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少年少女は迷いて進む

 列車は三つ前の駅から変わらず海岸沿いを走り続けている。持ってきた文庫本を読み終えてしまった僕は、することもなくただぼんやりと窓の外を眺めていた。

 春の海は穏やかにゆっくりと流れていて、ずっと見ていても飽きなかった。時折目に入ってくる桜の木は、耐えるようにつぼみを閉ざしている。朝晩はまだまだ寒さが厳しい。

 次は、迷路地(めいろじ)ィ。迷路地ィ。車掌のぶっきらぼうなアナウンスを聞いて、僕はゆっくりと立ち上がる。僕のほかに降りようとする客はいない。

 列車は小さなトンネルに入る。目指している町はこのトンネルのすぐ先だ。僕は暗い窓の外を眺めながら、これから始まる新しい生活に思いを馳せる。


   *


迷路地町は山と海に囲まれた小さな町だ。迷路のように入り組んだ道が多いというわけでもなく、怪しげな細い路地なんていうのもほとんど存在せず、しかし訪れた旅人は必ず道に迷うと噂される迷路地。この町にたった一つしかない駅の前で、卯月悠斗(うづきゆうと)は途方に暮れていた。

 悠斗はこの町の高校に通うために迷路地へやってきた。今日は下宿先の学生寮へ行き、寮長に挨拶をするつもりだったのだ。もちろんよく迷うという噂は悠斗も耳にしていたから、それ相応の準備はしていた。スマートフォンのグーグルマップには学生寮の場所を登録しておいたし、これでもかと思ってコンパスまでカバンに突っ込んでおいた。なにより、悠斗は自分の方向感覚に自信があった。しかし一〇時に駅に着いた悠斗は、一日町の中をさまよい続けた挙句、やっとの思いで元居た駅前まで戻っていた。

 どうやら迷路地が人を迷わせるというのは本当の事らしかった。この町に入ってから、スマートフォンの位置情報サービスが機能していない。コンパスの針は自由気ままに踊り続けている。自分自身の方向感覚さえも失ってしまったようだった。

 町に着いたときにはまだ高い位置にあった太陽が、随分と低い位置まで降りてきている。寮長との約束の一二時も、とうに過ぎてしまっている。駅員に道を尋ねても、詳しい道のりまではご案内できません、と突き返されるだけだった。

 こうなると他に打つ手が考えられない。呆けていても仕方がないということで、スマートフォンの地図を頼りに再び歩き始めようとしたその時だった。

「ちょっと、ちょっと、そこの君! スマホを見ながら歩きなんかしたら、あっという間に迷子になっちゃうよ」

 背後から声をかけられる。振り返ると、制服姿の少女が楽しそうに笑いながら近づいてきた。

「珍しい。君、外から来たんでしょ? この町の歩き方を知らない人に会うのは随分ひさしぶりだ」

 聞きたいことはいくつかあった。悠斗はとりあえず一番聞きたいことを尋ねてみる。

「その制服、あなたは迷路地高校の方ですか?」

「えー……、うん、そうだね。そうだよ」

 間の抜けた返事が返ってくる。しめた、と思った。学生寮は高校の本校舎に隣接している。この人なら学生寮までの行き方もわかるに違いない。

「在校生はもう授業が始まっているんですね。僕はこの春から迷路地高校に通うことになって、学生寮に行きたかったんです。もしよければ案内してもらえませんか?」

「あー、えっとね。そういうことなら、君と私は同級生ってことになるかな。私も今年入学だから」

 制服姿の少女は申し訳なさそうに答える。

「あ、でも道案内はできるよ。私は地元の人間だから」

 悠斗が口を開く前に少女はそう付け加えた。結果的に道を教えてもらえそうで助かったが、だがしかし、さっきの聞きたいことのほかに気になることができてしまった。相手が年上ではないと分かった悠斗は、少し口調を崩して尋ねる。

「なんでまだ学校が始まらないのに、制服を着ているんだ?」

「可愛い制服なんだもの。着てみたくなっちゃうでしょ?」

 確かに少女が着ている制服のデザインは可愛らしいものだった。胸元の赤いリボンとチェック柄のスカートがとても印象的に映る。しかし、ショートヘアーでさばさばとした喋り口調のボーイッシュなその少女にこの制服は、いかんせんミスマッチな感じがした。

