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歴史とDNA

縄文系と弥生系と天孫

作者: とびうお君

 出雲は初代インドの人だったそうだ。馬鹿馬鹿しいとなるか?ならC1A1がその候補となる。ただし、このルート実際にあった。だが問題は、このルートのハプロって台湾付近でパタリと消えてしまう。ベトナムまでは到達している。中東から広がる巨石文明Gの拡散がインドネシアで人種が入れかわってしまう。


 これに関しては遺伝的浮動の可能性がある。少数のマレーシアインド系ハプロが消えてしまっただけじゃないか?と見ている。これが隼人の由来になる。C1A1が必要か?と言うとよりややこしくなる。ただこれにさるたひこが関わってるから思わず出してしまう。インドならあのややこしいハプロを抱え込める。


 ここはちょっとパスしたいな。民族の移動と直接的な支配層の移動は全く違う。後者の場合、後々の遺伝子に残らないのも大きい。このルートは隼人の移住って事で片付けてる。来たとしても台湾と同じO1系。


 このG系の移動がシュメール、日ユ同祖説とも繋がっていてやっかいな代物なんだ。Gはアナトリア発でシュメールは関係ない。ただ内陸民族であるGが何故海岸ルートでインドネシアまで来たのか?でやはりシュメールの存在を考えたり、大野氏のタミル日本語起源説を考えてしまう。こっちは別の方法で解決積みなので、わざわざ大野氏のややこしい話を持ち出すのがやっかいだ。


 要するに、天皇家の前にすでにスサノオが侵略者第一号だったと言うわけだ。そもそもここに徐福まで絡んでいる。しかも金海金氏のインド人の奥さんってのがどうやら事実らしいとなってて、インドからのルートが出鱈目ではない。これにヌサンタオとインド東南アジア交易が絡んでいる。


 正直これはカットしたい。ドルメンとは何か?で日本にあったものは独自性が強いので勝手に発展した可能性がある。南部のものじゃないか?といわれてるが敢えて日本独自で留めておきたい。ただ江南のものと半島のものは別の可能性がある。中東発がスキタイとG系によって全く別に伝播してきた可能性がある。


 これはかなりすごい事になる。江南と半島にあるドルメンが全くルートが違う可能性がある。すぐ目の前なのにである。しかも江南人が移動してるのに全く違うって話しになる。不思議なものだ。だが担い手がそもそも違う。多分北のはスキタイやコーカソイド遊牧民の文化がN系に伝わった積み石塚がルーツだと分かる。すでに遼河文明の時代にこの流れは出来つつあったから。その亜種が半島のドルメンだと見ている。


 これ日本の前方後円墳とも繋がっていて、四角と丸、N系が独自に四角で変えてしまったとなる。本来はコレ丸の文化だった。だからタイムラグで後から騎馬民族の進出とともに丸に入れ替わっていく。元は丸の方が先行する文化だった。そのローカライズ。さらにそれがまた丸が後からアジア人によって受け継がれていく。


 これはコーカソイドの2つの流れになる。先行する形で金属加工と馬放牧戦車がアジアにやってくる。その後これらの文化が騎乗戦闘という新しいスタイルでまた伝わってくる。同じ民族なのに文化が新旧で違う。これがおそらく古墳の違いだと見てる。これはローカライズの原因が馬にあると見ている。


 騎馬民族の伝播速度は馬遊牧の進む速度より圧倒的に速い。そのせいでローカライズが起こらなかったと見ている。


 それは置いておこう。出雲インド起源馬鹿には出来ないが、あまりに手がかりが無いのでパスしたい。それに核DNAの調査をしてるので、はっきりしたものがあればすぐに斉藤教授が気が付いてる。


 スサノオ半島からの侵略者はかなり良い線行ってる。スサノオが自然神なのは疑う余地が無いと思う。この手のは祖先神と自然神が重なる事が多いだけだから。天皇家も一応太陽神と祖先神が重なっている。


 スサノオはかなりシンプルだと思う。もっとデータが欲しいが、取りあえず基本日本のC2C1は半島の新しい渡来人系でほぼ間違いない。1万年以上遡れるデータを私は見た事が無い。北方ルートから考えてC2Bの可能性がひょっとしたらあるかもしれない。九州からも入ってきてるので、そっちはC2Cだと思うが、北海道ルートはC2Bの可能性がある。日本に特有の古いC2Bが確かにある。


