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1 世界樹と理不尽な布

 アルテミス王国の春は、一輪のバラよりも鮮やかな熱狂と共に幕を開けた。


  侯爵家のガゼボでは、今日も今日とて、エレオノーラが「愛の化身」こと、リリアーヌを囲んで優雅なお茶の時間を過ごしていた。


 その心穏やかな一時に、執事によって、急な来訪を告げられたエレオノーラは、少し眉を顰めたものの、その用向きを聞き、この場に通すことを許した。


「今……、何と仰ったのかしら?」


 エレオノーラの扇子が、パサリと閉じられる。その音一つで、跪く商人たちの背中に冷たい汗が流れた。


「も、申し訳ございません。ご注文いただきました、リリアーヌお嬢様に相応しいとされる『極上の幻布』……『世界樹(ユグドラシル)』の葉を食んで育つ『天蚕(てんさん)』の糸で織り上げた布ですが、現在、全く入荷の目処が立たず……」


「何故?」


  「はっ……。その、糸の源である『世界樹(ユグドラシル)』が、ここ数ヶ月、急速に活力を失っているのです。枯れ落ちた葉では蚕は育たず、糸の質も下がる一方でして……」


 エレオノーラの瞳が、スッと細められた。


  『世界樹(ユグドラシル)』。


 アルテミス王国の魔力の源であり、国の守り神とも称される大樹だ。その異変は国家の一大事であるはずだが、彼女にとっての問題はそこではない。


「……それはつまり、このままでは私の可愛い至上の天使、リリアーヌの次の夜会のドレスが用意出来なくなるということなのかしら?」


「ま、誠に……甚だ、い、遺憾なことでございますが……」


「そう……」


 エレオノーラは、滝のように汗を流し、モゴモゴと口ごもる商人たちを一瞥すると、冷たく微笑んだ。


 ---


 さて、王都の目抜き通りから一本入った静謐な貴族街の入り口にある、蔦に覆われた重厚なレンガ造りの建物。


 招かれた者のみがその扉を叩くことができると言う、アンティークショップ『星屑の天球儀(アストラル・オーブ)』である。


 店内に並ぶのは一級品の高級アンティーク。どれも一筋縄では手に入らない貴重な品だ。


 まるで美術館の展示品のように絢爛に飾られており、いかにも上級貴族の娯楽のための店だが、その実態はヴァランシエール侯爵家の長女エレオノーラが、自身の美しすぎる妹、リリアーヌを保護するために私財を投じて設立した非公式精鋭組織――『天球の灯(スフィア・ランタン)』の拠点である。


 その一室にて、エレオノーラは厳かに告げた。


「……というわけで、『世界樹(ユグドラシル)』の調査に行ってきなさい」


 エレオノーラに付き従い控えていたソフィアから手渡された書類を、リンは絶望の表情で眺めていた。


  そこには『聖樹管理局アルボア・ガーディアン』という、いかにも権威のありそうな公的機関の印章が押されている。


「いや、ちょっと待て。『世界樹(ユグドラシル)』って、あのバカでかい樹だろ? なんで俺らが調査するんだよ。管理局の専門家とか、教会のエライさんとかがいるだろ」


 リンが抗議の声を上げるが、同じく付き従ってきたナディアが、淹れたての紅茶を「コトリ」と置く音に遮られた。


「管理局の調べでは、『世界樹(ユグドラシル)』の異変の原因は『清らかな乙女の祈り(アーモリス・プレア)』が途絶えたため、とのことです。エレオノーラ様のご懸念は、管理局が『乙女(アーモリス)』を可及的速やかに探し出すべしと国に提言している、ということです」


「つまり?」


 嫌な予感しかしないが聞かないわけにもいかない。渋々とエレオノーラを窺うと、いつものように凍てつくような微笑みで告げられた。


「『清らかな乙女(アーモリス)』なんて、リリアーヌのことに決まっているではないの。なぜ私の可愛らしい天使が庭師などやらねばならないのかしら?これは、許しがたい暴挙です。必ず阻止しなくてはなりません」


「……あー、なるほど。お嬢様が連れて行かれる前に、俺らに『ほかの方法』を見つけてこいってこと?でもさ、そういうのって大体どこかの村娘だったりするんじゃないの?」


 ガイがクッキーを口に放り込みながら尋ねるとエレオノーラは優雅に微笑んだ。


「通常ならその可能性もあるでしょう。けれど、今、この世界にはリリアーヌがいるのですよ?他の者が『清らかな乙女(アーモリス)』にはなり得ないわ」


 安定の暴走ぶりに、もはや感動すら覚えるが、一応抵抗だけは忘れずにいたい。


 諦めたらそこでなにかが終了だと誰かが言っていた。


(いにしえ)からの神木『世界樹(ユグドラシル)』の伝説に基づいた、歴史あるご立派な伝承なら、代替案なんて勝手に作っちゃまずいんじゃねぇの?」


 果敢に挑戦した抵抗は、だが、エレオノーラがパチリと手元の扇子を閉じただけで脆く散っていく。


「『歴史』や『伝統』は古ければ古いほど正しく伝え継がれることは困難ですわ。見つけてらっしゃい、必ずあるはずよ、『何か』が」


「「相変わらずの雑な命令!!」」


 本日も、暴君に逆らうことは叶わず、リンとガイの悲鳴が地下に響きわたるのだった。


「理解できましたね?ああ、『世界樹(ユグドラシル)』は現在、立ち入り制限区域になっていますけれど、まあ、何とかなさい。それと…」


 思い出したように、壁際にある工房の扉を指差した。


「カイルさんが、新しい『調査道具』を渡したいそうですわよ?」


 その言葉が終わるか終わらないかのうちに、扉が勢いよく開いた。 中から飛び出してきたのは、寝不足で目を血走らせた銀髪の男、カイルだ。


「見てくれ! 傑作だ! 微細な魔力変動を捉え感情を測定することが可能な最高感度のバイオセンサー! その名も――『恋心を数値化する(ラブ・チェック)カニのブローチ(・クラブ)』!!」


 カイルが掲げたのは、宝石を散りばめた豪華なカニの形をしたブローチだった。


 だが、その脚は不自然に鋭く、ハサミの部分は何かをガッチリと「挟む」気満々の角度で固定されている。


「なんで全部カニなんだよ!?」


「好きだからだ! さあリン君、これを胸元につけて……いや、精度を上げるために、いっそ鼓膜の直近に装着しようか!」


「やめろ! 挟むな! くるな!!」


 逃げ惑うリンと、それを手伝おうとするナディア、そして「俺は絶対に付けないからね」と窓際に避難するガイ。


  『世界樹(ユグドラシル)』の異変という国家の危機は、非常に騒々しく動き出したのであった。


 しかし、一見して暴論に見えたエレオノーラの命令は、この時、最大級の正解を射抜いていた。


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