔術の本に目を通して。
厳重に保管されていた、ガラス張りのケースの本に、手を出した。
そのガラスには特殊な封の呪いが込められていて、魔術を結構熟知しなければ開封できないようになっていた。
…。
なんとなく、一番古っぽい本を手に取った。
…。
…。…。
…………。
「『後世の賢人へ捧ぐ』 著:初代賢人セリナ・ノウズ公」
彼女の幼少時の記録。
力を手にした時の記録。
自身の無能を綴った記録。
定期的に出てくる理解不能な記述。
…何かの学になるようなことは一切書かれていなかった。
適当に流し見したが、どこにも教訓になりそうな所はなかった。
最後の方に、辛うじて「そう」思える部分があったが。
無駄に長く書かれていて、わざわざ覚えるまでもないことであった。
「励め」の一言で収まるような、そんなことをここまで長く書く必要があるのか? と。
どうやら初代賢人様は、要領の悪いお人だったようだ。
恐らく並んでいる本は、他の賢人たちが遺した書物なんだろう。
…もし必要なのであれば、さっさと燃やした方がいい物もあるのかもしれない。
―――――――――――――――――――――――――――――
剣帝。 勇者。
このドミナリオ王国では、賢人の他にも、この二つの大きな看板を掲げている。
そして今代、その三大看板が揃ったそうだ。
なんでもそれを記念して、王が式典をしようとしているらしい。
3人が各地を回って治安維持したりすることも考慮し、顔合わせをさせたい、と。
…そんな無駄な時間があるのなら、皆全員読書をすればいいのに。
勿論、全員が全員読書をしてしまえば、社会が停滞して回らなくなってしまうだろう。
彼らが読書をしない分、こうして私が好きなだけ読むことが出来るのだ。
そう考えれば―――出ていかないこともないだろう。
馬車に揺られる。
どこかで止まった。
扉が開いたので降りる。
建物へ入る。
誰かが私の前に来て、先導するようだった。
暫く歩くと、先導していた人が立ち止まり、コンコンとノックをした。
「―――――。」
何かの言葉と同時に扉を開け、私を中に入れるように促していた。
「―――――。」
入ると同時、先導者がまた何か言う。
同時、中にいたであろう人が、立ち上がったのを感じた。
「――――。グレイド公爵家の長女、エルズ・グレイド――。」
。
どういやら中にいた人は、今代の剣帝らしい。
チラリ、と視線を剣帝へ向ける。
真っ赤な美しい髪をポニーテールに纏め、肩まで降ろしていた。
此方を見つめる、鋭い紅色の瞳。籠っていた私と違って、スラリと鍛えられた躯。
「――――ノウン家。ミア。」
可能であれば、互いに読んだ書物のことについて語り合いたいと思っていたが。
彼女には、期待できそうになかった。
とりあえず、そのまま近くの腰掛に腰を下ろした。
「…。」
「――――。」
暫く、静寂な時が続く。
と、
「――、――、――。」
何か、剣帝が私に話しかけていたようだった。
「…。」
読書に対するリソースを少し割き、彼女の言葉に対して耳を向ける。
「…。」
―――が、彼女は黙ったまま、何も言わなくなってしまった。
用がないのなら私の読書の邪魔をしないで―――
「…あー。何を読んでいるんだ?」
…。
剣帝からのその質問に、少し新鮮さを味わった自分がいた。
―――だれとも接点を持たなかったから当然と言えば当然だが。
私が読んでいた物について語る機会がなかったのだ。
私が賢人としてどれほど有能なのかを知りたいのかもしれない。
ならばせっかくの機会だし、誰も聞いたことのないような珍しい本を―――。
「…3代目賢人ドムカルト・ノウズ公の著した『戦術的魔術の実例と応用』。
少し前までは5代目賢人レミル・ノウズ公の記した『戦場での最適な魔術師の選択肢』。
その前までは初代賢人セリナ・ノウズ公の残した『後世の賢人へ捧ぐ』を。」
剣帝と勇者。2人と協力して、世界の魔物を退治していくのだ。
私が魔法について学んでいたことをアピールするために。
そして内容はともかく、恐らく書物としての価値は高いであろう初代賢人の本。
その3冊を上げた。
「…はぁ。」
私の上げた本に対して、困惑した様子を見せる剣帝。
…失敗したかな。
そっか、魔法書ならともかく、なんの教養もなかった初代賢人の本なんて上げても仕方なかったかな。
「後世の賢人へ、とのことだが。何が書かれていたんだ?」
「…。」
なんて、上げたことを後悔していたのだけれど。
その「後悔の元凶」について、質問された。
その内容について、私なりに説明。
「なんの価値もない事柄だけを無意味に並べたものだった」と。
私の言葉に、また困惑した様子の剣帝。 …読書への興味を持ってもらおうと思ったけど。失敗したかな。
彼女との会話を諦め、読書に戻った。
暫くして再びノック。
扉が開いた。
「――――。グレイド公爵家の長女、エルズ・グレイド――。」
剣帝が先ほどと同じような挨拶をしたのが聞こえた。
「――、―――――――――――。オルレイド公爵家のロルド・オルレイドだ。」
適当に聞こえた言葉から、勇者が来たのだ、と把握。
チラリと視線を向けてみる。
美しい金髪、透き通った青い瞳。
剣帝ほどは鍛えられた様子はなかったけれど、良い魔力を内包していた。
「ノウン家。ミア。」
一応のあいさつだけ述べ、また読書に戻る。
「――、―――。」
。
どうやら勇者が何か言ってきた様子。
剣帝と同じで私の本に興味が?
「せっかくこうして剣帝と賢人と勇者の3人が揃ったんだ。
まだ『聖女』『聖男』は見つかっていないけれども、それでも俺たちは仲間だ。
もっと交流を持とうと思わないのか?」
…。
???
「俺たちは世界を救うために、皆の先頭を歩まなければならないんだ。
だというのに―――。」
…。
勇者の言葉を要約すると、「もっと仲良くしよう」「選ばれた者としての意識を持て」とのことだった。
―――正直、非常に煩わしい。
仲良くすることに読書で得られる知識以上の価値があると?
「私は選ばれし者だ」と意識することが、読書を行う以上の価値があると?
あなたのその無駄な説教に、私が読書を中断するほどの知的価値があると?
