第三章「綺麗な涙」
終礼を終えると周りの生徒はぞろぞろと教室を出て行く。雫はそれとは反対に窓の景色をただ呆然と眺めて拓也を待っていた。
「東さん」
彼女の名を呼ぶ声が聞こえた。振り向くとそこには拓也が居た。約束通り、ちゃんと教室に来てくれた。雫はそっと笑って拓也を見つめる。彼は雫の前の席に座った。
「鷹ヶ峰くんは、私の噂知らない?」
その質問に首を横に降る拓也を見て雫はそっと笑った。安心したようなしないような。彼女は少し躊躇ったが、彼に自分のことをありのまま話した。
「私ね、実は風俗で働いてるんだ」
「え....」
案の定は彼は目を見開いて驚いた。彼ならきっと受け入れてくれる、その期待を抱きながらも不安に駆られていた。
「私は貴方が思ってる程綺麗じゃないの。私の体は汚れてる。でも貴方はそんな私を知らなかったとはいえ拒絶しなかった。それが嬉しかった」
そっと彼の手を握る。
「貴方は、今の私をどう思う?」
拓也は少し困惑していた。そんな彼を見て不安はどんどん募っていく。
「流石にびっくりしてるよ....。まさか東さんが....風俗で働いてるなんてさ」
やっぱり拒絶される。雫はそっと拓也の手を離した。
「気持ち悪いよね、お金の為に体を売るような女なんてさ....」
そう言って雫は立ち上がった。
「今までありがとう....私なんかと一緒に居させてごめんね」
彼から目を逸らす。彼のことを見ていると悲しみに押し潰されそうで耐えられなかった。彼に背を向けて教室の出口へ歩き出す。足が異常に重く感じた。たった数メートルの距離がとても長く感じる。あの時と同じように、拓也は彼女の背中に寂しさを感じていた。このまま行かせてはいけない。でも、掛ける言葉が見つからない。無知な自分を激しく罵った。その瞬間、彼女から光る何かが流れた。夕陽の光に照らされた涙だった。それを見た瞬間、拓也は彼女に抱きついた。
「鷹ヶ峰....くん?」
より一層強く彼女を抱き締めた。このまま離したら彼女はきっと戻ってこなくなる。これが最後のチャンスだ。
「気持ち悪くなんかないよ。君の体が汚れていても、俺は拒絶なんかしない。そんな君が俺は好きになったんだ」
彼の本音を聞いた瞬間、雫は安堵の余り体の力が抜けた。涙は何故か止まらずにずっと流れていた。抱き締める彼の腕を優しく解いて振り返る。雫は、今までにないくらいに幸せに満ちた笑顔を浮かべていた。
「嬉しい....」
不意打ちに、彼にキスをした。突然のことに驚く彼を置いてそっと唇を離す。
「私も大好きだよ」
彼女の瞳から流れる涙は、悲しみの色ではなく、幸せの色の涙だった。それが窓から射し込む夕陽の光に照らされ仄かの光を灯す。拓也はその綺麗な涙に見惚れた。そしてそれをそっと拭い彼女に微笑む。
「全然汚れてなんかないよ。こんなに綺麗な涙を流してるんだから」
その言葉に雫は救われたような気がした。彼の手をそっと握って見つめる。互いに目を閉じて、もう一度、二人は唇を重ねた。少し寂しい笑みを浮かべて雫は拓也に
「私のこと、ちゃんと話すね」
と言って自分の過去をありのまま彼に話した。
話を終えた頃には、窓から見えていた夕陽の光はすっかり消え、月の仄かな明かりが射し込んでいた。拓也は壮絶な彼女の過去に驚愕しながらも、強い決意を抱いていた。膝の上でぎゅっと握り締める彼女の手を、拓也は優しく手を添えた。
「そんな辛い過去を忘れさせるくらい、幸せにする。絶対に....」
「ありがとう、本当に優しんだね」