「あー! 今、似合わないって思ったでしょ! わかるよ、顔に出てたもん。ひどいなあ……。ほら行くよ」

「ちょっと、まだ聞きたいことが……」

「ここからだと距離があるからね。歩きながら答えてあげるよ」

 そう言って歩き出した制服姿の少女は、ふと思い出したようにくるりと悠斗の方に向き直る。

新川希(しんかわのぞみ)だよ。よろしく、迷い人さん」


   *


 歩き始めてすぐに、新川は悠斗に一言だけ声をかけた。

「歩きながら、周りの景色をできる限り目に焼き付けるんだ。そうしないと一人でこの町は歩けないよ」

 さっきも同じようなことを言われた覚えがある。

「スマホを見ながら歩いても迷うだけだと言っていたよな。どうなっているんだ、この町は」

「偉い学者さんは特殊な磁場がどうとかって言ってたけど、詳しいことは分かってないみたい。とにかく、スマホの位置情報はでたらめな場所を指すし、コンパスを見てもどっちか北か分からないし、自分の方向感覚だって当てにしちゃあいけない。名前通りだよ。この町は迷路なの」

 迷路に道案内があったらつまらないでしょ。新川はそう言ってケラケラと乾いた笑い声を立てた。

 つまらないくらいがちょうどいいじゃないか。笑い声にかき消されたかのように思えた悠斗のつぶやきは、どうやら新川の耳に届いていたようで、

「そう思うなら、もっと周りの景色を覚えることに集中した方がいい」

 そんなことを言われた。

「迷路の中をスムーズに歩き回るには、道順を完璧に把握するほかに方法はないんだから」

「ああ、そういうこと」

 やっと新川の言っていた言葉の意味を理解した悠斗は、それからしばらく口数を減らして周りの景色に意識を傾けつつ歩いた。

 そうして歩みを進め、あたりが赤く染まってきたころ、建物に囲まれていた視界が急に開けた。

「大きな通りだな」

 悠斗の目の前には、片側三車線もある、まるで高速道路のような大きく直線的な道路が伸びていた。

「うん、ここまでくればもう一息だよ」

 新川もこの道を見つけられたことにホッとしたような感じで、さっきよりも軽快に歩き出そうとする。しかしその足はすぐに止まった。

「ねえ、あの子。どうしたんだろ」

「あの子?」

 新川が指をさす先、道路の反対側を見ると、街路樹のわきに立っている小さな子どもの影が見えた。

「この薄暗い中でよく見えたな。もしかして迷子なんじゃないか?」

「まさか、そんなわけないじゃない」

 なぜか即座に否定される。

「ともかく心配だね。ちょっと様子を見に行ってみようか」

 まったく理解が追いつかぬまま、悠斗はただ新川の後を追うことしかできなかった。


   *


 大通りを渡ったところに立っていたのは女の子だった。背丈から考えて、おそらくは五、六歳といったところだろう。女の子は街路樹の脇にある道の先をしきりに気にしていて、近づく悠斗たちには気が付いていないようだった。新川が怖がらせないよう気を付けた口調で声をかける。

「こんばんは。……ねえあなた、どうしたの? ひとりで、こんなところで」

 女の子ははじめ不審そうな目を二人に向けたが、すぐに悪い人ではないと判断したのだろう、困ったような声で新川の問いかけに答えた。

「あのね。パパが迷子になっちゃったの」

「ほら、やっぱり迷子じゃないか」

 悠斗がそう口を開くと、その隣で新川が、

「そっか、お父さん迷子になっちゃったんだ。あなたはここで待っているように言われたの?」

 などと真剣な面持ちで言っているのだから、悠斗はいよいよ異世界にでも迷い込んだような気持ちになる。

「なあ新川。親子が離ればなれになったときは子どもの方を迷子と呼ぶのが普通じゃないか。この町ではそんな常識も通用しないのか?」

新川は悠斗の方に向き直ると、呆れたように肩をすくめながら答えた。

「そりゃあ、普通なら子供を迷子と考えるさ。それはこの町でも変わらない。でも今この状況に限っては、この子が迷子というのはあり得ないんだよ」

 この町に来たばかりの君も、これくらいは知っておいた方がいい。そういって新川に説明されたのは、おおよそ次のような内容だった。

 この迷路地町には標道(しるべみち)と呼ばれるひときわ大きな道路がとおっている。南北に一本、東西に二本。悠斗たちが立っている大きな道が、まさにその標道らしい。そしてこの標道を境にして、町は六つの区画に分かれている。