「私は。
読書を過ごす静かなひと時を妨害される以上に。
全く利を得られない不必要な会話・干渉に対して。
この上ない圧倒的な激情を感じます。
それをどうかご理解願います。勇者ロルド公。」
季節によって。
読書をしている際に、小さな羽虫が私の邪魔をしてくることがあった。
小さな羽虫を杖で叩き落とせるようになったのは、羽虫と格闘を続けて8年ほど過ぎたあたりだろうか。
どうやら羽虫だけでなく、勇者にも通用するようであった。
その後。
王様との謁見とのことだったけれど。
ずっと読書をしていた私には、勇者と王のやり取りは一切耳に入らなかった。
――――暫く後になってこのことを思い返すと。
よく王様、私の読書に対してお咎めを入れなかったな、と思わずにいられない。
――――――――――――――――――――――――
平民が『聖人』になった。
…『聖女』じゃないのか、と疑問に思った。
確か新しい書庫に、加護や教会について書かれていた書物の棚があった筈。
たまには趣向を変えて、そっちにも手を出してみよう。
私にとって聖人の出迎えは、その程度の認識だった。
―――――――――――――――――――――――
聖人が見つかってからというもの、本格的な遠征が始まった。
前のように籠って読書ばかり、という訳にはいかなかくなった。
魔力で無理やり身体を固定してなんとかなっていた乗馬も、今では普通に読書しながらできるくらいには何度も乗せられている。
読書については―――魔法の中に「亜空庫」というものがあった。
「輸搬者」や「倉庫番」が持つスキルを無理やり魔法で再現したというもので、なかなか難しい物らしいけれど。
賢人の私には造作もない物であった。加護に感謝である。
――――――――――――――――――――――
「私に、ミアの魔法を教えてください!」
聖人が私にそう頼み込んできたのは、彼女が聖人として入って来て、恐らく1年以上は過ぎたあたりだっただろうか。
…。
単純に、読書の邪魔であると思った。
私の魔法は賢人の加護あっての物、というのが多い。教えても行使できるとは思えなかった。
戦闘時に手を抜くと、勇者がいろいろ言って来てうるさいし、―――極論、下手をすれば二度と読めなくなることもあり得る。
それ故に戦闘には真面目に参加しているけれど。
適当に見ただけでも、ラナは非常に戦闘に貢献していたようだった筈。
今でもサポートの役割をこなし、しっかり活躍している。…彼女が攻撃に本腰を入れる必要もない。
読書の邪魔にならない程度に―――。
それに万が一、彼女が私より魔力が達者になり、賢人が必要なくなったら。
私がのんびり読書をする時間が無くなってしまう。
自衛の魔法を覚えれば、それで満足するだろう。
その程度の認識で、私は彼女に魔法を教え始めた。
――――――――――――――――――――
彼女が私から教わった魔法をどのように活用しているか。
戦闘時、その事にも気が向くようになった。
彼女のことをあまり気にかけていなかったから気付かなかったが。
前衛2人への援護は破格の物だった。
いや、破格の更にその上。
援護だけでなく周囲への警戒―――警戒なんてものじゃない、戦場を掌握しているようだった。
前衛の2人は知らないようだけれど、肉眼では補足出来ないような場所から来る敵にも、彼女は反応していた。
また、いつ手に入れたのか。
ローブの中から折り畳み式の複合弓と矢を取り出して曲射し、平地でも目視の厳しい距離の魔物を仕留めることがあった。
「ミアさんに処理してもらおうと声を掛けていたんですが、2人の援護に集中していた様子でしたから。
…それに先日、自分である程度の被害を出せるようにしないと、と思いまして。」
ローブから籠れ出る美しい茶色い髪。栗の実を思わせる綺麗な瞳の彼女。
複合弓について尋ねると、そんな返事が返ってきた。
集中というより。彼女のことを意識外に追いやっていたせいで、彼女の声を無視してしまっていたのだ。
複合弓故に弦を引く力は莫大な物な筈。
矢も曲射の威力向上のために重めのものを使っているようだった。
火山地帯の生態系の頂点である炎窟亀の甲羅を粉々にしていたのを見て、全身が凍った記憶は忘れないだろう。
恐ろしい曲射芸当だけなら「嵐弓主」も可能であるが。
嵐弓主の最大射程、それも意識視覚の外の存在を正確に把握するとなれば、「貪狩獣」レベルのセンスが必要になる。
しかしいくら「嵐弓主」や「貪狩獣」でも、彼女の持っている複合弓を引くような筋力は自力で鍛えなければいけない。
…龍種すら戦闘を拒絶する、「甲羅の頑強さをもって厳格な生存競争の頂点に立った」亀の甲羅。
それを砕く矢を、曲射で飛ばせるほどには。
…つまり。必要だったから。
私が彼女のことを意識外に追いやっていたせいで。
彼女は弓使いの最上位と狩人の最上位が行使するような技術を手にし。
恐らくは「騎士」最上位「砦臣」と同レベルの筋力を身に着けた、と?
…なにそれ。
(こんなの…知らない。)
それが私の彼女への認識だった。 無視できない、畏れだった。
「面倒だから」という理由で、私は彼女に自衛用の手軽な魔法しか教えていなかった。
…彼女は自衛目的で私に教えを請いているわけではないと、今更ながらに気付いた。
気付いたとしても。
今更本腰を入れて。 「今までの訓練で手を抜いていたのか」なんて責められて。
――――――。
そうなったら。彼女は私をどうする?
彼女が、私に怒りを向けたら―――?
聖人の補助魔法。…私の魔法では彼女の壁を破ることは出来ないだろう。
逃げて隠れても、今まで魔物に向かっていた曲射の的が私に変わるだけだろう。
―――――――。
――――。
「彼女をこれ以上、恐ろしい存在にしてはいけない。」
そんな勝手な使命感で自分をだまし続け。
非効率な魔素転換、無駄ばかりの魔力放出、あえて弱体化させる魔法行使。
あらゆる手を使って彼女の魔力を消費させ、彼女が攻撃魔法について疎いままにすることにした。
賢人が不必要になってしまうかも、なんていうくだらない考えはとっくに消え。
彼女への畏怖と脅威に怯えながら。彼女に魔法を教え続けた。
―――――――――――――――――――――――――
…。
彼女に怯え続け、数か月。
「ありがとうございました! ミア先生!」
「っ…ぁ、え、うん。」
ふと、気付いた。
彼女は、そのようなことで怒るような子ではない、と。
その数か月、私は初めて「読書」よりも「他人の顔色」を優先し続けていた。
私の手抜きが彼女にバレてはいないか。彼女を不快にしてはいないか。
エルズがよくラナと接しているが、エルズの行動がラナの逆鱗に触れないか。
そこから、どのような態度で接すればラナに睨まれないか。
…少なくとも剣帝と聖人の名前を覚えるくらいには、観察していたと思う。
―――というより、エルズはどうしたんだろう。
私と話していたときは、言葉がたどたどしく、顔つきも随分と弱弱しかった。だというのに。
今では自信タップリな様子で会話しているし、――ラナを迎えに行ったときのように、他人に対して厳しい態度を取るようなことはなくなっているし。
エルズは最初からあんな感じだったのだろうか?
