7.蒼い稲妻 (前)
フライト・ユニットが巻き起こす陽炎で、ゆらゆらと視界が歪んでいる。
ジュエル号は居住コア『ロードウィーバー』を目指す道中でまたもや盗賊の一味に襲われたのだ。スクラップを修理した寄せ集めの『セラフィム・タイプ』と、連合軍が運用していた旧機種『VX-1F型』の計七機を撃墜。
しかしさすが美鈴さん、ブレイバーの被弾箇所は皆無だ。
まるで天使が舞い降りたかのようにほとんど衝撃も感じさせず、ブレイバーはジュエル号の甲板へ降り立った。
盗賊達がいくら腕に覚えがあったって美鈴さんにはとても敵わないだろう。
でも、盗賊達にとって美鈴さんに撃墜されるのは幸運な事かもしれない。
美鈴さんは盗賊達の機体を行動不能にするだけで、可能な限りコクピットを狙ったりはしないからだ。
「お疲れさまです、美鈴さん!」
コクピットから機体乗降用リフトで降り立った美鈴さんに、僕は駆け寄った。
「ありがとうリスティ。いい調子だった」
ヘルメットを脱いで乱れた長い黒髪を背中に流した美鈴さんは、僕が差し出したドリンクのパックを受け取った。でも彼女は何やら不満がありそうな顔をしている。
「どうしたんですか?」
「ひとつ逃げられた」
不思議に思った僕がそう聞くと、美鈴さんは憮然とした顔で答えた。
「え?」
「嫌な感じの奴だった。ふらふらとこっちの様子を伺ってるみたいで」
ストレスが溜まっていそうな美鈴さんは一度首を回すと、僕にヘルメットを放って寄越した。
「気分が悪いからシャワー浴びてくる。後はお願い」
「あ、はい!」
僕は釈然としないまま、美鈴さんの後ろ姿を見送った。
☆★☆
『提出された書類の確認が終了しました。積載されている搬入物資、及び人員の申請に問題は確認されませんでした。運搬船ジュエル号の入港を許可します』
幾度となく行き来している顔見知りの運搬船だと分かっていても、やはりひと手間掛かる正規の手続きをしなければ居住コアの中へと乗り入れる事が出来ない。
モニターの中の管理官は分厚い書類の束を睨み付け、ひどく真面目な表情で黙々と手続きを続けていたが急ににっこりと笑った。
『ロードウィーバーへようこそ、歓迎します!』
「わーっ!」と、ブリッジ要員の歓声が上がった。
ブリッジでただひとりの女性である通信士のミホロさんだけが半眼で、はしゃぎまくるクルー達を睨み付けている。
物資の流通を運搬船に頼るしかない居住コアは、訪れる運搬船を心待ちにしている。そしてジュエル号のクルー達も、久々に船を下りてゆっくりと旅の疲れを癒す事が出来るのだ。
僕も多少そわそわとして、ブリッジの風防越しに見える街の姿へと目を凝らした。
「あれ?」
なんだか違和感がある光景に思わずごしごしと目を擦り、もう一度その景色をよく見る。
ジュエル号が停泊する港は人の姿もまばらで閑散としている、荷物搬出用の作業車だけがのろのろと行き交っているようだ。
のんびりという雰囲気でもない、もう少し賑わいがあっても良さそうなものだけど。
そしてあちらこちらに、その……悩ましいポーズの女性が描かれている派手な看板が掲げられている。
みんなの歓声の理由が分かったような気がする、ミホロさんに睨まれるのも無理はない。
「このご時世らしい、いい加減な街さ。ふざけやがって」
絶句している僕の横で、ガディさんが荒い鼻息で言った。
「ありがてぇ上得意だが、俺はこの街が好かねぇ。この街に停泊している限り俺は部屋で寝てるからな、声を掛けるなよ!」
苦々しく吐き捨てるとガディさんは踵を返した。
のしのしと遠ざかる不機嫌そうな広い背中を眺めていると、
「リスティ、何してるの。あなたにも許可は下りているんでしょう?」
先程とはうって変わって機嫌が良さそうな美鈴さんに声を掛けられた。
白いブラウスにジーンズ。腰には太い革製のベルト、足には程良くくたびれた感じのショートブーツ。しかしそれにしても長い足、やっぱり美鈴さんのスタイルは抜群だ。
「ひょっとして、いつもそんな服をブレイバーに積んでいるんですか?」
こめかみに人差し指を当てて首を横に振った美鈴さんの眉間に、きゅっと縦皺が寄る。どうでも良いですけど皺の痕がくせになりますよ?
