煩い男と静かな奴隷
声を荒げる男と、
声を奪われた男がいた。
俺が選んだのは、静かな方だった。
*
「食い物をくれ!金ならある!」
やつれた商人風の男が、開口一番にそう迫ってきた。
ただ森を抜けたかっただけなのに、ついてない。
周囲を見回すと、車輪の外れた荷馬車が一台。
馬の姿はない。
魔物にでも襲われて、立ち往生したところだろうか。
どうしたものかと考えていると、気配が近づいてきた。
暗い茂みを見つめると、そこから“ソレ”が現れた。
「このグズ! いつまで待たせんだ! とっとと寄越せ!」
商人風の男が怒鳴り、ソレの手にあった壺をひったくる。
中身をガブガブと飲み干し、ようやく一息ついた。
水汲みに行かせていたらしい。
だが、近くの水場は片道三時間はかかるはずだ。
「ッハァ……いやぁ、お見苦しいところをお見せしました」
男は胡散臭い笑みを浮かべ、こちらを値踏みするように見る。
保存食のパンを取り出しながら、どこまで行くつもりだったのかを尋ねると、
男はパンに目を釘付けにしたまま「ランガスだ」と答えた。
「ランガスまで連れて行ってやる。対価はソレでどうだ?」
指差した先を見て、商人風の男は眉を寄せる。
「力仕事しかできねぇ、役立たずですが?」
「ああ。構わない。ソレがいい」
「こちらとしては異論ありません!」
パンを与えている間に火を起こし、串肉を焼く。
男は涎を垂らさんばかりの顔で、差し出した肉に獣のように齧りついた。
腹が満ちたのだろう。
満足げな男に、明日は早朝出発だと告げると、「じゃあお先に」と荷馬車へ向かう。
立ったままのソレに向かって、
「見張りサボんじゃねーぞ!」
と怒鳴りつけ、扉を閉めた。
……本当に煩い男だ。
改めて、ソレを見る。
擦り切れた半ズボン以外に衣服はなく、剥き出しの身体には無数の傷跡。
胸には隷属印。
首には、言葉を封じる首輪。
うん。完全なる奴隷だ。
手招きすると、素直に近づいてくる。
音も匂いも外に漏れない結界魔法を展開した。
「?」
何かを感じ取ったのか、周囲を見回す。
「結界だ。あの男にはバレねぇよ」
炙ったパンに、塩を効かせた串肉。
デザート代わりの果物も添えて皿に盛る。
差し出すと、奴隷は目を見開いたまま固まった。
「要らねぇの?」
下げようとすると、慌てて両手で受け取る。
かなりの量だったが、あっという間に平らげた。
温かい茶を注いでやり、俺は毛布に包まって横になる。
「魔物避けも張っとく。少しは寝とけ」
どうせ、朝からまた使われるのだろう。
奴隷は茶を飲み干すと、小さく頷き、座ったまま目を閉じた。
*
朝の冷気で目を覚ますと、奴隷が薪を焚べていた。
燃え跡を見るに、夜通し火の番をしていたらしい。
「おはよう」
声をかけると、ぎこちなく頭を下げる。
火の番への礼を告げると、目を見開いたまま固まった。
そのまま放置して顔を拭き、朝食を用意する。
パンにチーズと塩漬け肉を挟んで炙るだけの簡単なものだ。
荷馬車から聞こえる騒音――どうやらイビキらしい。
起きる前にと、奴隷に皿を渡すと、迷いなく受け取り頭を下げて食べ始めた。
結界を解き、商人と自分の分を用意すると、
匂いにつられて男が這い出てくる。
礼もなく貪る姿に、溜息が出た。
車輪を魔法で直し、出発する。
馬がいないため、荷馬車を引くのは奴隷だ。
「オラ! さっさと歩け! ウスノロが!」
……引いて歩けるだけでも十分すごいと思うが。
そっと重量軽減をかけると、奴隷は一瞬だけ驚いた顔をして、
こちらに小さく頭を下げた。
順応が早い。
出てくる魔物は雑魚ばかりなのに、商人は喚き散らす。
本当に煩い。
夕暮れ前、森を抜けて川の見える場所に出た。
水を確保し、夕飯にスープを作る。
商人を先に寝かせ、結界を張ってから奴隷と食事をとる。
昼に我慢させた分、パンと腸詰めを追加した。
恭しく受け取り、黙って食べる姿。
寝る前に「おやすみ」と言ってみると、
奴隷は焚き火を指し、自分を指して頷いた。
火の番は任せろ、ということだろう。
礼を言って眠りにつく。
翌朝、挨拶をしたとき、
奴隷の口元がわずかに歪んだ。
――たぶん、笑おうとしたのだろう。
丘を越えると街道が見え、遠くに町が現れた。
商人の足取りが急になる。
日暮れ前に到着すると、男は役所で奴隷契約を移譲し、
振り返りもせず宿へ向かった。
最後まで、礼の一つもなかった。
*
静かな男が、俺の隣に残った。