私が今まで他人に注意を向けていなかったから気付かなかっただけだろうか?
―――そんな私でも解った。
ラナは、そのようなことに対して怒るような子ではない、と。
「彼女をこれ以上、恐ろしい存在にしてはいけない。」
決して、彼女は恐ろしい存在ではないというのに。
そして、解ると同時。
―――彼女を騙し続けている私が、とても、愚かで、浅はかで、惨めな気がして。
彼女が輝くような笑顔で頭を下げる時。
私は重厚な重荷を背負っているようであった。
―――――――――――――――――――――――――
それはきっと、私を永遠に変えてしまう出来事だった。
(そもそもラナは、私の修行でどこまで魔法を使えるようになったんだろう。)
いつもの彼女の感謝。
重荷に耐えられなくなってきていた私は、どうにか切り出そうとして。
ふと、そう思い至った。
規格外な感知、戦略レベルの弓。
最近の観察で知ったことだけれど、戦闘の他にも様々な専門技術の必要な手伝いも行っていて。
…一切、攻撃魔法を使っていなかった。
手伝いでは必要になる場面なんて起きないだろうけど。
戦闘ですらソレを使わないのは全くおかしい。
(…。)
ある日。
いつものように、読書をするフリをしてラナを観察。
…私の視線に気づいたか気付かないか知らないけれど、彼女は出て行った。
本を閉じて仕舞い、ラナの後を付けるように続いた。
「、エルズ。」
「ラナ。 …残念だったな。この村の問題は全て私が終わらせておいたぞ。」
ちょうど、外出していたエルズと鉢合わせしたようだった。
後を付けてることがバレると困ると思って、あわてて隠れる。
「え、そんなぁ! もー!」
「最近気づいたんだ。 お前がムチャな依頼を受ける前に私が片づければ良いとな。」
「う、うー!」
子供のようにダダをこねるラナと、それを見て少し顎をそらして胸を張るエルズ。
…。
(…?)
それを見た私は。
少し。
羨ましいと、思っていた。
「エルズ、今日はどうする?」
「どう――ああ、ああ。 …実は少し、助力する約束を。 どうしてもほっとけなくて。」
「残ってたんじゃん!じゃあ――。」
「私一人でどうにでもなることだし、…最近はこうやってお前なしでも皆とまともに話せるし。
今日は。」
「じゃあ…もうそろそろ卒業?」
「―――きょ、今日だけ! 今日だけ休みで、まだ卒業には――。」
「クスッ、解った。」
よく解らないやり取りをした後、エルズと別れ、ラナは街の外へ行ってしまった。
(! 付いて行かなきゃ!)
ばれないようにこっそりと、ラナの後を付いて行く。
―――次第に、森の中へ入っていってるようだった。
今まで採取の依頼とか護衛の依頼とかで入っていくことはあったけれど。
えっと、はぐれないようにしな――
――――――――――クパァア――。
―――その音を拾えたのは、本当にただの偶然だった。
―――すぐ後ろ?
「っ―――――? ぅ!ぎゃぁあ!?」
振り返ると――――!
そこには、牙のようなトゲを持った、巨大な真っ赤な花弁を付けた花。
花弁の中心の深い穴―――巨大な口から螺旋状に牙を並べ、私に迫っていた!
「―――ぁ。」
――――これ。
―――呑まれる。
や、だ。
やだやだやだやだやだ!
「ぃやぁ!!!」
動けなかった脚が、自分でも解らない動きをした。
滑って尻もちをついた私は、運よく覆いかぶさってきたその花の呑み込みを回避できた。
(え、と、えと、えと、えと!!)
のんびり魔力を込めて大魔法を行使する余裕はない!
かといって低レベルの魔法では通用しないかもしれない!
どうしよう! こんな状況、どの戦術書にもない!
だって、いつもエルズと勇者の2人がいて、どの参考書もしっかり魔法を詠唱する余裕を持って、前衛がいないときだって、しっかり距離を取って、でも、今までそんな危険なことなくて必要ないって思って―――――――――。
――――――――。
(――――。)
ラナだ。
こうやって、後衛に魔物が来ないように、ラナがずっと守ってくれていたんだ。
本当は、私がしなきゃいけなかったこと。
私が「早く読書したい」ばっかで彼女のことを無視して。
私のボロをフォローするためにラナが学んだ弓術を。「化け物だ」なんて貶して。
彼女への感謝も忘れて、畏れて、恐れて、勝手に学ぶことも怠って。
花の化け物が、その太い首を持ち上げる。
呆然としながら、それを見つめて。
―――私。
必要ないのかもしれない。
フワッと。そんな自虐が浮かんで――――。
バギャッ。
「ガ、ギャガアアアアアアアアアアッ!!?」
口と思われる部位から奇妙な透明な液体が溢れ出て。
同時に、白い尖った欠片が大量に漏れ出していた。
「っ!?な、何が―――。」
そんな風に困惑していると、
「だっあああああああああ!」
私の後方―――。ラナが向かっていた方向から、何かが凄まじい勢いで跳躍してきた。
「っ!!?」
それは、ローブを脱ぎ捨て。
中衛の戦士がするような、軽装備を纏った、美しい茶色の長髪をなびかせた。
―――聖人だった。
(ラ――! いや、それより、あんな―――!!)
彼女の手には、エルズが使っているような長剣が。 その剣は、美しい光の魔力を纏っていた。
巨大な花を切り裂き、傷口に残ったその光は、まるで紙を龍の息吹で消し去るように花の表皮を焼いた。
(「浄化の手」!? 確か、アンデッドを輪廻へ還すための…!)
一瞬、この花がアンデッドの類かと思い、しかしそれなら効き目が弱いと思い――――。
(ただの「浄化の手」じゃない…? !!まさか「神判の笏」!?)
