ハーヴェイ、異世界より帰る。
「そうだ、ミズハ様。少し口寂しくありませんか? よければ何かつまむモノをお持ちしますが」
しばらくしゃべりながら時間を潰していた所、タンダードさんがそう提案してきて、小腹がすいていた私は頷いた。
「それなら、私も一緒に行きます。レシュさん、ノーアさん、ここで……」
「待っていてください」と告げようとしたその時、ふっと何かが弾けるような軽い音の後、急に外から轟音が響き、会場が揺れる。何があったかを理解する前に、咄嗟にノーアさんが四人の周囲に障壁結界を、レシュさんがタンダードさんと私を庇うように押し倒した。
舞い上がる埃に、視界が一瞬で奪われる。レシュさんに痛いぐらい押しつけられたまま、タンダードさんの「街の結界が破られています!」との声が耳に届く。この街は竜の侵攻に耐える為に、神官たちが結界を張っているのだと伝えられた事を、私は思い出した。一瞬、竜の侵攻かとびくりとするが、直後、ハーヴェイさんに城にも独自に結界が張ってある事を教えられていたのも思い出す。
「それって、城の結界はどうなってるんですか!?」
「! そちらはまだある。今のは、城の城壁からだ」
ノーアさんが周囲の砂塵の様子を見ながら障壁を解いた。会場内で一番人気がない、隅の方だったためか、違う場所で人々の悲鳴が響くのを聞く。まだ視界の悪い中、どうなっているか見渡すが、砂塵の影に人影が見えるばかりだ。そこにレシュさんが手を引いて立たせてくれ、次に手を引いたまま駆けだされた。
「一旦外に出る! ノーア、タンダード。ついてこい」
後方に怒鳴るように言い、レシュさんが私を引っ張って、面した庭に出た。この庭は、ちょっと趣味が悪い宝石で固められた丸い像があるのだ。こんなに堂々とあるので宝石はイミテーションだと思っているが、上品な緑の庭に違和感として鎮座している。その像を目印にしているわけではないが、私達の後からノーアさん達もやってきた。
「一体何が…」
言いながらきょろきょろと見渡した空は、すっかり日が落ちていた。そこに何か動いた気がして目を凝らすと、火球が発生し、急にこちらに落ちてくる。
「!? 障壁っ!!!」
真っ青になったノーアさんが全力で叫ぶ。私達四人の前に現れた障壁は先程のと違い、前方の火球側のみで、範囲もすごく小さい。ただ、障壁の厚みがコンクリートの壁の様になっていて、それだけノーアさんの恐怖が伝わってきた。竜だ。黒い竜が宵闇に紛れている。
「ぎゃおっ」
竜を何かが掠めて、蹴飛ばされた竜に代わり、そこに浮かぶ。黒い人型がこちらを振り返って、険しい表情を見せた。ハーヴェイさんだと思った時には、火球は城の結界に当たって長い尾のような火を噴く。それで半分程になった火球は、しかしすぶりと飲みこまれるように結界内に侵入し、なおもこちらに落ちてきた。
竜のブレスは街をも吹き飛ばすのだと、おじいちゃん魔術師の言葉が走馬灯のように流れる。ノーアさんが障壁を作ったまま、一番前に出た。次にレシュさんが回復役であるタンダードさんと私を庇うように立って、そしてタンダードさんも回復魔法を四人にかけ続けたまま私の前に立った。
「嫌だよ…」
それぐらい絶望的なんだと瞬時に理解した私は、一番の役立たずであるはずなのに仲間に庇われている事に気付いて呻いた。それでも皆の前に飛び出すには足が震えてちっとも動かない。もう目の前に火球はある。脳内のドーパミンが過剰なのか、酷くゆっくりと迫るそれにぽろりと涙が零れた。
『の。お姉さん、泣いてるですの?』
次の瞬間、小さな女の子の声が聞こえて隣を見れば、水色の髪に神秘的な紫の瞳の美少女が不思議そうにこちらを見ていた。目を丸くする私とタンダードさんに、彼女は『大丈夫ですの』と両手を広げる。それと同時に皆の長い影が城の影をも巻き込んで大きく伸びてノーアさんの前に壁になり――。
『熱くて火傷するのは嫌ですの』
美少女の声と共に、するっと影の中に呑み込まれた。目を見開く私達の前には、巨大な壁になっていた影が、するするとほどけるようにして地面に縫いつけられていく。言葉も出ない私と、それを振り返った三人に、紫の目の美少女はにっこりと笑って言った。
『お姉さん達、ハーヴェイの匂いがするですの。ハーヴェイはどこですの?』