 標道を使えば、少なくとも目指す区画までは迷うことなくたどり着ける。つまり標道を行く人は、目的地に向かって正しく進んでいる人だ、というのがこの町の中での共通の認識なのだという。

「……だから、標道にいるこの子は迷子じゃないと」

「うん。迷いやすいといっても、それは同じ区画の中の話だからね。この子もきっとここからなら、自分の家までの道は分かると思うんだけど」

 なるほど。新川がこの道に出たとたんに安心した表情を浮かべた理由も分かった。一通りの説明を受けた悠斗は、再び目の前の少女の方に視線を落とす。

「おねえちゃんの言う通り、ここからおうちまでの道なら分かるよ。あと、パパには先に帰るようにって言われて」

「じゃあ、どうしてここに?」

「……パパといっしょに帰りたかったから」

 悠斗と新川は思わず目を見合わせる。こういう純粋な子どもの気持ちは、尊重しなければいけないのだろう。

「お父さんが来るまで、いっしょに待っててあげようか。卯月君、クマさんとの待ち合わせ時間は?」

「クマさんって寮長のことか? 寮長との待ち合わせは一二時の予定だったんだけど」

「それならもう関係ないね」

 新川はそう言って小さく笑う。悠斗としては、なるべく早く待ち合わせ場所に向かうのがせめてもの礼儀だと思うのだが、ただひとり道を知っている新川がここに留まると言えば、悠斗もそれにつき合うほかにしょうがなかった。

 悠斗たちは近くのベンチに腰掛け、女の子の話を聞くことにした。マコと名乗ったその女の子は、この四月から小学校に入学するのだという。

「じゃあ今日は、お父さんと入学の準備を?」

 マコが手に持っているいくつかの紙袋を見て、新川がそう尋ねる。

「うん。必要なものは全部買ったはずなんだけど、買い忘れたものを思い出したって、パパひとりで商業区に戻っちゃったの」

「買い忘れが無かったのは、ちゃんと確認したの?」

「マコがメモを見ながら買い物したから、間違いないと思う」

 ふむ、と新川が顎に手を当てる。

「じゃあさ、ただ話をしているのも味気ないから、お父さんが何を買いに戻ったのか推理しようよ。探偵みたいで面白そうじゃない」

 新川の提案に、マコが目を輝かせる。

「推理したい! おねえちゃん、どうやって推理するの?」

「ええっと。……卯月君、こういうの得意じゃない?」

「自分で提案しておいてそれはないだろう。……まあいい。マコちゃん、お父さんが買い物に戻る前に、なにを話していたか覚えているかい?」

 おお、探偵っぽい。そんなふうに囃し立てる新川の横で、マコは視線を巡らせながら当時の様子を思い出そうとしている。しかし、すぐに困ったような表情になってしまった。

「何を話していたかは、ちょっと思い出せない。ただ、マコがリュックから水筒を取り出そうとしたときに、パパは忘れ物を思い出したって」

 もしそうだとすれば、リュックもしくは水筒が、マコの父親に忘れ物を思い出させるトリガーだったのだろうか。

「そのリュック、とっても可愛いね」

「うん、お気に入りなんだ。はやく小学校のみんなにも見せてあげたくって」

「お前たち、ちょっとは真面目に考えて……」

 言いかけて、悠斗は何か引っかかりを感じた。マコが背負っているお気に入りのリュック。制服姿の新川。新川が入学前に制服を着ている理由……。

「卯月君。さっきから黙って考え込んでるけど、何か分かった?」

「いや、ちょっと待ってくれ」

 もう少し考える時間が欲しかった。父親が買い忘れたものを特定するだけではいけないと、マコの話を聞いていた悠斗は直感的に感じていた。なぜいけないと感じたのか、それを知りたくて、悠斗はこれまでの話の内容を思い出せる限り整理する。