「神判の笏」。
通常は「浄化の手」や「裁きの槌」などでは傷一つ負わない神話レベルのアンデッドに使われる術。
手が「アンデッド」、槌が「邪悪な者」なのに対し、笏は「害なすもの」へと一気に範囲が広がるが。
指の先へ十数秒この術を纏わせるだけで、上位の聖職者の魔力が空になってしまうと言われる聖秘術。
そんな術を、豪勢にも。
あのロングソード全体に振りかけて。
「ミア! ミア!」
「―――っ!?」
あまりの非現実性に呆然としていた私を、ラナが起こす。
見ると、巨大な花の鎌首の裏―――一番高いところに、全体が鉄で出来た矢を素手で突き刺していた。
「雷! デカイのを!」
「っ??? え?」
「コイツの―――擬花狂蚯蚓の弱点!
地中に潜った時の脱水を避けるために、特殊な保水液を体内に持ってるの!
デカイの一発で昇天するから!!」
「え、で、え―――。」
「私が時間を稼ぐから!」
そこまで言うと、巨大な花―――いや、花弁のような外顎を持った巨大なミミズから跳び下り。
右手に持っていた剣で、左腕の腕甲を叩いた。
キュクァーン
という奇妙な音が響き。 同時にラナは、剣を蚯蚓に向けた。
「ギ、ギュグギッ―――。」
明らかに不自然な動きをしながら、蚯蚓がそちらを向いた。
「ギャ、ギギギギギギギギギギギギギギギギ!!!」
まるで狂ったように。
他は眼中に無いように。
巨大蚯蚓は、先ほどまで呑みこもうとしていた私を放置し、ラナへ向かって行った。
(腕甲の音、それに―――さっきの、剣を相手に向ける動作――!)
「騎士」たちが使う「挑発」、そして恐らく「決闘者」が使う「挑戦」。
なんでも、「『挑戦』を受けた方が受理すると、双方が『他の敵・味方を一切が知覚できなくなる』」という物。
「挑戦」を行う前に「挑発」したことで、蚯蚓が確実に「挑戦」に乗るように仕向けたんだ。
(まさか、私が…後衛の私が魔物に襲われた時の為に―――。)
いや、混乱や詮索は後。
確か「挑戦」の効果は、「他人が介入した途端に効果が切れる」という制約がある。
つまりその「介入」の一発に、強大な魔法を行使すれば――――!
(雷――――雷を―――――!)
どれ程魔力を込めただろうか。
…というか、もう撃つだけなのだが。
いつの間にか、長剣から刺突剣に持ち替えていたラナ。
右腕だけを突き出して構えた彼女は、軽やかに回避し、素早く踏み込み、少しずつ、確実に、その巨体を追い詰めていた。
あとは、そう。
込めた魔法を撃つだけ。
撃つだけ―――なのだけれど。
(――――――。)
撃つタイミングを見定める。最初は間違いなく、そのつもりで見ていたのに。
蚯蚓の攻撃を、一切の危なげもなく舞うように。
指揮者のタクトのように振るわれた刺突剣が、芸術のように傷を刻んで。
巨大な蚯蚓の一つの所作で、青い緑の草木が踊り。
歌うように囁く小枝が、彩るように木の葉を散らして。
そう。それは。
私の横槍で、終わらせるのは忍びなくて。
それは。
いつまでも見て居られるほど、輝いていて。
―――これが。
―――「美しい」というものなのだろうか。
私は生まれて初めて。
「美しい」と感じた。
「あっはは、ごめん、倒しちゃったね。」
「え、あ、あぁ…。」
「せっかく唱えてくれていたのに。」
結局。
魔法を練るだけ練って、ずっとラナと蚯蚓の舞を見続けていた。
少しずつ動きが鈍くなる蚯蚓を見て、その演舞の終わりを悟り。名残惜しさを感じながら。
「あ、もしかして、ミアもこの先の泉に用事があって?」
「? え?ええ?」
いつも修行の時は敬語だったラナが、私にそう尋ねてくる。
何のこと―――ああそうだ、彼女をつけていたんだった。
すっかり忘れていた。
「せっかくだし、一緒に見に行こう。」
そういって、彼女は私の手を取った。
「っ。」
―――。
大きくて、――とても硬い手だった。
私のように、柔らかい手を予想していたけれど。
(あの剣技、あの立ち回り―――。)
…彼女はずっと、鍛錬を続けていたのだろう。
弓も、探知も、剣も、舞も。
当然だった。
必要だったから、で全て手に入るわけではないんだ。
彼女は、私たちと同じ、人間なんだから。
―――――――――――――――――――。
「さ。 着いたよ。」
大きな、湖だった。
日が傾き、少し暗くなってきていた森の中。
湖の縁は、美しく育った草木に満ちて。
透き通った藍が、湖の底から煌々と輝き。
空に灯りだした星々の輝きを吸い込むように、ほんの僅かに湖面に写して。
その光景を見た虫たちの、鈴々とした合唱が穏やかに響いて。
「…ここは。」
「ふふ。 眉唾だけど、なんでもここの水を飲むと、魔法が上手く使えるようになるって。
――せっかくミアが教えてくれてるのに、上手く魔法が使えないからさ、私。」
それを聞いて、少し胸がキュっとした。
…そんな些細なことなんて気にならない程に。
私の全思考は、身体中が訴えかけている情報に全ての意識を向けていた。
眼がとらえた光景。耳が響かせる音曲。頬を撫でる風。草花の放つ奇妙な香り。
その、全てに。
ラナが進み出て、湖の縁に立ち。
湖面にチャプッと、指を浸した。
スッと波紋が湖面一体に広がり。
湖面に写っていた星々が天へ還るように、サァッと湖面から光の珠が浮かび上がった。
この世界を覆う夜空。
まるで、全ての星を集め、それを一気に解き放つような。
闇夜の森の奥深くとは思えない光景に、私は息を呑んだ。
「―――わぁ…!」
見とれていた私に、ラナは微笑み振り返った。
「…どうやらこの湖が持っていた魔力が、こうして定期的に魔力を放出しているみたい。」
「―――っ。」
なぜか。
ラナが、この光の秘密を話した途端。
少し、寂しく感じた。
「そして、こうやって放出された魔力を、ずっと虎視眈々と狙っていた蟲たちがこうして―――。」
ラナが言うとほぼ同時。
天へ還ろうとして光が、その願いが叶わなかったかのように。
ゆっくりと浮上していたその光が、フッと消えてしまった。
儚く美しいその光景に、ラナはまた微笑んだ。
「がめついですよね。 それに、この鳴き声だって、本当に乱暴で。」
鈴々と響く美しい歌声を見渡すように、ラナは一瞥した。
「『これは俺の得物だ、誰も取るな』って、他の蟲たちに警告の鳴き声まで――。」
「っやめて!!」
「…。」
私の悲鳴に、ラナは微笑んだまま、こちらを向いた。
「やめて…下さい…。」
とても、胸が苦しかった。
あんなに素敵な、素晴らしい光景。
それを、そんな。
星々は、ただの魔力だった。
消えたのではなく、取り合いになっただけだった。
美しい合唱ではなく、暴言の応酬だった。
「そんな―――そんな、そんなこと、」
知りたくなかった。
そう言おうとした私の肩に、ラナはポンと手を置いた。
「…よかった。」
そういって、ラナはまた―――いや、初めて微笑んだ。
先ほどまでの微笑みとは何か違う、そう、「表面上だけの笑顔」じゃなくて―――。
「ミアが、知る事を拒絶してくれて。本当に、よかった。」
――――。
知る事の。拒絶。
「ミアはずっと、本を読んでるでしょう?
