第二章「卑怯者にも報いを」
【前回のあらすじ】
中学生の頃の香たちの話。
「亮太は加藤さんが好きなんでしょ!だから、私に優しくしないで!」
彼を突き放すように発した言葉。亮太は酷く悲しい顔をしていた。涙は流れる雨に混ざって滴る。香は涙を流しながら亮太の元を去った。傘をささずに雨の降る街を走る。流れる涙を拭いながら走っていると躓いて転んでしまった。水溜まりの上で転んだせいでびしょ濡れになる。彼女はそのまま立ち上がらずに蹲った。そして子供のように泣き叫んだ。彼女の泣き声は激しく降り注ぐ雨の騒々しさに掻き消されていく。
「香....」
誰かが優しく彼女の名を呼び傘を差し伸べた。顔を上げ振り返るとそこには徹がいた。
「風邪引くぞ。さっさと家帰って風呂で温まれ」
香は彼のその優しさに甘えた。彼の腕にしがみつくように抱き付いて嗚咽を必死に堪えた。徹はそっと彼女の濡れた頭に手を乗せた。
雨で冷えた体をお湯で温める。何も考えずただ呆然としていた。そんな彼女を肌に滴る冷めた水が現実に戻す。膝を抱えて溜め息を吐いた。亮太に酷いことを言ってしまった。自分勝手な我儘を。彼は何も悪くないのに、自分がその優しさを受け入れられなかっただけのこと。亮太は何も悪くない。香は風呂場から出てタオルで体を拭いた。服を着て徹の元へ向かう。彼はただじっと静かに彼女のことを待っていた。
「待ってたんだ....」
「ああ....」
静寂が二人を包み込む。気不味さもあり二人はなかなか話しかけることができなかった。時計の秒針の音が二人には煩く聞こえた。ふと徹は彼女の顔を横目で見た。その顔は悲しみに包まれ、罪悪感を抱くような苦しい表情をしていた。
「ねえ徹....」
静かな声で彼に話しかける。彼は少し戸惑った声色で答えた。
「な、なんだ....?」
「私ってさ....卑怯だよね」
彼はそれをすぐに否定できなかった。
「そうだよね....わざわざ聞く必要もないね」
香は俯いた。その表情は彼女の前髪で隠れて見えなかった。静かな声で、囁くように話し続ける。
「小さな頃から、ずっと亮太のことが好きだった。ずっと亮太の側にいたのに。私の方が加藤さんより亮太と一緒に居たのに....どうしてなんだろうね。どうして亮太は加藤さんが好きになったんだろう。それも一目惚れだなんてさ....悔しいよね」
徹はそれに強く同情した。だがそれを言葉にせずただ黙っていた。
「私の方が亮太のこと知ってるのに....亮太のことわかってるのに....どうしてなんだろうね」
涙が流れる。拭っても拭っても止まらない。あの日のように、涙が止まらなかった。徹はそんな彼女の背中をそっと摩った。
「仕方ねえよ....」
「そうだよね....仕方ないよね....」
彼女は彼に抱きついた。
「それでも....悔しい....」
静かに嗚咽する香を徹はそっと慰めた。
「明日、どうなるかは想像つくけど....それでも後悔はするなよ....」
「うん....ありがと....」
涙声で礼を言い寂しく徹に笑顔を向けた。徹はやり場のない悔しさを手を強く握り締めて誤魔化した。
クラスの皆は教室から出て行き、香と亮太の二人が教室に残った。静かな教室はとても居心地が悪かった。気不味さから顔を上げられず俯いていると、亮太から声をかけた。
「お前に....話があるんだ」
顔を合わせられず俯いたままでいると彼は話を始めた。
「昨日は悪かった。いや、昨日だけじゃないな....今まで悪かった。お前に本当に酷いことをした....」
そこで顔を上げて彼の顔を見つめた。亮太は酷く悲しい顔で香のことを見つめていた。
「俺はお前の告白受け取れない。わかってると思うけど、俺は加藤さんが好きなんだ。だから、お前とは付き合えない」
辛い現実に向き合う亮太を見ていると胸が苦しくなる。亮太は誰も傷つけたくなかったんだ。そして贔屓せず皆と今まで通り仲良くしたかった。その想いを香は感じ取ることができた。彼女は苦い笑みを浮かべながら涙を流す。
「私こそ....酷いこと言ってごめん」
泣き噦る香の頭に亮太は手を乗せて優しく撫でた。小学校の頃のことを思い出し、それが更に涙を溢れさせる。
「私っ....卑怯だよね....ごめんっ....ごめん」
ただ謝り続ける彼女に亮太は
「ごめんな....香」
と言った。香は涙を流しながらも笑顔を向けた。