 マコはメモを見ながら買い物をしていた。父親はマコに、先に帰るようにと言った。自分たちはマコと、標道に出たばかりのところで出会った……。

 やがて、悠斗は一つの結論に辿り着いた。隣で他愛無い話を続けている新川とマコに告げる。

「帰ろう。お父さんには先に帰るように言われたんだろう? 約束は守らないと」

「え、推理は? 卯月君、答えが分かったんじゃないの?」

「何を買い忘れたかなんて、お父さんが帰ってくれば分かる。メモに書いてあるものをすべて揃えたのであれば、それこそお父さんの勘違いかもしれない。それより、もうずいぶんと暗くなった」

 夜遅いというのがそれなりの説得力を持ったのだろう。今一つ腑に落ちないような表情を浮かべながらも、新川はしぶしぶ悠斗の提案を了承した。


   *


 それから悠斗たちは、マコを家まで送り届けた。新川は道中なにも喋らなかった。マコが無事に帰宅したのを見届け、再び標道に戻ってきたところで、新川が悠斗のほうに振り返った。

「卯月君。お父さんが勘違いしたんだって、本当にそう思ったの?」

「いや」

「あっさり認めるんだね。教えたくなかったのは、私じゃなくてマコちゃんの方だったんだ」

 新川はあからさまに不快そうな顔をしている。街灯の薄ぼんやりとした明かりの下でも、それははっきりと分かった。しかし、どんな顔をされようとも、やはりあの場で答えを口にするのは適切ではなかったのだ。

「せめて私には教えてよ。マコちゃんのお父さんは何を買いに戻ったの?」

「ランドセルだ」

「え?」

 悠斗があまりにもあっさりと答えを口にしたものだから、新川は素っ頓狂な声をあげる。

「買い忘れたものはリュックか水筒に関係していると考えたんだ。それであの親子が小学校の入学準備をしていたとなれば、答えはランドセルくらいだろう」

「でもランドセルなんて、当然用意するものでしょ」

「それがマコは、おそらくまだ持ってないんだよ」

「どうして分かるの?」

 悠斗は新川を指さして言う。

「新川が今日制服を着ている理由は何だった?」

「だから、可愛い制服だから着たくなったって……」

 そこまで言って、新川は何かに気付いたようにハッと顔を上げた。

「マコだって同じだ。持っているなら使いたくなるはずだ。それなのにマコは普通のリュックを使っていた」

「でも持っているからって、必ずランドセルを背負って出歩くとは限らないじゃない。それに、もし仮にまだ持っていなかったとして、マコちゃんの買い物メモに書いてなかったなんてことがある?」

そう、問題はそこだ。

「相手の気持ちを尊重すべきだったんだ」

「全く話が見えてこないよ。マコちゃんは知りたがってたじゃない」

 違う。新川はそこをはき違えている。

「マコじゃない。僕が言っているのは父親の気持ちのことだ」

「お父さんの? 詳しく教えてよ」

 悠斗は困ったように空を仰ぐ。街灯に照らされた標道から見る空は、思ったよりも星が少ない。

「詳しく話すには、ちと時間がかかりすぎるな。まだ寮までは距離もあるんだろう? 歩きながら説明するよ」


   *


 悠斗たちは肩を並べて歩きだした。話を聞くことに集中しすぎて道を間違えてくれるなと、悠斗はあらかじめクギを刺す。

「気になったことは三つある。一つ目はさっき新川が言っていたメモについてだ。マコの話によれば、メモに書いてあったものは間違いなくすべて揃えたという。それなのに父親は忘れ物を買いに戻った」

「メモに書いていなかったものがあったってことだよね。なんで書き忘れたんだろう?」

「なぜ、といきなり考えても答えは出ないだろう。重要なのは、書き忘れたのか、それとも書かなかったのかということだ」

 新川は相変わらず難しそうな顔をしている。これ以上混乱させればいよいよ道に迷いそうだ。悠斗としては分かるように説明しているつもりなのだが。

「二つ目。なぜ父親はマコに対して先に帰れと言ったんだ? 普通なら連れて一緒に戻るだろう」

「それは、言われてみれば確かに」

「そして三つ目。どうしてマコは商業区のすぐ近くの標道にいたんだ?」

 マコは自分が立っている場所のすぐ近くにある道を指さして、父親が買い物に戻ったと説明していた。つまりその道が商業区に続く道ということなのだろう。

「それはマコちゃんがそこでリュックを開けたからでしょう? お父さんはマコちゃんのリュックを見て買い忘れに気付いたんだろうって、さっき言っていたじゃない」

「確かにそう言った。ただ、この点について少し違う角度から仮説を立てれば、すべてのつじつまが合うんだ。……つまり、もとより父親はマコとあの場所で別れるつもりだったと考えれば」