本とは、知識を記し、蓄え、それをいつかの自分或いは他者へ伝えるための物。
本を読むことで多くのことが得られる。けれどそれと同時、大切なものを奪ってしまう。」
奪われる物。
全く私には、検討が付かなかった。
「『知る』喜び。『知らぬ』喜び。
知識を蓄え、世界の真理を知り、森羅万象を理解すれば―――『驚き』も『感動』も消えてしまう。
万物を知りたがるのは、人として当然の事だけれど。
すべてを知り尽くしてしまった先に、『知る』喜びも『知らぬ』喜びも、何もかも失われてしまうから。」
すべてを、知ってしまうこと。
…そうだ。
この光景の全てを知ってしまった私は。
「綺麗だ」とは思えても、「感動」は覚えなくなってしまった。
きっとそれは、さっきの蚯蚓でもそうなのだろう。
私は、何も知らなかった。ラナの戦法、定石、演舞の内容。
知ってしまえば。「上手だ」とは思えても、「驚き」は消え去っていただろう。
「自らの手で触れて、眼で見て、耳で聞いて、鼻で感じて、空気を味わって。
言葉や文字にするのは、それを誰かと共有したい時にすればいいのです。
でも、『劣化』でしかない『言葉』や『文字』で満足して、それ以上感じられなくなるなんて、悲しいじゃないですか。
人は、言葉だけで満たされることはありません。目も耳も、言葉より先に生まれた物なのですから。
―――全てを識るのは、全てを知った後でも、遅くはないですから。」
そう言って、ラナはまた、湖の方へ歩みだした。
「…そして。全てを識っている者は。」
掌を湖面に付け、フワッと一気に魔力を込めた。
「識りたがっている人へ伝えて。 知りたがっている人へ送るべきだと思うんです。
自身の識った知識を、自身の知った感動を、事細かく。全て。」
ラナの魔力を受けた湖面が、一気に輝きだし。
まるで、流星群のように。湖面から一気に光の珠が溢れ出した。
「っ――――。」
それは消えることなく、星々の輝く夜空まで、まるで光の柱のように。
「これから一緒に、たくさんのことを知って行きましょう。
識ることはいったん休憩して、ね。」
呆然と空を見つめる私に。
ラナは優しく、そう囁いた。
――――――――――――――――――――――――――――
最後に魔導書や教養本を読んだのはいつだろうか。
心に満たされた充足感を感じながらベッドに入った私は、そんなことを考えていた。
魔術の事はキチンと謝罪して、本来の魔法を教えるようになったのは勿論として。
あれから、ラナと一緒にいろんなものを見に行った。
様々な色が舞い踊る花畑。
太陽を飲み込むかのような海洋。
昼と夜とで異なる顔を見せる地平線。
ラナに花冠を作ってもらったり。
海に入ってお互いに水を掛け合ったり。
フワッとする草の上に寝っ転がって遠い星空を眺めたり。
政。商業。魔法。
草花、海、星。
いつのまにか、まったく実用性のない本も読みだすようになっていた。
今まで読んでいた魔導書や戦術書などに従って動くことも、少なくなった。
不思議なもので、せっかく覚えた戦術よりも、実際に自分で考えた行動の方がよっぽど好成果を出せていた。
「書物にあることこそ正義。」
読書しかしていなかった私は、無意識にそう思っていたようだった。
(…ラナ――。)
私と一緒に微笑んでくれる彼女を思い出す。
新しい発見や感動を覚える私を、優しく見守ってくれるラナ。
――ずっと父母よりも読書を優先していたせいで、そういった温もりすら遠ざけていた。
私の読書好きが悪さしたせいなんだろうけど。
初めて温もりをくれたラナのことを、まるで――――。
(――!何を考えてるんだろう私!)
ラナは私より年下なんだよ!? 少し背は高いけど!