 C2C1はほぼ弥生時代の渡来人としてみて良い。置いておいた円方古墳がここで繋がってくる。スサノオは騎馬民族だ。その理由として、私は朱蒙の神話を読み間違えていた。あれは多分個人じゃない。扶余族の歴史だと思う。扶余族の幾つかの系統の分岐を個人に具象化して表したものだ。


 扶余族は4つの系統に別れた。まず高句麗と扶余国が分かれる。これは高句麗が半島に進んだもので、扶余国はあまり移動しなかったと見ている。後はこれにわいはくが絡んでくる。扶余のベースはわいはくで、おそらくややツングースよりのN系だと見ている。もちろんすでにNの父系は歴史時代には大半消えている。


 わいはくの人種的なものは倭人とほとんど変わらないと見ている。ただ違いはO1系とC2Cの割合の違いになる。そこにさらに扶余高句麗は遊牧民から発展した騎馬民族と直接民族に取り込んでいる可能性がある。互いに取り込んだ系統がダウール(モンゴル)と鮮卑モンゴルだった可能性が高い。


 倭人は日本列島に来るまでは人種的にも言語的にもツングース色が多分無い。O1系はどちらも含むので混血の度合いの違いだけになる。ただすでに山東省で遼河人と深くO1系は混血してるため、そもそもよほど南部にいかないと濃いO1系など居ない。


 次に残りの2つになる。朱蒙の子供3兄弟がその3系統になる。一人はそのまま高句麗の王家になった系統。次に百済に行った系統、これが南方3韓の王族の祖となる。その祖は百済の王家となる。違うな、金海金氏はその辺り直接の子孫か?は不明。新羅の金氏は歴史に書かれた百済の系統になる。


 ただ金海金氏と新羅王族は匈奴の伝説が同じなので多分近い系統。後1つがスサノオになると見てる。これが諏訪氏がC2C1である理由になる。韓国の調査の目的はやはり出雲王朝が朝鮮系だったと証明したかった可能性がある。やや民族的な匂いのする調査。


 スサノオの日本書紀の方には息子の名前が載っていて、スサノオは本来は名前が違う。フツと言う名前で、朱蒙の息子3人のうち南下した二人の兄は、布流の国を創った。それが本人の名前フルらしい。フツとフル。そして弟が百済=C2C1。これでスサノオ=朱蒙の孫となる。そしてじゃ何故朱蒙の本家は血筋が違う?


 これはまず調査が胡散臭い事。これ日本の末裔で調査してる。これがとても重要。日本で血が入れ替わるなら高い確率でDかO1B2になる。そうじゃないO2A2。あまり日本では頻繁にでる系統じゃない。ただし結構出る。理由は東海岸、遼河人に多いからになる。


 それでもこれは朱蒙の起源である扶余の系統だと見て良いんじゃないか?と見ている。何故同じ父から別系統?ずっと疑問だったが、朱蒙を個人で決め付けるから問題で、朱蒙は黄帝と似て民族の具象化だと見ている。黄帝のルーツをそのまま見ると遺伝子の移動とぴったし一致する。黄帝とはM134が華人として広がったそのままの流れになる。


 この系統とやや西よりの東方面のQ=周が初期の華人のハプロだろうと見ている。これにNを加えればほぼ完成だ。殷や夏というのは南蛮東夷北狄のグループで多分異質。所謂西戎が華人のルーツになる。このすべてにNが関わる事になる。私は作物栽培より、豚の家畜化に成功したNが東アジア文明の立役者だと見てて、稲作のグループとはまったく別と見ている。


 稲作はO1系じゃなくて、元はC1系なんじゃないかな?と見ている。だから日本にC1A1が多いだと見てる。中国からインドに向かってアボリジニのC1Bの移動がある。ロシアまでいくC1Bの拡散になる。C1系のボトルネックはそうなるとスンダランドの可能性がある。んまー海からの東南アジア南方ルートも無視できないけど。