 二人は十字路を右へ曲がる。細い道で新川の斜め後ろに立っている悠斗には、新川の表情が見えない。しかし、だんだんと考えがまとまってきていることはその足取りから推測できた。

「父親はマコの買い物リストにランドセルを含めなかった。マコと別れたのちに自分だけ買いに戻った。そのためにマコを標道まで送り届けた。それはなぜか。マコと一緒に買うわけにはいかなかったからだ。マコには秘密でそれを購入する必要があったからだ。つまり……」

 新川が足を止めた。

「つまり、ランドセルはお父さんからマコちゃんへのサプライズプレゼントだった。……そういうことなの?」

「おそらくな」

 一瞬の沈黙のあと、新川はハーッと大きく息を吐きだし、コンクリートの塀にもたれ掛かった。

「そっかぁ。私たち、マコちゃんへのサプライズを台無しにするところだったんだね。だから卯月君は何も言わずにマコちゃんと別れたんだ」

 せっかく新品の制服が汚れるぞ。悠斗がそう言うと、新川は慌てたように塀から身体を離した。と、その拍子に新川はあることに気付く。

「でも、それだとマコちゃんがリュックを開けたからお父さんが買い忘れに気付いたっていう最初の推測は成り立たなくなるよ」

「ああ。だから父親が買いに戻ったのはランドセルじゃなかったかもしれない。でもそれは大した問題じゃないんだ。父親はマコに内緒で何かを買って贈ってやりたかった。その思いがなにより大切なことだったんだよ」

 付け加えると。そう言って悠斗は新川の半歩前に立ち、改めて空を見上げる。さっきよりも星が綺麗だ。

「僕は父親の用意したプレゼントがランドセルじゃなければいいと思ってる」

「どうして?」

「マコはあのリュックを、とても気に入っていたからさ」

話を終えると同時に、悠斗たちは学生寮に辿り着いた。


   *


 約束の時間を六時間以上も過ぎたにもかかわらず、寮長は悠斗のことを待っていてくれた。寮長は身長が百九十センチはあるであろう大柄な男で、瞳は長い前髪に隠れ、口元は濃い髭で覆われている。確かにクマというあだ名がピッタリの風貌であった。

「遅れてすみません。これからお世話になります、卯月悠斗です」

「やあ、卯月君。長旅ご苦労だったね」

 にこりと笑って寮長が答える。クマのような見た目と温厚そうな仕草や口ぶりとのギャップに悠斗は驚く。

「あの、これだけ遅れたので、きっと怒らせてしまったと思っていたのですが」

「怒るも何も、君は十分に早い方だ」

 十二時という約束をしたときに、早くても着くのは夕方になるだろうと思ったよ。そう言って寮長は優しく微笑む。

「初めてこの町に来たにしてはスムーズにここまで辿り着いたじゃないか。親切な人でもいたのかい?」

「ええ、案内役がいたもので」

 悠斗はちらりと隣に目を向ける。

「はーい、私が案内したんだよ。クマさん、ただいま」

「運が良いのか悪いのか。新川がガイドじゃあ、道中さぞ騒々しかっただろう」

「あー、ひっどーい。クマさんはまたすぐそういう事を言うんだから」

 言い争う二人の横顔を見て、中性的な新川の怒り方がとても女の子らしいことに気付く。そのことが何だかおかしくて、悠斗はくすりと笑う。

「確かに厄介ごとに巻き込まれはしましたが、この町についていろいろと教えてもらいました」

「厄介ごと?」

「また今度、機会があれば話します。きっと面白い話です」

 そう言いながら、悠斗は今日の出来事を思い起こす。まったく、どうして始まりの季節になると、みんな浮ついた気持ちになるのだろうか。制服を見せびらかすように着て歩く少女。ランドセルを探して奔走する父親。そして。

「そういえば、君の荷物が届くのは明日ということになっていたはずだが。今晩はどうするおつもりかな、卯月君」

 ……そして僕も、春の穏やかな空気にはどうもこうも敵わないようだ。悠斗は照れたように寮長から目を逸らすと、黒く染まりゆく迷路の町を、ただしばらく眺め続けていた。


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