「何を馬鹿な事言ってるの、そんな訳が無いでしょう? パメラおばさんに若い頃の服を借りたの」
「うええっ!?」
少し失礼な驚き方だったのかもしれない。パメラおばさんは、いったい何十倍に膨れ上がったのだろう。少なくとも十数年前、パメラおばさんは美鈴さんと似通ったスタイルだったという事になる。その姿を想像出来ない僕は思わずのけぞった。
「ほら、もたもたしていないで出掛けるわよ!」
「出掛けるって、ちょっと待って下さい! 僕にもやりたい事があるんです!」
僕は丸一日使って、ブレイバーのマニュピレーターをオーバーホールするつもりだったのだ。ライフルや接近戦用のブレードを扱うため、装甲兵では最も痛みが激しい部分であり、兵装選択時に繊細で確実な動作が要求される。
僕としては絶対に手を抜きたくない部分だ。
「この居住コアには一応、守備隊もあるから私が出る必要は無いし。毎日飽きもせず機械いじりばっかりしているんだから、たまには気分転換しないと頭も体も腐るわよ」
美鈴さんに首根っこを掴まれて、そのままずるずると引きずられていく。
僕はこのまま作業服で街へ出掛けるんですね、やっぱり。
「ぐ、軍本部へのコンタクトは取らないんですか、居住コアなら可能かもしれないでしょう? 仲間の方達の安否についてもう何か連絡が、部隊への帰投命令だって来ているかもしれませんよ?」
出不精の上に機械いじりに至福の時を感じる僕は、なんとか抵抗を試みる。
「あなた、ブレイバーの通信機だってチェックしているんでしょう? 必要ならとっくに帰投命令が来るし捜索隊だって出ているはずよ」
美鈴さんが、微かに赤い唇を噛むのが分かった。
「リスティ。あなたはミネルバ隊って部隊名を聞いた事がないの?」
ミネルバ隊……。美鈴さんの所属部隊名という事以外、僕には心当たりがない。
「ええと、知りません」
「……そう。ならいいわ。ほら、行くわよ!」
美鈴さんはしばらく僕の顔をじっと見ていたが、教えてくれる訳ではないらしい。そのまま彼女に引きずられ、抵抗を諦めた僕はロードウィーバーの街へと出た。
当然の事だがロードウィーバーは、ランディルアとは街の様子が全く異なる。
ひっきりなしに人や作業用車両が行き交うランディルアと違い、この街の空気はどことなく澱んでいて怠惰な雰囲気が漂っている。
壊れた建物の補修など、もはや適当で傷むに任せられている状態。街を行き交う人々は皆一様に猫背で、活気がまるで感じられない。そしてたくさんの建物が道沿いに連なっているものの、メインストリートはまるまる歓楽街だ。
昼間から派手な化粧をして、扇情的な衣装を身に付けた女性にウィンクされた。
「ここも結構荒れているわね、でもあたしが生まれ育った街もこんな感じ。貧しくて、暮らしている人々の生き方は投げやり。リスティ、狭い路地なんかに顔を突っ込んじゃ駄目よ、危ないから」
街の様子を眺めながら、美鈴さんは道の真ん中をすたすたと歩いていく。
僕はあまり安心出来ない視線をひしひしと感じながら、美鈴さんの後ろをおっかなびっくりついて歩く。
真っ直ぐな背筋、背中で踊っている長い黒髪。
美鈴さんの歩く姿はとても綺麗だ。胸を張り肩も揺れず、大きな歩幅で颯爽と歩く。
気が付けばすれ違う人々、いやそれだけではない。昼間から酒瓶を抱えて路上に座り込んでいる者、傾いたテーブルでカードゲームに興じている人相が悪い男達。誰もが美鈴さんを目で追っている。
でも多分、当の美鈴さんはそんな視線など全く気にしていないんだろう。
ランディルアを発ってから、すでに数週間が過ぎている。
僕は今でもコクピットで膝を抱えてうずくまる、美鈴さんの姿が忘れられない。
美鈴さんは何も言わないけど、きっと胸の中に渦巻く様々な想いを彼女なりに乗り越え、解決していくはずだ。
「あの、美鈴さんはどうして装甲兵のパイロットに?」
会話の糸口を探していた僕は、彼女の真っ直ぐに伸びた背筋を見ながらそう尋ねてみた。
以前から気になっていたんだ。
「何よいきなり」
美鈴さんは振り返って僕をジト目で見た後、ふんと鼻を鳴らすとまた前を向いて歩き出す。
「生きるだけで精一杯の毎日、夢なんてものは夜寝て見るものよ。もっとも良い夢を見られる人間は幸せな部類ね。目を閉じれば悪夢に襲われる、そんな人間が大半だから」
醒め切った口調で語る言葉の端々に、美鈴さんがこれまで歩いてきた道の険しさを感じる。
僕には彼女の感じた事の一握りも理解出来ないのかもしれない。
「わたしは小さな頃から色々な仕事をしていたから、大型の重機なんかを器用に扱える。装甲兵だって似たような機械よ。ただ居住コアで明日訪れるかもしれない死にびくびくしているなんて、まっぴらごめんだった。……ただそれだけ」
やっぱり美鈴さんはとても強い女性だ。運命を受け入れるのではなく自らの力で運命を、未来を探し切り開く事を選んだのだろう。
「リスティ、あなたはどうなの? そう言えばまだ聞いていないわよね。生まれは何処?」
「え?」
ウ マ レ ハ ド コ ?
