剣の縁
とある街中の一角、まるで宴のような騒がしさを見せる露店が道路一帯に並んでいる。とはいえ、これはこの街の普段の光景である。街を治める役人は市民と非常に良好な関係を築いており、最近ここに住みつく人も増えて今まで以上に街が繁栄しているようだ。露店ではその日に獲れた野菜や果物、魚や肉はもちろん日用品や芸術品など嗜好品の店舗も多く見受けられる。
その中でひときわ目を引く少女がいた。彼女はとびっきりの笑顔で燃えるような赤髪の癖毛を揺らして品物を売っていた。その店の看板商品は甘辛く調味した串焼きの肉らしく、片手に持って食べやすく、価格も手頃なためかなりの人だかりができていた。大量の人だかりに対し赤髪の彼女は手際よく金を受け取り、肉串を順々に渡していく。
露店の一帯を見ていると、例の赤髪の彼女をじっと見ている男がいた。安そうな綿織物で出来た軽装の人がほとんどであるこの街には似つかわしくない真っ白で皺ひとつない軍服を一切乱れずに着詰め、険しい眉間から真面目さと硬さをうかがわせるその彼はこの場に似つかわしくなく、正直に申し上げると明らかに周りから浮いていた。
その男は赤髪の彼女と目が合った瞬間、剣を、と短く声をかけた。
すると今まで必死になって肉を売っていた彼女は裏にいる別の女にあれやこれやと指示をしてばたばたと露店から出て来て男の方へ駆け寄って行った。
「まったく、こんな忙しい時間に来るなんて勘弁してよね~」
そう言って彼女は笑った。勘弁、などと言っているが少なくとも彼に対してさほど迷惑に感じているわけではないようだ。
「すまないアイル、時間をとることができなくて……」
一方、男性の方は最初に話しかけておきながら終始申し訳なさそうである。
「でもエンゲがこんな中途半端な時期時間に来るなんて珍しいねぇ。また訓練で誰かに負けたりしたのかい?」
「それをお前に言う義務はない。やるぞ」
「はーぁ、軍人さんはおっかないねぇ」
アイルはエンゲを茶化しつつも少し心配そうな目で見つめる。彼女の眼に映る彼はいつもより少し元気がなくて、彼女としては少しだけ理由が気になったりした。
その他にも一言二言と、世間話をしながら歩いていき二人はとある建物に辿り着いた。そこは、金さえ払えばだれでも使用可能な道場のような施設のようで、剣や槍を始め、籠手などの防具も貸し出しをしている。
あたりには二人の他にも武道の組手をする人や剣の打ち込みをする者がまばらにみられる。アイルは慣れた様子で見張り番にいつもの借りるよと挨拶代わりに声をかけ、躊躇わず置いてある中で最も重い大剣を手にした。エンゲはその見張り番に、
「軍人さん、今日はあの立派な剣はお持ちでないのかい?強すぎるから没収されちゃったか?ハハハ」
などと冗談を言われていた。それに対してあくまで冷静に、しかし真正面から生真面目に、
「いえ、自分は剣術の方はさほど得意ではないです。今日はメンテナンス日で……ってことで剣、借りますね」
と控えめに言い、長い脚ですたすたと足早に見張り番のもとから離れていった。
「それじゃあ始めるよ」
「ああ、よろしく頼む」
短く言葉を交わしあった瞬間、道場一面に耳が引き裂かれるような金属音が響き渡った。
刹那に剣が空を切り、自分の身を引き、次の相手の行動を予測する。相手の剣を受け流す。二人の動きはあまりにも洗練されすぎていて、まるで示し合わせた舞踊の様である。その場にいる他の人はそんな彼らのことを思わず見惚れて、各々の手が止まってしまうほどの美しさと生の息吹を感じさせる、そんな剣術である。
しかし当の二人はそんなことを気にしている余裕はなく、少しでも相手に剣を当てたい、一撃も食らってはいけない、と欲望と緊張の渦巻く感情を剣で操作するのに精一杯だった。故に、二人に会話はない。そこにあるのは激しい金属音と、剣が空気を薙ぐ風だけだ。
どれほど経ったのだろうか、夕空が綺麗だった窓の向こうの空はいつの間にか濃い藍色に染まり、金色に光る月が空高く上がっていた。不意にアイルが素早く広い間合いを取り、腰をぐっと下げて、
「あと一本!」
と怒鳴った。対するエンゲもその眼に一層力を込めて、叫ぶ。
「来い!」
気づけばお互い肌はじっとりと汗で濡れ、呼吸は荒く浅くなっており、この様子じゃさぞかし心臓も煩く鼓動を速めていそうだ。しかしやることは変わらない。剣を振るい、相手の太刀筋を読み、相手の剣撃を受ける。
がきん、がきん。きぃん!
