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咎人  作者: 東雲裕二
咎人と灰色の海
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咎人と灰色の海 2

 リルク・レイナーはまだ小柄な少年だった。亜麻色の汚れた髪はナイフで切っているのであろう、長さはまちまちで耳や目に一部が掛かっていた。体躯に全く逢わない衣類は裾や袖を押し返して着こなしている。爪はぼろぼろになっており、乾燥してさかむになって血が滲んでいた。だが、黒い瞳の輝きははっきりとしていた。瓦礫の上を歩いており、時に崩れた足場を両手を広げながらバランスをとって転ばぬよう気をつけていた。


 彼がいるのは鉱山都市トールタイツァの南部にある無惨に広がっている塵置き場だった。打ち捨てられた蒸気機関の部品から大きな金と銀で装飾された姿見の鏡、病で死んだ羊の死骸等があった。劣悪な衛生環境の場、それがリルクが十五年育った場所だった。そして彼が知る世界の全てだった。


 リルクは足下の錆びたアルミ合金板の下に青く輝く液体の入った硝子製の容器を見つけた。しゃがみ込んで金属板を持ち上げてもう一度確認する。


「コリブリのテッサー機関の核だ」何処か大人びた雰囲気を醸し出していたリルクが無邪気な子供らしく笑う。「硝子管も作用液も大丈夫なんて珍しいな。こんなお宝は一年ぶりだ」


 慎重に瓦礫を退かしながらテッサー機関の核を大事に抱える様にして持ち上げた。周りの瓦礫の下を足で探る。テッサー機関の核があるならば小型飛行艇コリブリの部品が集まっていると思ったからだ。だが、残念にも雨や風雨で錆びたて穴だらけになった元の形が解らないほど損壊した真鍮や特殊軽量合金の何かしかなかった。


 そんな幸運はないか、と核を持ちながら型を落とすが、すぐに気を取り直した。核を仰ぐ様にして持ち上げて太陽の光にかざして改めて眺めた。


「こんなので空を飛べるんだよな」


 リルクにとって空を飛ぶコリブリは探究心を叶える道具であり、憧れの存在だった。


「あ、陽が傾いてきた」時計等持っていないリルクは太陽の位置で行動する。


 ふと瓦礫が広がる先に永遠に続くとさえ思ってしまう灰色の様な雲海が視界に入った。アンダークラウド、人を拒む存在、すべてを死へと誘う毒の雲、光すら通さない故にその下に何が存在するのか解らない未知の領域。


 鉱山都市トールタイツァは北方にはテッサー機関の核に使われる鉱物を採掘する鉱山域が広がり、中央部には中流階級の人々がすむ街並が並んでいた。行政機関や都市を治める筆頭貴族を含めた上流階級は東部の特別区域に屋敷を構えていた。西方や南部は鉱山に出稼ぎに来ている移民達や孤児が造ったスラムや塵置き場が広がっていた。リルクにとって同じ都市でも中央部や東部は身分不相応の場所であり馴染みがない別の世界だった。そして人を隔絶するアンダークラウド。だからだろう、そして親がいないリルクには広大な空の向こうに興味を抱いていた。


「あの向こうにも世界があるんだよな」


 リルクは踵を返して、そして転んで核を割ってしまわないよう細心の注意を払いながら体をくねらせてバランスを崩さないよう足下の悪い瓦礫の山を歩き出した。彼には親は存在しなかったが、血が繋がっていなくても大切な家族が待っている場所があった。

   ***


「何か事故が起きたらしい」アルマーはジャガ芋のスープに硬くなったパンを浸しながらそう話を切り出した。「御蔭で午後から作業は中止、しばらく操業中止だってさ」


 リルクは廃油ランタンにマッチで火を灯した。一瞬、嫌な臭いがつぎはぎだらけのあばら屋の中に広まった。


 アルマーはリルクと一緒に暮らす二つ年上の青年であり鉱夫をしていた。過酷な作業場で培った体躯はがっしりとしており、手は子供とは思えないほど節が太いがっしりとした指だった。衣服は土埃で汚れて、所々黒くなった血による染みがあった。如何に鉱夫が生傷が絶えない過酷な場所だと解った。