あれ?
僕は……何処で生まれたんだ?
美鈴さんに問われて、僕の頭の中は真っ白になった。
突然に、自分の足下の地面がまるっきり無くなってしまったような感覚。
何か大切な物を無くした不安と恐怖に襲われ、往来の真ん中で立ち止まった僕は息苦しさにめまいを覚えた。
暗雲のように心を覆い尽くす不安が、もの凄い勢いで広がってくる。
どうして今まで気にならなかったのだろう?
僕にはある時期から以前の記憶が、まるですっぽりと抜け落ちたように無い。
そんな人間なんているんだろうか。
「美鈴さん、待って……下さい!」
震える両手で胸元のペンダントをきつく掴んだ、喉が渇き呼吸が荒くなる。
僕の前を歩いている、美鈴さんの後ろ姿が歪んで見えた。
(美鈴さん!)
もう一度、声にならない叫び声を上げようとした時だった。
何者かに襟首を掴まれた僕は、大きな力で真横に引っ張られた。
☆★☆
薄暗く入り組んだ路地裏のゴミ溜まりへ投げ込まれ、背中の痛みに一瞬息が止まる。
「なんでぇ、しけてやがんなぁ。余所者だと思ったんだが、金目の物なんか何も持ってねぇのかよ」
ゴミ溜めに埋まっている僕を見下ろしている人相の悪い男達は三人。起き上がろうともがく僕を足で踏みつけ、ひとりの男がそう吐き捨てた。
悔しい、具合が悪かったとはいえ油断した。美鈴さんは……いや、僕が居なくても大丈夫だろうけど。
僕はこいつらに路地裏へと引きずり込まれたのだ。
男達は薄汚れたナイフをもてあそんでいる、まともな職業の奴らじゃない事がひと目で分かった。
今はこんな奴らの相手をしている場合じゃない。
頭の中でぐるぐると思考がまわっている、僕が下から睨み付けると体を踏みつけている男が薄い笑みを浮かべ、ぐっと足に力を入れた。
息が詰まる。悔しいけど、僕には体を踏みつけている足をはね除ける力が無い。
「へへへ、この街の人間の懐は干涸らびているからな。余所者が道端でぼんやりしてっからよ、おや?」
男がナイフをちらつかせながら、僕の胸元で輝く銀のペンダントを手に取った。
「ほほう、こりゃあ良さそうな品じゃねぇか。まぁこれくらいで勘弁してやるか」
男がペンダントを取り上げようと力を入れる、細いけど頑丈なチェーンが軋んだ。
冗談じゃない、このペンダントは僕の大切な物だ。
「やめろっ、この!」
この際ナイフなんて恐れていられない。僕は思い切って体を踏みつけている男の足を掴むと捻り上げた。
しかし、やはり僕の力では重たい靴を履いた男の足がちょっと浮いただけだった。
男はバランスを崩したものの、再び僕を強く踏みつけると乱杭歯を剥き出しにした。
「この野郎、おとなしくしやがれ!」
男がナイフを振り上げた瞬間、
「グエッ!」
何やら蛙の様な鳴き声と共に、男の後ろでどさりと重たい音が聞こえた。
ナイフを振り上げたまま、びくりと震えた男が恐る恐る振り返る。
「だから、ぼんやりしちゃ駄目よって言ったでしょう?」
どうにも情けないが、僕にとって救いの女神の登場だ。武器を持った男二人を簡単に昏倒させ、ぱんぱんと手を払う美鈴さんが立っていた。
「獲物二人を、別々に襲う方法には感心するけど。あんたが踏みつけてるぼんやり君が足を引っ張らないおかげで、こっちは簡単にカタがついたわ」
手櫛で乱れた長い黒髪を整えた美鈴さんの、黒曜石の瞳がぎらりと光った。
「どうするの? このまま大人しく消えれば痛い思いをしなくて済むわよ」
「こ、この女ぁ!」
静かに佇む美鈴さんの全身から発せられている威圧感は、鈍感な僕でも恐いくらいに感じられる。
美鈴さんのこめかみの辺りが、微かにひくついている。ぜんっぜんこのままで済ますつもりもないんだろう。