その激しさは先ほどにも増して、大きく、速くなっている。それを示すかのように二人からも剣を振る時に小さく声を上げたり強く息を吐いた音が聞こえたりするようになってきた。
そしてその勢いが最高潮に達するその瞬間、
「うおおおおおっ!」
「やああああぁぁ!」
二人は一斉に吼え、渾身の一撃を叩きこみあった。
ぎぃいいいいいん!!!
道場全体がその衝撃で細かく振動するような鈍い金属音と共にお互いの剣がぶつかり合った。そして、
「あっ」
アイルの手から剣が離れて、くるくると宙を高く舞っている。
二人は咄嗟にその剣の着地点を見た。不幸なことに、人が居る。そこに居た人は剣を振るのも覚束ない幼い少年で、彼自身では動くことも出来ず、剣が舞うのをただぼうっと見届けることしかできないようだ。
「くそっ」
彼女は汗で滑る靴底を懸命に蹴り上げ、子供に飛びつき、抱き寄せた。
あとは自分で、剣を受けるだけだ。その身を持って。彼女はぎゅっと目を瞑った。
その後来るはずだった痛みが不思議とない。その代わりに、キンッという軽い金属音。
「おい、いくら女の細腕だとしたって剣くらいちゃんともってくれ……怪我はないか」
そっと目を開けるとエンゲが降り落ちる剣をはじいてくれたらしい。いつもの、眉間に皺が寄った険しい顔で彼女と助けた子供を見ている。
「ごめん、ありがとう」
アイルは燃えるような赤髪を垂れ、それしか言うことができなかった。
「おい小僧。痛いところはないか。だいたい、人が激しく剣振ってるときに近くにいたら危ないだろ。気を付けろ」
そして彼は子供の方を向き、心配しつつも厳しい言葉を投げかける。実際間違ったことは言ってないのだが。
「ごめんなさい。おにいちゃんありがとう、おねえちゃんもありがとう」
その子も子供ながらに自分に起こったことに対して自覚しているらしく感謝と謝罪をしてきた。
しばらくして落ち着くとその子は二人に向かって、
「あの!すっごくかっこよくてつよくて、みててかっこよかったです!とくにがっきーん!ってけんがぶつかったり、しゅんしゅんってよけたり、とにかくすっごくあこがれになりました!」
と少ない語彙力を必死に使って二人がいかに彼にとって衝撃的でかっこよかったのかを身振り手振りを交えてたくさん話してくれた。途中で剣さばきのモノマネをはじめるものだから、エンゲが恥ずかしくなってしまい大きな手のひらで自分の顔を覆いながら真っ赤な顔で小僧がいかに感動したかは伝わったからやめろ、と懇願してそれは終わりとなった。
もう夜も遅いのでそれぞれの帰路に就くのかと思いきや、珍しいことにエンゲの方から一杯呑まないか、と誘いをかけた。いつもは兵士寮が閉まるからと言って余韻もないまま帰ってしまうはずなのに珍しい話もあるものだ。アイルは二つ返事で了承し、近くの酒場に入った。席についたそばからエンゲからお小言のような指摘が入る。実はこれは二人の間では恒例だったりする。
「今日は最後のアクシデントも勿論だが、全体的に調子が悪かったんじゃないか?そこで攻めきれない俺も未熟と言えばそうなんだが」
しかしアイルも負けじと反省点を指摘する。
「そういうあんたもいつもより剣筋がぶれていたわよ。まるで何か別のところに迷いがあるように、ね」
「あ、気づかれてたのか……」
「当たり前じゃない」
「実はな、……」
そこで一旦口をつぐみ、残り半分もなかった手元のビールをぐいっと飲み干した。
アイルの方を向き、何か言うのかと思ったら俯く。
「もう、何なのよ。言いたいことがあるなら言い訳でもなんでもはっきり言いなさいよ!こっちはもやもやして気持ちが悪いじゃないの」
ここに来て焦らされて彼女の方はたまったもんじゃない、と口を尖らせる。