それなのに―――それなのに――――。
花畑で、微笑みながら膝枕してくれたラナが浮かぶ。
彼女の手が私の頭を撫で――――。
「あ、あああああぁぁああぁあぁあああああ―――!!」
その後。
枕を抱いて翻筋斗を打って悶絶した私の部屋にエルズが乗り込んできて。
「夜中は静かにしろ。朝早いからな。」
と怒られた。
…誰の朝が早いのか。その時の私は知らなかった。
――――――――――――――――――――――――――――
少しして。
「お前、いつから本を手放すようになったんだ?」
ある日、エルズにそんなことを問われた。
「本の文字以外に全く興味ないという顔をしていたと思うが。」という、実際に言葉にして言われてみると結構痛い指摘と共に。
(…あなただって、ずっと他人を拒んでいたではないですか。)
今思えば、初対面の時のあの態度、私と親睦を深めたかったのだろう。私は彼女に読書を薦めてしまっていたけど。
彼女の不器用だった様子を指摘すると、困ったような笑みを浮かべていた。
ある日の朝。
ふと、眼が醒めてしまった。
こういう日は、ラナとエルズの特訓にお邪魔させてもらってる。
朝にしか見られない絶景もあるけれど、それ以上にエルズとラナの訓練は見る価値のある物だ。
…ラナの剣術についてエルズに聞くと、「剣や長剣は確かにそうだが、刺突剣は知らんぞ。」と返された。
弓や感知に関しても尋ねようと思ったが、この様子だとわかってなさそうだし、やめた。
昨日は、随分と沢山の魔物の相手をした。
エルズもラナも、前衛とその補助でクタクタの筈。それでも訓練するような子だし、今日も居るだろう。
どうしてそこまでして、剣と魔法を身に着けたいのか―――。
ずっと私が、恐らくエルズも抱いている疑問だったけれど。
特に触れる必要もないとして、今まで通りに過ごし続けていた。
「。エルズ。」
「ミア。珍しいな。」
特訓予定場所へ向かう途中、エルズと出会った。
大抵は私が到着している時には既に訓練を始めている感じだったけれど。今日の私は随分と早起きだったみたいだ。
「ねね、エルズ。たまには夕方、私に付き合って欲しい。」
以前から思っていたことだった。
私は、ラナに教えてもらった。
そして、ラナ以外にも、私の感動を共有してほしい、って。
エルズが人助けのために拠点から出ないのを知っている。
どうせなら彼女も休んで、一緒に来てほしいと思った。
「。 珍しいな。お前いつも一人だったじゃないか。」
その返答。
…私が何かしていることに気付いていたようだった。
そして、その言葉に「拒む」意思は全然なくて。
――彼女が親睦を深めようとしていた「あの時」を思い出して、少し面白かった。
「今のあなたとなら、仲良くなれそうって、ずっと思ってて。」
「なんだ。最初の頃はダメそうだったって言いたいのか?」
私が正直に言うと、彼女も心当たりがあるのか、正直に答えた。
…自覚があった彼女が私と仲良くなろうとしていたと知って、あったかくなると同時に重ねて面白かった。
「…クスクス。」
「お、あ、」
堪えられず、笑ってしまった。
…あ、まずい。 そう思った時には、彼女は軽く拳を握っていた。
「ちょ、待て! 何笑ってんだ!」
拳骨貰うのは避けたい。
そう思って駆けだした私は、ラナが素振りをしているだろう場所へ――――――。
…。
………。
は?
「――――。」
その光景に、私は目を疑い、混乱し、拒絶した。
「っ!!え、エルズ、あれ!!」
そして、エルズに状況の説明を頼もうとした。
「? 何、どうして止まっ――――――。」
…。
固まってしまった彼女を見て、彼女も私と同じように頭が真っ白になったと悟った。
ラナが、倒れた。 倒れていた。
彼女の全てがフラッシュバックする。
怯えた様子で私の後ろに乗っていた彼女。
一生懸命に魔術の鍛錬をする彼女。
巨大なミミズから私を助けてくれた彼女。
私が使えるであろう近接武器を親身に探してくれた彼女。
彼女の、屈託のない笑顔。
――――死――――?
「ラナ!ラナ!!どうしたの!?」
いや、生きている。生きている筈。生きていないとおかしい。
なんの根拠もない否定を繰り返し、彼女を抱き上げる。
「――、―、――、―――、」
外傷はない。
出血もない。
なぜ彼女が倒れているのか全く分からない。
もし彼女が一生、目を開かなかったら―――?
「――、――――、――! 落ち着け、―――――――――。」
エルズが傍で何か喚いて――――
…落ち着け?
「落ち―――落ち着く!? ラナが倒れたんだよ!? エルズは何とも思わないの!?」
彼女のその勝手な物言いに、私自身が驚くほどに激情していた。
ラナが私にとってどれほど大切かっ―――
「―――――――!!」
――――――。
手を振り上げたエルズの顔。
とても、悲痛なものだった。
怒り。驚き、そして恐怖。
…何を血迷っていたんだろう、私。
エルズにとっても、ラナは大事な存在なんだ。
大事だから。
今、ここにいるのは私たちだけ。 私たちが何とかしないといけないのに。
そうだ。冷静に―――。
エルズの確認に、落ち着いて返答をする。
毒や麻痺――そもそも後衛の私たちには魔物は一切来なかった。
そして、この場で何かあったかも――ということで、エルズは周辺の探索に行った。
――――。
あ、そうだ。
「亜空庫」の本を読めば、何か書いてあるかもしれない。
医学書――少し齧った程度の知識しかないけど。
…。
…え。
…疲労―――?
「食事、睡眠、湯舟に浸かる」。
えっと、とりあえず、ベッドに運べばいいのかな。
…ラナ。どうしてここまで。
今はそれほどでもないらしいけれど、エルズと特訓を始めた頃は、全身ボロボロにしていたらしい。
とはいえ、たまに怪我を負うこともあるらしい。
それでも回復魔法を使わずに私の所へ来ている、と聞いてる。
何が彼女をそこまで…。
「―――れない。」
?
何かが聞こえた。
意識のない筈のラナが、何か――?