添えられた彼の手を握ってそっと彼女は微笑んだ。拓也のその優しい言葉が、雫の蝕まれた心を癒していく。今まで彼女が背負ってきた苦しみは計り知れない物だ。独りで気持ちを押し殺して、嘘で自分の感情を偽っていた、彼女の硬く閉ざされた心は、ずっと心の拠り所を求めていた。泣き叫びたい程の苦しみから、彼女はやった救われた。
「私のこと、幸せにしてください....」
涙を流し嗚咽しながら彼女はそう拓也に願った。彼は彼女をそっと抱き締めた。
「絶対幸せにする」
月影が照らす教室の中、二人の間に仄かな希望が生まれた。
夜の学校は不気味なものだと思っていたが、そんなことはなかった。窓から射し込む月の光で綺麗に見える。その廊下を二人はゆっくりと歩いていた。
「ねえ鷹ヶ峰くん....」
「ん?」
「手、繋ぎたい....」
薄く照らされる彼女の頰が赤く染まる。拓也はそっと微笑んで彼女に手を差し伸べ
「どうぞ」
と一言呟いた。そっと手を重ねて指を絡める。雫の手は小さくてか弱く感じたけれど、同時にとても温かみがあった。それは優しい温かみ。離したくない、そんな欲望が二人の間で生まれていた。
「ちょっと寄り道しようよ」
苦い笑みを浮かべそう言う彼に雫はこくりと頷いた。拓也は昇降口には向かわず、裏庭へ向かった。雫は拓也のその行動を少し不思議に思っていた。
「やっぱり、星が綺麗だ」
裏庭に着くと、拓也は空を見上げてそう呟いた。それを聞いて雫も空を見上げた。真っ暗な空に、無数の星が綺麗に広がっている。そんな綺麗な星空に二人は見惚れた。
「綺麗だね、星空」
拓也を見つめてそっと微笑む。月影に照らされた彼女の笑顔は、星空よりも綺麗に見えた。拓也は彼女の頰に手を添えて額と額をこつんと当てた。
「東さんも、すごく綺麗だよ....」
その言葉に顔を赤くする雫に拓也は笑いかけそっと頭を撫でた。綺麗な星空が広がる聖なる夜、二人の少年少女は、決して消えない深い愛の誓いを交わした。
店長に辞職書を出した。
「あら、辞めちゃうの?」
「はい、今までお世話になりました」
満面の笑みを浮かべる雫に店長は少し寂しそうに笑った。
「そっか、寂しくなるね」
店長は立ち上がって彼女に手を差し伸べた。雫はその手を握って店長と握手を交わした。
「雫ちゃん、今までありがとね。また遊びに来てもいいのよ?」
「はい、いつかお邪魔させていただきます」
そう言って手を離し店長に別れを告げて部屋を出た。そこで、以前車で送ってくれた男性と出会った。
「あ、こんにちわ」
「こんにちは。もう、辞めちゃうんですね」
「....聞こえちゃいましたか?」
「すみません、盗み聞きするつもりはなかったんですけど」
男性も店長と同じように寂しく笑った。
「取り敢えず、良かったです。雫さん、何かいいことでもあったんですか?」
何かを見透かしたようなその発言に雫は少し驚きながらも、それに素直に答えた。
「はい、恋人が出来ました」
そに答えに少し驚いたのか、その男性は一瞬だけ固まった。
「そうですか、それは良かったですね」
「はい」
ふと車で送ってもらったあの雨の日の夜を思い出した。雨粒に乱反射した街灯。その時の綺麗な景色が男性の後ろに写ったような気がした。
「今までお世話になりました」
「はい、お気をつけて」
そう言って雫は歩き出した。男は振り返り雫の背中を寂しそうに眺めていた。
「やっぱり僕じゃ駄目だなぁ....」
そう独りでに呟き男は寂しそうに苦い笑いを浮かべた。
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