「外国への調査隊への配属が決まった」
しかし男の発した言葉は、決して女が想像していたものではなかった。
「外国への、調査……?」
「ああ、東の魔法王国・大アークの魔法技術の調査と要人との会議及び道中での当該国の調査で、かなり時間がかかる任務だと聞いている」
エンゲはあくまで淡々と、自分がこれから任される大仕事について語る。
「嘘、じゃあ……」
「恐らく、お前と会うのも、」
「待って。それ以上、……言わないで」
次々と繰り出される衝撃的な彼の言葉に被せるように遮って、アイルは声を荒げた。
彼女の太陽のように明るく可愛らしい顔は寂しく歪み、小さくも力強い拳はぎゅっときつく握られていた。
「……すまない」
彼はそんなしおらしい彼女の姿をみてはっと我に還り、最初に対面したときよりもさらに申し訳なさそうな仕草で瞳に影を落とした。
「ああもう!最後だって言うのにこんな暗い雰囲気よくないよ、もっと呑もう?」
「最後って言うなって言う割に自分では言うんだな」
「そ、それは!何というか、あたしが言うのはいいの!」
よくわからない理論に男は首を傾げながら、追加の酒を頼んだ。
「で?それって軍のお仲間と?それって結構な団体様旅行で目立たないかしら」
さっきまで今生の別れを偲んでいたはずの彼女はもう次の話題へと駒を進めている。この切り替えの早さに彼はは一瞬戸惑いつつも、上司に言われた任務を彼女に打ち明けて言った。
「ああ、流石に俺の小隊ひとつまるごと行くなんて残りの兵士も資金も足りなすぎるから兵士は俺だけだ。だが、」
「だが?」
「姫君が同行する」
「ひ、ひめぇ?!」
いきなり発せられた予想外の登場人物に思わず声量が上がる女を嗜めながら、
「俺だって困惑している。暗殺される可能性だって上がるし、貴族の女性にとってはあまりに過酷な道のりすぎる。だが国王と、姫君本人が強く希望したらしい。確かに交渉力と国交を深める真摯な対応として説得力は増すだろうが……」
「それって、あんた一人で姫様を守らなきゃいけないってこと?大変なんてもんじゃないでしょう」
これから起こるであろう気苦労を想像した彼女は全然関係ないにも関わらず彼の今後の生活を案じ苦虫を嚙み潰したような表情を向けた。
「だからまあ、それについてもかなり心配で悩みって言ってしまえば悩みだな」
「そっか、姫様か……。あたしじゃ、勝てないなあ……」
「何か言ったか?」
「いや、何も?」
「そうか」
本当に何もないと思ったのか、それとも敢えて何も突っ込まないのか。エンゲはそう言い、
「そろそろ先に失礼する。お代は、……まあこんなものだろう」
と、懐から金貨数枚をばらばらとテーブルの上に置いて立ちあがった。それを見て女の方が悪戯っぽい笑顔を浮かべながら脇腹をつつき、
「足りなかった分は出世払い楽しみにしてるわよ」
と冗談などを言うが、いつもの通りというか彼は真面目に返す。
「馬鹿言え明らかに今日飲んだ分全部賄えるだけは出してるだろ?!」
それを見て、双方少し笑う。このやり取りもしばらくできない。気づいてしまった彼女の顔が曇る。
エンゲは彼女の仕草に気が付けなかった。もとより鈍感なほうだが、門出の緊張かはたまた強がりか、もしくは本当に何も思うところがないのか。
「それじゃあ、また」
酒場を出る男が女の方を向くことはなかった。
翌日、新聞にて大々的に一人の勇敢な騎士の護衛のもとに国王の長女であるレア・ハニイ嬢が東国へと遠征をする、という旨の記事が掲載されていた。そこには、あのエンゲも隣でいつもの真面目に真面目を掛け合わせたような仏頂面をした写真が載っていた。それを見た女は理由の分からぬ濃霧に心が覆われるような言い表し難い感覚に侵された。いつも剣の練習をする彼が違う世界に行ってしまった気がして、たまらなく寂しくなった。これがただの醜い嫉妬だということも聡い彼女は感じていた。しかしそれでも、彼の隣にいる自分を想像したくなってしまうのだ。隣で新聞をのぞき込んでいた父が、