「―――守れない―――。」
守――。
「ラナ…?どうしたの?」
いつも微笑んでいた、笑顔だった彼女が。苦悶の表情で。
悪夢にうなされているような、悲痛な顔で。
「強くならないと。守れない。勇者から、国から、教会から、」
…。
脳内に。
勇者と、王宮と、王都の教会が浮かんだ。
そうだ。隕石を落とそう。
世界に吹雪を起こして。嵐で国を整地して。
勇者? あ、あはは。
ちょうどラナにもらった朝星棒がある。
勇者に私の蟲叩きが通用するのは確証済みだし。問題ない。
ラナが世界から守りたいものがあるのなら、私がそれを―――。
…そんなことをした私に、ラナは微笑みかけてくれるだろうか。
―――――――――――――――。
…ふぅ。
これが俗に言われている、「賢者時間」というヤツですか。
いや、正直危なかった。 ラナの笑顔を思い出さなければ、割と本気で王都に隕石の雨を降らしていた。
ラナに見せてもらった流星群を模倣すれば、隕石雨なんて簡単に再現できるし。
…少し前まで、「光景を模倣する」なんて発想すらなかった。
「模倣する光景」そのものがなかったし。
「ミア、どうだった?」
賢者モードに入った私の所へ、エルズが帰ってくる。
そうだ、説明しないと。
「疲労?」
「うん。あた、馬鹿みたい。ラナが負けるはずないのに。」
「そこまで自虐することもないだろう。」
ポン、と手を乗せてくれるエルズ。
…ラナほどではないけど。優しい手だった。
―――彼女にも、話すべきか。
国を、民を守ることを信条にしている彼女に。
彼女の剣が、私に付きつけられるかもしれない。
それでも。 ラナの事を知ってもらうべきだって、思って。
「それよりも、さ。」
「ん?」
いや、そっか。
ラナを信じよう。 私を変えてくれた、エルズも変えてくれた、彼女を。
「ラナが、うわごとで。えと、なんでこんな無理してるのかなって思ってたら。」
ラナを部屋に運んで。
「――――。」
「…。」
ラナを背負ってくれたエルズ。
大きく肩で息をしてるけど。あの深呼吸は、疲れたからじゃないと思う。
「…いつからだ?」
「?」
「彼女は―――ラナは、いつから…?」
こっちを向くエルズ。
―――彼女の鋭い眼つきを、久々に見た気がした。
「ミアも、知らなかったんだろう。 そうだろ? なぁ。」
食い入るように問うてくるエルズ。
もし「知っていた」なんて言えば、…彼女は文字通り、一生私を睨み続けるんだろう。
「うん。 思ってはいたよ? どうしてここまで…。」
「…背を貸していたときも、ずっと。ずっと呟いて…。
勇者?ロルド…いや、オルレイド公か? ヤツか?ヤツだな?」
「あ、ちょ。」
ロルドって―――と困惑してしまった。 少しして勇者の名前だったと思い出す。
その間もあって静止に入る暇もなく。エルズは部屋を出て行った。
…。
ま、いっか。止めなくても。
――――――――――――――――――――――
ラナのことを、勇者に話した。
…ラナのことを話しながら。
彼女の苦悩を思っていた。
エルズから聞いた。「故郷に大切な異性がいるようだった。」って。
彼のことをずっと思いながら、会いたいって、でも、そんなのは全然噯にも出さなくて。
私たちと過ごしていた時。
一緒にいろんな景色を見て微笑み合っていた時。
…どうして彼女は、笑えていたんだろう。
彼女を無理させていたこと。
彼女が全然相談してくれなかったこと。
…彼女の無理に全然気づけなかったこと。
悔しくて。
自然と、頬を伝う物が流れた。
苦しい時や痛い時に流すものだと思っていたけれど。
今こうして流している物も。彼女からもらったものなんだ。
そう思うと、また重ねて涙が――――――。
―――――――――――――――。
国と教会がラナを逃がさない?
俺が伴侶になって守ってやる?
逃がさな―――守―――…。
…。
は?
「っ!」
「ヒェッ!?」
「まて、まてまてミア。 さすがにそれでは解決せんだろ。」
エルズの部屋に呼び出された勇者が自白したけど。余りにふざけたことを抜かしまくっていて我慢できなくなった。
ラナが魔法を用いながら打ってくれた「対不朽屍賢者用撲殺鈍星器(命名:ラナ」を取り出す。
ラナが鍛冶屋の真似事――いや、「隻冶師」顔負けの芸術を見せてくれたのが脳裏に焼き付いている。
「どんな生物――輪廻への道を見失った旧いアンデッドさえも安らかに眠らせる聖具。」
こういった輩は輪廻に還して浄化しないとダメだ。
「ミア。落ち着け。ここで叩きのめしたらオルレイド公がラナに謝る機会すらなくなるぞ。」
「っ―――。」
「それに――彼女のことだ。 悲しむぞ。お前が仲間を殺した、なんてなれば。」
「こ、殺っ――。」
「言っとくが、ミアが乱心すれば私は彼女の側に立つぞ。
ミアが激情した故に私は冷静になれたが。ラナを傷つけたお前が憎いのは、私も同じだ。」
「…。」
「対不朽屍賢者用撲殺鈍星器」を持った手を優しく抑えて勇者を睨むエルズ。
ラナが悲しむ…。
それは嫌だ。
「謝るんですね?」
エルズが「謝る機会すらなくなる」と言ってた。
…それで留飲を下げることにした。
「…ぇ」
「謝”る”ん”で”す”よ”ね”?」
勇者の腑抜けた返事に、また対不朽屍賢者用撲殺鈍星器を取り出しそうになる。
勇者は随分とへこんでいるようだった。
自業自得なくせに。
「いや、私の怒る機会を全部お前が持ってっただろう。」
「エルズに怒られた後の勇者が随分と~」って言うと、あきれ顔のエルズからはそんなことを言われた。
―――――――――――――――――――――――――――――
次の日。ラナが目を覚まして、今後のことを話し合った。
国をひっくり返す、と勇者が言い出した。
――それもいいかも、と思っていた。
父も母も、ずっと公務で忙しそうだし。
貴族じゃなくなって自由になれば、私みたいに景色を楽しむ余裕を持つかもしれない。
…エルズが随分と乗り気だったのが少々驚きだった。
皆を守ることを信条としてる筈、国を混乱に陥れれば民が困るんじゃ―――
なんて、肯定した自分とは切り離して疑問を持った。
ラナが来てちょっと興味がわいて、聖女についての書物を読むことがあったけど。
その時の知識がラナの役に立ったことがとてもうれしかった。
ラナが遠い所へ行ってしまうかもしれない―――。
悲しいけど、ラナがそれで幸せになれるのなら―――。
―――――――――――――――――――――――――――――
ラナが、女神代理になった。
それからというもの、ずっと幼馴染の子と一緒にいようとするようになった。
遠征の時も、少し時間を見つけては転移を用いて故郷に帰るほどには、彼との時間を満喫している。
そこまでするのなら、同じく女神代理になった幼馴染にも来てもらえば、なんて思ったけど。
「彼には、私たちの戻る場所を守ってもらわないと。」
そう言っていた。
空を駆けるようになった彼女は、今までない目線からいろんな景色を見るようになって。
何かを見つけた時は、私を空に攫って、とても怖かったけれど、とても美しくて。