「ううん....もう大丈夫だから。ちゃんと、今度こそ決心がついた」
彼女の頰を伝う涙が窓から射し込む夕陽に反射して綺麗に輝く。
「ありがとう....亮太」
これが彼女の恋の二つ目の挫折。昨日の雨の降る日のように嗚咽を堪え涙を拭いながら廊下を歩く。夕陽に赤く染まった廊下はまるで彼女を優しく包み込むかのように暖かかった。次第に涙は収まり嗚咽も止まった。階段を降り昇降口に向かう。そこに徹がいた。
「徹....どうして....」
涙で枯れた声で彼に問いかける。徹は何も言わず彼女の頭に手を乗せ、そして優しく撫でた。その優しさに、香は再び泣いた。静かに泣いて俯く。徹は堪え切れずに彼女を抱き締めた。
「お前の泣くところなんて....もう見たくないんだよ....」
香は驚いた。亮太への想いに隠れて気付けなかった徹の想い。それに気付いた瞬間、亮太と同じように彼に罪悪感を抱いた。咄嗟に彼を突き離す。
「ごめん....私、徹に酷いことした....」
「俺が勝手にやったことだ....お前が謝る必要なんかないだろ」
「....ごめん」
そう言って香はその場から逃げるように去った。徹は止めることなくその背中を静かに見つめていた。
香は部屋で思い悩んでいた。徹の想い。あの言葉で彼が香のことが好きだということに彼女は瞬時に察した。それ故に彼に罪悪感を抱いた。
「どうして....今まで気付けなかったのかな」
恋に盲目になっていた自分を罵った。ベットに寝転んで溜め息を吐く。徹の想いに気付くことなんて簡単なことだった。今までのことを振り返れば、気付くきっかけなんていくらでもあった。そもそも、好きでもない女の子にここまでするはずがない。
「徹の想いに答えないと....」
ベットから立ち上がり深呼吸をする。洗面所で涙で枯れた顔を濡らして目を覚ます。玄関の扉を開け、徹の家を目指して夕闇に染まった街を歩き出した。
外の空気を吸いたくなり、徹はベランダでただ呆然と夕陽に染まった空を眺めていた。香は罪悪感から徹を突き離した。それを彼は理解していた。
「俺も十分....卑怯な奴だよ....」
溜め息混じりにそう呟く。暗闇に呑まれていく空は、まるで彼の心情を写しているかのようだった。彼女の心に付け込んで、亮太が好きという本当の気持ちを押し殺させている。自己嫌悪を覚え彼は頭を抱えた。こんな人間が幸せになる資格なんてない、そう考え寂しく部屋に戻ろうとした。その瞬間
「徹!」
誰かが彼の名を大きな声で叫んだ。ベランダから顔を乗り出して外を見ると息を切らした香がそこにいた。徹は急いで家を出て彼女の元へ向かった。
「走ってまで何しに来たんだよ....」
彼女は膝に手をついて息を荒くしていた。そして途切れながら話し始めた。
「徹の....想いに....まだ....答えてないから」
「とりあえず家に入れよ」
そう言って手を差し伸べるが彼女はそれを払った。そして顔を上げ彼の顔を見つめる。
「今すぐ答えないと....ダメなんだよ」
沈黙が生まれ緊張が二人を包んだ。激しくなる鼓動を互いに感じる。夕闇に染められた薄暗い街。街灯が点灯し二人を明るく照らす。
「徹の想い、私はちゃんと受け止めるよ。今は全部受け止められるか分かんないけど、これから少しずつ徹の想いを受け止めたい」
二人の間には恥じらいなどなかった。緊張も混ざりながらも真剣な眼差しで見つめ合っていた。
「そうか....ありがとう」
安堵の溜め息を吐き徹は笑った。
「これから、徹のこと好きになるから」
そう言ってやっと二人は羞恥心を抱き照れ臭く笑った。
「少し、歩こうぜ....」
「うん」
地平線に沈んだ太陽が残した仄かな紅い光は暗い闇の空に綺麗に浮かんでいた。その空の下を二人は歩く。赤く染まった二人の頰。照れ臭く笑う笑顔に互いに惹かれ、互いに幸せを感じた。やっと二人は報われたのだ。
最後まで読んで頂きありがとうございます。
徹と香はこうして付き合うことになりました。亮太のことを諦め切れた訳ではないですが、香が言っていたように少しずつ徹を好きになっていくのです。辛いことがあったら、誰かに慰めてもらえると心が落ち着きますよね。
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続きを楽しみにしてくれると更に嬉しいです。
これらに登場する人物、地域、団体は全てフィクションです。