 後は天皇だけだな。紀、葛城、忌部、大伴、蘇我あたりは徐福でほぼ片付けられる。もちろん前書いたようにそれらは徐福一族ではなくて、徐福グループと言う縄文人を巻き込んだグループの支配となる。徐福自体はどうでも良い。先進的技術と支配を伴った、高木神を中心とする集団。ただ血統自体は滅茶苦茶だと思う。


 それはこれらの氏族でかなりの割合で皇族だとされていて、これが事実である可能性がある。葛城は特に典型的な藤原と同じやりかたで日本を支配していたっぽいので、婿じゃなくて、直接天皇の血を引きこんだ氏族になってる可能性が高い。出雲モデルになる。藤原と違ったのは、そのやり方が雑すぎた。藤原はとにかく洗練されてる。


 権威と実の分け方をなーなーじゃなくて日本書紀古事記などの神話体系を創る事でやってる。


 天皇の最大のネックはアマテラスと言う神になる。アマテラス男神は、ニギハヤ=物部になる。これを摩り替えたと見てる。問題は何故女神にしたのか?今まで考えていた女神=太陽神は南方に関して、そんな集団はごくわずかで、大半ニギハヤ=太陽神で解決していた。多くの神社で残る女神はこのニギハヤの奥さんではないか?とされてる点。


 そりゃ女神に決まってる。それは女神=太陽神じゃなくて、ニギハヤが居てセットになっての太陽神になる。何故こんな事したの?がすごく疑問になる。やはりニギハヤを消すのが目的なのか?


 いろいろ考えるとやはりひみこと天皇家は同じ時代を生きていた可能性がある。出雲を入れると3つも大きな王朝がある事になる。これはおかしいのじゃないか?やはりひみこは天皇家なのじゃないか?と思ってしまう。


 神武の前に葛城やニギハヤがヤマトの支配者だったとなる。邪馬台国がどこにあったか?で畿内説がうさんくさいのは、これらと出雲の関係からひみこを持ち出さないでもかなり大きな王朝がヤマトにあるのは当たり前になる。ニギハヤ=出雲系、スサノオかその前の縄文色が強い出雲か?


 スサノオさえ騎馬民族由来の侵略者だったとすると、何故出雲王朝が縄文色が強いか?の謎が解ける。その前にすでに大きな弥生文化に適応した縄文王朝があったからとなる。それを王様だけそっくり入れかえたと言うより、たぶん嫁にもらったんだろう。これをインドを持ち出すとややこしいが、それでも、ヌサンタオなどと密接にインドルートは関係してるので海人の中心になるのには確かに相応しい。


 アマテラス=神武王朝=卑弥呼と考えるとすべてすっきりする。やはり良く言われてるももその姫が卑弥呼なのか?


 困るのはニギハヤと卑弥呼の結婚がおかしくなる。ニギハヤは天孫だが、天皇家じゃない。本来居たはずのニギハヤの奥さんと卑弥呼を摩り替えてしまった可能性。そして出雲王朝と政略結婚した神武の母系血統のすり替え。2重の意味をもってるのじゃないか?


 天孫とは何か?徐福、旧縄文出雲王朝、新扶余族系統スサノオ系を含む。この3つにしぼられる。ここで何故天皇はD系の可能性が高いのか?の謎が旧縄文系出雲王朝で解ける。当然弥生人稲作集団との混血や徐福グループとの関係もありうる。


 これに関して2つの大きなキーがある。最初の北九州の集団は小集団だった。そして、この集団は社会的地位が低かった。これが韓国で研究結果として出されている。何故ドルメンが日本で発達しなかったか?その答えがこれになってる。何故日本に縄文遺伝子が低い割にハプロだけこうも発達してるか?初期の段階で支配者層に君臨できたからになる。


 第2点、金属器が来るまで比較的穏やかな文化の受け入れだったから。これは石器時代の長さで大体判明する。その期間がおそらく縄文支配層の形成に役に立ってると思う。


 これらが民族的な全体のキーポイントになる。後は直接ルートの最初から支配者になる集団の流入がキーになる。それを今やってる。その集団のベースに縄文血統を巻き込む理由が特殊な理由があったからになる。それが婚姻がかなり重要になる。単純な男系直系支配の集団ではなかった。


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