彼女が発する威圧感に耐えきれなくなったのか、だらだらと脂汗を流していた男がいきなり美鈴さんに斬りかかった。
美鈴さんの目には、男の動きなど止まっているように映っているに違いない。
彼女は突き出されたナイフをわずかに体を捻っただけで躱し、すれ違いざまに体が泳いでいる男の無防備な首筋へ、鋭い手刀を叩き込んだ。
たったの一撃。あっさりと気を失った男が地面に倒れ伏した。
「まぁ、ゴロツキなんてこの程度よね」
美鈴さんは半眼で腰に手を当てると僕をちらりと睨んだ。
「早くそこから出て来なさい、ゴミ臭いから手は貸さないわよ」
☆★☆
僕が微かにゴミ臭いのか、美鈴さんが微妙に距離を置いている。
ちょっとした食事も出来る昼間から薄暗い酒場。
ゴミ臭を漂わせる僕など、よくも店内に入れてもらえたものだ。
それにしても居心地が悪い。フォークに刺したスジだらけの硬い肉を口に入れ、何の気なしに辺りを伺う。
テーブルに着いている客達は皆、やはり生気を感じないが。人相の悪い者達の目は獲物を品定めするようにぎらぎらとしている。
この街では、さっきのトラブルなど日常茶飯事なのだろう。
「どうしたの?」
ことりとカウンターにグラスを置いた美鈴さん。
もう既に強いウィスキーをストレートで二、三杯飲んでいるんだけど、まったくいつもと顔色が変わっていない。
「いえ、何でもないです」
僕にはもう食べ物の味なんて分からない。
自分はいったい何者なのだろう?考えすぎて気が変になりそうだ。
心の中でずっと同じ自問自答を繰り返す、僕の名前は「リスティ・マフィン」……うん、大丈夫だ。
金色の髪に碧色の瞳、顔は人並みで背は高い方じゃない。
機械いじりが好きで、今は運搬船の整備士をしている。
そして僕の目的は……。
思考に埋没しかけていた僕は、視線を感じてふと隣を見る。
鼻をつまんだ美鈴さんが怪訝な表情で、じっと僕の顔を見つめていた。
「わぁっ!」
美鈴さん、綺麗な顔が近いです。
驚いて飛び退ろうとした僕は、美鈴さんにがっちりと胸ぐらを掴まれた。
「落ち着いて、静かにしなさい」
鼻をつまんだまま美鈴さんが小声で手招きをする、小さな声を聞き取ろうと僕は遠慮がちに顔を寄せた。どうでも良いけど、昼間っからいちゃついているみたいだ。
「いいわね、絶対に振り向いたりしないで」
押し殺した声で僕にそう念を押した美鈴さんは、ちらりと視線を後ろへと投げた。
「やっぱり、見張られてるわね。ああ、もう面倒くさい」
僕がゴミ臭いのだろう、鼻をつまんだままの妙な声で美鈴さんがぼやいた。
え、見張られている?
「め、美鈴さん。それはどういう……」
「しっ! 声が大きい。さて、店を出るわよ。さっきの奴らの仲間じゃなさそう、気配の質が違うわ」
美鈴さんはグラスに残っていた酒を飲み干すと席を立ち、ポケットから数枚の銀貨を取り出してカウンターへ置いた。
「ご馳走様、いい商売してね」
誰もが見とれてしまうにこやかな笑顔を浮かべ、カウンター内へ気軽に声を掛けた美鈴さんが席を立つ。
僕は慌てて、彼女の後を追って店を出た。
僕と美鈴さんが店を出ると同時に、店内からガタリと椅子が動く音が聞こえたようだったけど、気のせいなんだろうか。この街の雰囲気に僕が脅えているからなのかもしれない。
相変わらず、すたすたと道を歩く美鈴さんの後ろを付いて歩きながら。僕は恐怖心から後ろを振り返りたいのを必死に堪えていた。だんだん街外れが近くなってくるのか、辺りにはまったく人影がない。そして視線の先に居住コアを外界から仕切っている、大きなドームの壁が見えてきた。
「そろそろ、いいかしら?」
軽い口調でそう言った美鈴さんが振り返った途端、僕は彼女に胸ぐらを掴まれ勢いよく地面へと引き倒された。