一瞬、ハーヴェイさんがいるだろう空を指そうとした私だったが、直後に『姫っ!!』と悲鳴のような怒声が聞こえてびくりと固まった。それは目の前の美少女も、タンダードさん達も同様だったようで、竜などまるでいなかったように地面に直下してきたハーヴェイさんをぎょっとした目で見る。
『あぁ、姫っ!! 何故、この様な場所に!?』
『ハーヴェイをお迎えにきたですの』
両膝を着き、縋るように両手を掲げたハーヴェイさんの、いつにない様子に言葉を失う中、問われた美少女は軽く胸を張って言った。それに泣き笑いのような表情をすると、彼。
『主は―――…主上はどちらにおわします!?」』
『の? お父さんですの? たぶん、すぐ来るですの』
姫と呼ばれた美少女が軽く首を傾げながら言った直後、登りかけていた月に、日が沈んだまだ明るい空が、少しずつゆっくりと光を失っていき、次第に暗闇となっていった。夜が来たわけでも、月食が起きているわけでもない。茹で上がる鍋から出る気泡のように、ぼこぼこと光が闇に呑まれていったのが、地上から見えた。特に月は、クッキーでも齧っているようにバキバキと光が欠けていく。
『あぁ…主上…』
異様な気配に空を見上げたハーヴェイさんは、そう言って姫から一歩下がり、王を待つ騎士のように頭垂れた。正直、私やタンダードさん達は戸惑っていたが、次第に光もない暗闇になっていく異様な雰囲気の中、何の言葉も彼にかけられなかった。ただ、ノーアさんは暗闇を避けようと光の魔法を使ったはずだったが、その光さえも彼の指先からふっと火が消えるように掻き消されて「何なんだっ」と慌てていた様子である。
『控えろ。我らが王が、御台覧なされる』
跪いたままのハーヴェイさんが声をかけてきて、私達は光が完全に消える前に彼の傍に寄った。上空では体勢を立て直したらしい黒竜の、完全な闇に驚いたような声が響く。また城の方からも、異様な気配に怯えたざわめきや悲鳴のような声が聞こえてきて皆の不安を煽った。
『お父さぁんっ』
すっかり真っ暗になってしまい、自分の手先も見えない中、姫と呼ばれた美少女の声がして前を向く。確かハーヴェイさんが跪いていた場所だと見れば、人にしては高い位置に、光るアメジストのような紫の両目を見た。ひゅっと息を飲んだのは、私だったのか、後ろの三人か。それはこちらを一瞥すると、「ふぅぅっ」と長い呼吸を吐いた。ぱちりと、その目が瞬きする。と、嘘の様に宵闇の景色が一瞬で戻った。
『ディア……シェラルディーゼ……』
低いテノールの声が、軽い怒気を混じらせて言葉を吐いた。さっと音源を見れば、目測2Mぐらいの物凄い長身の男が、姫を抱きあげて彼女の顎のあたりを撫でている。銀髪の髪に紫の瞳の、男性モデルのような男だ。先程の現象といい、今の状況といい、混乱して彼らを眺めていると、腕の中の姫がしゅんとする。
『の。ごめんなさいですの』
男性の怒りがわかっているかのようにしょんぼりとした姫だったが、次に彼を見上げると『でも、ハーヴェイのお迎えに行きたかったですの』と口をとがらせた。それに深くため息を吐いた男性は、彼女をぎゅっと抱きしめた。
『お父さんがどれだけ心配したか、わかるか? 見知らぬ異界には行ってはならないと言っただろう?』
『のっ……。ごめんなさいですの…』
『次からは、絶対に、止めてくれ。代わりに、俺も次からきちんとお前の要望を聞こう。安全を確かめたら、ちゃんと連れていく事にする』
『のっ! 約束するですのっ!!』
『お父さん大好きですの~』と男性に抱きつく姫を眺めながら、私の頭は再びフル回転していた。魔族であるハーヴェイさんを知っている、姫と呼ばれる美少女。それから姫を抱きあげる、ハーヴェイさんに≪王≫と呼ばれる男性。跪いたままのハーヴェイさん。紫の瞳の、魔族の王―――。
『魔王、…≪黒の賢者≫』
途端にぴくりとハーヴェイさんの肩が動き、呼ばれた魔王もまたこちらを見た。
『あぁ、何だ。お前もこちらの世界の者か。娘、災難だったな』
声をかけられてびくりとする。蒼穹信仰で最も有名な魔王が目の前に居るのが非現実過ぎて、夢でも見ている気分になった。彼は、人間を滅ぼそうとした魔王の中の魔王。最も強き力を持つと言われる伝説の―――。
「ミズハ様」
