彼の事情
特殊警備隊は、城直轄の警察組織である。
50名ほどの少人数で、国中の治安維持を行う精鋭部隊だ。殉職者あるいは退職者が出た場合のみ人員補充を行い、それ以外の入隊は一切無い。
「エリートが聞いてあきれるようなぁ」
本館から会議室に続く廊下。吹き抜けのそこで、庭を眺めながら溜息を吐く。
次の会議までのわずかな時間。自分だけしかいないというのは、なかなか居心地のいいもので、彼の精神を癒してくれる空間と化していた。
「どうかしたのか? セードル」
はずだったのだが、いつのまに居たのか。気配も感じさせずに後ろからかけられた声に、首だけを後ろへ向ける。
「ガスタスか」
同僚の姿に、ほっと息を吐いて、そしてまた庭へと目を戻す。
邪魔をしたのが彼なら問題はなかった。数少ない、心許せる仲間の一人であるガスタス・エイルフォール。
「城の姫様方のアイドル、セードル・クランツ様が、そんな憂い顔でため息ついてたら、襲われるぞ」
「襲われるか、馬鹿」
冗談めかして言うガスタスを一瞥して、そして大きく伸びをする。
「別に憂いているわけじゃないさ。いろいろと考え事」
「……」
外を見ているセードルとは対照的に、庭に背を向けてその横に並ぶガスタス。
「昨日の事件か?」
出された言葉に、思わず目を瞬かせる。そして思い起こす事件。と、その状況。
「……それはあんまり気にしてないぞ?」
「違うのか」
てっきりそうだと思っていた、というように言うガスタスに、苦笑を浮かべる。
「別に昨日の事件は……『犯罪組織』の内部争いだろ? 結局のところ」
「おそらくはな」
昨日の夜。
『フロンティア・カンパニー』の人間が10数名惨殺されて、死体で見つかった。
全員が、体をばらばらに切り刻まれており、その光景を見たものは、ほぼ例外なく医師の手にかかることとなっていた。
そういう状況には慣れている彼ら特殊警備隊にも、医者の世話になるものが出たぐらいだから、それがどれほどの光景だったのかは容易にしれるだろう。
「カンパニーの意向もあり、捜査は打ち切り。上層部もそれに了承。見事に事件は闇の中。それについて考えているのかと思っていたんだがな」
「考えないといったら嘘になるけどな」
よくあることといえばよくあることだ。
国の重要組織ともいえる経済の一端を担っている交易会社『フロンティア・カンパニー』。
そこが、裏では犯罪組織として機能しているという事実。
本来であれば暴いて、裁くべき対象。けれど、証拠が見つからないために、今も力を持ち続けている組織。
実際は証拠が無いわけではない。
証拠が、握りつぶされているのだ。……被害をこうむっているはずの、国の手によって。
彼らの賢いところは、『特殊警備隊』である彼らに、足をつかませないところ。
この国で起こる犯罪の8割は、彼らが関与しているといわれている。けれど、実際に犯人としてつかまるのは、まったくカンパニーとは関係の無い人物。もしくは、属している下っ端の社員。
自分たちの手は汚さず、的確に対象を消し去る。
『特殊警備隊』の中でも意見は分かれており、『フロンティア・カンパニー』をつぶすべきだと主張するものもいる。実際には出来ていないのが現状なのだが。
「動けばすぐに上層部がだまっちゃいないからな。厄介な組織だよ」
かちりとライターの音がして、すぐに嗅ぎ慣れたタバコのにおいが二人を包む。ガスタスの言葉に、そうだなと呟く。
自分たちには分からないような、裏のつながり。それを思い知らされることは多々ある。この国自体が、厄介者の処理を頼んでいるというあきらかにはされていない事実。それの見返りとして、彼らの行動に目をつぶらなくてはいけない部分があるのだ。
悪いことをしていると分かっていても、大元のそれを叩くことは決して出来ない。
けれど、心のどこかでそれを喜んでいる自分がいるのも確かで、彼としても複雑きわまりないのだが……。
「で? 何について悩んでたんだ?」
「……いろいろ、さ」
凭れかかっていた手すりから体を起こし、そして横にいる同僚を見る。
「少しすっきりした。サンキュ」
ぽんっとガスタスの肩をたたいて、そして自室へと足を向ける。
「今夜、捕縛に出るの忘れるなよ」
「……6時だっけか?」
降り返って集合時間を確認する。そんなセードルに頷くガスタス。
「遅れないようにするよ」
ひらりと手を振り、そして部屋へと向かう。
後ろから感じる視線とタバコの香り。それを振り払うように歩いていく。
『フロンティア・カンパニー』の裏の顔である『犯罪組織』。彼ら『特殊警備隊』にとっては天敵ともいえる組織。
「グレイ・ディオキス、か」
『フロンティア・カンパニー』の社長。まだ若い20代の男性。セードル自身、何度かあったことはあるその人物の顔を思い浮かべる。
