第三章「心と身体」
見ず知らずの男の性欲のために雫はただ体を弄ばれ続けた。最初は声も出さなかったのに、今では客の為に出したくもない喘ぎ声を出す。そんな淫らになっていく自分が自分じゃないような気がして雫は自分を見失っていた。何処で道を外したのだろうか。そんな後悔も次第にどうでもよくなった。事を終えると男はそそくさと服を着て部屋を出て行った。汗で濡れた体を洗うために彼女は疲れ果てた体を無理矢理動かして風呂場へ向かった。シャワーで体の汗を洗い流す。風俗店で働き始めてから生活は確かに安定していた。でも、本当にこれでいいのだろうか。身も心も汚れていく自分に嫌悪感を抱いていた。タオルで体を拭いてドライヤーで髪を乾かしていると、部屋に誰かが入って来た。服を着て洗面所を出るとそこにはまたしても知らない男がいた。また、体を汚される。不意に抱いた嫌悪感を瞬時に消して、欲望のままに彼女は再び体を弄ばれた。
いつも通り学校に通う。違和感にはすぐに気付いた。周りの人間が、明らかに雫と距離を置いていた。そして皆、彼女のことを汚い物でも見るかのような目をしていた。何か悪い噂でも広まったのだろうか。その疑問は後に分かった。放課後、帰ろうと荷物を背負って教室を出ると紗江と鉢合わせた。
「東さん、指導室に来てくれる?」
雫は何も言わずに紗江について行った。指導室に入ると二人は向かい合うように置かれた椅子に座った。
「東さん、何か隠してることでもあるんじゃないの?」
唐突な質問に雫はすぐに首を横に振った。
「ないです」
紗江は何か根拠があるのか彼女の嘘をすぐに見抜いた。
「嘘をつかないで。もう分かってるんだから」
そう言って紗江は携帯を取り出して雫にある写真を見せた。雫が風俗店に入っていく写真だった。
「どういうことなの?」
雫は何も言わずにただ俯いて沈黙した。おそらく突然周りの人から距離を置かれたのは、彼女が風俗店で働いているということがバレてしまっていたから。それ故に彼女のことを汚い物を見るような目で見た、ということなのだろう。今起こってしまっている現状を彼女はすぐに把握した。顔を上げて紗江と向き合う。
「仕方ないんです。風俗で働かないといけないくらいに生活が苦しいんです」
素直に事情を説明すると紗江は意外にも驚いた表情をしなかった。彼女の冷静な表情に雫は呆気に取られる。
「それでも風俗で働くなんて駄目だよ。若い頃からあんなところで働くなんて....」
「じゃあ他にどうしろって言うんですか」
無意識に雫は紗江に反発していた。理性では駄目だと分かっていても、何故か止められなかった。
「お母さんは引きこもって、身寄りの親戚は居なくて、お金もないこの状況で、弟が不自由なく暮らすためにはあんなところで働くしかなかったんです!」
何も知らないくせに、そんな怒りが頭の中を駆け巡っていた。ー紗江の雫に対する同情が、彼女にとって何の救いにもならなかった。
「先生には....私の気持ちなんて理解できませんよ....」
呆気に取られる紗江にそう言い残して雫は部屋を出た。誰も、私の辛い思いを理解できない。そう思いながら校門を潜ると雨が降り出した。暗く分厚い雨雲に覆われた空は、まるで彼女の心象を表しているかのようだ。
仕事を終えロッカールームで着替えていると店長が入って来た。
「店長、どうしたんですか?」
彼女は曇った表情を浮かべていた。その表情で雫は全てを察した。
「学校から連絡が来たんですか?」
「そうね。残念だけど....」
ロッカールームは静寂に包まれていた。空調機の音が煩く感じるくらいに。雫は溜め息を吐いた。
「向こうは私を辞めさせろって言ってきたんですか?」
少々呆れた口調でそう言うと店長は慌ててそれを否定した。
「向こうは貴方の家庭の事情を理解してるようだから辞めさせろとは言ってないよ。でも性的な事件の被害に遭うかもしれないから用心させてくれって」
「そうですか....」
落ち込む雫に店長はそっと頭に手を乗せた。
「大丈夫よ。私達がちゃんと守るから。帰りは部下に車で送らせてもらうから」
「そこまでしなくても....」
「何かあってからじゃ遅いでしょ」
「....分かりました」
雫は素直に折れて店長の言う通りに帰りはあの男性に家の近くまで送ってもらうことになった。運転席の隣に座ると男は雫を安心させる為かそっと微笑んだ。
「大丈夫ですよ。安心してください」
「ありがとうございます」
街灯に照らされる薄暗い夜道を走る。一体どうして風俗で働いていることがバレてしまったのだろうか。そう思い色んな可能性を考えていたが、考えるだけ無駄だと思ってすぐにやめた。雨はまだ降っていた。車の窓に伝う滴をただじっと眺めていた。それが街灯のオレンジ色の光を乱反射させて、何だか綺麗に見えてきた。そんな光景に見惚れていると、車を運転する男が雫に話しかけた。
「仕事にはもう慣れてきましたか?」
「はい、結構慣れてきました」
「そうですか、良かったです」
何故か男性は嬉しそうに笑った。
「どうしてそんなことを聞くんですか?」
そう質問すると、男は少し寂しい表情を浮かべた。
「雫さんのように若い頃からあそこで働く子が今までに何人か居たんです。でも、あんな仕事だからすぐに辞めてしまうんです。だから貴方もそうなるんじゃないかと少し不安になってました」
「そうだったんですか....」
赤信号で車が止まると、男は雫の方をじっと見つめた。
「雫さんは、後悔してませんか?」
その質問に、雫は素直に答えられなかった。
「してないですよ。大丈夫です」
彼女の嘘を見抜いてるのか、男は腑に落ちない表情を浮かべた。その表情に折れて彼女は正直に答えた。
「本当はしてます....。どうして知らない男にあんなことされてるんだろうって思います。でも、家族の為にはそんな弱音吐いてられないです」
俯く雫に男は優しく言葉を投げかけた。
「貴方は強い人間です。雫さんならこの苦難を乗り越えられますよ」
「そうですか....?」
「はい、僕はそう思います」
彼のその言葉に救われたような気がして、雫は素直に笑った。
「ありがとうございます。何だか励みになりました。これから頑張れそうです」
「それなら良かったです」
男も嬉しそうに笑った。すると突然後ろの車にクラクションを鳴らされた。一体何だと男は思いながら前を向くといつの間にか信号が青になっていた。
「怒られてしまいました」
恥ずかしそうに笑う彼に雫は可笑しく笑った。雨で乱反射する街並みは、この時は何故かとても綺麗に見えた。
季節は巡り、冬の前触れを感じさせる肌寒い秋。雫は学校から帰っているところだった。空を見上げると雲行きが怪しい。そう思いながら歩いていると、やはり雨が降ってきた。傘は持ってきていないので、体はどんどん雨で濡れていく。体が冷えて寒気を感じるようになり、少し急ごうと足を早くすると、小さな猫の鳴き声が聞こえた。道の隅にあるダンボールからだった。そっと箱を開けると、生まれてからそんなに経っていない子猫がいた。そっと手を添えると子猫はその手に擦り寄ってきた。その姿を見て放っておけなくなって雫は雨の中、その猫をずっと見つめていた。
「何してるんだ?」
突然そう声をかけられ振り返ると、そこには拓也がいた。
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