タンダードさんに肩を叩かれ、自失していた心が戻る。目の前の男性は、長身からの威圧感は感じるものの、こちらを慰めるような言葉をかけ、こちらの様子を眺めているようだ。そこには人間に対する憎しみだとか敵意だとかは見られない。もう一度ハーヴェイさんを見る。彼は微動だしないで、魔王の言葉を待っていた。
『あの、私、瑞葉=フェオーレと言います。その…ハーヴェイさんにはお世話になって…』
そこで何て言おうと言葉が詰まった。口をもごもごしていると、『ふっ』っと魔王が笑う。
『瑞葉=フェオーレ。惑星スタリスで捜索願いが出されていたな。神殿に見つかると不味いので警備隊への同行はできないが、安心しろ、元の場所まで届けてやる』
『あ、ありがとう、ございます…』
先程まで怯えたのが無駄だったように、神殿の話に聞く魔王の姿とはかけ離れていて思わず礼を言っていた。すると会話が終わるのを待っていたハーヴェイが、跪いたまま魔王に声をかける。
『申し訳ございません、主上。姫の護衛が私の職務だというのに、この様な失態を犯してしまい…』
『俺達、影の者は次元移動など出来ないからな。迎えが遅くなって悪かった』
『滅相もございませんっ!!』
悔むハーヴェイさんは地面に頭がめり込む勢いで、魔王は苦笑する。何を言っても無駄な印象を受けるそれに、苦笑したまま魔王は姫をその場に下ろして、『そう言うのなら、預けておく。死んでも守れ』とだけ言って、城の尖塔まで飛び上がった。
『主上!!』
はっと魔王を追って顔を上げたハーヴェイさんと私達は、魔王の登場ですっかり印象に残っていなかった竜の存在を思い出した。どうやら魔王は、竜が吐き続ける火球に触れ、何もなかったように全て消している。軽く片手を顎に当てて、どうしようか悩む姿が見えて、私は咄嗟に『殺さないでください!!』と叫んでいた。
『ハーヴェイさん、卵!! 卵は!?』
魔王に叫んだ直後、何やら魔王の言葉に感銘を受けて、自失しているハーヴェイさんに怒鳴る。それに近くにいた姫が不思議そうに繰り返した。
『卵ですの?』
『そう、あの竜達の卵です!! この城にあるはずなんです!!』
『の~…』
姫が首を傾げる中、ハーヴェイさんは普段と変わらない態度で『どの部屋にも見当たらなかった。地下も探したが、イミテーションで、街の結界を壊す結果になってしまった』と冷静に言った。
『竜が出たので、俺が牽制し、バックスがもう一度探す事になっている』
言いながらも魔王が牽制する竜を見て、次に首を傾げている姫を見て、ハーヴェイは悔しそうに唇を噛んだ。魔王に『任せる』と言われた以上、彼は元々の職務である姫の護衛を優先するだろう。だが、この結果になったのも悔んで、どうにか竜を追い返したいと見えた。
「わかりました。私達も探しましょう」
タンダードさんが言い、ハーヴェイさんがはっとしたように彼らを見る。苦笑しながらレシュさんが彼の肩を叩いた。
「元々、こちらの事情に巻き込んだようなものだ。お前が悔やむ必要はないさ」
「そうだ。私の魔術も使えると言う事を教えてやる」
レシュさんに続き、ノーアさんが杖をとんっと地面に打ち付けた。ぽうっと魔法陣が展開、むっとノーアさんが力を入れると同時に城全体に広がっていく。多分、彼らの態度に驚いたのだろう、ハーヴェイさんはどう対応して言いかわからないように固まっていた。
「んむ? これは…」
ふと魔法陣を展開していたノーアさんが零す。次いで、大人を見上げていた姫が『お姉さん』と私のドレスの裾を引っ張ってきた。振り返れば、彼女は庭の中の、趣味悪い宝石の塊を指して『あれですの』と言う。
『あの金ぴかさん、竜の卵ですの』
「「えぇ!?」」と驚愕する私と、タンダードさん、レシュさんに、ノーアさんもまた「反応がある…」と信じられないように零した。思わずハーヴェイさんを呼ぶ私達。その後ろから「おーい!」とバックスさんも走って来た。
「やっと、吐かせたぜー! その趣味の悪りぃ奴が、竜の卵…」
バックスさんが言い終わるか否かの瞬間、ハーヴェイさんとレシュさんがそれに駆け寄った。ハーヴェイさんが、両腕を広げたぐらいの大きな宝石の塊を抱え、レシュさんがその土台を蹴りとばす。明らかに人一人では持て無さそうな金ぴかで宝石の塊のそれを、ハーヴェイさんは持ったまま、空へと跳び上がった。瞬間、城を覆っていた結界が解ける。
『≪アラクネ≫…!!』
『やっと、気付いた。お帰り、≪ハーヴェイ≫』
