第三章「硬い鎖、隔てる壁」
赤い夕陽の光が窓から射し込む。その光の下でグラは日向ごっこをしていた。それをただじっと眺めながら拓也は雫のことをずっと考えていた。彼女のことを知って、理解しようとしたが簡単な話ではなかった。彼女が抱え込んでいるものはきっと、もっとどす黒くて重たいもの。自分の頭ではどうすればいいのかわからなくなった拓也は携帯を取り出し、紗江に電話をかけた。コールが数回繰り返した辺りで彼女はやっと電話に出た。
『もしもし、どうしたの拓也?』
「先生、ちょっと相談があるんですけど....」
『なになに?恋の悩み?』
ふざける彼女に拓也は苦く笑った。
「そんな軽い物だったらよかったんですけどね」
そう言うと彼女の声のトーンが変わった。
『何かあったの?』
「東さんのことについて聞きたいことがあるんです」
『東雫さん?』
「うん、その人、クラスで虐められてるって」
『そうだね....知ってるよ』
「知ってる....?」
『現場を目撃したからね。でも彼女、何故か問題にして欲しくないって言ってね。一応現場にいた虐めてた子にはある程度注意したんだけど』
「だったら尚更虐めをやめさせないと....」
『そうしたいんだけど、東さんはそれを望んでないし、むしろ事態を悪化させてしまうかもしれないから手のつけようがないんだよね』
それは道理ではないだろうと拓也は強く思ったが何も言えなかった。
『あと、彼女にはいろいろ深い事情があるからそれを知られたくないのかも』
「深い事情って?」
『それは個人情報だから言えない。でも、そういう事情があるって覚えておいた方がいいよ』
深い事情。それが一体何なのか考える暇などなかった。それほど拓也は、雫に対して必死になっていた。
『グラちゃんは元気?』
「はい、すごく元気です」
『そっか、良かった。じゃあ私はやる事あるから。また何かあったら電話じゃなくて直接相談に来てもいいからね』
「ありがとうございます....」
そう言って電話を切った。何故こんなにも雫に執着するのか拓也自身その理由が分からないが、ただ体がそう動いていた。
学校が終わりいつも通り真っ直ぐ家に帰っていたが、この日は何を思ったのか寄り道をした。人通りの多い道を、特に理由もなくただ歩く。周りは騒がしく、道路には絶え間なく車が走り抜けていく。ふと前を見ると、中学生の少年が不良に絡まれていた。不良も恐らく少年と同じ中学生だろう。拓也はそれを見て一切の躊躇をせず助けに行った。路地裏へ消える彼らを追う。聞き耳を立てるとやはり予想通りのやり取りが聞こえてきた。拓也は彼らの前に姿を現し少年の肩を掴んでグッと後ろに引いた。
「何してんだお前ら」
突然現れた拓也に驚いたのか、不良達は身を一歩引いた。
「何だあんた」
「俺はただの通り過ぎだよ。で、この子に何してたんだ?」
強く睨んで威勢を放つ。それに圧倒された不良は逃げるように下がっていくが、一人だけ自信があるのか拓也を堂々と睨んだ。
「調子に乗るなよ。痛い目に遭いてえのか」
拓也はその強気な態度に全く揺るがずに冷酷な目で見つめた。
「どっちが困るか、お前らの頭でもわかるだろ」
拓也の冷たい忠告をその不良は無視した。後ろにいる少年を離し喧嘩の姿勢を取った。不良は煽るように拓也の肩を押した。それに少し仰け反ったが拓也はやり返さずにただじっと相手を睨んだ。その目が気に食わないのか不良は拓也の顔目掛けて拳を振り下ろした。彼はそれを素早く避け相手の腹に重い拳を打ち込んだ。その衝撃とあまりの痛みに不良はその場で蹲り呻き声を上げる。拓也はその不良を持ち上げて、ただ見ることしか出来なかった二人の不良に渡した。
「こういうことも今日で終わりにしろ。次やってるとこ見つけたら警察呼ぶからな」