「お前は大丈夫なのかい、アルマー」今にも消える様な、かすれた声が部屋の隅の置かれた二つの寝台の一方から聞こえた。


「ロルバート爺、俺は大丈夫だよ。別の坑道で掘っていたからな」スープを十分に含んだパンを滴り落ちる雫と共に上を向いてから口へと投げ入れる。「ただ不思議なんだよな、落盤事故程度なら操業停止なんかするもんか。それにいきなり貴族様の衛兵達がぞろぞろやってきて何かやってるんだよ」


「きっと貴族様や元老院様が助けるよう出してくれたのよ」もう一つの寝台からは弱々しくも美しい声色の少女が呟く。「領主様のヘルブレック様は慈愛公って呼ばれるくらい優しいんでしょ?」


「慈愛公って呼ぶのは俺たち鉱夫や塵置き場の子供達じゃないぞ、シェリア」アルマーは振り向いて呆れる様に答えた。「街の奴らや金持ち達がそう言っているだけ。俺たち鉱夫が鉱物掘って都市を豊かにさせて、領主はそれをそいつ等に還元する。俺たちに何かあったら別の奴らを探して雇うだけ。そんな俺たちを好き好んで助けるわけないじゃないか」


 リルクはこの三人と一緒の屋根の下で暮らしていた。家に一番始めに住んでいたのは今では年老いて立つ事もまま習い程弱り切って一日中横になって過ごすロルバートという男の老人だった。生まれて間もない赤子だった頃に捨てられたシェリアという十歳の少女。シェリアはロルバートに拾われた。拾われた際にひどい病に掛かっておりロルバートの必死の看護で一命は取り留めたものの視力を失い、非常に虚弱でよく体調崩していた。


 アルマーは鉱夫として勤めていた両親が事故でなくなって身寄りがなく途方に暮れていたところをロルバートに誘われて身を寄せる様になり一緒に暮らすようになった。


 リルクもまたロルバートに助けられた命の一つだった。シェリアと同じ様に生まれて間もない頃にこの塵置き場に捨てられていた。


 この街、いや世界ではそれが当たり前だった。人の営みとなる土地は限られていた。そして食料もまた同じだった。だからこそ不要な命は捨てらるのだ。人の命は一部の人間には役目を終えた機関や道具と同じだった。だからこそ、生きるという事がこの世界では最も大切だった。


「操業が中止なのは嬉しいが、金がもらえないのは問題だ」アルマーはズボンのポケットに入っている巾着を手のひらの上で逆さにした。「まあ、数日くらいならみんなが食える分があるが、それ以上になる尽きちまう。別の仕事、って言いたいが鉱夫にそんな仕事あるわけないしな……」


「それなら僕の代筆や読み上げの仕事があるから大丈夫だよ」リルクは頭を書き上げながら言った。「アルマー兄くらいの稼ぎはないけど、そこそこは鉱夫の人達はくれるから」


「ごめんな、リルク」まるで父親が子供を褒める様にアルマーはリルクの頭を不器用ながら撫でた。「鉱夫の皆、文字なんか書けないし読めないもんな。出稼ぎに来ている人も故郷の家族に手紙を出そうと思っても、街の奴に頼んでも小汚い俺等を嫌って高い金を吹っかけるしな。俺もロルバート爺が元気な時に文字を教えてもらっておけば良かった」


「……教えてやろうと言ったら断ったのはアルマー、お前だろう」呆れた声をロルバートは言った。「今からでも遅くないぞ?」


「いや、いいや。俺は頭が悪いからな。勉強は御免だ」苦笑いしながら答える。「でもよ、なんでロルバート爺って文字の読み書きが出来るんだ。昔からずっと疑問なんだよな。あの、あれだ、そうだ、算学だっけか。それも出来るし、シェリアが小さい頃はよく薬だ、って草をとってきたと思ったら本当に具合が良くなるしよ。そんな人がなんで塵置き場の住人をしているんだ?」


 リルクも同じ疑問を物心ついた頃から持っていた。ロルバートに教えてもらった文字をアルマーに見せても理解していなかった。成長しアルマーの伝で知り合った鉱夫に文字の読み書きが出来ると言ったら。家族に手紙を送りたいから書いてくれ、と頭を下げられて謝礼まで貰った。だから何度か本人に尋ねた事があった。そうすると決まって同じ言葉をロルバートは言った。


「さて、何時覚えたのかのう……」


 言葉を言い終わった後にうっすらと目尻が涙で滲むのをリルクは知っていた。

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