ハーヴェイさんが叫ぶと、その隣に彼と同じような服装の女性が並ぶ。あの人もきっと彼の仲間なんだろうなと眺めていると、女性の手から蜘蛛の巣のようなものが出て、向かってきた竜の一頭を捕縛した。翼ごとぐるぐるにされた竜は、墜落する。その後を追おうとしていたもう一頭の竜は、その進路の先に現れた魔王の影に縛られて止まった。
『くっ、ふふっ…お帰りなさい、≪ハーヴェイ≫』
墜落した竜が気になって走って来た私達が見たのは、先程の女性に、まだ年若いだろう富士額の長い髪の青年、顔に大きな傷のある男がハーヴェイさんを囲む姿だった。
『素直に笑えばどうだ、≪レィダーヴ≫』
ぐるぐる巻きにされた竜の前に、黄金の宝石の塊を置いたハーヴェイさんは、そう言って笑いを堪える傷の男を小突く。それを片手で受け止め、お互いに手を叩きあった彼らは、やってきたこちらを見て手を振った。
* * *
「ミズハ様。やはりミズハ様は聖女であらせられました」
おじいちゃん魔術師ことロスコゥさんは、そう言って私の手を両手で握り締めてくれた。竜に卵を返して街の脅威が去り、事のあらましを公表した穏健派が政治を握った現在。レシュさん、タンダードさん、ノーアさん、バックスさん達を引き合わせたのは、ロスコゥさんだったと言う事がわかった。けれども、私はやっぱりこのおじいちゃん魔術師が権力争いをしているようには思えなくて、不思議な感じがしてしまう。すると、私と同じく帰り支度をしたハーヴェイさんが、魔王の言葉を伝える為にロスコゥさんと向き合った。
『二度とこの様な事がないよう、”蒼鎖の大地”との道は閉じさせてもらう』
「もちろんです。ご迷惑をおかけいたしました、守護騎士様」
にこにこと何処までも本心かわからないが、穏やかに頷いたおじいちゃん魔術師に、ハーヴェイさんは『タヌキめ』と微かに笑う。一度召喚陣で待つ魔王たちの方を見たハーヴェイさんだったが、後ろからバタバタとした足音に再び振り返った。
「ハーヴェイ!! ミズハ!!」
バックスさんが二階の窓から地上を見下ろし、めいいっぱい腕を振る。押しのけるようにしてレシュさんとノーアさんが飛び降り、遅れてタンダードさんが窓から顔を出した。
「おい、ハーヴェイ。もう帰るだなんて、聞いていないぞ」
「まだ、勝負はついていないぞ、ハーヴェイ!」
レシュさんが怒った様にして走って来、ノーアさんが魔術で着地して駆けてくれば、ハーヴェイさん。
『お前たち人間と交わした契約は遂行した。あとは、お前たちの仕事だ。そうだろう?』
言われてレシュさんもノーアさんも何処か満足そうに、しかし微かに顔を顰める。彼らなりの別れの惜しみ方だろうとすぐに分かった私も、慌てて彼らの輪に入った。
「レシュさん、ノーアさん。これまでお世話になりました」
「あぁ。…ミズハ様も帰るのか。寂しくなるな」
レシュさんが言い、ノーアさんは魔術師風なのだろう、片手を取って手に何かの魔法陣を書いた。
「旅に出る者の安全を祈願するおまじないです。どうぞ、お達者で」
「ありがとうございます。それに……」
二階の窓から別れの挨拶だろう、笑顔で手を振ってくれるバックスさんとタンダードさんの方を向いて両手でメガホンを作る。すぅっと息を吸って、大声を出した。
「バックスさーん、タンダードさーん!! 今までありがとうございましたぁー!!!」
声が届いたのだろう、二人の手を振る勢いが強まった。それにとびきりの笑顔を浮かべて手を振り返す。
「皆さん、お元気で」
これまでこの世界で暮らした分、懐かしさとか、思い出とかが溢れて、泣き笑いになってしまう。
『娘』
そんな空気をぶち壊してハーヴェイさんが呼びかけてきて、私は目元をぬぐうときっと眉を吊り上げた。
『あのですね、ハーヴェイさん。そろそろ私の名前を覚えて――…』
言いかけた私に、腰に手を当てたハーヴェイさんは、大きくため息を吐いた。そうしてまだ長々とおしゃべりしそうな私の未練を断ち切るように手を掴み―――。
『帰るぞ、瑞葉』
『―――っ、はい!!』
ようやく名前を呼んでくれたのである。
* * *
私は、惑星スタリス在住の19歳、瑞葉=フェオーレ。
きっと私は、一生、この奇妙な経験を忘れられないと思う。
完読ありがとうございました。
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