さっきまで、その人物が昨日の事件の関係で、ここを訪れていたのだ。役目上、そこに同席していたのだが、帰り際に彼が一言だけ囁くように告げたのだ。通り過ぎる瞬間、誰にも気づかれないように、さりげなく。
『近々、ヒールを借りるよ』
その言葉が意味するところを、分からなくはない。部屋に戻って、ソファーに腰掛けて天井を仰ぐ。
「わざわざ告げるのは嫌味だろ、明らかに」
その思惑も分かるからこそ、なおさらムカつくのだ。
ヒール・レディオス。城下町で、情報屋をやっている少女。
『特殊警備隊』である彼と、『情報屋』である彼女。対外的に見れば、理想で無敵のカップルといえなくも無いのかもしれない。
けれど、二人の間には誰にもいえない秘密がある。
セードルは『特殊警備隊』。そして、彼女ヒールの兄が、先ほどのグレイ・ディオキスだという事実。
実際のところ二人の間に血のつながりは無いと聞いている。グレイの父親と、ヒールの母親が再婚しているのだ。もっとも、その母親が亡くなってからは、ヒールは一人暮らしをしているため、二人の関係は公にはなっていない。
そして、『犯罪組織』に属していたわけではないが、その仕事を手伝っていたということも。
それは、今も変わらない。
グレイも、妹を犯罪に巻き込みたくないと思っているのかどうかは分からない。けれど、無闇やたらに仕事を頼んでくるわけではない。
ヒールいわく「どうしても彼女の手が必要な場合」のみ、手伝いの依頼が来るのだ。そして、それを断ることは出来ないと。
断ることが出来ない理由に、自分自身という存在が入っていることも理解している。それ以外にも理由はあるみたいだが、その詳細は分からない。
「今度は何させる気だ、あいつ……」
快く思っているわけではない。いつか、捕まえなくてはいけない日がくるかもしれないという、その恐れは常に抱いている。
ただ、幸か不幸か、彼女の腕前がかなりのものだということと、『犯罪組織』が頭脳集団であるということが助かって、セードルとヒールの線が交わることは、今のところ、ない。
「こっちの身にもなれって言うんだ」
あってはならないのだが、一応フォローに入れるように、彼女が携わる事件については把握するようにしている。
もし『特殊警備隊』であるセードルの前で彼女が何かしようものなら、一切の私情を抜きに捕まえようとは決めていた。……他の誰かに捕まえられるぐらいなら、彼自身が手を下すのだと。
けれど、あえてこちらから捕まえに行こうとは思わないし、するつもりもなかった。
そこはほれた弱みなのかもしれないが……。
彼女、ヒールもそれを知っている。彼の思いを知っているからこそ、事件に携わる時は必ず報告をしてくれるし、決して『特殊警備隊』に見つかるようなへまはしないと約束してくれている。
その約束自体が、普通だとおかしいのかもしれない。
「危険なことは、させたくないんだよな」
それは彼の本音。
ヒールにすらも言ったことはないが、彼女が『仕事』をするということは、同時に彼女自身の命も危険にさらされるということを意味しているのだ。
返り討ちされないという保証もない。それが、セードルとては一番心配だった。
『頼りにしてるよ、君の事は。ヒールのことを含めてね』
かつて、言われた言葉。それを言った時の、彼の笑顔。
『フロンティア・カンパニー』の社長としての顔ではなく、『犯罪組織』のボスとしての顔でもない。ヒールの兄として、そして元恋人としての顔。
それを思い出す度に、どこか苦い感情が浮かんでくる。いつでも、彼女を奪い去れるのだと。
そう突きつけられているような気がするのだ。
「ま、考えてても仕方ないか」
溜息を吐いて、そしてソファーから体を起こす。
「言っとくけど、お前の悪事の証拠を、一番多く握っているのは俺なんだからな」
少なくとも、セードルは他の誰よりも『フロンティア・カンパニー』について詳しいだろう。そして、その会社の裏についても、確信を持って黒だといえるのだ。
本来なら、彼らにとってもセードルは厄介な存在のはずだ。……彼が『特殊警備隊』である以上。
不思議なことに、彼とグレイの間には、奇妙な信頼関係がある。ヒールという存在をはさんで、それは存在している。
だからこそ、彼は『フロンティア・カンパニー』の目から逃れていることが出来る。
「利用して利用されて……行き着く先がどうであれ、今はこれが最善の状態なんだろうな」
自らそれを崩そうと思わない。けれど、その思いこそが『特殊警備隊』に反する行為であることは分かってはいた。
ただ、理屈や思い、感情。
そういったものだけではどうしようもないことというのが、この世界にはあるのだ。