「これって、お前がいつも相手してた軍人だろ?よかったなぁ、お前も祝ってやれよー?」
と無責任に、無邪気に言うものだから、赤髪の女はその髪よりも頬と瞼を真っ赤にして気づけば走り出していた。
国境の門までは走ればそう遠くない。今の自分の気持ちを整理するためには彼に会わなければいけないような気がして、駆け出す足は止まらなかった。
運が非常によかった。彼女が到着した今まさにその時、彼と姫君が門に辿り着いていた。
「ねえ!!」
「お前、なんで……」
勢いづいて彼の前に出てきたはいいものの、たくさんあった言いたいことはその瞬間全て頭の中から飛んで行ってしまい、ただ目の前の彼と、上品な佇まいの姫君の前でただ硬直することしかできなかった。
「あの、この御方はエンゲさんのお知り合いなのですか?」
「ああ、自由時間は彼女に稽古を付けてもらっていた。街一の売り上げを誇る露天商の娘だ。どこで覚えたのかは知らないけど見た目にそぐわず凄腕の持ち主で、毎回忙しいところ付き合ってくれた、大切な人だ」
アイルは目の前で滅茶苦茶に褒められたからか、力が抜けてくらりと体勢を崩してしまった。昨日あんなに自分のことを理解してくれない言動をしていた人とは別人みたいで、心臓が落ち着かない。
「エンゲさんがそのようにお褒めになるの、初めて聞きました。露店をしていらっしゃるなら忙しいでしょうに、お優しい方なんですね……。私からもお礼をさせてください。貴女のおかげで私の旅に同行してくれる彼はとても頼もしい勇者となったのだと思います」
立て続けに褒め殺しを食らい、彼女は恥ずかしさの頂点に達し、何も言い返せなかった。しかし、二人があまりにもまっすぐ彼女に想いを打ち明けるので、不思議と悪い気持ちはしなかった。
「というか、何か言いに来たのではないのか?俺たちは流石にもう出発するぞ」
好意の余韻に浸っているのも束の間、エンゲが彼女に問うた。
しかし最初から言うことを忘れてた上に、先の褒め殺しで腑抜けになっている彼女には文句の一つも言えず、
「もう!言うの馬鹿らしいし内容忘れた!とりあえず絶対戻って来てよね!勝ち逃げされるの、悔しいし」
とさらに顔を赤らめながら言うほかなかった。やけくそである。
「約束する。俺は必ず任務を成功させ、もう一度お前に勝負を申し込もう」
「私も、エンゲさんと貴女の剣が交わる所を一度この目で拝見したいと思っております。どうか、門出をお祝いください。再会のその日まで、貴女に神のご加護がありますように」
それぞれがそれぞれなりに別れの言葉を述べたのち、国境の門は開き、二人は旅立っていった。
彼女は何も言わずにその姿が見えなくなるまで自分の眼でその姿を追い続けた。
その眼から涙が零れていたのに気付いたのは、彼女が自宅に帰った後だった。
それからアイルは毎日道場に顔を出し、そこで見かけた人と手当たり次第に練習をし、ある人はその技術を直々に学び、ある人は『街の道場に尋常じゃなく剣の強い女がいる』という噂を聞きつけ遠方からはるばる勝負しに来、またある人は彼女への憧れから剣を始めた。こうしてしばらく経ったのち、道場は昔とは比べ物にならないほど活気付いたのだが、それをエンゲが知るのはまだまだ先になりそうだ。何とも勿体ない話である。
別れはいつも突然で、いざ別れの言葉を伝えるには時間も語彙も足りないね、みたいなお話です。剣が好きです。