不良達は怯える目で拓也を見て頷いた。力尽きた不良を抱えてその場を去っていく。拓也は一息つき後ろにいた少年に問いかけた。
「大丈夫か?」
少年は拓也のことをじっと眺めていた。その瞳に少し戸惑う拓也に予想外の言葉を発した。
「どうしたらお兄さんみたいな強い人になれますか?」
「え?」
純粋な少年の瞳に拓也は少し戸惑いながらも彼の質問に答えた。
「社会に出て暴力なんて全く意味のないことなんだよ。だから君は俺みたいに強くならなくていい」
少年は納得いかない表情で拓也を見つめていた。何か一つずれている少年に戸惑い、気を紛らわすように頭を掻いて目を右往左往させていると、あるものに目がついた。少年が持っている鞄の名札。
「君、名前は?」
「東剛です」
「お姉ちゃんとかいる?」
「いますよ。雫っていう名前で、大好きなお姉ちゃんです」
これは偶然なのか、それとも運命が仕組んだものなのか、拓也は普段考えもしないことを考えた。そして、この行為は雫に対しての裏切りだということを十分承知していたはずなのに、拓也はその少年に彼女のことを聞いてしまった。
「お姉ちゃんのことについて教えてくれ」
少年は唐突なお願いに首を傾げたが疑うことなく首を縦に振った。
この日は珍しくグラが眠っていたので、皿に餌だけ置いて学校へ行った。学校に着くと拓也は自分の教室には行かず雫がいる教室へ向かった。教室の隅で窓の景色に黄昏ている彼女を見つけた。他の生徒との距離感。見るだけで分かる孤立感。その光景に心を痛める。そっと彼女の側に寄ると
「鷹ヶ峰くん....?」
と彼女は彼に気付いた。何も言わずに彼女の腕を掴み、少し強引だったが拓也は雫を屋上へ連れて行った。
「一体どうしたの?」
彼女と正面から向き合い拓也は俯きながらも話を始めた。
「昨日、偶然だけど東さんの弟に会ったよ」
「剛に....?」
「うん、それで君のことを聞いた」
そう言った瞬間、彼女は呆れたように溜め息を吐き彼から目を逸らした。
「その前に、何で剛が私の弟だって分かったの?」
その質問に拓也は昨日あったことを全て彼女に話した。
「そう、剛が不良に....」
心配を浮かべたその瞳を見て、彼女の弟に対する愛を感じた。彼女は拓也にそっと微笑んで
「ありがとう....剛を助けてくれて」
と言った。その笑顔に魅せられそうになるが、首を振って紛らわす。
「話は戻るけど、東さんのこと聞いたんだ」
「うん....」
「東さん、夜遅くまでバイトしてるらしいね」
彼女は何も言わずただ頷いた。
「何のバイト....してるの?」
その質問をした瞬間、空気が凍りついた気がした。屋上に吹く冷たい風が、それをより一層強く感じさせる。しばらく沈黙の後、彼女は拓也を見つめた。その目はとても冷たくて、冷酷さを感じた。
「言えない。それに、言っても意味ない」
「どうして、俺はそんなに信用できないのか....?」
「そういうわけじゃないよ。鷹ヶ峰くんのことは信用してるよ。でも前に言ったでしょ。私は深入りしたくないの」
今の彼女に何を言っても、何も心に響かないような気がして、言葉を見失う。
「どうして、そんなに心を閉ざすんだよ....」
そんな言葉をこぼしても、彼女は冷たいままだった。
「誰も私を理解できないから....」
そう言って彼女は彼に背中を向けた。
「じゃあ、私もう戻るね」
屋上から去っていく背中は、いつも通り寂しさを感じた。今なら、その寂しさが少し分かる。拓也はそう思いながらベンチに座り込んだ。空を見上げると、とても綺麗な快晴だった。どうしてこんなにも綺麗なのに、心は晴れないままなんだろう。溜め息を吐いたとともにチャイムが鳴り響いた。授業に出る気は起きず、拓也はベンチに横たわって目を閉じた。
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