―――ラナは、今までと全然変わらなかった。 故郷にちょくちょく帰ることを除けば。
国王と勇者を中心とした組織が、貴族たちの調査を進めている。
ラナがどう思ってるかは解らないけど、「何かあった時は私も可能な範囲で助力します。」と過去に王に言っていた。
女神代理の後ろ盾がある今、浄化しない手はないだろう。
――さすがに「書物とニラメッコし続けてる罪」なんてのはこの国の法にはない。
ノウズ家の皆が「識る」ことを休憩する機会、と思いながら調査結果を待ち望んでいたけれどね…。
…エルズの実家のグレイド公爵家は結構まずかったらしくて。
商才や政の能力も付けていたノウズ公爵家と違って「剣帝」のクラスだけで保っていた家だ。
「剣帝」の不在は「賢人」の不在よりも重大だったらしく、彼らが「そういった手」に染める程度には、グレイド家を苦しめていたようだった。
武力と知力の双家――お互いが協力し合えるような関係だったのなら――――。
…複雑な貴族の繋がりに、不便を覚えていた。
ラナが聖騎士になって暫くして、エルズ自身の身の上とかを教えてもらったけれど。
実家が取壊しになると聞いて心配した私をヨソに、エルズは逆にスッキリしたようだった。
「もう『剣帝』なんて称号に妄執して、狂った一生を造られる子は居なくなるんだな。」て。
遠征には今まで通り協力してくれている。
報酬のお金は勿論のこと、それ以上に、本人が言っていた「ラナが安心して故郷で暮らせるように。」というのが大目的なんだろう。
公爵家が取り壊されてからは、街の片隅に小さな家を買って、最近知り合った女性と2人暮らしをしている。
遠征がない時は、その家でのんびり過ごしながら、―――ラナの癖が移ったのか、街に出ては小さな困りごとを解消しているそうだ。
知り合った女性―――最初に会った時は「血の近い親戚か」、なんて勘違いしてしまうくらい。
エルズがもう少し齢を経れば――という感じの女性だった。
「あそこに居させないと、いつまた変なことを言ってムチャをするか解らない。」
エルズはそう言っていたけれど。
理由や経緯はどうあれ、捨ててしまった娘から一方的に世話されるのは居心地が悪いんだろう。
エルズの気持ちも解らなくもない。
あの若さでエルズを抱いていたってことは、そういう事への抵抗も捨ててしまっているようだし。
双方とも、人間関係が壊滅的な私から見ても不器用だし、のんびりお互いの距離を調整していくんだろう。
エルズが私の下で魔法の訓練を始めて暫くしてるけど。 まだ下級魔法しか使えていない。
「まだ」というけど、それだけでも快挙だ。
魔力には個人差があるけど、エルズは多分下から数えた方が早い程度には低ランクだ。それも、魔法が使えること自体が奇跡のような。
私も、ハエ叩き以外の相手にもしっかり「対屍魂竜用撲滅鈍星器(命名:ラナ)」で戦えるよう、エルズに近接戦闘の教えてもらってる。
「屍魂竜で戦うと自分の成長につながらないだろうし、もっと程度の低い武器を用意するべきじゃないか?」と言われ、今度ラナにあった時にお願いしてみるつもりだ。
で。
「…。」
片手に、黒い羽で作られた栞を手にして。
久方ぶりに、あの部屋に入った。
ひっくり返るほどの巨大な書棚。
いろんな背表紙の本が、棚を飾っていた。
そこに収まらなかったであろう、山積みの大量の本。
まるで手に取られることを、今か今かと待っているような。
ガラスで厳重保管された、包装の丁寧な幾つかの本。
…いずれ、私の想いを綴った本が並ぶであろう、賢人の棚。
賢人の部屋だ。
ここの書物を全て出して、もっと皆が気軽に立ち寄れるような、図書館を開きたいと考えた。
識りたい人が学び、知りたい人が感動するような、そんな空間。
知識をノウズ家で独占するのはもうやめにして。
識る意欲を持った人が、喜んで学べる場所を。
隣には、立派な公園を作って。心も満たせるような、そんな空間を―――。
「…。」
そして、今日。
私は読みたい本があって、ここに来たのだ。
パラ――――――。
本を捲る、小さく囁く紙の音。
それ以外には何も耳には入らない、静かな空間。 その音すらも、嗜んで。
『後世の賢人へ捧ぐ』 著:初代賢人セリナ・ノウズ公
なんの学的価値のない、無駄な書物。
過去の私は、ソレをそう評した。
「―――――。」
セリナ公が生まれ育った、緑豊かな田舎町。
数世代を経た今に伝える、彼女の色あせない思い出。
―――幼少の思い出が何か役に立つのだろうか―――
唐突に手にした、強大な力。
それに対する困惑と責任、そして覚悟。
―――そんなものを記して何になるのだろうか―――
力に溺れてしまった苦い記憶。
それを救ってくれた、旅先の仲間たちの絆。
―――自力でどうにもできないことを自白しているだけじゃないか―――
何より。
物書きが得意ではなかった文字足らずの彼女が、旅先で出会ったあらゆる景色。
―――この無駄な部分は何のために書いているのか―――
「…くっはっは。」
私の失笑に答えるよう、傍に置いていた黒い羽がユラユラと揺れた。
私が過去にこれを読んだ時。散々に貶したのを覚えている。
―――ああ。私は、本当に。
『最後に。
私は無学で、伝えきれなかったことが沢山あると思いますが。
「賢人」とは、単に魔術が達者な存在ではなく。 あらゆる知識を蓄え、無限の感動を感じ、それを余すことなく他者へ伝える、そういった星の下で生まれた者なのです。
何も恐れることなく、自身の感じたこと、思ったこと、全てに従って突き進んでください。
それでも道を見失い、迷ったのであれば―――世界を頼りましょう。
自身よりも雄大な自然。自身を育ててくれた人々。自身と心を通わせた友。
あなたの側にいる方々は、あなたが学び続けたあらゆる知識よりも、あなたの力になってくださいますから。』
―――迷うことなんてないだろうし。
頼ることなんて必要ないよね―――
「あ、あははははは!」
つい、顔を抱えて笑ってしまった。
え、ええ?マジで?
私、私これ、これを「励め」の一言で纏めたの?
「ははは、はぁ――――。」
色とりどりの花々。広大な海。風撫でる草原。
ずっと読書しかしていなかった私を育ててくれた、父と母。
エルズと、…ちょっと反省してマトモになったロルドと、―――ラナ。
「要領の悪いお人」なんかじゃなかった。
私みたいに本の蟲なんかに気付かなかった真理に、自分で気付いた聡明な人だった。
いつの間にか、フワフワと私の目の前に浮いていた、黒い羽に気付く。
私はそっと、その羽を掴んだ。
「…ふふ。」
ラナからもらった黒い羽の栞。
「ミアが知った世界を、私も知りたい。」そういって渡された、彼女の羽。
この羽と一緒なら、どんな本でも全く違う世界が見られる気がした。
あああああああ賢者キャラのモノローグなんて書くもんじゃねえええええよおおおおおおお!
頭おかしくなりゅううううううううううう!!
あんま頭使った書き物じゃなかったイメージだけど。馬鹿が賢者の真似しなきゃええって話だけど、書きたくなったんだからシカタナイネー